fire punch
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「ねぇねぇ、映画好きだったよね?」
撮影終わりにプロデューサーから声がかかった。
「まぁ……好きですけど」
「うちで監督やってる子がさぁ、なんか一般向けの映画撮ってるんだって。なんかのコンペに出したいみたい」
「はぁ……」
「でも、女優に飛ばれたとかで困ってるんだって。出てあげてくれないかなぁ」
「わたし演技とかしたことないですけど、別の子のほうがいいんじゃないですか」
「仕事まともに話できて台本読めそうなの君ぐらいしかいないんだよね……話だけでも聞いてやってあげてよ。困ってるみたいだからさぁ」
「ずいぶん優しいんですね。そういうキャラでしたっけ?」
「俺さあー実はそういう面倒見良いキャラなんだよね」
嘘つけ。何かその監督に弱みでも握られてるんだろう。
「映画がめちゃめちゃ好きなやつだからさぁ、ほんと話あうと思うんだよね。下の階で撮影やってるから、ちょっと覗いてきてよ」
この雑居ビルのエレベーターは何回も壊れたことがある。乗ってるときに落下されたら死ぬし怖いから、みんな階段を使って上り下りしている。
ピンヒールで甲高い音を立てて階段を降りつつ、わたしはタバコをくわえた。
映画が好きだなんて誰にも言ったことない。
だってわたしは映画を見ない。映画館が好きになれない席に座っていられない。
好きな映画はないが、忘れられない映画ならある。わたしが14歳の時、30歳離れた男と一緒に見たものだ。わたしをモデルにしたんじゃないかと思うほどヒロインとわたしは似ていた。背格好も性格も家庭内環境も似ていた。
わたしもパパから足の開き方を教わった。ママから他人への無関心さを学んだ。
スクリーンに映るリストカットの傷が艶やかだった。パパは行為が終わると、すぐに私の腹を丁寧に踏み潰した。妊娠させたくないならこんなことしなきゃいいのに。わたしより30年も長く生きていて、そんなこともわからないのか。
心も体も取り返しがつかないところまで痛んでいたから、多少の痛みが増えたところで何も感じない。
終電を過ぎて帰りの電車はどこにもなかった。
映画館の向かい、大通り沿いにはラブホ街がある。信号を当たり前のように待つ男の背中を見て、わたしは動けなくなる。
未成年者の行くあてはどこにもなかった。
この長い春だっていつかは終わる。
この道は高速道路に通じる。車の速度は緩まない。パパとの関係を終わらせる勇気はないけど、一歩踏み出す勇気ならあった。
アイリスアウト、そして暗転。
けれど、一度目の自殺は未遂に終わった。
撮影風景だけ見ると、AVも一般映画もさほど変わらないようだ。カメラマンがいて音声さんがいてマネージャーが言って助監督と監督がいる。絶賛撮影中だから、誰もわたしに気づいていなかった。
男女2人の役者が見つめ合っていた。静かなBGMが流れていた。きっとキスシーンになる。わたしはかけようとしていた。恋を飲み込んだ。2人は夕日に照らされた頬をすり寄せた。すると、BGMが突如、乱れた。
男がナイフを女の首に突き立てる。けれど、女はギリギリのところで身をかわし、男の腕の勢いを使って男の首にナイフを仕向けた。
男の髪が数筋、宙に舞う。避けきれなかった切先が赤い筋となって、男の肌を裂いた。それに構わず男は女の脇腹あたりを切りつけた。服が裂ける。女は体勢を低くして、男の腹に抱きついた。男が振りほどうとして、右腕を女の首に回す。女はその腕を取ると関節を固めながら、男の重心を崩して床に投げた。
受け身を取り損なった男がマットレスの上に倒れ込む。すぐにナイフを持ち直して女に切りかかろうとした。
「カット!」
女が叫んだ。
「テンポがだるいんだよ!ここで私がこう切り付けたらこうやってかわして、次にナイフ刺すのは足だって!それで、こういう風に姿勢を低くして近づいて、」
「トガタ…ナイフ、本物にすんの。勘弁してくれよ。死ぬぞ…」
「だめ。リアリティーが第一。映画で観客を2時間、ずっと画面に集中させたいなら、興味の持続を意識しなければいけません」
「小さくてもいいから、くだらなくてもいいから、ピンチとか作れって話したろう?俺の命は小さくてくだらねぇのか」
「興行収入による!」
立ち尽くすわたしに女の子が椅子進めてくれた。
「来てもらったのにすいません。私はネネトって呼ばれてます。あだ名です。本名は違います。灰皿はこれ使ってください。まだまだかかりそうなんで、トガタさんの過去作でよければ見ててください」
「ネネトちゃん、ありがとう。タバコいる?」
「未成年です」
タブレット端末にはたくさんの編集アプリが入っていた。そのうちの1つを彼女は起動させた。
「これとか30分位の長さだから、ちょうど良さそう」
画面が暗くなり、物語が始まった。それは兄と妹が主人公の話だった。
「────どうでした?」
30分間。私は画面からずっと目が離せなかった。話が終わってアプリを閉じても余韻が抜けない。
「……これいつ公開するの?」
「えっと、」
「公開?それAVだもん。ダウンロード販売中だから買って」
「トガタさん、本業はAV監督なんですよ」
タバコと香水の入り混じった香りがした。甘ったるくて苦い香りがした。
「吸わないなら、タバコよこせ」
トガタと呼ばれた女は私の指からタバコを奪った。彼女は、先ほど俳優相手に戦っていた女だった。
「どうしてあんなにスタントうまいの?」
「格闘やってたから」
「ボクシング?」
「そんなとこ。ファイトクラブ見てやりたくなったんだ」
「スタンドマン雇う余裕ないから、トガタさんがみんなのスタントも代わりにやってますもんね」
「まさかわたしもナイフで戦うの?無理だよ。無理」
「じゃあ、キスとベッドシーンだけでいいよ。もともと殺し合いは、私がスタントでやるつもりだったし」
投げ飛ばされていた俳優はそこそこテレビに出てる芸人だった。確か名前はアグニ。面白い芸は無いけど、妹のことになると必死になりすぎるから、シスコンすぎてバズった人。ちなみに妹はモデルをしていて、結構美人だ。
「私のAV見てどう思った?第三者の意見って大事にしたほうがいいみたいだから、感想があれば聞きたい。私はそのうちハリウッドにも進出するつもりなんだ」
「トガタはハリウッド映画みたいな思いっきり劇的なものより、むしろ間とか余韻を残す映画作る方が良いんじゃない?」
「フランス映画みたいな映画ってこと?」
「うん……わたし見てて、塗れ場にいくまでAVってわかんなかったもん」
映画を見ているようだった。
姉に恋してしまった弟のモキュメンタリー映画。
トガタは女優のわざとらしいセリフも男優の棒読み演技も全てドキュメンタリー風にして、いかにも自然に魅せた。
兄が妹に欲情して下着を盗むシーン。妹の着替えを覗くシーン。毎晩妹の部屋に忍び込んで胸と膣を弄るシーン。日を追うごとに彼女の体は熟れていき、妹もまた兄に欲情するようになる。クライマックスは兄妹の一線を越えた夜。画面越しでも彼らの熱が伝わってくるようだった。
AVではきっと売れない。リアルすぎる。葛藤まで映してしまったらヌく気になれない。
実花監督は極彩色を使って女の虚構と退廃を描いた。
ソフィア監督は淡い色彩を使って、少女特有の危うさと空虚感を表した。
悠花里監督は薄暗がりと木漏れ日の対比によって心情を可視できるものに変えた。
裕和監督は演者の眼差しを通じて、世界の静けさと歪みを浮き彫りにした。
「トガタが売れる監督になるかはわかんないけど、トガタは人の欲望を撮るのが上手だと思う」
「……キミの名前は?」
「エマ・ワトソン」
「……そっか、この前の……生きてたんだ」
「うん。どうにか、ね」
「次はエマ・ワトソンを主役にして撮ろうか」
「エマは今休業中だよ。読書する時間がほしいんだって。ほんとハーマイオニー」
「私が言ってんのはこっちのエマ」
トガタはわたしの顔を両手で挟むと、無理やりお互いの目を見つめ合わせた。
「私の映画だから、惚れた奴を主人公にすんの!今アグニをとってる映画が終わったら、次はキミが主人公!」
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
カーテンを開けると強めの日差しがローテーブルに直撃した。
「トガタ食べないの?」
彼女はエナドリ缶に口づけたまま開けっ放しの冷蔵庫にもたれかかっていた。
「キミは私に言いたいことがあると、いつもご飯作るよね」
「そう?そんなことないよ」
「いつもは自炊しない」
「娼婦は気まぐれなの」
わたしは冷蔵庫を閉めて、トガタを無理矢理座らせた。
「さっき映画見に行ってたの」
「ふーん。珍しい。映画館嫌いなくせに」
「朝は寝ぼけてたから、トラウマは蘇がえんかった」
「あっそ。改まって何?別れ話?」
「……パンフレットがね、売り切れてて買えなかったの。朝一なのに大人気だった」
「持ってるじゃん。パンフ」
「元カレがくれた。偶然、映画館であって、パンフくれる代わりにポップコーンおごってあげた」
「私が徹夜で編集してるときに楽しそうで何より……別れ話?悪いところがあったら直せないとは思うけど、聞くだけ聞くよ?」
「いや、悪いところは特にないけど…」
「別れ話のところを否定してよ」
「別れる別れないの前にわたしたちって付き合ってたんだね」
「もしかして、私が女だから実感なかった?」
「んーどうだろう?」
「私がひょうきんでいかれて、男の人だったら?付き合ってるって実感できた?」
「騙されてるのかもって思ってたと思う。トガタってわたしにほぼ無給で演技させてたし。それに、性別は関係ないよ」
「私には関係がある。他人は見た目に引っ張られるから……他人だけじゃなくて、自分も自分自身の見た目に引っ張られるんだよ」
トガタは頭が男なのに体が女だ。トガタはこの違和感と手をつないで今まで生きてきた。自分の体なのに自分じゃないみたい。
トガタは女扱いしても怒るし、男扱いしても嫌がる。ひかれたのはそういう不器用なところ。
わたしは左右対象の近代的なビルよりも、左右非対称で崩れかかった。ビルのほうに強く惹かれる。完璧なものには興味がない。
「不器用なところが好きだよ。わたしが困ってたら、すぐ駆けつけてくれるところも好き。トガタはわたしのヒーロー」
「なんたらかんたらがどうとか理由とかどうでもいい」
「すねないでよ。セフレじゃないってわかって嬉しかった」
トガタは脱力して、ゴロリと床に転がった。手練手管で夜の女に叶うわけない。
苦し紛れか、目線の先にあったパンフレットの表紙を読み上げた。
懐かしそうに目を細める。
「私には友達が1人いる」
わたしが今朝見たものは10年前の映画のリバイバル上映だった。
記憶の中にあった映像よりも鮮明だった。人の記憶はどんどん褪せていくけれど、どんなに時間が過ぎても映像は褪せない。
「その友達の名は、死」
続くセリフは口が勝手に紡いでいた。
わたしは一本の映画に人生を変えられた。
わたしの境遇はこの映画の主人公と同じものだった。フィルムを通してみると、わたしたちの日常は美しかった。映画の題材になる程度には。
ある一種の歪んだ物語として成り立ってしまうほど異常な生活だったと、観るまで気づかなかった。
ケロイド状になった切り傷たちは今はもう痛まない。傷は治ったけれど、跡は治らなかった。きっとこの先、一生治らない。
わたしには友達がひとりいる。
その友達の名前は、死。
コメンテーターたちのくだらない批評は軒並み忘れた。けれど、この宣伝文句だけは覚えていた。
公開当時はお世辞にもヒットしたとはいえない作品だった。10年経って、制作に関わったスタッフと役者の知名度が上がったこと、隠れた名作映画として人気インフルエンサーに取り上げられたことなどが相まって、ここ数年で再評価されていた。
「トガタが監督してたんだよね。本名がクレジットされてたからわかんなかった」
元担当はわたし以上の映画フリークだった。トガタは学生時代と制作会社時代で名義をころころ変えていた。そのことを大っぴらに公表していないから、過去作が埋もれるわけだ。
「……学生で金がなくて超超超低予算でつくったんだ。うっかり本名でコンペに出したから、個人情報考えろってじいちゃんに怒られた」
「ずっと今まで気づかなかった。どうしてデビュー作だって教えてくれなかったの?」
「私にとっては過去の作品だから。それにキミ、映画嫌いって口では言ってたから興味ないと思ってた」
「映画じゃなくて、わたしはトガタに興味があるの」
「嘘言うなよ」
今回の新作だって、本来なら、あの子がやるべきだった。同じ職業、同じ役、同じ女に抱かれて、わたしは彼女の生き様を盗んでしまったみたいだ。
「あの子がわたしの初恋相手だったの。いなくなったショックで呼ばれてもないのに、勝手に葬式に行ったりして、ストーカーしちゃった」
「葬式に私もいたこと知ってた?」
「全然!今知った」
「私はなまえが葬儀場に入ってきた時、驚いたんだよ。あの子が生き返ったのかと思った。別れの挨拶しに会いに来てくれたのかもってびっくりした。幽霊かもしれないけど、嬉しかった。あとをつけてみたら、ホームに身投げして自殺しようとしてたのはびびったけど。あれって失恋のショックで自殺しようとしてたわけか」
「そうだよ。生まれて初めての失恋だった。トガタだってあの子のこと好きだったんでしょう?惚れた相手しか主役にしないんだもん」
「うん……あの子は誰のことも好きじゃなかったけど、私はかっこいい娘だなって思ってたよ。顔も体も、あの子の弱さも好きだった。オーディションってほど大げさなもんじゃなかったけど、あの子は私が選んだんだ。本当は別の演者に決まっていたけど、色々話しているうちにどうしても演じてもらいたくて、結局あの子にやってもらったんだ」
「じゃあわたしたちって同じ人を好きになったんだね」
トガタは答えなかった。何本目かわからないエナドリの缶をあおった。
わたしの中であの子はまだ生きていた。スクリーンの中では生前と変わらない姿でいる。これからずっと、何十年たってもせない。
彼女は傷のような人だった。わたしの体に傷を残したまま死んでしまった。癒えない傷を致命傷と呼ぶ。
あの子を失ってから、わたしとトガタはあの子のことを何も知らないふりしたまま、互いの首を締め合うように暮らしていた。
「一応言っておくけど……私はなまえの顔も、体も、弱さも全部に惚れてるよ」
「わたしはね、トガタなら何でもいい。はちゃめちゃじゃなくても、女じゃなくても、男じゃなくても好きになってる。トガタが良い」
トガタの唇は甘ったるい着色料の味がした。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
生ぬるい風を受けながらひとりで波打ち際を歩く。
映画が終わって、劇場を出てもしばらくは余韻が抜けない。そうだ、ヒロインを真似て海辺を歩いて帰ろう。とたんに電車から降りる。
水面のきらめきを윤슬(ユンスル)と呼ぶらしい。反射光にまで名前をつけるなんて洒落ている。
靴を両手に持って、足を濡らす。
ここからどこへ向かおう。重たい荷物は捨ててきた。いっそこのまま海に沈んでしまおうか。
自由なことには慣れていない。わたしの実家では両親によって思想統制が徹底されていた。
叶うなら、後悔と寂しさを教えてくれた人のもとへ。
合わせていた肌を離すと、心の中でぱりんっとガラスが割れる音がした。ぬるい体温は即座に薄れていく。
最近のお気に入りは、くたくたの毛布、くもり空、冷たい水。あとトガタ。
昔はお気に入りなんてなかった。
寂れたラブホは空調が良くなくて、誰かの体臭と煙草のこもった匂いがする。
「ヤった後って、なに考えてんの?」
「好きなこと考えてる」
「そりゃそうか」
激しい寝癖とよれたシャツが彼女のトレードマークだ。ラフな格好でいつも高い香水の香りをさせているから、印象がちぐはぐになる。
きちんとメイクしてきちんと服を着れば、びっくりするくらい美人になるくせに。本気を出すとあんまり綺麗だから、わたしは見惚れて息もできなくなる。トガタがまともな格好をするのは流星群観測と同じくらいの確率だった。
ベッドの中、甘ったるい香りはわたしにも貼り付いて、むせ返るほどだった。
女の子が好きなの。
実は私も。
っていうかあなたが好きなの。
......実は私も。
告白の緊張は、頬を寄せ合う緊張にかき消された。プライベートでの性行為は、子宮から血が滴り落ちる時のように、激しい痛みを伴うものだ。けれど、たいてい鎮痛剤を飲んでいるのでやり過ごせている。
用法ってなんだっけ?この薬飲んでラッキーなら生きてるし、アンラッキーなら死ぬ。そもそも、これって薬なの?
子供の頃はこんな感じで暮らしていた。
文字を読めることと計算ができることで命拾いしている。日常生活は滞りない。義務教育はとても大切だ。パパとママに感謝。
「お互いの腕を切り落として貪ってたのが遠い昔のことみたいだ」
「昔っていうか映画の中で、ね」
彼女は映画監督でわたしは売れないポルノ女優。
トガタの映画は訳が分からない。でもそういうところが自意識拗らせたサブカル野郎にウケていた。
激しい濡れ場ができる女優がいなーいと彼女がぼやいていたので、死なないこと、後遺症が残らないこと。これらを条件に体をはってあげていた。基本的にNGがないから、わたしはなかなか重宝されている。
悲しいことにトガタの映画以外の仕事は、際どい撮影会や成人向けのサブスクくらいしかない。しょうがないから映画館のバイトも掛け持っている。寂れた企画女優なんてそんなもん。そろそろ本格的にAV業界を引退しなきゃいけない。
「戦闘シーンは実体験をもとにしてんのに、リアリティーがないって叩かれてんだよ。いやいや!ホントのことだから!って」
「普通の人はそんなに戦う機会ないから」
「今後の参考になるじゃん」
「例えば?どういうとき?」
「握手会でカッター突きつけられたとき、とか。拳銃で脅されたとき、とか」
「うーん……警察呼ぼ?てかさ、自分がタフだからって演者にも同じこと要求するのやめない?わたしの撮影のとき、緊張感が少ないっていきなり男優とわたしにガソリンまいたり、ナイフ本物にすり替えたりするの。なに考えてんの」
「教養がついたなまえはなまえじゃないみたいだ。考えるのだるーいって、バカな喋り方してたのに」
「昔は感情が死んでて頭が回転しなかっただけ。バカなのは相変わらずだよ」
「うん」
「そこは否定してよ」
「私に惚れるあたりバカじゃん?助かるけどさ」
「わたしに捕まるあたりトガタもバカでしょ」
「AV女優と寝るのってある種のステータスっしょ」
「バ先のおっさんと同じこと言ってる」
彼女はラブホのテレビで動画サイトを立ち上げると、メランコリアを流し始めた。
Ambiancé見たかったなあなんてぼやきつつ。
それは予告だけで7時間20分ある失われたフィルムだった。
「自分で作れば?」
「そっか、私が作ればいいのか」
飛び起きると、リュックをひっくり返してボロボロのノートとボールペンを手にした。
「延長できるっけ」
「できない。わたしバイトあるからもう出たい。歩きながら書いて」
構成を書き始めたトガタに無理やりシャツを着せて靴を穿かせた。
針の筵の上をひとりで歩く。
針の筵の上を裸足で歩く。
針の筵の上をハイヒールで歩く。
ハイヒールと自由を手に入れた。今はお金さえ出せばなんでも手に入る。
歩き方は不安定だが、もう痛むことはない。ややこしいことには慣れている。
ここからどこへ向かおう。重たい荷物は捨ててきた。これから先は普通の道を歩いてみたい。
叶うなら、後悔と寂しさを教えてくれた人と共に。
導入すら書けてない!と愚図るトガタを手招きした。サイドテーブルに並んだ指輪を引っ張るみたいに取り合って、それぞれの指に嵌めた。
(side story)
女の体に男の脳が入っている。例えるならそんな感じ。自覚したのは10歳の時だったから、かれこれ20年近くこの違和感と仲良く手を拘束されて暮らしている。
近所に住んでいるじーさん2人には60歳をを過ぎれば、シワに隠れて男だか、女だかわかんなくなると言われた。
この2人は酔っ払いにボコられていたところを助けて以来、何かと私に絡んでくる。
胸も子宮もいらない。どっちも切り取って新たに男性器をつけよう。きっと今より生きやすくなる。声帯も作り替えたい。
切って塗ってくっつけて。そして完成したのは手術で作った男に見せた偽物の体だ。私が欲しいのはそういう体じゃなくて本物の方。生まれた時から男が良かった。
スタンドバイミー。もう自分が自分を女だと思い込むしかない。遺書書いてビルの7階から飛び降りた。けれど私は生まれつき頑丈で、運動神経が異常に良かった。いろいろな偶然が重なって捻挫しただけだった。それじゃあ別の手を使おう。
眠剤1瓶を飲み終えてから、首にくくった紐をドアノブにかけて、グッバイ現世。
翌朝7時に目が覚めた。
大丈夫、こういう時は玉川上水がある。台風が3、4個連続で来ていて連日の豪雨で水カサが馬鹿みたいに増えた上流に投げしたら、待ち構えていたかのようにやってきたゲイのじいさんたちに引きずり出された。なんでだよ!死なせてくれ。
「何やってんですか」
「自殺。でも体が頑丈なせいで死ぬなかった」
命がけの川遊びの後は、全員びしょ濡れになっていた。車座になって、全裸でタバコを吸う。びしょ濡れの服は枝にかぶせられて居心地が悪そうだった。
「まさかとは思うけど、人工呼吸とかしてないよね?」
「してませんよ。気持ち悪い」
「こっちのセリフ」
無許可の焚き火は時おり爆ぜて、皮膚を焼いた。
「私は死ねなかったんだ」
「……死なないでください」
「もう生きててもやることないじゃん。トイ・ストーリー完結しちゃったし、ファンタスティックフォーは制作中止になったし」
「死なれたら、困る」
「あっそ」
じーさんの1人は日本語がたどたどしい。どこの国から来たのかもわからない。
「だから、トガタ、死なない方法2人で考えた」
「暇つぶしになればと私たちは車で移動して動画を撮っていました。そうしたら、面白いものが取れたんです」
「……なに」
「全裸の燃えてる男です」
「え、みたい!どれ?見せて」
SNSで炎上してる芸人の裸ネタだった。どうやらさっきまで外ロケしてたらしい。見ていると、その芸人は背中に火をつけられて、それを消そうと走り出していた。
「なんだこいつ」
「主人公の条件はそいつを知りたくなること。おれこいつ知りたい」
「主人公って何の?あとこの動画なに」
「トガタさん、映画好きでしたよね」
「うん。飛び降りしたのはコンスタンティンに影響受けて。首吊りは容疑者Xの献身。玉川上水に飛び込んだのは、太宰治と12人の女たちが元ネタ」
「主人公っていうのは、この世界の主人公のことです。映画はカメラで撮れれば作れるって言ってたじゃないですか。トガタさんが監督やれば良い」
そうか、と思った。こんな簡単なことに気づけなかった。ブレていたレンズの焦点がピタリとあった気がした。史上最高傑作を作れたら、私の人生は意味のあるものになるかもしれない。続きがないなら作ればいいだけだ。
「……映画監督ってどーやったらなれんの」
「自主制作映画を作り、映画祭、コンペティションで入賞して商業デビューするか、制作会社もしくは撮影所に就職し、現場のアシスタントや助監督として経験を積みながら監督の席が空くのを待つ。これらが一般的なようです」
自主制作映画といえばエログロナンセンスが必須だ。そういうのに飢えてるやつは絶対にいる。
まずは熱狂的な信者がほしい。カメラと機材はじいちゃん家にある。演者は大学で暇そうにしてる奴らを捕まえればいい。バイトで潜り込んだスタント事務所の連中も巻き込もう。
「……顔つきが変わりましたね」
「何ぼさっとしてんだ!資金集めするぞ!腎臓と眼球売ってこい!!」
アイリスアウト、そして暗転。
結局、全ての自殺は未遂に終わった。
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