fire punch
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【魚と眠る】
1
彼女には友達が一人だけいる。
その友達の名前は「死」
ウィンストンキャスターをたて続けに五本すってからシャワーを浴びた。相手の男優はわたしより先にシャワーを浴びれないから気の毒。
イソジン原液を飲んでも洗剤を飲み込んでも喉奥にこびりついた精液の味は消えない。どうにかマシになるのが煙草一箱を吸い切ることだった。食欲も失せるし、痩せるからまあ悪くない。
「なまえさん今日一人だけなんすか。共演の女優さんいないの珍しいですね」
「うん。珍しいよね。わたしメインで撮るんだって。詳しい契約内容とか知らないけど」
無茶振りされない撮影で、お金がきちんともらえればそれでいい。そのほかのことはどうでも良かった。
シャワー室に入れ違いに入ってきた男優は、そういえばと話を続けた。
「映画見ました」
「ん?なんの?」
「あ、違くてトガタ監督の映画。新しいやつ面白かったです」
「……まじ?芸名のクレジットなかったのにわたし出てたってよくわかったね」
「この界隈ではもう噂になってて有名ですよ。口コミもいいっぽいし」
「そうなんだ……そうなの?そっか」
「なんすかその反応」
「エゴサとか全然しないから、しようにも名前出してないからしようがないんだけど。いまいち実感ないんだよね。撮影中のときの方が今映画作ってんのだなーって実感できたっていうか」
「ふーん。名前クレジットしなかったのってなんでですか?事務所の都合?」
「芸名なんにしようか迷ってるうちに編集とか終わってて、わたしの名前抜きで公開されてたの。ひどくない?」
ため息をつくのと同じ要領で彼は笑った。きれいな愛想笑いだった。気を使われると居心地が悪い。大して面白くない話に対して、面白くもない人間に対してそんなことしないで。
どこの体液かわからないものでドロドロになっている彼にタオルを渡した。
「映画見てくれてありがとう……今日の撮影もありがと」
お礼を言う順番が逆だったかもと言ってしまってから気づく。だって、わたしがつくった映画じゃないもん。
「いえ、今日ひとりですか?」
「うん。もう撤収でしょ。お疲れさまー」
「あ、違くてナンパです」
「おー。おー」
脳内会議inわたし。
清涼感、二重丸。ただし変な液体でドロドロでなければ。
相性はまあまあ。仕事といえどガシマンするのに爪切ってあったのは良い。
話通じるしナンパ慣れしてそうだし、後腐れはなさそう。
事務所に関していうとややまずい。でもバレたところでわたしは商品だから怒られない。
断る理由はあんまなかった。
「今日じゃなくてもいいんで。とりあえず連絡先いいっすか?」
『727 Fith Avenue and 42nd Street,New York,NY』
差し出された端末の画面にお気に入りの住所をうち込んで彼に渡した。
「どこだよここ」
「いつか行ってみたい場所の一つだよ」
娼婦はいつだって気まぐれなんだから許してほしい。
家帰ってご飯作らなきゃ。バイバイ。
「トガタ、今日ね、職場の人が映画面白かったって言ってたよ」
「淫乱家族のやつ?あれ、私も作ってて面白かったんだよね」
「違うよ、一般の方。この前公開になったやつ」
「そっちか。舞台挨拶。だるいなぁ。スーツ嫌いなんだよね」
トガタは商業映画より自主映画かそれに近いポルノのほうに思い出があるのかもしれない。
性業界の方が規制がゆるい。この要素とこの要素さえ入れてくれれば、後は自由にして良いみたいなメーカーもあるくらいだから。
トガタは映画監督だ。得意な分野はエログロナンセンス。たまに作るホラーもネットのおもちゃになるくらいには知名度がある。
カルト映画好きのどっかのベンチャー企業の社長が出資してくれて、そいつ好みの映画を作ったり、作らなかったりしている。
有名な映画好きYouTuberがSNSで取り上げたせいで興行収入が増えた、らしい。
トガタの映画ははっきり言って訳がわからない。訳がわからないところが良いとサブカル好きの連中にウケている。カルト映画特集やまとめサイトでは必ずと言って良いほど彼女の作品が上位にあげられている。
トイ・ストーリーみたいな映画を撮りたくて作ったという発言がネットで馬鹿にされていた。和製アリ・アスターとかなんとか。
トガタ名義で発表しているものは片手で足りるほどだ。
本人曰く、デビュー作は無理ゲー。2作目はテッテレポサンヌ。食いつなぐためにしばらくポルノ映画の助監督もしていた。
制作会社の社長とは飲み屋で意気投合したらしい。並行してショートフィルムをいくつか無料動画サイトにも投稿している。
「いつもの格好で良くない?そういう挨拶って演者のほうに注目行くでしょ」
「そう言ったらスポンサーから怒られた。テレビ中継もやるからちゃんとしろって。ネット中継だけでいいじゃん。てか家テレビないから、中継されても見えないしさぁ」
「じゃあ脱衣インタビューもまずいかな?盛り上がると思ったんだけど、何着ていこう」
脱衣インタビューとは1つの質問につき1枚ずつ服を脱いでいくこと。質問5個くらいで全裸になる計算だった。
「水着は?そろそろ海開きだし」
「更衣室ないから家から来て行かなきゃじゃん。プールある日の小学生みたい。何かやだぁ……いい案ないか明日事務所行ったとき、マネージャーに聞いてみる」
賞味期限の切れたパンと消費期限の切れた卵。今日の現場からぱくってきたレトルトパウチを組み合わせて、絶望的な朝食を作った。ローテーブルからはみ出そう。わたしもトガタも食べることに興味がないから、固形物を取るだけでも良い方だ。
煙は肺だけでなく腹にも溜まるから、空腹をあまり感じない。お腹がすいたときは、プロテインとビタミン剤を噛み砕いて終わり。光熱費だけはきちんと支払っているので、水道水は飲み放題だ。事務所に行けば、何かしら誰かしら食べ物をくれる。
「ついでにタバコもパクってきなよ。なんか体感1秒ごとに値上がりしてるから買うのだるい」
「タバコなぁ、もらえるかなぁ。もらいたいなぁ」
閉めっぱなしだったカーテンを開けたら、強めの日差しがテーブルに直撃した。
わたしは小さい時から、きれいに整えられた高層ビルよりも下町とか、治安が終わってるスラム街とかのほうに心惹かれる。花屋で売られている色鮮やかな世界より、しおれた花とかドライフラワーの方が好き。
もしわたしが男で異性愛者なら若くて綺麗な処女より、若くないけど手練のババアを買うんだろうな。
「なまえって見た目は女!って感じなのに、中身は俺たちおっさんよりもおっさんだよね」
会社の男女比率は9対1位で顧客層は99%くらい男。給料もらいに事務所を覗いたら、珍しく社長がいた。タバコをせびってみたら気前よく1カートンくれたので、嬉しくてその場でフィルムを剥がして火をつけた。銘柄をよく見なかったけど、これやたら苦いな。
「えっと、マルボロか」
「じいさんには、お似合いでしょ」
「社長ってそんな歳なの?年齢不詳なんだけど」
スペ70くらいの体つき。ガングロ。歯は漂白したみたいに驚きの白さをしている。
ザ夜職って感じの見た目。おねえ口調は女の子に対してのみ。男性社員へのあたりはかなりキツくて怖い。
「風俗上がりの子ってスムーズに会話ができていいわ。また1人自殺未遂して入院しちゃったし、素人の女ってコスパ悪いわよ」
「それってメンケア不足じゃない?」
「そんなしょっちゅうケアできないわ!もういいや、飛んでもらおうっと。そんなことよりも、」
裸の女たちのパッケージが所狭しと並べられた事務室で、社長はわたしに1年前と同じことを聞いた。
「デビュー作さ、趣味悪いおじさんに評判良いからシリーズで2作目も出さない?」
『首を斬られた女とエロい女のポートレート』これが私のデビュー作だ。最悪。
「目立つの好きじゃないんで、メイン他の女の子でその他大勢の1人とかならいいですけど……」
「グロいの大丈夫な女の子いなくて、なまえがいいんだけどなぁ。目立つの嫌って珍しいね、みんな主役やりたがってんのに」
清楚であること、恥じらいあること、誰にも言えない秘密があること。わたしは指を3本折って社長に言い返した。
「ヌける女の3大要素ないですもん」
「あ、覚えたんだ!えらいえらい」
「何も持ってないし、そんなんで2作目売れますかね?」
「だって騙せるってしょう君は。フリで良いのよフリで。清楚ぶって、恥ずかしがって、ミステリアスな女のふりすんの。カメラ回ってる60分間だけ、そういう女になれればいいの。それだけ」
それはもう暗唱できるくらいに聞かされた説教だった。社長は金になると思えば食いついてきてなかなか離れない。
「────難しくないでしょう?デビュー作からのシリーズなんてめったにないよ。顔を売っておけばさぁ、この先ずっと単体で撮るのは無理でもさぁ、企画で細々やるくらいは稼げるって!うちって掛け持ちおっけいだから、現役女優って肩書きぶら下げてデリでもソープでも時給が倍になるしさぁ────」
最初はお金のためだった。家に帰りたくなくて、なんとなく歩いていた歌舞伎でタイプの男にナンパされたからついて行った。姫なんて呼ばれて気分を良くしたのが運のつき。
今月バースデーで来月は昇進式。今日はあといくらでラスソン取れるし、明日はアフター行けるよ。アフターってか俺ん家来ていいよ。一緒に住もうよ。これ合鍵ね。
流れるような営業トークだった。バカみたいにお金を使って、バカみたいに体を売って稼ぐのは結構楽しかった。今は色々規制が厳しくなっているから、彼がまだホストをやっているかは知らない。けど、息をするように女を騙せるから、きっと金持ちのヒモにでもなってうまくやっているだろう。
一度でも夜を知ってしまったら、こういうふうにしか稼げなくなる。仕方ないでしょ。
まっとうに生きろと風俗時代に客から言われたこともあったが、そんなの客のあなたに言われたくない。需要と供給が見合っているのだから、お互い様だ。わたしなりにまっとうに生きている。
整形した顔と豊胸した体のローンは、手取り15万ちょいの昼職じゃ返せないくらいに膨れ上がっていた。どんなに切り刻んで造形を変えても、日に日に生まれつきの顔に戻っていく気がしてならない。人の体にはもともと排除機能が備わっていて、異物が入るとそれを無理矢理取り除こうとするらしい。長期間メンテナンスを怠ると鼻が腐ったり、胸に入れたシリコンバックが破裂するという。
実際、同僚の嬢はくしゃみした勢いで鼻からプロテーゼが飛び出してしまい、慌てて美容外科に飛び込んでいた。
見た目は変えられないけど、中身(性格)は変えられるよ!って小学校のときに担任の先生が言ってたっけ。
先生、中身が変えられないんだよ。外見はね、金さえ積めばいくらでも変えられるんだよ。てか20歳過ぎてすっぴんで出勤すんのやばいよ。何考えてんの。化粧は肌に毒だって思想なの?ウケる。
社長の弾丸のような速度の営業トークはついうなずいてしまいそうなほど迫力があった。
「社長、社長、この後ね舞台挨拶のリハと握手会行かなきゃなの。2作目はねぇ、昨日撮ったやつが売れたら。また相談してよ。とりあえず日給ちょうだい」
「そっか、そっか。昨日撮影だったのね……売れたら、そうね、売れたら、か」
先程の饒舌さは消え失せて、急に社長はどもり出した。昨日撮ったやつ、もしかして売れないと思ってんのかな。別にいいけど。
厚みのある茶封筒が2つ、私のバックに吸い込まれていった。
「ねぇねぇ余ってるドレスとかない?もしあったら貸してよ!映画の舞台挨拶ね、テレビ中継が入るとかでさぁ、変な格好しちゃダメなんだって」
「何かあるっちゃあるだろうけど、男優の精液まみれだよ。いいの?」
「うげえ」
「主演女優のくせに、スタイリストの1人もいないわけ?哀れだねぇ」
「さっきまで、AV女優扱いしてたくせに…。戸方の映画にしか出てない。わたしにスタイリストなんて、大層なものがつくわけないじゃん」
「私服でいいんじゃないの。胸と尻出しとけば」
「そうする。いざとなったら脱ぐ」
「脱いで脱いで!中継楽しみにしてる……握手会も遅れないようにね。それにしてもあんたとトガタの付き合いも長くなってきたね」
「他人事みたい。社長が私たちのこと会わせたくせに」
「そうだったっけ?まあまあまあ仲良くね」
わたしは誰かを妄信的に信仰することを軽蔑している。だからオタクが嫌いだ。かつてわたしも虚構(ホスト)に入れ上げていたから、搾取する側とされる側のどちらの気持ちもよくわかる。
どっちの立場も気持ち悪い。
「でもそれっておかしいよね。俺より後に来た人が優先されて1番先に来てた俺が後ってさあ……俺が先に案内されるべきだよね。もう1時間以上待ってるんだけど」
「大変申し訳ありません。整理券の番号順にご案内していますので、並んだ順じゃないんですよ」
「どこに書いてあるの?それ書いてないよね。完全にそちらのミスでしょう」
「一応、この看板にも書いてあります」
「こんなとこ読むわけないだろう!一体いつまで待たせる気なんだ!」
「トガタ見てよ、あの馬鹿」
「どの馬鹿?」
「あいつ。誘導係にいちゃもんつけてるあのばか。絶対1時間も待ってるわけないじゃん。わたし1時間前に入ってるんだからね。その時、あいついなかった」
「そーゆーやつっているよね。それよりここってWi-Fiないの。永遠にネトフリ見れないよ」
AV女優の握手会ってやっぱり治安が終わってる。そもそもアイドルとかの握手会に来るような気合入ってるオタクってきもいやつしかいない。
その髪どうしたの?その服どこで買ってるの?てかお風呂入ってきた?自分の顔を鏡で見たことある?
他人にばかり目を向けていると、人は自分自身に構わなくなるみたいだね。
控え室から出たくなさすぎて、呼ぶ声がかかってもわたしは机に突っ伏したままでいた。
「いってらっしゃい」
「…………行く。行くけど……しんどい」
「うん。決して振り返っちゃいけないよ」
現実の解析度を下げたくて、わたしは薄目でオタクと触れ合う。わたしのファン層は99パーセント男だけど、残りの1パーセントは女の子だ。映画効果と女性は参加費無料に釣られて、ちらほら来てくれる子も多い。
本当に、女の子が来てくれてるのが心からの救いだった。良い匂いがする。
「来てくれてありがとう!服かわいいね〜歌舞伎っぽーい。コンカフェとかやってる?」
「えー?わかりますか?私ここでバイトしてるんでなまえさん よかったら来てください!」
「かわいいー!癒される」
コンカフェ嬢と恋人繋ぎをしてイチャついていたら、おっさんがこちらに突進してきた。女の子は「やばぁ」と言って、慌てて身を引いた。
「いい加減にしろよ!!!調子に乗りやがっていつまでかかってるんだよ!このガキ無料なんだろ?俺はお前にいくらかけたと思ってるんだ!早くしろよおおお!!」
怒鳴られると反射的に涙腺が緩む。怖いからじゃなくて、お昼になったらお腹が空く、みたいな条件反射だった。
わたしが泣いたのを見て、男は落ち着くどころかますます興奮してポケットからカッターを出した。
「泣けば許されると思ってんのか良い身分だなおい、まだ話終わってねえよ!俺を誰だと思ってんだ!?」
「まじか!」
こういう時って意外と誰も助けてくれないんだ。周りの人たちもみんなびっくりしてて、カッターをわたしに突きつけている張本人もびっくりしてて、いやいや1番びっくりしてるのはわたしだよ!って叫びたくなった。
「きゃあぁあぁ」
とっさに叫んだけど、小さい声しか出なかった。極限状態にあると大声は出ない。防犯ベルってほんと大事。今まで馬鹿にしててごめん。もし生き残れたら、首からベルをぶら下げて生きていこう。
刃物を突き付けられるのは、元カレの浮気相手に刺されて以来だ。懐かしいけど、もう二度と嫌。
「いいから!こっち来いよ!」
おっさんはびっくりした顔のまま机をバンバン叩き始めた。口の端が引きつっていく。わたしは後ずさったけど、すぐに背中が壁にあたった。逃げ場がない。
「トガタ……」
「あ“ぁ…!?」
男の真後ろにトガタがいた。彼女はハサミを男の指に思いっきり突き立てて固定すると、ガムテープを男の口と目に貼り付けた。そして迷いなく、養生テープで男の首を締め上げた。
「ちょっと!誰か魚買ってきてストライプバス!さばく前のやつね。ナマズでも可!こいつの実家に、東京湾ってメモと一緒に送り付けるから!」
He sleeps with the fishes.
わたしは机の下をどうにかこうにかかいくぐって急いで逃げ出した。そしてスマホで動画撮ってるコンカフェ嬢に近寄った。
「ねぇ!その動画、エアドロップでちょうだい」
ごついお兄さんたちにはがいじめにされたおっさんは、慰謝料とかイベントのキャンセル料とかを思いっきり請求されていた。コンカフェ嬢が撮った脅迫現場の動画付きで、実家にも連絡がいったらしく、飛んできたのは歳くった母親だった。通帳を取り上げられて土下座させられていた。全財産なのにと聞こえた気がした。
警察沙汰にならなくて本当によかった。
「なまえにも格闘術教えるよ。軽くでも心得てるだけでストーカーを圧倒できるよ」
「逆恨みが怖いからやだ。それにわたし、トガタみたいに運動神経良くないもん」
「願いを叶えるためには等価交換が必要だよ。諦めなさい」
わたしは感謝の意味を込めて、彼女の上唇を軽く噛んだ。
「助けてくれてありがとう、トガタ。わたしのヒーロー。かっこよかった」
「……どーいたしまして」
キスひとつで等価交換にはならないけど、ヒーロー扱いするとトガタはあからさまに機嫌が良くなった。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
支払いを忘れていた。だから家のWi-Fi環境は死んでしまった。
今月分のネット回線の支払いを忘れたから通信料がエグいことになっていた。わたしもトガタもどちらかが支払っているだろうと思っていたから起こった悲劇。最大の原因はディスコミュニケーション。
「バイのくせに、女との絡みはやんないんだ」
「女と寝るのは仕事じゃないから」
「犬は?いける?」
「犬は嫌だ!絶対嫌だ!!」
「キミさぁ、NGないとかいって結構あるじゃん」
「動物は!もうやだ!」
「猫は?」
「膣ずたずたにする気?トガタがやれば?」
「じゃあ馬は?」
「死ぬから!そういうのこそAIで作ってよ」
「AIが混乱したらどうすんだよ。ホラー映画の依頼来ててさ、エログロって必須だから。エログロがないホラーって犬が死なないサメ映画みたいなもん」
中目黒のバーガーキングは無駄に広くて3階建てだった。有線が洋楽のみで、そのマイナーなラインナップがわたし好みだった。店員は外国人を積極的に雇っている。飛び交う会話が日本語じゃない。一気に異国情緒が出てくる。
3階にある1番奥の席を占領して、トガタはタブレット端末を、わたしは化粧道具を広げている。
この席はちょうど壁の出っ張りが目隠しになっており、一見すると席があるとわからない。
バーキンだとレッドブルセットが1番のお気に入りだ。不健康すぎて逆に清々しい。
わたしはトガタのスマホで勝手に注文していた。
「ね、あと30分で出なきゃだから、化粧早めに終わらせて」
「え!?今から行くの!今から行くとか、今知った!バーキンおごってくれるって言うから来たのに!すっぴんなんだけど!」
「すっぴんのほうがいいじゃん」
「やめてよ!いつも1時間以上かけて顔作ってんだから!」
わたしはすっぴん隠しのサングラスをカバンに放り投げて手鏡を出した。夜職女のカバンはやたらと大きい。例にもれず、わたしのカバンもそう。格子柄のブックトートは4キロくらいありそうだ。
この前買ったばっかりの服が突っ込まれていたので、それも引っ張り出す。胸と背中が思いっきり開いたオフショルワンピ。
「これに着替えてくる。トガタは着替えないの?」
「このまま行くよ。正装とかしてらんない。むしろ、このカッコが私の正装」
「楽でいいなぁ」
わたしが今着ていたのは、キャミソールと薄手のショーパンだけだったから、その上からワンピースをかぶった。
この地域には、ギリギリ国交があるどっかの国の大使館が結構ある。そのせいで多国籍な雰囲気がある。真冬にキャミ1枚で歩いていても不審がられない。墨やピアスが激しくても避けられない。あくまで主観だけど。
店から出てきたわたしをトガタはカメラで撮る。
「これにサイン入れて、映画館の上からバラまこうよ」
「そういうことはトガタ1人でやって」
怒る気にもなれず彼女の横からデータを覗いた。
写真になったわたしは幸薄そうで、吉原とかに沈められても金にならなさそうだった。
「────現役セクシー女優ということですが、なぜこの仕事を選ばれたんですか?」
この映画で主演はってた俳優は体調不良とかで舞台挨拶を含めすべてのメディア露出をキャンセルになったらしい。売り出し中と聞いていたから、スケジュールとかかなり無理していたんだろう。彼目当ての客も軒並みいなくなってしまって、客席は半分空っぽだった。
盛り上げるために俳優に志望動機を聞くのは良い。役者って夢がある仕事だ。でもAVの出演理由を聞くってなかなか酷なことだ。司会者は人の心がないんか。
「お金に困ってたんでなりました。前はソープやってたんですけど、ポルノの方が稼げるって言われたんで」
「え、ソープ嬢だったんですね!どこの店でしたか?」
自称風俗狂いの芸人が話に割り込んできた。彼は朝の情報番組のコメンテーターをしていて、今日はわたしが出ると聞いて駆けつけてくれたんだ。そのおかげで、この挨拶は全国中継されている。それにしても朝っぱらから下ネタぶっこんでいいのかよ。
「池袋と鶯谷です!出稼ぎに金津園にもよく行きました〜」
「うわー!もしかして× × ×ってお店ですか?」
「さすが詳しいですね。そうなんですよ。× × ×です!」
「教えてもらいたいんですけど、これやったら嬢に嫌われるあるあるとかってありますか」
「タオルぐちゃぐちゃに……んー、入室した瞬間、服脱ぎ出すとか?金と時間ケチりすぎだろうって思いますね」
「まぢか!それ俺やってた!性欲が先走りすぎて」
「勃起してるだけに?」
「そうそう、先走りだらっだらで!」
司会者の顔がおももろに引きつって、プロモーション担当は目をひんむいていた。
わざわざ舞台挨拶を見に来てくれてるファン層にまともなやつはいないから、みんな結構ウケてくれてた。
「すみません……真面目に答えると純粋にトガタの映画が好きになったからです。むちゃくちゃだけど、面白くて。映像がとにかく美しい。トガタの見てる世界の中にわたしも入ってみたかったんです」
司会者はほっとした様子でマイクを持ち直した。順番的にこの次で最後だ。監督インタビューが始まる。
「では、トガタ監督に伺います。映画監督を目指したきっかけは何でしょうか?」
「映画好きの祖父の影響です。両親は共働きでじいちゃん家にずっと預けられてたんですけど、ものすごい数の映画があって、強制的に一緒に見させられてました。ずっと見させられてるうちに、なんだかつまんなくなってきて、自分でも作りたくなりました……ん?なんて書いてあんのそれ?ページめくんの早いって!」
トガタはプロモーターが必死に掲げたカンペを凝視しながら言った。
「見所は中盤に、うちの看板女優と犬が× × ×して、× × ×するところ!意気込みってなに?これ読めばいいの?えっと…」
会場は盛り上がったけど、放送される時はセリフの大半に効果音が入るだろう。
液晶端末を取り出してこっそり動画サイトのライブ中継を見ると、コメント欄がよく燃えていた。信者と荒らしの攻防戦。
「────映画って何しても許されるんですよ。人を殺しても強盗しても面白ければ許される」
ついにプロモ担当が泣き出した。気まずくなったのか、トガタはカンペを見ずに話し始めた。彼女にしては珍しい。いつもイカれた行動で周りを置いてきぼりにしている。トガタが真剣なのは映画に対してのみだった。
「私が30年近く生きて来れたのは映画のおかげです。────炎は薪がないと消える。人は炎と同じで、糧がないと生きていけない」
古い映画のセリフだった。その映画の名前はもう思い出せない。
「長く生きていくと、職場と家の往復とかで、毎日同じことの繰り返しになって、感情が動かされることが少なくなっていきます。映画の中にはいろんな物語があって、いろんな主人公がいて、なんでもありです。映画は面白ければ何をしても良い。私は家にある映画を見返しすぎて、もう何の感情もわかなくなって、でも映画が好きだった。つまらないなら、興奮できるような映画を自分で作るしかなかったんです」
劇場の幕が降りる。
騒がしかった観客席は、今は水を打ったように静まり返っていた。いつのまにか画面越しの炎は沈化されていた。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
控室ではトガタと芸人が、会社の偉い人たちに怒られている。その間、わたしはフラフラと散歩していた。
偉い人がトガタに怒っている訳は、握手会のカッター男を殺しかけたのはまずかったこと。過剰防衛になるし訴えられる可能性もある。
わたしはというと被害者だし、AV女優(商品)は責任が取れない立場だから野放しにされている。
配給会社の偉い人がトガタと芸人に怒っている理由は、朝の情報番組で放送できない内容を喋ってしまったこと。数秒しか使えるところがなくなってしまった。
こちらでもわたし(商品)は責任が取れない立場だから野放しにされていた。
こういう時こういう職業ってほんとに便利だ。
「日傘持ってくればよかった」
トガタは怒られても全然心に響いてないみたいで、「30分で終わるから、適当に時間つぶしてて。私が連絡したら戻ってくるんだよ」偉い人たちの前で思いっきり舐めたことを言い放った。
冷房がガンガンに効いているであろう喫茶店を見つけて、殺人的な日差しに死にかけたわたしの目にはとっても魅力的に映った。思わず入店しかけたが、たかがタバコ休憩のためだけに1000円近く飛ばすのはちょっと無理。わたしは誘惑を振り切って雑居ビルの周辺を再びうろつきだした。
喫煙スペースを見つけたのでタバコを取り出した。朝から吸えていなかったので、禁断症状が出そうだった。
喫煙所の中には先客が一人いた。鎖骨が浮いた直角の肩にZARAかどっかのキャミを引っ掛けた女。鼻先の尖り方とハイライトの入れ方が特徴的だった。巻いた髪を右肩に流している。いかにも夜職っぽい女だった。
タバコは好きだけれど、というか手放せないけれど、指に煙の匂いがつくのは嫌いだった。
塗り直したばかりの口紅がべったりとフィルターのところにくっついてしまって、それを見るのも嫌だった。
タバコのパッケージは警告文だらけで、デザインが台無しになっている。警告文はこの先ますます広がっていって、やがてデザインを飲み込んでしまうだろう。表現の自由が拮抗しあっている。
外国のパッケージは日本のものなんて非じゃないくらいグロテスクな写真が入っていて、いっそかっこいい。
いつも思う。煙のせいでがんのリスクが増えること、堕胎するリスクが上がること、自分と周りの人間の寿命を縮めること。わかっているけど、やめられない。やめたいと思えないのだから、中毒とは少し意味合いが違う。
「依存してるなぁ」
灰だけを落とすつもりが手元が緩んで、まだ長いタバコを灰皿の奥に落としてしまった。
黒く汚れた赤い灰皿は、薄く煙を立ちのぼらせていた。
「……タバコあげよっか?セブンスター好き?」
「まじ?好きだけど…お姉さんの分が減っちゃうからいいよ。タバコ最近高くなってるし、わたしまだ持ってるし」
夜職っぽい女はスカルプで伸ばした爪で器用にライターをつけた。
「あたし、これ吸い終わったら禁煙しようと思って。だからあげる」
封を切った1箱と新品1箱をわたしに放り投げた。
「そのブックトートかわいい。あたしも買えばよかったぁ」
スカルプ付きの指が扉を押そうとして途中で止まった。
「……なにあのおっさん」
遭難20日目みたいな外見の男が大声でわめきながら道路を塞いでいた。車のクラクションの間から男の声が聞き取れた。
「俺は東大に行くはずだったんだ。天才だったんだ!ずっと優秀だったのに、あいつのせいで俺の人生は台無しになった。どうしてくれるんだ。もうこのまま死んでやる。はやく俺を殺せ!!!」
「東大行くようなやつは、もっと効率的に自殺するでしょう」
「面倒だから、あたし通報するね。ああいうやつよく店に来るんだわ。追い払っても追い払っても戻ってくるから、野生動物相手してるみたいで萎えんの」
「……おねーさん通報しなくていいよ」
「なんで?」
遭難者はわたしに気づくと赤信号をがん無視してこちらに向かって走ってきた。車は面白いくらいに男の直前で急停止していく。そのまま轢いちゃえばいいのに。
「野生動物って表現最高に良いよ。ストーカーって犬みたいに匂いたどれるんじゃない?」
「ああいうやつってやばいよ。捕まってもメンタル病んでるって診断されてすぐシャバに出てきちゃうから、トドメさしとかないと!あたしの彼氏呼んであげる。ヤクザだから拉致ってくれるよ?」
「大丈夫。わたしは大丈夫だから、おねーさん逃げて」
「本当?絶対危ないよ。あいつ…」
「わたしの客だから話してみる。おねーさん行きな?タバコありがとう」
「もー!気をつけてよね。あたしねこの辺で働いてるから、また会おうね!」
強い香水の匂いを残して、女は道路とは真逆の方に走っていった。そういえば、この辺はどっかの組のシマだった。夜職っぽい女はどっかの組の女だった。道理で肝が座ってるはずだ。狂った男を見たくらいじゃ動揺しない。
頭の奥がしびれるように痛んだ。ロキソニン飲んどけばよかった。わたしはセブンスターをくわえて男の到着を待つ。手が震えて着火できなかった。
「か…か…っ」
息が切れまくっているおっさんは今にも倒れそうだった。どもりまくって、さらに泣きそうな顔になったかと思うと銃を上にして放った。……銃?
弾丸が排水管に当たって水が吹き出た。銃口からは薄く煙が立ち昇っていた。
一拍遅れて通行人の誰かが悲鳴をあげた。
「て…テロリスト!」
「テロなの?日本で!?」。
「やめろおおおお俺はテロリストじゃない!おい!違う!撮るな!!黙ってろ!じゃないと撃つぞ!!!」
男が喚けば喚くほど騒ぎはどんどん大きくなる。
「なんなの?あんた」
「俺のことを忘れたのか、忘れたとは言わせねえぞ!!!いつも撮影会行ってただろう!握手会も!お前を断罪しに来たんだよ!!」
「あ?」
「お前のせいで、俺ん家の家計は火の車なんだよ!お前が悪い事したのに、裁かれないのはおかしいだろおおおおお!」
「この前カッター振り回してた人でしょ?ね?覚えてるよ」
「あっはい!あっ、あっ、覚えててくれた」
「わたしどうすればいいの?何してもいいけど」
「えっ……何してもいいのか…」
「うん。セックスする?」
「あっ、えっ、えっ……セック…セッ?!俺……俺…へへっ」
「いいよ。ホテル行こっか」
あふれ出した水の勢いは全然止まらなくって、わたしたちはどんどんずぶ濡れになっていく。ものすごく局地的に強い雨が降っているみたい。男は足をもつれさせながら、急いでラブホ街に歩き出した。死ぬって言ったり、銃振り回したり性欲に支配されてみたりと忙しい。こいつ躁鬱気質かよ。
わたしはブックトートを捨てて、割れた排水管のパイプを手に取った。狙うのはホームランだけだ。
「鉄パイプ振り回すのって、ひぐらしのパクりになるから、やめよ。ちょっとカメラ持ってて、この画角でそう。そこ」
「ええっトガタ?!」
「キミ電話全然出ないからさぁ…携帯を携帯してる意味ないじゃん。行動わかりやすいから喫煙所にいるだろうって知ってたけどね」
彼女はわたしが持っている鉄パイプを奪うと大きく振りかぶって男に投げた。頭の右側あたりにぶち当たり、びくりと肩が跳ねて男が振り返る。トガタは助走で勢いをつけ、男に飛びついた。男の首を両足で挟み込んだまま空中で反転し、手加減なしで男を頭からアスファルトに叩きつけた。
ぐしゃりと骨とか肉がひしゃげる音がした。
「トガタすご!!決まった!フランケンシュタイナー!!」
「撮れた?!ちゃんと撮れた??」
「ごぼぉっ」
「 撮れた撮れた!見てみて」
「殺さないでくれえええ」
「あーあー、いい!いい!さすがカメラガール!」
「血がっ!……血がでてっ!」
「あー!もー!うるさいなあ!ちょっとおっさん邪魔っ」
トガタは男を突き飛ばして、カメラの内容を確認した。
「たっ……たっ…助けてくれ!」
「死ねそうじゃん、よかったねー」
「訴えてやる!!お前らのこと!人殺し!!!」
トガタは満足したのかカメラを仕舞った。
そして顎に手を当てて目をつぶった。
「私は未来から来た」
何か言い出した。
「未来から来たので、おっさんが私の女を襲うことも読めたってわけ」
「未来…え、だって、そんなはずないだろう……じゃあじゃあ…未来の俺はどうなってるんだ?どうせ逮捕されてるんだろう」
「うん。えっと、10年とかで出所して、でも逮捕歴でなんもできなくて、ホームレスになって凍死してるね」
「ええっ?!」
良いこと言うのかと思ったら、おっさんにとどめを刺してた。おっさん泣いてるし、トガタはなんでおっさんが泣き出したのかわからないみたいで、ポカンとしてる。
「てかさぁ、わたし思うんだけど、おっさんの不幸は今だけだよ」
「嘘だ…そんなわけない」
ブックトートの中に散らばったお札を集めたらそこそこの金額になった。いつも給料袋が破れて札束がカバンの中でぐちゃぐちゃになっている。財布よりもカバンの中にお金が入っている。
わたしはおっさんに金を渡す。
「中年のあんたが、暴れてたら秒で駆けつけて全財産ドブに捨ててくれる親もいるし、まだパクられてないから逮捕もされてないじゃん。ほら!この前社長たちがぶん取ったお金返すからさぁ、これで生活立て直してさぁ、資格でも取りなよ。メンタルもやばいから通院もしな」
「なんてこと言うんだよ! AV女優のくせに……俺は、俺は、」
男は涙でぐしゃぐしゃになった顔をアスファルトにぶつけて、本格的に泣き始めた。号泣だった。
「あ、もしもし?通報なんですけど、なんか銃を持った男が、北口の喫煙所で暴れてます。住所?住所は東京都× × 区…」
「カジュアルにおっさんの感動を裏切るのやめたほうがいいって!save the catの法則にも急な話の転換はノイズになるって書いてあったよ」
「このままだと、あのおっさんヤクザにさらわれるでしょ。この辺どっかの組のシマど真ん中だよ!警察に保護してもらったほうが安全!」
100万円分軽くなったブックトートは、心なしか持ちやすくなっていた。
「意思疎通ができるヤバい人はまだマシだよ。日本人なのに日本語通じない奴が一番ヤバいの。自分の世界に籠りきって、自分中心のルールで生きてるバカはもうどうしようもない」
「文句言う割にお金あげたりして優しいじゃん」
ライターがうまくつけられない。わたしはまだ震えがおさまらなかった。
動揺すらも懐かしい。激情的な人間を見ると懐かしくなった。
「ライターつかないの?」
トガタはくわえていたタバコの火種をわたしのタバコの先に寄せた。シガレットキス。
「正直ね」
「なに?」
「ホテル行っても良かったんだ」
「腹上死パターンか」
「でもなんとなく、あのおっさんがパパに似てて懐かしくなったんだ」
パパは日本語が通じない方のヤバい人だった。
職場では完璧に本性を隠し通しており、異常性の欠片も出さなかった。プライドは高いが、これといった上司には喜んで媚を売るような人間だった。だから出世ははやかったという。
出世頭のパパに惹かれて、寄ってきた女をさっさと孕ませて産まれたのがわたしだ。
パパは外面が良かったから家の中で何が起こっていたかを完璧に隠していた。
雨風防げる家においてもらって、学校にも通わせてもらったことを感謝している。実家では人間としての最低限の生活は保障されていた。言い換えれば最低限以外の保障はなかった。
「いつも思うよ。わたしの人生が映画ならよかった。人を殺しても強盗しても面白ければ許されるもん」
魚と眠ったほうがいいのはパパ。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
今日公開の映画は朝一だと言うのに、混みまくっていた。売店も長蛇の列。裕長に並んでいたら開演時間に絶対間に合わなかった。ポップコーンすら買えなかった。わたしはキャラメルポップコーンが好きなのに。
目当てのパンフレットも売り切れていた。開館と同時に駆け込まなきゃ買えなかったらしい。
わたしは特典のストラップを握りしめて、パンフがいつ入荷するのか『再入荷のお知らせ』と書かれた張り紙を睨む。
「あれ、元姫じゃん」
「あれ?!元担当じゃん」
わたしを夜に沈めた元凶の男だった。
「映画好きは変わらずだねー、久しぶり!」
こいつに散々お金貢いだなぁとか、シャンパンタワーって日常生活じゃ絶対見ないよなとか、こいつと一緒にいたときのことが脳裏によみがえった。
別に恨んでなんかない。時間をお金で買っただけ。当時は稼いだお金の額が愛情の大きさだと思っていたから。
「パンフレット買えたんだ。いいなぁ」
「そのうちメルカリで大量に転売されるよ。それまで待ったら?」
「今日欲しかったけど、落ち着いた頃にまた来るし、いいや。ポップコーンでも買って帰るわ」
「俺のやるよ。」
元担当は気前よくパンフレットをわたしに寄越した。
「代わりにポップコーン買ってよ。2種類のやつ」
「そんなんでいいの?ありがとう」
わたしはパンフレットの表紙を撫でてみたり、厚みを確認してみたり、いきなり落ち着きをなくしてしまった。
「まだホストやってんの?」
派手な髪色は変わらずだけれど、彼は化粧もヘアメもせず、そっけないリュックを背負っただけの格好をしていた。
「とっくに引退してるよ!酒と薬で肝臓壊して、今はママ活してる」
「いいじゃん。わたしもそろそろAVやめよっかなー」
「そっか。でも昔より顔色良くなったよね、あんた。ま、実家出れてよかったじゃん」
「うん。一緒に住まわせてくれて、そのことだけはあんたに感謝してる」
「俺こそナンバーつけさせてくれて、まじ感謝してるよ」
「薄っぺらいなー」
「姫全員に同じこと言ってたからなぁ。俺の言葉に重みとかねーよ」
彼の端末はひっきりなしに通知音が鳴っていた。聞くと、出稼ぎ中の女からだと言う。
「彼女が限定グッズ欲しいって言うから来たんだけど、結構面白かったなぁ。これ1つのために60万以上稼いできてくれるんだからいい女だよ。」
「特典のためじゃなくて、あんたのためでしょ」
「どっちも同じだよ」
彼は口元だけで笑った。鋭い目つきはホスト時代から変わらない。
「あんたの出ている映画も見たよ」
「え!映画嫌いじゃなかったっけ?」
「それ嘘なんよ。同伴で何十回も同じ映画見るのきつくてさぁ、嫌いってことにしてた。俺まあまあ見るんだよ。トガタ監督はデビュー作のやつから見てるよ……デビュー作が1番好きだなぁ」
「ムリゲーでしょう?あれ疾走感あるよね」
「それ3作目とか2作目とか、それぐらいのやつだよ。トガタ監督のデビュー作は、」
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
白い粘土に切れ込みを小さく3つ入れて口紅をつけたのが彼女の顔だ。
その女優は数年前に自殺した。存在自体が治らない傷跡のような人だった。深い傷は痛みを伴うし、常に血を流している。
治らない傷は致命傷という。彼女は世界に殺された。
彼女の本業はわたしと同じだった。それを知らずにいて、現場で鉢合わせた時とても驚いた。人気アイドルがこちらの世界に流れてくる事はよくあることで、そういう子たちはもともとの金づるがいて、単体女優扱いだから個室が当たり前。予算をかけたスタジオが当たり前。わたしが出入りしている現場は、よく言えばベテラン、悪く言えばゴミ溜めみたいな女しかいない。
「映画見てました」なんて言えないまま、カメラが回る。私の指先がふやけて白くなった頃に撮影は終わり、次の日に彼女は死んだ。
葬式に呼ばれてもいないのに、うまいこと紛れ込めたわたしは相場の倍以上の香典を包んだ。参列者が1人増えたくらいじゃ、誰も何も言わなかった。大腿骨あたりの骨を掴む損なうふりをして、袖に滑り込ませた。盗みは小さい頃から得意だった。親の財布から金をとって遊んだり、友達の彼氏をとって遊んでいた。
骨を握り締めたまま、葬儀は進んでいった。
彼女の葬儀場はそこそこ都心にあった。おかげで、電車は10分間隔で行き来していた。でも急行列車が止まらないから1本逃すとわたしの最寄り駅まで1時間以上かかってしまう。夕日に照らされたホームが綺麗で、行き交う電車がその都度夕日を遮ることにイラついた。
邪魔だ。止めてしまおう。
わたしはベンチから立ち上がった。アナウンスが流れて急行列車が現れた。彼女の骨を握り締める。
別に死にたいわけじゃない。ただ、生きるためにはこうするしかなかった。
別に生きたいわけじゃない。ただ、死ぬためにはこうするしかなかった。
白線より内側でお待ちください。アナウンスが流れる。じきに列車がホームに入る。わたしは白い線の外側へ1歩踏み出した。
「お姉さん、そこだと光がうまく入らないから、もうちょい右にずれて」
振り向くとカメラを構えた女がわたしを撮っていた。
「こっちも見ないの!電車が来るか来ないかなってタイミングで、ほら!飛び込んで!」
「……あんた誰?」
当たり前のように女はわたしの真後ろにいた。気配とか全く感じなかった。
いつからそこに?
「カメラ止めて、見せ物じゃないし」
「あぁ、電車来ちゃったか……良いショット取れそうだったのに」
がっくりした様子で、女はカメラを止めた。
「私が見本見せるから、次はその通りにやって」
「待って待って待って!何してんの!?」
女は前のめりに倒れるようにして、線路内に落ちた。人が落ちたと怒鳴り声がして、一気に周囲のざわめきが耳に入ってきた。誰かが緊急停止ボタンを押したせいで、ものすごい音量の警報が鳴り響いた。
「ねぇ!電車来ちゃうから早くこっち戻ってきて!」
「落ち方ちゃんと見てた?」
「見た見た!」
ホームギリギリのところからわたしは身を乗り出して、彼女に手を伸ばした。しぶしぶわたしの手をつかんだ女を思いっきり引っ張り上げたら、腕が外れかけた。勢いがつきすぎて、わたしは女を抱きしめたまま、後ろにひっくり返った。彼女に押し倒されるような格好になる。女はわたしの顔の真横に手をついた。タバコと香水が入り混じった香りがした。
「君の名前は…?」
「いい?線路に飛び降りたらだめだよ。わたしが言っても説得力ないのわかってるけど」
「君の名前は…?」
「名乗るほどのものじゃない。そっちこそ名前は?」
「エマ・ワトソン」
「は?ハーマイオニーって感じじゃないでしょ」
「ハリポタ知ってるんだ」
「わたし世代の日本人はほぼ知ってると思うよ」
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
夢を見ているとき、これは夢だってわかる夢と、夢だとわからないまま見てる夢がある。
今日の夢は後者だった。わたしがまだソープ嬢だったときの夢。
シャンパンタワーは1番安くて100万くらいだけど、姫たちは見栄を張り合うから担当のバースデーには一晩で何百万もするタワーがいくつも建つ。だから焦っていた。愛想もなくて見栄えも良くないわたしがまとまった額を稼ぐには、地方へ出稼ぎするしかなかった。
田舎にある風俗店のいいところは女の子一人一人に広めのプレイルームがもらえるところだ。
客が来るまでの間ひとりでいられる。接客は心がすり減る仕事だからどうしても孤独が必要になる。
おじの体臭と精液に塗れたシーツは使い回しするせいで加齢臭がこびりつく。消臭剤スプレーで霧を作って臭いを誤魔化してみたり、プレイに使うタオルを多めに畳んでみても臭いは消えない。
外は雨が降っているからなのか、客足が途切れ途切れだ。わたしは時間を持て余していた。安い店なら休む間もなく予約を入れられるけど、中高級店になると1日に4、5人客をとれば女の子も店もそこそこの稼ぎになる。
暇つぶしにショート動画を見ていたら、AIに認識されておすすめ欄にたくさんのショートフィルムが出てくるようになった。それらを上から順に眺める。1本目、普通。2本目、音楽はいい。3本目、つまんない。4本目、何これ?
「つまんないのばっか」
わたしは液晶端末を放り投げて、加齢臭のするシーツから体を起こした。
「もっと稼げる仕事ないかなー整形はするとして、あと胸も盛るかー」
整形代すらタワー貯金にまわしてしまいたかった。きれいにならないと今より稼げない。でも貯金は減らしたくない。
アラーム機能が作動して目覚まし音が響く。そして、わたしは夢を見ていたことに気づく。
【2へ続く】
1
彼女には友達が一人だけいる。
その友達の名前は「死」
ウィンストンキャスターをたて続けに五本すってからシャワーを浴びた。相手の男優はわたしより先にシャワーを浴びれないから気の毒。
イソジン原液を飲んでも洗剤を飲み込んでも喉奥にこびりついた精液の味は消えない。どうにかマシになるのが煙草一箱を吸い切ることだった。食欲も失せるし、痩せるからまあ悪くない。
「なまえさん今日一人だけなんすか。共演の女優さんいないの珍しいですね」
「うん。珍しいよね。わたしメインで撮るんだって。詳しい契約内容とか知らないけど」
無茶振りされない撮影で、お金がきちんともらえればそれでいい。そのほかのことはどうでも良かった。
シャワー室に入れ違いに入ってきた男優は、そういえばと話を続けた。
「映画見ました」
「ん?なんの?」
「あ、違くてトガタ監督の映画。新しいやつ面白かったです」
「……まじ?芸名のクレジットなかったのにわたし出てたってよくわかったね」
「この界隈ではもう噂になってて有名ですよ。口コミもいいっぽいし」
「そうなんだ……そうなの?そっか」
「なんすかその反応」
「エゴサとか全然しないから、しようにも名前出してないからしようがないんだけど。いまいち実感ないんだよね。撮影中のときの方が今映画作ってんのだなーって実感できたっていうか」
「ふーん。名前クレジットしなかったのってなんでですか?事務所の都合?」
「芸名なんにしようか迷ってるうちに編集とか終わってて、わたしの名前抜きで公開されてたの。ひどくない?」
ため息をつくのと同じ要領で彼は笑った。きれいな愛想笑いだった。気を使われると居心地が悪い。大して面白くない話に対して、面白くもない人間に対してそんなことしないで。
どこの体液かわからないものでドロドロになっている彼にタオルを渡した。
「映画見てくれてありがとう……今日の撮影もありがと」
お礼を言う順番が逆だったかもと言ってしまってから気づく。だって、わたしがつくった映画じゃないもん。
「いえ、今日ひとりですか?」
「うん。もう撤収でしょ。お疲れさまー」
「あ、違くてナンパです」
「おー。おー」
脳内会議inわたし。
清涼感、二重丸。ただし変な液体でドロドロでなければ。
相性はまあまあ。仕事といえどガシマンするのに爪切ってあったのは良い。
話通じるしナンパ慣れしてそうだし、後腐れはなさそう。
事務所に関していうとややまずい。でもバレたところでわたしは商品だから怒られない。
断る理由はあんまなかった。
「今日じゃなくてもいいんで。とりあえず連絡先いいっすか?」
『727 Fith Avenue and 42nd Street,New York,NY』
差し出された端末の画面にお気に入りの住所をうち込んで彼に渡した。
「どこだよここ」
「いつか行ってみたい場所の一つだよ」
娼婦はいつだって気まぐれなんだから許してほしい。
家帰ってご飯作らなきゃ。バイバイ。
「トガタ、今日ね、職場の人が映画面白かったって言ってたよ」
「淫乱家族のやつ?あれ、私も作ってて面白かったんだよね」
「違うよ、一般の方。この前公開になったやつ」
「そっちか。舞台挨拶。だるいなぁ。スーツ嫌いなんだよね」
トガタは商業映画より自主映画かそれに近いポルノのほうに思い出があるのかもしれない。
性業界の方が規制がゆるい。この要素とこの要素さえ入れてくれれば、後は自由にして良いみたいなメーカーもあるくらいだから。
トガタは映画監督だ。得意な分野はエログロナンセンス。たまに作るホラーもネットのおもちゃになるくらいには知名度がある。
カルト映画好きのどっかのベンチャー企業の社長が出資してくれて、そいつ好みの映画を作ったり、作らなかったりしている。
有名な映画好きYouTuberがSNSで取り上げたせいで興行収入が増えた、らしい。
トガタの映画ははっきり言って訳がわからない。訳がわからないところが良いとサブカル好きの連中にウケている。カルト映画特集やまとめサイトでは必ずと言って良いほど彼女の作品が上位にあげられている。
トイ・ストーリーみたいな映画を撮りたくて作ったという発言がネットで馬鹿にされていた。和製アリ・アスターとかなんとか。
トガタ名義で発表しているものは片手で足りるほどだ。
本人曰く、デビュー作は無理ゲー。2作目はテッテレポサンヌ。食いつなぐためにしばらくポルノ映画の助監督もしていた。
制作会社の社長とは飲み屋で意気投合したらしい。並行してショートフィルムをいくつか無料動画サイトにも投稿している。
「いつもの格好で良くない?そういう挨拶って演者のほうに注目行くでしょ」
「そう言ったらスポンサーから怒られた。テレビ中継もやるからちゃんとしろって。ネット中継だけでいいじゃん。てか家テレビないから、中継されても見えないしさぁ」
「じゃあ脱衣インタビューもまずいかな?盛り上がると思ったんだけど、何着ていこう」
脱衣インタビューとは1つの質問につき1枚ずつ服を脱いでいくこと。質問5個くらいで全裸になる計算だった。
「水着は?そろそろ海開きだし」
「更衣室ないから家から来て行かなきゃじゃん。プールある日の小学生みたい。何かやだぁ……いい案ないか明日事務所行ったとき、マネージャーに聞いてみる」
賞味期限の切れたパンと消費期限の切れた卵。今日の現場からぱくってきたレトルトパウチを組み合わせて、絶望的な朝食を作った。ローテーブルからはみ出そう。わたしもトガタも食べることに興味がないから、固形物を取るだけでも良い方だ。
煙は肺だけでなく腹にも溜まるから、空腹をあまり感じない。お腹がすいたときは、プロテインとビタミン剤を噛み砕いて終わり。光熱費だけはきちんと支払っているので、水道水は飲み放題だ。事務所に行けば、何かしら誰かしら食べ物をくれる。
「ついでにタバコもパクってきなよ。なんか体感1秒ごとに値上がりしてるから買うのだるい」
「タバコなぁ、もらえるかなぁ。もらいたいなぁ」
閉めっぱなしだったカーテンを開けたら、強めの日差しがテーブルに直撃した。
わたしは小さい時から、きれいに整えられた高層ビルよりも下町とか、治安が終わってるスラム街とかのほうに心惹かれる。花屋で売られている色鮮やかな世界より、しおれた花とかドライフラワーの方が好き。
もしわたしが男で異性愛者なら若くて綺麗な処女より、若くないけど手練のババアを買うんだろうな。
「なまえって見た目は女!って感じなのに、中身は俺たちおっさんよりもおっさんだよね」
会社の男女比率は9対1位で顧客層は99%くらい男。給料もらいに事務所を覗いたら、珍しく社長がいた。タバコをせびってみたら気前よく1カートンくれたので、嬉しくてその場でフィルムを剥がして火をつけた。銘柄をよく見なかったけど、これやたら苦いな。
「えっと、マルボロか」
「じいさんには、お似合いでしょ」
「社長ってそんな歳なの?年齢不詳なんだけど」
スペ70くらいの体つき。ガングロ。歯は漂白したみたいに驚きの白さをしている。
ザ夜職って感じの見た目。おねえ口調は女の子に対してのみ。男性社員へのあたりはかなりキツくて怖い。
「風俗上がりの子ってスムーズに会話ができていいわ。また1人自殺未遂して入院しちゃったし、素人の女ってコスパ悪いわよ」
「それってメンケア不足じゃない?」
「そんなしょっちゅうケアできないわ!もういいや、飛んでもらおうっと。そんなことよりも、」
裸の女たちのパッケージが所狭しと並べられた事務室で、社長はわたしに1年前と同じことを聞いた。
「デビュー作さ、趣味悪いおじさんに評判良いからシリーズで2作目も出さない?」
『首を斬られた女とエロい女のポートレート』これが私のデビュー作だ。最悪。
「目立つの好きじゃないんで、メイン他の女の子でその他大勢の1人とかならいいですけど……」
「グロいの大丈夫な女の子いなくて、なまえがいいんだけどなぁ。目立つの嫌って珍しいね、みんな主役やりたがってんのに」
清楚であること、恥じらいあること、誰にも言えない秘密があること。わたしは指を3本折って社長に言い返した。
「ヌける女の3大要素ないですもん」
「あ、覚えたんだ!えらいえらい」
「何も持ってないし、そんなんで2作目売れますかね?」
「だって騙せるってしょう君は。フリで良いのよフリで。清楚ぶって、恥ずかしがって、ミステリアスな女のふりすんの。カメラ回ってる60分間だけ、そういう女になれればいいの。それだけ」
それはもう暗唱できるくらいに聞かされた説教だった。社長は金になると思えば食いついてきてなかなか離れない。
「────難しくないでしょう?デビュー作からのシリーズなんてめったにないよ。顔を売っておけばさぁ、この先ずっと単体で撮るのは無理でもさぁ、企画で細々やるくらいは稼げるって!うちって掛け持ちおっけいだから、現役女優って肩書きぶら下げてデリでもソープでも時給が倍になるしさぁ────」
最初はお金のためだった。家に帰りたくなくて、なんとなく歩いていた歌舞伎でタイプの男にナンパされたからついて行った。姫なんて呼ばれて気分を良くしたのが運のつき。
今月バースデーで来月は昇進式。今日はあといくらでラスソン取れるし、明日はアフター行けるよ。アフターってか俺ん家来ていいよ。一緒に住もうよ。これ合鍵ね。
流れるような営業トークだった。バカみたいにお金を使って、バカみたいに体を売って稼ぐのは結構楽しかった。今は色々規制が厳しくなっているから、彼がまだホストをやっているかは知らない。けど、息をするように女を騙せるから、きっと金持ちのヒモにでもなってうまくやっているだろう。
一度でも夜を知ってしまったら、こういうふうにしか稼げなくなる。仕方ないでしょ。
まっとうに生きろと風俗時代に客から言われたこともあったが、そんなの客のあなたに言われたくない。需要と供給が見合っているのだから、お互い様だ。わたしなりにまっとうに生きている。
整形した顔と豊胸した体のローンは、手取り15万ちょいの昼職じゃ返せないくらいに膨れ上がっていた。どんなに切り刻んで造形を変えても、日に日に生まれつきの顔に戻っていく気がしてならない。人の体にはもともと排除機能が備わっていて、異物が入るとそれを無理矢理取り除こうとするらしい。長期間メンテナンスを怠ると鼻が腐ったり、胸に入れたシリコンバックが破裂するという。
実際、同僚の嬢はくしゃみした勢いで鼻からプロテーゼが飛び出してしまい、慌てて美容外科に飛び込んでいた。
見た目は変えられないけど、中身(性格)は変えられるよ!って小学校のときに担任の先生が言ってたっけ。
先生、中身が変えられないんだよ。外見はね、金さえ積めばいくらでも変えられるんだよ。てか20歳過ぎてすっぴんで出勤すんのやばいよ。何考えてんの。化粧は肌に毒だって思想なの?ウケる。
社長の弾丸のような速度の営業トークはついうなずいてしまいそうなほど迫力があった。
「社長、社長、この後ね舞台挨拶のリハと握手会行かなきゃなの。2作目はねぇ、昨日撮ったやつが売れたら。また相談してよ。とりあえず日給ちょうだい」
「そっか、そっか。昨日撮影だったのね……売れたら、そうね、売れたら、か」
先程の饒舌さは消え失せて、急に社長はどもり出した。昨日撮ったやつ、もしかして売れないと思ってんのかな。別にいいけど。
厚みのある茶封筒が2つ、私のバックに吸い込まれていった。
「ねぇねぇ余ってるドレスとかない?もしあったら貸してよ!映画の舞台挨拶ね、テレビ中継が入るとかでさぁ、変な格好しちゃダメなんだって」
「何かあるっちゃあるだろうけど、男優の精液まみれだよ。いいの?」
「うげえ」
「主演女優のくせに、スタイリストの1人もいないわけ?哀れだねぇ」
「さっきまで、AV女優扱いしてたくせに…。戸方の映画にしか出てない。わたしにスタイリストなんて、大層なものがつくわけないじゃん」
「私服でいいんじゃないの。胸と尻出しとけば」
「そうする。いざとなったら脱ぐ」
「脱いで脱いで!中継楽しみにしてる……握手会も遅れないようにね。それにしてもあんたとトガタの付き合いも長くなってきたね」
「他人事みたい。社長が私たちのこと会わせたくせに」
「そうだったっけ?まあまあまあ仲良くね」
わたしは誰かを妄信的に信仰することを軽蔑している。だからオタクが嫌いだ。かつてわたしも虚構(ホスト)に入れ上げていたから、搾取する側とされる側のどちらの気持ちもよくわかる。
どっちの立場も気持ち悪い。
「でもそれっておかしいよね。俺より後に来た人が優先されて1番先に来てた俺が後ってさあ……俺が先に案内されるべきだよね。もう1時間以上待ってるんだけど」
「大変申し訳ありません。整理券の番号順にご案内していますので、並んだ順じゃないんですよ」
「どこに書いてあるの?それ書いてないよね。完全にそちらのミスでしょう」
「一応、この看板にも書いてあります」
「こんなとこ読むわけないだろう!一体いつまで待たせる気なんだ!」
「トガタ見てよ、あの馬鹿」
「どの馬鹿?」
「あいつ。誘導係にいちゃもんつけてるあのばか。絶対1時間も待ってるわけないじゃん。わたし1時間前に入ってるんだからね。その時、あいついなかった」
「そーゆーやつっているよね。それよりここってWi-Fiないの。永遠にネトフリ見れないよ」
AV女優の握手会ってやっぱり治安が終わってる。そもそもアイドルとかの握手会に来るような気合入ってるオタクってきもいやつしかいない。
その髪どうしたの?その服どこで買ってるの?てかお風呂入ってきた?自分の顔を鏡で見たことある?
他人にばかり目を向けていると、人は自分自身に構わなくなるみたいだね。
控え室から出たくなさすぎて、呼ぶ声がかかってもわたしは机に突っ伏したままでいた。
「いってらっしゃい」
「…………行く。行くけど……しんどい」
「うん。決して振り返っちゃいけないよ」
現実の解析度を下げたくて、わたしは薄目でオタクと触れ合う。わたしのファン層は99パーセント男だけど、残りの1パーセントは女の子だ。映画効果と女性は参加費無料に釣られて、ちらほら来てくれる子も多い。
本当に、女の子が来てくれてるのが心からの救いだった。良い匂いがする。
「来てくれてありがとう!服かわいいね〜歌舞伎っぽーい。コンカフェとかやってる?」
「えー?わかりますか?私ここでバイトしてるんでなまえさん よかったら来てください!」
「かわいいー!癒される」
コンカフェ嬢と恋人繋ぎをしてイチャついていたら、おっさんがこちらに突進してきた。女の子は「やばぁ」と言って、慌てて身を引いた。
「いい加減にしろよ!!!調子に乗りやがっていつまでかかってるんだよ!このガキ無料なんだろ?俺はお前にいくらかけたと思ってるんだ!早くしろよおおお!!」
怒鳴られると反射的に涙腺が緩む。怖いからじゃなくて、お昼になったらお腹が空く、みたいな条件反射だった。
わたしが泣いたのを見て、男は落ち着くどころかますます興奮してポケットからカッターを出した。
「泣けば許されると思ってんのか良い身分だなおい、まだ話終わってねえよ!俺を誰だと思ってんだ!?」
「まじか!」
こういう時って意外と誰も助けてくれないんだ。周りの人たちもみんなびっくりしてて、カッターをわたしに突きつけている張本人もびっくりしてて、いやいや1番びっくりしてるのはわたしだよ!って叫びたくなった。
「きゃあぁあぁ」
とっさに叫んだけど、小さい声しか出なかった。極限状態にあると大声は出ない。防犯ベルってほんと大事。今まで馬鹿にしててごめん。もし生き残れたら、首からベルをぶら下げて生きていこう。
刃物を突き付けられるのは、元カレの浮気相手に刺されて以来だ。懐かしいけど、もう二度と嫌。
「いいから!こっち来いよ!」
おっさんはびっくりした顔のまま机をバンバン叩き始めた。口の端が引きつっていく。わたしは後ずさったけど、すぐに背中が壁にあたった。逃げ場がない。
「トガタ……」
「あ“ぁ…!?」
男の真後ろにトガタがいた。彼女はハサミを男の指に思いっきり突き立てて固定すると、ガムテープを男の口と目に貼り付けた。そして迷いなく、養生テープで男の首を締め上げた。
「ちょっと!誰か魚買ってきてストライプバス!さばく前のやつね。ナマズでも可!こいつの実家に、東京湾ってメモと一緒に送り付けるから!」
He sleeps with the fishes.
わたしは机の下をどうにかこうにかかいくぐって急いで逃げ出した。そしてスマホで動画撮ってるコンカフェ嬢に近寄った。
「ねぇ!その動画、エアドロップでちょうだい」
ごついお兄さんたちにはがいじめにされたおっさんは、慰謝料とかイベントのキャンセル料とかを思いっきり請求されていた。コンカフェ嬢が撮った脅迫現場の動画付きで、実家にも連絡がいったらしく、飛んできたのは歳くった母親だった。通帳を取り上げられて土下座させられていた。全財産なのにと聞こえた気がした。
警察沙汰にならなくて本当によかった。
「なまえにも格闘術教えるよ。軽くでも心得てるだけでストーカーを圧倒できるよ」
「逆恨みが怖いからやだ。それにわたし、トガタみたいに運動神経良くないもん」
「願いを叶えるためには等価交換が必要だよ。諦めなさい」
わたしは感謝の意味を込めて、彼女の上唇を軽く噛んだ。
「助けてくれてありがとう、トガタ。わたしのヒーロー。かっこよかった」
「……どーいたしまして」
キスひとつで等価交換にはならないけど、ヒーロー扱いするとトガタはあからさまに機嫌が良くなった。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
支払いを忘れていた。だから家のWi-Fi環境は死んでしまった。
今月分のネット回線の支払いを忘れたから通信料がエグいことになっていた。わたしもトガタもどちらかが支払っているだろうと思っていたから起こった悲劇。最大の原因はディスコミュニケーション。
「バイのくせに、女との絡みはやんないんだ」
「女と寝るのは仕事じゃないから」
「犬は?いける?」
「犬は嫌だ!絶対嫌だ!!」
「キミさぁ、NGないとかいって結構あるじゃん」
「動物は!もうやだ!」
「猫は?」
「膣ずたずたにする気?トガタがやれば?」
「じゃあ馬は?」
「死ぬから!そういうのこそAIで作ってよ」
「AIが混乱したらどうすんだよ。ホラー映画の依頼来ててさ、エログロって必須だから。エログロがないホラーって犬が死なないサメ映画みたいなもん」
中目黒のバーガーキングは無駄に広くて3階建てだった。有線が洋楽のみで、そのマイナーなラインナップがわたし好みだった。店員は外国人を積極的に雇っている。飛び交う会話が日本語じゃない。一気に異国情緒が出てくる。
3階にある1番奥の席を占領して、トガタはタブレット端末を、わたしは化粧道具を広げている。
この席はちょうど壁の出っ張りが目隠しになっており、一見すると席があるとわからない。
バーキンだとレッドブルセットが1番のお気に入りだ。不健康すぎて逆に清々しい。
わたしはトガタのスマホで勝手に注文していた。
「ね、あと30分で出なきゃだから、化粧早めに終わらせて」
「え!?今から行くの!今から行くとか、今知った!バーキンおごってくれるって言うから来たのに!すっぴんなんだけど!」
「すっぴんのほうがいいじゃん」
「やめてよ!いつも1時間以上かけて顔作ってんだから!」
わたしはすっぴん隠しのサングラスをカバンに放り投げて手鏡を出した。夜職女のカバンはやたらと大きい。例にもれず、わたしのカバンもそう。格子柄のブックトートは4キロくらいありそうだ。
この前買ったばっかりの服が突っ込まれていたので、それも引っ張り出す。胸と背中が思いっきり開いたオフショルワンピ。
「これに着替えてくる。トガタは着替えないの?」
「このまま行くよ。正装とかしてらんない。むしろ、このカッコが私の正装」
「楽でいいなぁ」
わたしが今着ていたのは、キャミソールと薄手のショーパンだけだったから、その上からワンピースをかぶった。
この地域には、ギリギリ国交があるどっかの国の大使館が結構ある。そのせいで多国籍な雰囲気がある。真冬にキャミ1枚で歩いていても不審がられない。墨やピアスが激しくても避けられない。あくまで主観だけど。
店から出てきたわたしをトガタはカメラで撮る。
「これにサイン入れて、映画館の上からバラまこうよ」
「そういうことはトガタ1人でやって」
怒る気にもなれず彼女の横からデータを覗いた。
写真になったわたしは幸薄そうで、吉原とかに沈められても金にならなさそうだった。
「────現役セクシー女優ということですが、なぜこの仕事を選ばれたんですか?」
この映画で主演はってた俳優は体調不良とかで舞台挨拶を含めすべてのメディア露出をキャンセルになったらしい。売り出し中と聞いていたから、スケジュールとかかなり無理していたんだろう。彼目当ての客も軒並みいなくなってしまって、客席は半分空っぽだった。
盛り上げるために俳優に志望動機を聞くのは良い。役者って夢がある仕事だ。でもAVの出演理由を聞くってなかなか酷なことだ。司会者は人の心がないんか。
「お金に困ってたんでなりました。前はソープやってたんですけど、ポルノの方が稼げるって言われたんで」
「え、ソープ嬢だったんですね!どこの店でしたか?」
自称風俗狂いの芸人が話に割り込んできた。彼は朝の情報番組のコメンテーターをしていて、今日はわたしが出ると聞いて駆けつけてくれたんだ。そのおかげで、この挨拶は全国中継されている。それにしても朝っぱらから下ネタぶっこんでいいのかよ。
「池袋と鶯谷です!出稼ぎに金津園にもよく行きました〜」
「うわー!もしかして× × ×ってお店ですか?」
「さすが詳しいですね。そうなんですよ。× × ×です!」
「教えてもらいたいんですけど、これやったら嬢に嫌われるあるあるとかってありますか」
「タオルぐちゃぐちゃに……んー、入室した瞬間、服脱ぎ出すとか?金と時間ケチりすぎだろうって思いますね」
「まぢか!それ俺やってた!性欲が先走りすぎて」
「勃起してるだけに?」
「そうそう、先走りだらっだらで!」
司会者の顔がおももろに引きつって、プロモーション担当は目をひんむいていた。
わざわざ舞台挨拶を見に来てくれてるファン層にまともなやつはいないから、みんな結構ウケてくれてた。
「すみません……真面目に答えると純粋にトガタの映画が好きになったからです。むちゃくちゃだけど、面白くて。映像がとにかく美しい。トガタの見てる世界の中にわたしも入ってみたかったんです」
司会者はほっとした様子でマイクを持ち直した。順番的にこの次で最後だ。監督インタビューが始まる。
「では、トガタ監督に伺います。映画監督を目指したきっかけは何でしょうか?」
「映画好きの祖父の影響です。両親は共働きでじいちゃん家にずっと預けられてたんですけど、ものすごい数の映画があって、強制的に一緒に見させられてました。ずっと見させられてるうちに、なんだかつまんなくなってきて、自分でも作りたくなりました……ん?なんて書いてあんのそれ?ページめくんの早いって!」
トガタはプロモーターが必死に掲げたカンペを凝視しながら言った。
「見所は中盤に、うちの看板女優と犬が× × ×して、× × ×するところ!意気込みってなに?これ読めばいいの?えっと…」
会場は盛り上がったけど、放送される時はセリフの大半に効果音が入るだろう。
液晶端末を取り出してこっそり動画サイトのライブ中継を見ると、コメント欄がよく燃えていた。信者と荒らしの攻防戦。
「────映画って何しても許されるんですよ。人を殺しても強盗しても面白ければ許される」
ついにプロモ担当が泣き出した。気まずくなったのか、トガタはカンペを見ずに話し始めた。彼女にしては珍しい。いつもイカれた行動で周りを置いてきぼりにしている。トガタが真剣なのは映画に対してのみだった。
「私が30年近く生きて来れたのは映画のおかげです。────炎は薪がないと消える。人は炎と同じで、糧がないと生きていけない」
古い映画のセリフだった。その映画の名前はもう思い出せない。
「長く生きていくと、職場と家の往復とかで、毎日同じことの繰り返しになって、感情が動かされることが少なくなっていきます。映画の中にはいろんな物語があって、いろんな主人公がいて、なんでもありです。映画は面白ければ何をしても良い。私は家にある映画を見返しすぎて、もう何の感情もわかなくなって、でも映画が好きだった。つまらないなら、興奮できるような映画を自分で作るしかなかったんです」
劇場の幕が降りる。
騒がしかった観客席は、今は水を打ったように静まり返っていた。いつのまにか画面越しの炎は沈化されていた。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
控室ではトガタと芸人が、会社の偉い人たちに怒られている。その間、わたしはフラフラと散歩していた。
偉い人がトガタに怒っている訳は、握手会のカッター男を殺しかけたのはまずかったこと。過剰防衛になるし訴えられる可能性もある。
わたしはというと被害者だし、AV女優(商品)は責任が取れない立場だから野放しにされている。
配給会社の偉い人がトガタと芸人に怒っている理由は、朝の情報番組で放送できない内容を喋ってしまったこと。数秒しか使えるところがなくなってしまった。
こちらでもわたし(商品)は責任が取れない立場だから野放しにされていた。
こういう時こういう職業ってほんとに便利だ。
「日傘持ってくればよかった」
トガタは怒られても全然心に響いてないみたいで、「30分で終わるから、適当に時間つぶしてて。私が連絡したら戻ってくるんだよ」偉い人たちの前で思いっきり舐めたことを言い放った。
冷房がガンガンに効いているであろう喫茶店を見つけて、殺人的な日差しに死にかけたわたしの目にはとっても魅力的に映った。思わず入店しかけたが、たかがタバコ休憩のためだけに1000円近く飛ばすのはちょっと無理。わたしは誘惑を振り切って雑居ビルの周辺を再びうろつきだした。
喫煙スペースを見つけたのでタバコを取り出した。朝から吸えていなかったので、禁断症状が出そうだった。
喫煙所の中には先客が一人いた。鎖骨が浮いた直角の肩にZARAかどっかのキャミを引っ掛けた女。鼻先の尖り方とハイライトの入れ方が特徴的だった。巻いた髪を右肩に流している。いかにも夜職っぽい女だった。
タバコは好きだけれど、というか手放せないけれど、指に煙の匂いがつくのは嫌いだった。
塗り直したばかりの口紅がべったりとフィルターのところにくっついてしまって、それを見るのも嫌だった。
タバコのパッケージは警告文だらけで、デザインが台無しになっている。警告文はこの先ますます広がっていって、やがてデザインを飲み込んでしまうだろう。表現の自由が拮抗しあっている。
外国のパッケージは日本のものなんて非じゃないくらいグロテスクな写真が入っていて、いっそかっこいい。
いつも思う。煙のせいでがんのリスクが増えること、堕胎するリスクが上がること、自分と周りの人間の寿命を縮めること。わかっているけど、やめられない。やめたいと思えないのだから、中毒とは少し意味合いが違う。
「依存してるなぁ」
灰だけを落とすつもりが手元が緩んで、まだ長いタバコを灰皿の奥に落としてしまった。
黒く汚れた赤い灰皿は、薄く煙を立ちのぼらせていた。
「……タバコあげよっか?セブンスター好き?」
「まじ?好きだけど…お姉さんの分が減っちゃうからいいよ。タバコ最近高くなってるし、わたしまだ持ってるし」
夜職っぽい女はスカルプで伸ばした爪で器用にライターをつけた。
「あたし、これ吸い終わったら禁煙しようと思って。だからあげる」
封を切った1箱と新品1箱をわたしに放り投げた。
「そのブックトートかわいい。あたしも買えばよかったぁ」
スカルプ付きの指が扉を押そうとして途中で止まった。
「……なにあのおっさん」
遭難20日目みたいな外見の男が大声でわめきながら道路を塞いでいた。車のクラクションの間から男の声が聞き取れた。
「俺は東大に行くはずだったんだ。天才だったんだ!ずっと優秀だったのに、あいつのせいで俺の人生は台無しになった。どうしてくれるんだ。もうこのまま死んでやる。はやく俺を殺せ!!!」
「東大行くようなやつは、もっと効率的に自殺するでしょう」
「面倒だから、あたし通報するね。ああいうやつよく店に来るんだわ。追い払っても追い払っても戻ってくるから、野生動物相手してるみたいで萎えんの」
「……おねーさん通報しなくていいよ」
「なんで?」
遭難者はわたしに気づくと赤信号をがん無視してこちらに向かって走ってきた。車は面白いくらいに男の直前で急停止していく。そのまま轢いちゃえばいいのに。
「野生動物って表現最高に良いよ。ストーカーって犬みたいに匂いたどれるんじゃない?」
「ああいうやつってやばいよ。捕まってもメンタル病んでるって診断されてすぐシャバに出てきちゃうから、トドメさしとかないと!あたしの彼氏呼んであげる。ヤクザだから拉致ってくれるよ?」
「大丈夫。わたしは大丈夫だから、おねーさん逃げて」
「本当?絶対危ないよ。あいつ…」
「わたしの客だから話してみる。おねーさん行きな?タバコありがとう」
「もー!気をつけてよね。あたしねこの辺で働いてるから、また会おうね!」
強い香水の匂いを残して、女は道路とは真逆の方に走っていった。そういえば、この辺はどっかの組のシマだった。夜職っぽい女はどっかの組の女だった。道理で肝が座ってるはずだ。狂った男を見たくらいじゃ動揺しない。
頭の奥がしびれるように痛んだ。ロキソニン飲んどけばよかった。わたしはセブンスターをくわえて男の到着を待つ。手が震えて着火できなかった。
「か…か…っ」
息が切れまくっているおっさんは今にも倒れそうだった。どもりまくって、さらに泣きそうな顔になったかと思うと銃を上にして放った。……銃?
弾丸が排水管に当たって水が吹き出た。銃口からは薄く煙が立ち昇っていた。
一拍遅れて通行人の誰かが悲鳴をあげた。
「て…テロリスト!」
「テロなの?日本で!?」。
「やめろおおおお俺はテロリストじゃない!おい!違う!撮るな!!黙ってろ!じゃないと撃つぞ!!!」
男が喚けば喚くほど騒ぎはどんどん大きくなる。
「なんなの?あんた」
「俺のことを忘れたのか、忘れたとは言わせねえぞ!!!いつも撮影会行ってただろう!握手会も!お前を断罪しに来たんだよ!!」
「あ?」
「お前のせいで、俺ん家の家計は火の車なんだよ!お前が悪い事したのに、裁かれないのはおかしいだろおおおおお!」
「この前カッター振り回してた人でしょ?ね?覚えてるよ」
「あっはい!あっ、あっ、覚えててくれた」
「わたしどうすればいいの?何してもいいけど」
「えっ……何してもいいのか…」
「うん。セックスする?」
「あっ、えっ、えっ……セック…セッ?!俺……俺…へへっ」
「いいよ。ホテル行こっか」
あふれ出した水の勢いは全然止まらなくって、わたしたちはどんどんずぶ濡れになっていく。ものすごく局地的に強い雨が降っているみたい。男は足をもつれさせながら、急いでラブホ街に歩き出した。死ぬって言ったり、銃振り回したり性欲に支配されてみたりと忙しい。こいつ躁鬱気質かよ。
わたしはブックトートを捨てて、割れた排水管のパイプを手に取った。狙うのはホームランだけだ。
「鉄パイプ振り回すのって、ひぐらしのパクりになるから、やめよ。ちょっとカメラ持ってて、この画角でそう。そこ」
「ええっトガタ?!」
「キミ電話全然出ないからさぁ…携帯を携帯してる意味ないじゃん。行動わかりやすいから喫煙所にいるだろうって知ってたけどね」
彼女はわたしが持っている鉄パイプを奪うと大きく振りかぶって男に投げた。頭の右側あたりにぶち当たり、びくりと肩が跳ねて男が振り返る。トガタは助走で勢いをつけ、男に飛びついた。男の首を両足で挟み込んだまま空中で反転し、手加減なしで男を頭からアスファルトに叩きつけた。
ぐしゃりと骨とか肉がひしゃげる音がした。
「トガタすご!!決まった!フランケンシュタイナー!!」
「撮れた?!ちゃんと撮れた??」
「ごぼぉっ」
「 撮れた撮れた!見てみて」
「殺さないでくれえええ」
「あーあー、いい!いい!さすがカメラガール!」
「血がっ!……血がでてっ!」
「あー!もー!うるさいなあ!ちょっとおっさん邪魔っ」
トガタは男を突き飛ばして、カメラの内容を確認した。
「たっ……たっ…助けてくれ!」
「死ねそうじゃん、よかったねー」
「訴えてやる!!お前らのこと!人殺し!!!」
トガタは満足したのかカメラを仕舞った。
そして顎に手を当てて目をつぶった。
「私は未来から来た」
何か言い出した。
「未来から来たので、おっさんが私の女を襲うことも読めたってわけ」
「未来…え、だって、そんなはずないだろう……じゃあじゃあ…未来の俺はどうなってるんだ?どうせ逮捕されてるんだろう」
「うん。えっと、10年とかで出所して、でも逮捕歴でなんもできなくて、ホームレスになって凍死してるね」
「ええっ?!」
良いこと言うのかと思ったら、おっさんにとどめを刺してた。おっさん泣いてるし、トガタはなんでおっさんが泣き出したのかわからないみたいで、ポカンとしてる。
「てかさぁ、わたし思うんだけど、おっさんの不幸は今だけだよ」
「嘘だ…そんなわけない」
ブックトートの中に散らばったお札を集めたらそこそこの金額になった。いつも給料袋が破れて札束がカバンの中でぐちゃぐちゃになっている。財布よりもカバンの中にお金が入っている。
わたしはおっさんに金を渡す。
「中年のあんたが、暴れてたら秒で駆けつけて全財産ドブに捨ててくれる親もいるし、まだパクられてないから逮捕もされてないじゃん。ほら!この前社長たちがぶん取ったお金返すからさぁ、これで生活立て直してさぁ、資格でも取りなよ。メンタルもやばいから通院もしな」
「なんてこと言うんだよ! AV女優のくせに……俺は、俺は、」
男は涙でぐしゃぐしゃになった顔をアスファルトにぶつけて、本格的に泣き始めた。号泣だった。
「あ、もしもし?通報なんですけど、なんか銃を持った男が、北口の喫煙所で暴れてます。住所?住所は東京都× × 区…」
「カジュアルにおっさんの感動を裏切るのやめたほうがいいって!save the catの法則にも急な話の転換はノイズになるって書いてあったよ」
「このままだと、あのおっさんヤクザにさらわれるでしょ。この辺どっかの組のシマど真ん中だよ!警察に保護してもらったほうが安全!」
100万円分軽くなったブックトートは、心なしか持ちやすくなっていた。
「意思疎通ができるヤバい人はまだマシだよ。日本人なのに日本語通じない奴が一番ヤバいの。自分の世界に籠りきって、自分中心のルールで生きてるバカはもうどうしようもない」
「文句言う割にお金あげたりして優しいじゃん」
ライターがうまくつけられない。わたしはまだ震えがおさまらなかった。
動揺すらも懐かしい。激情的な人間を見ると懐かしくなった。
「ライターつかないの?」
トガタはくわえていたタバコの火種をわたしのタバコの先に寄せた。シガレットキス。
「正直ね」
「なに?」
「ホテル行っても良かったんだ」
「腹上死パターンか」
「でもなんとなく、あのおっさんがパパに似てて懐かしくなったんだ」
パパは日本語が通じない方のヤバい人だった。
職場では完璧に本性を隠し通しており、異常性の欠片も出さなかった。プライドは高いが、これといった上司には喜んで媚を売るような人間だった。だから出世ははやかったという。
出世頭のパパに惹かれて、寄ってきた女をさっさと孕ませて産まれたのがわたしだ。
パパは外面が良かったから家の中で何が起こっていたかを完璧に隠していた。
雨風防げる家においてもらって、学校にも通わせてもらったことを感謝している。実家では人間としての最低限の生活は保障されていた。言い換えれば最低限以外の保障はなかった。
「いつも思うよ。わたしの人生が映画ならよかった。人を殺しても強盗しても面白ければ許されるもん」
魚と眠ったほうがいいのはパパ。
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今日公開の映画は朝一だと言うのに、混みまくっていた。売店も長蛇の列。裕長に並んでいたら開演時間に絶対間に合わなかった。ポップコーンすら買えなかった。わたしはキャラメルポップコーンが好きなのに。
目当てのパンフレットも売り切れていた。開館と同時に駆け込まなきゃ買えなかったらしい。
わたしは特典のストラップを握りしめて、パンフがいつ入荷するのか『再入荷のお知らせ』と書かれた張り紙を睨む。
「あれ、元姫じゃん」
「あれ?!元担当じゃん」
わたしを夜に沈めた元凶の男だった。
「映画好きは変わらずだねー、久しぶり!」
こいつに散々お金貢いだなぁとか、シャンパンタワーって日常生活じゃ絶対見ないよなとか、こいつと一緒にいたときのことが脳裏によみがえった。
別に恨んでなんかない。時間をお金で買っただけ。当時は稼いだお金の額が愛情の大きさだと思っていたから。
「パンフレット買えたんだ。いいなぁ」
「そのうちメルカリで大量に転売されるよ。それまで待ったら?」
「今日欲しかったけど、落ち着いた頃にまた来るし、いいや。ポップコーンでも買って帰るわ」
「俺のやるよ。」
元担当は気前よくパンフレットをわたしに寄越した。
「代わりにポップコーン買ってよ。2種類のやつ」
「そんなんでいいの?ありがとう」
わたしはパンフレットの表紙を撫でてみたり、厚みを確認してみたり、いきなり落ち着きをなくしてしまった。
「まだホストやってんの?」
派手な髪色は変わらずだけれど、彼は化粧もヘアメもせず、そっけないリュックを背負っただけの格好をしていた。
「とっくに引退してるよ!酒と薬で肝臓壊して、今はママ活してる」
「いいじゃん。わたしもそろそろAVやめよっかなー」
「そっか。でも昔より顔色良くなったよね、あんた。ま、実家出れてよかったじゃん」
「うん。一緒に住まわせてくれて、そのことだけはあんたに感謝してる」
「俺こそナンバーつけさせてくれて、まじ感謝してるよ」
「薄っぺらいなー」
「姫全員に同じこと言ってたからなぁ。俺の言葉に重みとかねーよ」
彼の端末はひっきりなしに通知音が鳴っていた。聞くと、出稼ぎ中の女からだと言う。
「彼女が限定グッズ欲しいって言うから来たんだけど、結構面白かったなぁ。これ1つのために60万以上稼いできてくれるんだからいい女だよ。」
「特典のためじゃなくて、あんたのためでしょ」
「どっちも同じだよ」
彼は口元だけで笑った。鋭い目つきはホスト時代から変わらない。
「あんたの出ている映画も見たよ」
「え!映画嫌いじゃなかったっけ?」
「それ嘘なんよ。同伴で何十回も同じ映画見るのきつくてさぁ、嫌いってことにしてた。俺まあまあ見るんだよ。トガタ監督はデビュー作のやつから見てるよ……デビュー作が1番好きだなぁ」
「ムリゲーでしょう?あれ疾走感あるよね」
「それ3作目とか2作目とか、それぐらいのやつだよ。トガタ監督のデビュー作は、」
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白い粘土に切れ込みを小さく3つ入れて口紅をつけたのが彼女の顔だ。
その女優は数年前に自殺した。存在自体が治らない傷跡のような人だった。深い傷は痛みを伴うし、常に血を流している。
治らない傷は致命傷という。彼女は世界に殺された。
彼女の本業はわたしと同じだった。それを知らずにいて、現場で鉢合わせた時とても驚いた。人気アイドルがこちらの世界に流れてくる事はよくあることで、そういう子たちはもともとの金づるがいて、単体女優扱いだから個室が当たり前。予算をかけたスタジオが当たり前。わたしが出入りしている現場は、よく言えばベテラン、悪く言えばゴミ溜めみたいな女しかいない。
「映画見てました」なんて言えないまま、カメラが回る。私の指先がふやけて白くなった頃に撮影は終わり、次の日に彼女は死んだ。
葬式に呼ばれてもいないのに、うまいこと紛れ込めたわたしは相場の倍以上の香典を包んだ。参列者が1人増えたくらいじゃ、誰も何も言わなかった。大腿骨あたりの骨を掴む損なうふりをして、袖に滑り込ませた。盗みは小さい頃から得意だった。親の財布から金をとって遊んだり、友達の彼氏をとって遊んでいた。
骨を握り締めたまま、葬儀は進んでいった。
彼女の葬儀場はそこそこ都心にあった。おかげで、電車は10分間隔で行き来していた。でも急行列車が止まらないから1本逃すとわたしの最寄り駅まで1時間以上かかってしまう。夕日に照らされたホームが綺麗で、行き交う電車がその都度夕日を遮ることにイラついた。
邪魔だ。止めてしまおう。
わたしはベンチから立ち上がった。アナウンスが流れて急行列車が現れた。彼女の骨を握り締める。
別に死にたいわけじゃない。ただ、生きるためにはこうするしかなかった。
別に生きたいわけじゃない。ただ、死ぬためにはこうするしかなかった。
白線より内側でお待ちください。アナウンスが流れる。じきに列車がホームに入る。わたしは白い線の外側へ1歩踏み出した。
「お姉さん、そこだと光がうまく入らないから、もうちょい右にずれて」
振り向くとカメラを構えた女がわたしを撮っていた。
「こっちも見ないの!電車が来るか来ないかなってタイミングで、ほら!飛び込んで!」
「……あんた誰?」
当たり前のように女はわたしの真後ろにいた。気配とか全く感じなかった。
いつからそこに?
「カメラ止めて、見せ物じゃないし」
「あぁ、電車来ちゃったか……良いショット取れそうだったのに」
がっくりした様子で、女はカメラを止めた。
「私が見本見せるから、次はその通りにやって」
「待って待って待って!何してんの!?」
女は前のめりに倒れるようにして、線路内に落ちた。人が落ちたと怒鳴り声がして、一気に周囲のざわめきが耳に入ってきた。誰かが緊急停止ボタンを押したせいで、ものすごい音量の警報が鳴り響いた。
「ねぇ!電車来ちゃうから早くこっち戻ってきて!」
「落ち方ちゃんと見てた?」
「見た見た!」
ホームギリギリのところからわたしは身を乗り出して、彼女に手を伸ばした。しぶしぶわたしの手をつかんだ女を思いっきり引っ張り上げたら、腕が外れかけた。勢いがつきすぎて、わたしは女を抱きしめたまま、後ろにひっくり返った。彼女に押し倒されるような格好になる。女はわたしの顔の真横に手をついた。タバコと香水が入り混じった香りがした。
「君の名前は…?」
「いい?線路に飛び降りたらだめだよ。わたしが言っても説得力ないのわかってるけど」
「君の名前は…?」
「名乗るほどのものじゃない。そっちこそ名前は?」
「エマ・ワトソン」
「は?ハーマイオニーって感じじゃないでしょ」
「ハリポタ知ってるんだ」
「わたし世代の日本人はほぼ知ってると思うよ」
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夢を見ているとき、これは夢だってわかる夢と、夢だとわからないまま見てる夢がある。
今日の夢は後者だった。わたしがまだソープ嬢だったときの夢。
シャンパンタワーは1番安くて100万くらいだけど、姫たちは見栄を張り合うから担当のバースデーには一晩で何百万もするタワーがいくつも建つ。だから焦っていた。愛想もなくて見栄えも良くないわたしがまとまった額を稼ぐには、地方へ出稼ぎするしかなかった。
田舎にある風俗店のいいところは女の子一人一人に広めのプレイルームがもらえるところだ。
客が来るまでの間ひとりでいられる。接客は心がすり減る仕事だからどうしても孤独が必要になる。
おじの体臭と精液に塗れたシーツは使い回しするせいで加齢臭がこびりつく。消臭剤スプレーで霧を作って臭いを誤魔化してみたり、プレイに使うタオルを多めに畳んでみても臭いは消えない。
外は雨が降っているからなのか、客足が途切れ途切れだ。わたしは時間を持て余していた。安い店なら休む間もなく予約を入れられるけど、中高級店になると1日に4、5人客をとれば女の子も店もそこそこの稼ぎになる。
暇つぶしにショート動画を見ていたら、AIに認識されておすすめ欄にたくさんのショートフィルムが出てくるようになった。それらを上から順に眺める。1本目、普通。2本目、音楽はいい。3本目、つまんない。4本目、何これ?
「つまんないのばっか」
わたしは液晶端末を放り投げて、加齢臭のするシーツから体を起こした。
「もっと稼げる仕事ないかなー整形はするとして、あと胸も盛るかー」
整形代すらタワー貯金にまわしてしまいたかった。きれいにならないと今より稼げない。でも貯金は減らしたくない。
アラーム機能が作動して目覚まし音が響く。そして、わたしは夢を見ていたことに気づく。
【2へ続く】