ファイアパンチ
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【神様のいない日曜日】
生ぬるい風を受けながらひとりで波打ち際を歩く。
映画が終わって、劇場を出てもしばらくは余韻が抜けない。そうだ、ヒロインを真似て海辺を歩いて帰ろう。とたんに電車から降りる。
水面のきらめきを
靴を両手に持って、足を濡らす。
ここからどこへ向かおう。重たい荷物は捨ててきた。いっそこのまま海に沈んでしまおうか。
自由なことには慣れていない。故郷では思想統制が徹底されていた。
叶うなら、後悔と寂しさを教えてくれた人のもとへ。
合わせていた肌を離すと、心の中でぱりんっとガラスが割れる音がした。ぬるい体温は即座に薄れていく。
最近のお気に入りは、くたくたの毛布、くもり空、冷たい水。あとトガタ。
昔はお気に入りなんてなかった。
寂れたラブホは空調が良くなくて、誰かの体臭と煙草のこもった匂いがする。
「ヤった後って、なに考えてんの?」
「好きなこと考えてる」
「そりゃそうか」
激しい寝癖とよれたシャツが彼女のトレードマークだ。ラフな格好でいつも高い香水の香りをさせているから、印象がちぐはぐになる。
きちんとメイクしてきちんと服を着れば、びっくりするくらい美人になるくせに。本気を出すとあんまり綺麗だから、わたしは見惚れて息もできなくなる。トガタがまともな格好をするのは流星群観測と同じくらいの確率だった。
ベッドの中、甘ったるい香りはわたしにも貼り付いて、むせ返るほどだった。
女の子が好きなの。
実は私も。
っていうかあなたが好きなの。
......実は私も。
告白の緊張は、頬を寄せ合う緊張にかき消された。初めて互いの服を剥ぎ取った後、脳髄から前世の記憶が蘇った。子宮から血が滴り落ちる時のように激しい痛みを伴う追憶だったが、鎮痛剤を飲んでいたのでやり過ごせた。
用法って昔はあったっけ?この薬飲んでラッキーなら生きてるし、アンラッキーなら死ぬ。そもそも、これって薬なの?
こんな感じで暮らしていた。
文字を読めることと計算ができることで命拾いしている。日常生活は滞りない。義務教育はとても大切だ。
「お互いの腕を切り落として貪ってたのが遠い昔のことみたいだ」
「昔っていうか前世ね」
彼女は映画監督でわたしは売れないポルノ女優。
トガタの映画は訳が分からない。でもそういうところが自意識拗らせたサブカル野郎にウケていた。
激しい濡れ場ができる女優がいなーいと彼女がぼやいていたので、1分単位のバイト代を条件に体をはってあげていた。基本的にNGがないから、わたしはなかなか重宝されている。
悲しいことにトガタの映画以外の仕事は、際どい撮影会や成人向けのサブスクくらいしかない。しょうがないから映画館のバイトも掛け持っている。企画女優なんてそんなもん。
「実体験をさ、元にしてんのにリアリティーがないって叩かれてんだよ。いやいや!ホントのことだから!って」
「前世でね。今そんな能力ないから」
「若干はあるよ」
「例えば?」
「怪我の治り早いしケンカ強いじゃん、私」
「うーん?頑丈ってことだね。てかさ、自分がタフだからって演者にも同じこと要求するのやめない?私の撮影の時、緊張感入れたいって、いきなり男優と私にガソリンまいたり、ナイフ本物にすり替えたりするの。なに考えてんの」
「教養がついたなまえはなまえじゃないみたいだ。考えるのだるーいって、バカな喋り方してたのに」
「昔が感情死んでて頭が回転しなかっただけ。バカなのは相変わらずだよ」
「うん」
「そこは否定してよ」
「生まれ変わっても私に惚れるあたりバカじゃん?助かるけどさ」
「わたしに捕まるあたりトガタもバカでしょ」
「AV女優と寝るのってある種のステータスっしょ」
「バ先のおっさんと同じこと言ってる」
彼女はラブホのテレビで動画サイトを立ち上げると、メランコリアを流し始めた。
Ambiancé見たかったなあなんてぼやきつつ。
それは予告だけで7時間20分ある失われたフィルムだった。
「自分で作れば?」
「そっか、私が作ればいいのか」
飛び起きると、リュックをひっくり返してボロボロのノートとボールペンを手にした。
「延長できるっけ」
「できない。わたしバイトあるからもう出たい。歩きながら書いて」
構成を書き始めたトガタに無理やりシャツを着せて靴を穿かせた。
針の筵の上を裸足で歩く。
針の筵の上を布靴で歩く。
針の筵の上をスニーカーで歩く。
ハイヒールとブーツを手に入れた。今はお金さえ出せばなんでも手に入る。
歩き方は不安定だが、もう痛むことはない。ややこしいことには慣れている。
ここからどこへ向かおう。重たい荷物は捨ててきた。これから先は普通の道を歩いてみたい。
叶うなら、後悔と寂しさを教えてくれた人と共に。
導入すら書けてない!と愚図るトガタを手招きした。サイドテーブルに互い違いに並んだ指輪を、グレネードを引っ張るみたいに取り合って、それぞれの指に嵌めた。
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