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【揺りかごに揺れて】
縁談の相手はまだ現れない。仕方なく二人分の食事に手をつけたあたりで、予定の時刻を大きく過ぎていた。おかしいと周りが騒ぎ始めても、私は咀嚼をやめず呑気にレコードを聞いていた。流れていたのはアラベスク。苦い思い出と共に鼓膜に染み込んだ。
あんなに夢中になっていたピアノを才能がないからといってやめてしまった。
練習なんて一切せずとも賞に食い込み、審査員から技術を絶賛される生徒を見て、私のわずかにあった競争心はかき消えた。どこかで自分は特別だと自惚れていた。可愛らしい虚勢だった。どこまでも凡人なんだ。私は。そう気づけただけでも習った甲斐があった。いまだにバイエルを捨てずにいるのは、未来への戒めのつもり。
母は生きる才能がないからといって、廓の中で首を括った。絶命の弾みで破水した胎から私は産まれた。子供好きだった父は私を引き取り、母に似てると笑って体を貪った。
溢したせいで手元の水がなくなっていた。料亭と地続きになっている池の水が綺麗に見えたので、素足のまま立ち上がった。
庭に出ると臭気があった。懐かしかった。鉄分を含んだ臭いの元にはいつも、
「お姫さん、相変わらず腑抜けた顔だな。アンタの縁談相手はどうしたんだ?」
「さぁ......あなたが殺したんでしょう」
男の影がちらつく度、私の前に現れる幻覚は熱を持って生きてるようだった。
私は未亡人ではない。彼は生きていた。私の中で生きている。だから、後添えなんて言葉は必要ない。憐む視線を向けないでほしい。
彼とは政略結婚だった。寒いと言って夜毎私の布団に潜り込んできた彼は、やけに丁寧に私を犯した。そこに愛は生まれなかった。妾腹同士でお似合いだと囁かれる陰口が心地良かった。
あなたと添い遂げることが出来ないなら、生きていたって意味ないのよ。慟哭は線香の煙にまかれた。喪ってから愛情を感じた。私を見捨てて、のたれ死んだことが恨めしかった。義理知らず。けれど全て手遅れだった。新たな縁談の話は百之助さんの訃報を聞いたその日に持ち上がっていた。苦しくて息ができない。
彼は私を許さないだろう。あてがわれる男はことごとく両目を射抜かれて絶命する。
私は男の傍らで血溜まりに沈んでいた猫の死骸を抱きしめた。
「呪い続けてくださいますか。わたくしは、あなた以外に抱かれたくありません」
「生前に聞きたかったな。なまえがそこまで愛情深いとは思えんが」
「それはわたくしの台詞です」
例え他に花咲いたとて
私の恨みで皆殺し
レコードはいつしか、父の膝下で聞いた子守唄に替わっていた。
縁談の相手はまだ現れない。仕方なく二人分の食事に手をつけたあたりで、予定の時刻を大きく過ぎていた。おかしいと周りが騒ぎ始めても、私は咀嚼をやめず呑気にレコードを聞いていた。流れていたのはアラベスク。苦い思い出と共に鼓膜に染み込んだ。
あんなに夢中になっていたピアノを才能がないからといってやめてしまった。
練習なんて一切せずとも賞に食い込み、審査員から技術を絶賛される生徒を見て、私のわずかにあった競争心はかき消えた。どこかで自分は特別だと自惚れていた。可愛らしい虚勢だった。どこまでも凡人なんだ。私は。そう気づけただけでも習った甲斐があった。いまだにバイエルを捨てずにいるのは、未来への戒めのつもり。
母は生きる才能がないからといって、廓の中で首を括った。絶命の弾みで破水した胎から私は産まれた。子供好きだった父は私を引き取り、母に似てると笑って体を貪った。
溢したせいで手元の水がなくなっていた。料亭と地続きになっている池の水が綺麗に見えたので、素足のまま立ち上がった。
庭に出ると臭気があった。懐かしかった。鉄分を含んだ臭いの元にはいつも、
「お姫さん、相変わらず腑抜けた顔だな。アンタの縁談相手はどうしたんだ?」
「さぁ......あなたが殺したんでしょう」
男の影がちらつく度、私の前に現れる幻覚は熱を持って生きてるようだった。
私は未亡人ではない。彼は生きていた。私の中で生きている。だから、後添えなんて言葉は必要ない。憐む視線を向けないでほしい。
彼とは政略結婚だった。寒いと言って夜毎私の布団に潜り込んできた彼は、やけに丁寧に私を犯した。そこに愛は生まれなかった。妾腹同士でお似合いだと囁かれる陰口が心地良かった。
あなたと添い遂げることが出来ないなら、生きていたって意味ないのよ。慟哭は線香の煙にまかれた。喪ってから愛情を感じた。私を見捨てて、のたれ死んだことが恨めしかった。義理知らず。けれど全て手遅れだった。新たな縁談の話は百之助さんの訃報を聞いたその日に持ち上がっていた。苦しくて息ができない。
彼は私を許さないだろう。あてがわれる男はことごとく両目を射抜かれて絶命する。
私は男の傍らで血溜まりに沈んでいた猫の死骸を抱きしめた。
「呪い続けてくださいますか。わたくしは、あなた以外に抱かれたくありません」
「生前に聞きたかったな。なまえがそこまで愛情深いとは思えんが」
「それはわたくしの台詞です」
例え他に花咲いたとて
私の恨みで皆殺し
レコードはいつしか、父の膝下で聞いた子守唄に替わっていた。
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