電鋸男
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
【幸福論】
人間の命の価値は地球よりも重いという。
どこまでも人間本位の戯言、馬鹿なことをいうものだ。魚だって人だって殺せば死ぬのだから、それぞれの命の価値に違いなんてない。優劣をつけようとする行為自体、全くもって無駄なことだ。命は等しく軽く、等しく無価値なのに。
こんな風に持論をうそぶく程度にはIQの高い魔人は、鬱蒼とした森の暗がりにまぎれて獲物を狩る。
鳥の首を落とし、
牛の首を落とし、
(───ネズミは見逃した。骨と皮だけでどう見ても美味くなさそうだった。もっと太らせてから食べようと思い、なまえにしては珍しく見逃したのだった。)
熊の首を落とし、
馬の首を落とし、
それらの生首をかかえると断面に口づけて暖かな血を啜る。飲み込みきれなかった血がこぼれて彼女の上半身を赤く染めた。
───血は好きだ。味も匂いも、死を感じるのも。だって血は暖かい。
温もりを手放すのが惜しかった。彼女は徐々に冷たくなっていく死体の熱を逃すまいと、強く抱きしめた。自分だっていつかはこんな風にして死ぬ。もしかしたら殺されるのかもしれない。きっと死ぬのは嫌だと、怖いと言って泣いて喚くだろう。地獄で死んだ時もそんなことを思っていたような気がする。
生まれ落ちた赤子が、子宮の中で羊水にまみれていた頃のことを覚えていないように、なまえも以前にいた世界のことをほとんど覚えていない。
自分の命だって全くもって価値がないんだ。死ぬまでの過程に恐怖こそすれど、悲しむ必要などない。
誰かに理解を求めないから、共感してほしいと思わないから。これは、あくまで彼女の持論なのだ。
なまえはごくりと獲物の脳に溜まった血塊を飲み下した。
▽
デンジは愛されて100年と書かれた炭酸飲料を選び、ボタンを押してから自販機の取り出し口に手を突っ込んだ。この飲料水が本当に100年前から存在していたのか、それとも誇大広告なのか本当のところは誰にもわからない。
そもそも100年だろうと200年だろうと製造歴などデンジにとってはどうでもよかった。ジュースを買うという行為がたまらなく嬉しいのだ。財布にお金があることも、真っ当な仕事があることも嬉しい。まさに夢にまで見た生活だった!
デンジは片手で器用にプルタブを起こし、ジュースを口にした。相棒 (仮)のなまえはどこから調達してきたのか、しゅんしゅんと音を立てるヤカンをアリの巣穴の上で傾けて熱湯を豪快に注ぎ入れていた。
相棒 (仮)となっているのは、職員曰く魔人はほとんど信用されていないからだ。姿形こそ人間だが、文字通り人の皮を被っているだけで、本質は争いが大好きな“悪魔”だ。処分の準備はいつでもできるという脅しも兼ねて、(仮)をつけている。
デンジはなまえの殺戮行為を止めさせるべきか少し考えて、しかし止めた後さらにヤバいことをしでかす可能性もあると考え直して、結局放っておくことにした。
───そういや……コイツってどこで寝泊りしてるんだ?公安にいるっつーことは知ってるけど。
「なあよお、お前どこ住んでんだ?」
パトロール中に討伐した悪魔の報告をするために、本部に帰ったもののやたら事務室が混んでいた。順番待ちの間、───デンジとなまえがまだかまだかと騒いでいたら、うるさい邪魔だから外で待ってろと追い出された───手持ち無沙汰なこともあって、まともな回答が得られるとは露ほども思わなかったが、デンジは何の気なしになまえに話しかけた。彼女がどこで寝泊まりしているのかほんの少しだけ興味があった。相棒だと紹介されてしばらく経つがデンジは、彼女のことを何も知らないでいた。今わかっていることといえば空想壁があること、人間差別主義者であることまぁ、まぁいいヤツだ。ということくらい。
なまえが注ぐ熱湯はアリの巣に入っているのかいないのか、巣穴からあふれ出して、もうもうと湯気の立つ水たまりをこしらえていった。
「わたしはねえ...そうだなあ...デカい城を持っていて毎朝自家用ジェットで優雅に、」
「あっそ、でドコ住み?」
なまえはビシっと公安のビルの裏側を指差した。
「ここから見えるでしょ……わたしのねぐらはあの辺じゃ」
「ねぐらってか職場じゃんか。公安の施設?ってたくさんあんだな」
彼女が指さしたのは、本部の真新しいビルの奥にある古びた鉄骨コンクリートの塊だった。ビルともいえなくもないが、明かり一つ点っておらず、物言わぬお化けのようにも見える。『取り壊し予定』『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた張り紙が建物のそこかしこに貼られている。
「なぁに、わたしの住処に来たいのか?特別に招待してあげてもいいけど?」
「興味はあるけどよ、俺が行っちゃまずいだろ?魔人専用とかじゃねえの」
「……着いてきて」
なまえはヤカンをその場で逆さまにすると、残っていた熱湯を全て地面に叩きつけた。
高熱の雨によって、そこら中に散らばっていたアリたちを絶滅させると、なまえは満足そうな顔をしてヤカンを振り回して歩き出した。デンジの意見など聞いていないにも関わらず、着いてくると確信しているようだった。熱い飛沫を避けつつ、デンジは仕方なく彼女の後を追った。
───討伐数の報告って……あとでいいか。
コンクリートの腹の中はその外見に同じく、やはり薄暗かった。
靴が張り付くような廊下を抜けるとなまえは手近な部屋に駆け込んだ。
「みんな!帰ったぞ!」
彼女の声が反響し終えると、暗がりの中で無数に光るものが現れた。キィキィと鳴き声がして、どこからか現れたネズミがなまえの大きく広げた腕の中に飛び込んだ。続いてデンジの顔にも張りついてきた。
「久々だな……お前もここにいるんかよ」
デンジはネズミの首元の肉をつかんで足元に下ろしてやった。
かつては公安の事務施設として使われていたのだろうか。間取りは本部とそう変わらないが、使われていないせいかやけに埃っぽかった。部屋の中はデンジがかつて住んでいたプレハブ小屋よりもやや広いくらい。冷暖房はおろか蛍光灯もろくに付いておらず、お世辞にも良い部屋とは言い難かった。
なまえは立てかけてあるマットレスをバサッと勢いよく倒してその上に寝転んだ。お互いの姿が霞むほどのホコリが部屋の中を大きく舞う。
「おい!なまえ!汚ねえってレベルじゃねえぞ!?どんだけ掃除してねえんだよ!」
派手に舞っているホコリを手で払いながら、デンジはカーテンをなぎ払い窓を開け放した。
傾いた夕日が部屋に差し込む。暗がりに舞う埃が橙色の光をうけて、チラチラと反射した。
「わたし専用の部屋なんだから、わたしがどうしようとわたしの勝手」
「……勝手に住み着いてるっつーことかよ」
どうりでおかしいと思った。人権がないにしろ、そこそこ危険な魔人が野放しになっているはずがないのだから。……いや、今まさに野放しになっているのか。
「魔人ってのは……よくわかんねえけどよ、もっとちゃんとした公安の施設にいるもんじゃねえのか?」
「ペット禁止と言われてしまって...ネズミにはネズミの人権がある!って主張したんだけど聞き入れてもらえなくて......この子と家出してきたの」
「人権じゃなくてねずみ権じゃね?」
「どっちでもいいわ」
デンジもなまえのとなりに体を横たえてみた。
ポチタと暮らしていた頃は床に雑魚寝していたから、マットレスがあるだけでも御の字だと喜んだだろうが、今は早川家の上質なベットに慣れてしまったせいか、このマットレスで眠れる自信がなかった。
「テレビとかねえの?」
「そんなものはない」
「つまんなくねえ?ここで1人と1匹だぜ?なんにもすることねえじゃん」
「つまんないよ、つまらんないから考え事をしてる。わたしは頭が良いから」
「おー……なに考えてんだ」
「今日、寝たら見る夢」
───ハラへって眠れねえ……寝れねえと、借金のこと考えてもっと寝れねえ……ポチタはどんな夢見んだ?俺はよ、───
「………」
「例えば、夢の中でわたしは総理大臣になってる。───現実でもそのうち総理大臣になるけど───手始めに消費税は100%!人間が苦しんでる姿がみたいから……電車もわたしの城が始発駅にする。すべての駅はわたしに通じさせる!この世界はわたしに始まりわたしで終わるの!」「国中の国旗はもちろん、広告という広告をぜんぶわたしの顔に変えるのもいいな。美女は国の宝だから...皆がわたしにかしずき媚びへつらうのよ!」「......まぁ夢なんて見れた試しがないけど...」
「昔、俺もおんなじことやってたぜ。ハラ減って寝れねえ時とか、その日見る夢を決めてた」「女とイチャついて一緒に部屋でゲームして、抱かれながら眠る夢、とか」「ホントに見れてたのかはわかんねえけどな。起きたら夢ん内容なんか忘れちまうし」
「心底くだらん夢だね」
「くだんなさはお前の夢とそう変わんねえだろ」
「心外!心外です!!わたしの夢には価値がある!家の前に電車が走っていればどこでも行けるでしょ?」
「はいはい、すげえすげえ」
「そうでしょ!……わたしの夢を称えた褒美だよ。終点はデンジの家にしてやろうぞ」
「称えちゃいねえけどな」
しばらく2人でああでもないこうでもないと言い争っていたが、面倒になったのかなまえは眠たそうに目をこすり始めた。
「なまえ寝るんじゃねえぞ、まだ悪魔ん数を報告しに行ってねえからな」
「うるさいねえ、わたしは眠いのもう寝る。おやすみデンジ」
「あ“あ”!?」
こちらに背を向けると、本格的になまえは寝息を立て始めた。
「マジかよ……ペアで報告来いって言われてんだけど……」
肩を揺さぶるがなまえはすでに夢の中。
とんだ大統領だな、いや総理大臣だっけか?とぶつぶつ文句を言いつつ、デンジはなまえを背負うと本部に向かった。
手を組み変える。 影の中からキツネが現れる。
手を組み変える。 影の中からネコが現れる。
手を組み変える。 影の中からイヌが現れる。
薄暗い部屋の中で、懐中電灯の光だけがまぶしい。
「なにしてるの?これは」
「影絵遊び」
昨日テレビで見て、デンジは自分でもやりたくなったのだ。
『早川の先輩、懐中電灯貸して』
『戸棚のどっかにあるだろ。冒険にでも行くのか?』
『んなガキじゃねえよ・・・・・・あった。しばらく借りるぜ。影絵遊びするからよ』
部屋の電気を消して明かりを壁に向けた。テレビの見よう見まねで影をつくっては、すげえ!とはしゃいでいたら先輩に恐れるような、怯えたような顔をされたので、デンジは訳もわからず首をかしげた。
『お前……今何歳だ』
『えっと、約16歳』
『そうか……デビルハンターはまじでロクなヤツがいねえな……』
こんな心温まるやり取りの後、早川アキはなにも見なかったかのように自室に行ってしまった。
感動を分かち合えなかったことが惜しくて、もしかしたら自分と同じくらいの頭脳のなまえなら興味を持ってくれるかもしれないと、再び彼女のねぐらを訪ねたのだった。
果たしてなまえは満更でもなさそうに影を見つめている。
「ドラゴンの影は指をどうすればできるんだ?」
「俺ドラゴン見たことねえから作れねえや」
「じゃあケルベロス」
「あーー?なんだよそれ」
なまえはデンジの膝を枕にウトウトし始めた。頭を撫でてやると、しばらくして規則正しい寝息が聞こえてきた。
「今日はなんもねえから、お前が寝落ちするまでは一緒にいてやるよ」
3つだった影はいつのまにか溶け合って、1つの歪な塊になっていた。
ドラゴンの形に見えなくもなかった。
明くる朝、唐突にけたたましく玄関のチャイムが鳴り響いた。何事だ、近所迷惑だとアキがドアスコープをのぞき見、そしてノータイムで勢いよく扉を開けた。
「とってもとっても狭い家!」
キャリーケースを背負い、化けねずみを背負い、そのほかにも色んな荷物を持ったなまえが玄関に降臨していた。
「えっお前……」
アキは慌ててどこかに電話をかけ始めた。「───なんでヤバい奴ばかり集めるんですか?」
こいつよりはヤバくないとデンジもなまえも声に出さずつぶやいた。
あまり広くない玄関で必然的に2人きりとなる。
「マキマからの命令で、ここに住むように言われたんだ。……なんだデンジもいたのか」
「奇遇だな、俺もマキマさんから早川の先輩と一緒に住むように言われてんだ」
「わたしの面倒をみてくれるというのなら、橋の下だろうと海だろうとどこ行ったっていいだけど」
「そりゃ俺も同感だ」
「……ねえ、この前の続きをしようよ。デンジの夢をわたしに聞かせてくれ。つまらないからよく眠れる」
「……おう…おう。いいぜ夢バトルしようぜ」
▽
始まりはいつもゴミ箱の中から。
なまえは朦朧とする意識の中、最後の力を振り絞ってゴミ箱のフタを開けた。
映画でもドラマでも悪い敵から身を隠すにはうってつけの場所。
救世主はいつだって貧相な場所で産声をあげる。馬小屋だったり鉄格子の中であったり、はたまたトイレであったり。
さながらトラッシュバスケットシアター!
しかしながら、なまえの脳裏に浮かんだのは劇的なやり取りや命がけの戦いというよりも、取るに足らないどうでもいい毎日の走馬灯だった。
たったひとりの相方、はじめての友人。デンジは自分のやりたいことを放り投げてまでなまえの面倒を根気強く見てくれたから、なにかデンジに返せるものはないか、なにか返したいとなまえはずっと考えていた。
───デンジはわたしのバディだから、わたしの命の1つや2つくらいくれてやろう。
結局、渡せるものは自らの命くらいなもので。ようやく考えついたと思ったら、とっくにサヨナラの時間が近づいていた。
まぶたの瞬きはなまえの目に溜まった水分の表面張力を崩し、デンジの眦に落ちた。
考えてみれば、そう長くない魔人としての生の中で、愛した人間は彼ひとりだけではないか。
死に別れることと生き別れることは、どちらがデンジにとって辛いのだろう。どちらにしろ別れなければならないことに変わりないけれど。
悪魔は死なない。現世で肉体が朽ちたとして、地獄に生まれなおす。地獄で果てたとしてうつし世に蘇る。もっとも、その時々の記憶は無くしてしまうけれど。
姿かたちを変えて、思い出をなくした悪魔はもはや、“なまえ“とは言えず、ただの悪魔となっているだろう。それでも、そうであってもデンジが『良い』といってくれるのなら、
「恋しいなら探しに来い」
なまえは最期にデンジを抱きしめた。
───わたしが死んでも誰が死んでも悲しむ必要はない。
どれだけ悲しんだところでその哀情は、いずれ訪れるであろう再会の喜びに変わるのだから。
人間の命の価値は地球よりも重いという。
ならば、きっと彼の命は宇宙にある全ての星を合わせたそれよりも、ずっとずっと重いのだろう。
▽
「────デンジ君には今日からバディを組んでもらう」
魔女のように美しい上司はこうして窓を背に立っているだけでサマになる。デンジはマキマに見惚れてつつ、投げ掛けられた言葉を復唱した。
「バディ......?」
「忘れちゃった?公安では小規模任務とかパトロールは安全の為、2人1組で行動することになってるんだよ。......ちょうどよかった、来たみたい」
バディと聞いてデンジの脳裏に浮かんだのは、化けねずみと戯れる“彼女”のことだった。もういないけれど。(仮)は消えて、相棒の後ろには(死)とついてしまった。
慌ただしい足音がすごい勢いでこちらに近づいてくる。
「気をつけてね...”彼女“も魔人だから」
振り返る。
「おうおうおう!ひれ伏せ人間!!バディとやらはウヌか!?」
懐かしい姿だった。否、姿形は違う。ネズミも連れていない。だが口調が雰囲気が、彼女だった。
「なまえ!?お前っなまえ!?」
「あ??コヤツ、頭がおかしいのか??ワシの名は、───」
人間の命の価値は地球よりも重いという。
どこまでも人間本位の戯言、馬鹿なことをいうものだ。魚だって人だって殺せば死ぬのだから、それぞれの命の価値に違いなんてない。優劣をつけようとする行為自体、全くもって無駄なことだ。命は等しく軽く、等しく無価値なのに。
こんな風に持論をうそぶく程度にはIQの高い魔人は、鬱蒼とした森の暗がりにまぎれて獲物を狩る。
鳥の首を落とし、
牛の首を落とし、
(───ネズミは見逃した。骨と皮だけでどう見ても美味くなさそうだった。もっと太らせてから食べようと思い、なまえにしては珍しく見逃したのだった。)
熊の首を落とし、
馬の首を落とし、
それらの生首をかかえると断面に口づけて暖かな血を啜る。飲み込みきれなかった血がこぼれて彼女の上半身を赤く染めた。
───血は好きだ。味も匂いも、死を感じるのも。だって血は暖かい。
温もりを手放すのが惜しかった。彼女は徐々に冷たくなっていく死体の熱を逃すまいと、強く抱きしめた。自分だっていつかはこんな風にして死ぬ。もしかしたら殺されるのかもしれない。きっと死ぬのは嫌だと、怖いと言って泣いて喚くだろう。地獄で死んだ時もそんなことを思っていたような気がする。
生まれ落ちた赤子が、子宮の中で羊水にまみれていた頃のことを覚えていないように、なまえも以前にいた世界のことをほとんど覚えていない。
自分の命だって全くもって価値がないんだ。死ぬまでの過程に恐怖こそすれど、悲しむ必要などない。
誰かに理解を求めないから、共感してほしいと思わないから。これは、あくまで彼女の持論なのだ。
なまえはごくりと獲物の脳に溜まった血塊を飲み下した。
▽
デンジは愛されて100年と書かれた炭酸飲料を選び、ボタンを押してから自販機の取り出し口に手を突っ込んだ。この飲料水が本当に100年前から存在していたのか、それとも誇大広告なのか本当のところは誰にもわからない。
そもそも100年だろうと200年だろうと製造歴などデンジにとってはどうでもよかった。ジュースを買うという行為がたまらなく嬉しいのだ。財布にお金があることも、真っ当な仕事があることも嬉しい。まさに夢にまで見た生活だった!
デンジは片手で器用にプルタブを起こし、ジュースを口にした。
デンジはなまえの殺戮行為を止めさせるべきか少し考えて、しかし止めた後さらにヤバいことをしでかす可能性もあると考え直して、結局放っておくことにした。
───そういや……コイツってどこで寝泊りしてるんだ?公安にいるっつーことは知ってるけど。
「なあよお、お前どこ住んでんだ?」
パトロール中に討伐した悪魔の報告をするために、本部に帰ったもののやたら事務室が混んでいた。順番待ちの間、───デンジとなまえがまだかまだかと騒いでいたら、うるさい邪魔だから外で待ってろと追い出された───手持ち無沙汰なこともあって、まともな回答が得られるとは露ほども思わなかったが、デンジは何の気なしになまえに話しかけた。彼女がどこで寝泊まりしているのかほんの少しだけ興味があった。相棒だと紹介されてしばらく経つがデンジは、彼女のことを何も知らないでいた。今わかっていることといえば空想壁があること、人間差別主義者であることまぁ、まぁいいヤツだ。ということくらい。
なまえが注ぐ熱湯はアリの巣に入っているのかいないのか、巣穴からあふれ出して、もうもうと湯気の立つ水たまりをこしらえていった。
「わたしはねえ...そうだなあ...デカい城を持っていて毎朝自家用ジェットで優雅に、」
「あっそ、でドコ住み?」
なまえはビシっと公安のビルの裏側を指差した。
「ここから見えるでしょ……わたしのねぐらはあの辺じゃ」
「ねぐらってか職場じゃんか。公安の施設?ってたくさんあんだな」
彼女が指さしたのは、本部の真新しいビルの奥にある古びた鉄骨コンクリートの塊だった。ビルともいえなくもないが、明かり一つ点っておらず、物言わぬお化けのようにも見える。『取り壊し予定』『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた張り紙が建物のそこかしこに貼られている。
「なぁに、わたしの住処に来たいのか?特別に招待してあげてもいいけど?」
「興味はあるけどよ、俺が行っちゃまずいだろ?魔人専用とかじゃねえの」
「……着いてきて」
なまえはヤカンをその場で逆さまにすると、残っていた熱湯を全て地面に叩きつけた。
高熱の雨によって、そこら中に散らばっていたアリたちを絶滅させると、なまえは満足そうな顔をしてヤカンを振り回して歩き出した。デンジの意見など聞いていないにも関わらず、着いてくると確信しているようだった。熱い飛沫を避けつつ、デンジは仕方なく彼女の後を追った。
───討伐数の報告って……あとでいいか。
コンクリートの腹の中はその外見に同じく、やはり薄暗かった。
靴が張り付くような廊下を抜けるとなまえは手近な部屋に駆け込んだ。
「みんな!帰ったぞ!」
彼女の声が反響し終えると、暗がりの中で無数に光るものが現れた。キィキィと鳴き声がして、どこからか現れたネズミがなまえの大きく広げた腕の中に飛び込んだ。続いてデンジの顔にも張りついてきた。
「久々だな……お前もここにいるんかよ」
デンジはネズミの首元の肉をつかんで足元に下ろしてやった。
かつては公安の事務施設として使われていたのだろうか。間取りは本部とそう変わらないが、使われていないせいかやけに埃っぽかった。部屋の中はデンジがかつて住んでいたプレハブ小屋よりもやや広いくらい。冷暖房はおろか蛍光灯もろくに付いておらず、お世辞にも良い部屋とは言い難かった。
なまえは立てかけてあるマットレスをバサッと勢いよく倒してその上に寝転んだ。お互いの姿が霞むほどのホコリが部屋の中を大きく舞う。
「おい!なまえ!汚ねえってレベルじゃねえぞ!?どんだけ掃除してねえんだよ!」
派手に舞っているホコリを手で払いながら、デンジはカーテンをなぎ払い窓を開け放した。
傾いた夕日が部屋に差し込む。暗がりに舞う埃が橙色の光をうけて、チラチラと反射した。
「わたし専用の部屋なんだから、わたしがどうしようとわたしの勝手」
「……勝手に住み着いてるっつーことかよ」
どうりでおかしいと思った。人権がないにしろ、そこそこ危険な魔人が野放しになっているはずがないのだから。……いや、今まさに野放しになっているのか。
「魔人ってのは……よくわかんねえけどよ、もっとちゃんとした公安の施設にいるもんじゃねえのか?」
「ペット禁止と言われてしまって...ネズミにはネズミの人権がある!って主張したんだけど聞き入れてもらえなくて......この子と家出してきたの」
「人権じゃなくてねずみ権じゃね?」
「どっちでもいいわ」
デンジもなまえのとなりに体を横たえてみた。
ポチタと暮らしていた頃は床に雑魚寝していたから、マットレスがあるだけでも御の字だと喜んだだろうが、今は早川家の上質なベットに慣れてしまったせいか、このマットレスで眠れる自信がなかった。
「テレビとかねえの?」
「そんなものはない」
「つまんなくねえ?ここで1人と1匹だぜ?なんにもすることねえじゃん」
「つまんないよ、つまらんないから考え事をしてる。わたしは頭が良いから」
「おー……なに考えてんだ」
「今日、寝たら見る夢」
───ハラへって眠れねえ……寝れねえと、借金のこと考えてもっと寝れねえ……ポチタはどんな夢見んだ?俺はよ、───
「………」
「例えば、夢の中でわたしは総理大臣になってる。───現実でもそのうち総理大臣になるけど───手始めに消費税は100%!人間が苦しんでる姿がみたいから……電車もわたしの城が始発駅にする。すべての駅はわたしに通じさせる!この世界はわたしに始まりわたしで終わるの!」「国中の国旗はもちろん、広告という広告をぜんぶわたしの顔に変えるのもいいな。美女は国の宝だから...皆がわたしにかしずき媚びへつらうのよ!」「......まぁ夢なんて見れた試しがないけど...」
「昔、俺もおんなじことやってたぜ。ハラ減って寝れねえ時とか、その日見る夢を決めてた」「女とイチャついて一緒に部屋でゲームして、抱かれながら眠る夢、とか」「ホントに見れてたのかはわかんねえけどな。起きたら夢ん内容なんか忘れちまうし」
「心底くだらん夢だね」
「くだんなさはお前の夢とそう変わんねえだろ」
「心外!心外です!!わたしの夢には価値がある!家の前に電車が走っていればどこでも行けるでしょ?」
「はいはい、すげえすげえ」
「そうでしょ!……わたしの夢を称えた褒美だよ。終点はデンジの家にしてやろうぞ」
「称えちゃいねえけどな」
しばらく2人でああでもないこうでもないと言い争っていたが、面倒になったのかなまえは眠たそうに目をこすり始めた。
「なまえ寝るんじゃねえぞ、まだ悪魔ん数を報告しに行ってねえからな」
「うるさいねえ、わたしは眠いのもう寝る。おやすみデンジ」
「あ“あ”!?」
こちらに背を向けると、本格的になまえは寝息を立て始めた。
「マジかよ……ペアで報告来いって言われてんだけど……」
肩を揺さぶるがなまえはすでに夢の中。
とんだ大統領だな、いや総理大臣だっけか?とぶつぶつ文句を言いつつ、デンジはなまえを背負うと本部に向かった。
手を組み変える。 影の中からキツネが現れる。
手を組み変える。 影の中からネコが現れる。
手を組み変える。 影の中からイヌが現れる。
薄暗い部屋の中で、懐中電灯の光だけがまぶしい。
「なにしてるの?これは」
「影絵遊び」
昨日テレビで見て、デンジは自分でもやりたくなったのだ。
『早川の先輩、懐中電灯貸して』
『戸棚のどっかにあるだろ。冒険にでも行くのか?』
『んなガキじゃねえよ・・・・・・あった。しばらく借りるぜ。影絵遊びするからよ』
部屋の電気を消して明かりを壁に向けた。テレビの見よう見まねで影をつくっては、すげえ!とはしゃいでいたら先輩に恐れるような、怯えたような顔をされたので、デンジは訳もわからず首をかしげた。
『お前……今何歳だ』
『えっと、約16歳』
『そうか……デビルハンターはまじでロクなヤツがいねえな……』
こんな心温まるやり取りの後、早川アキはなにも見なかったかのように自室に行ってしまった。
感動を分かち合えなかったことが惜しくて、もしかしたら自分と同じくらいの頭脳のなまえなら興味を持ってくれるかもしれないと、再び彼女のねぐらを訪ねたのだった。
果たしてなまえは満更でもなさそうに影を見つめている。
「ドラゴンの影は指をどうすればできるんだ?」
「俺ドラゴン見たことねえから作れねえや」
「じゃあケルベロス」
「あーー?なんだよそれ」
なまえはデンジの膝を枕にウトウトし始めた。頭を撫でてやると、しばらくして規則正しい寝息が聞こえてきた。
「今日はなんもねえから、お前が寝落ちするまでは一緒にいてやるよ」
3つだった影はいつのまにか溶け合って、1つの歪な塊になっていた。
ドラゴンの形に見えなくもなかった。
明くる朝、唐突にけたたましく玄関のチャイムが鳴り響いた。何事だ、近所迷惑だとアキがドアスコープをのぞき見、そしてノータイムで勢いよく扉を開けた。
「とってもとっても狭い家!」
キャリーケースを背負い、化けねずみを背負い、そのほかにも色んな荷物を持ったなまえが玄関に降臨していた。
「えっお前……」
アキは慌ててどこかに電話をかけ始めた。「───なんでヤバい奴ばかり集めるんですか?」
こいつよりはヤバくないとデンジもなまえも声に出さずつぶやいた。
あまり広くない玄関で必然的に2人きりとなる。
「マキマからの命令で、ここに住むように言われたんだ。……なんだデンジもいたのか」
「奇遇だな、俺もマキマさんから早川の先輩と一緒に住むように言われてんだ」
「わたしの面倒をみてくれるというのなら、橋の下だろうと海だろうとどこ行ったっていいだけど」
「そりゃ俺も同感だ」
「……ねえ、この前の続きをしようよ。デンジの夢をわたしに聞かせてくれ。つまらないからよく眠れる」
「……おう…おう。いいぜ夢バトルしようぜ」
▽
始まりはいつもゴミ箱の中から。
なまえは朦朧とする意識の中、最後の力を振り絞ってゴミ箱のフタを開けた。
映画でもドラマでも悪い敵から身を隠すにはうってつけの場所。
救世主はいつだって貧相な場所で産声をあげる。馬小屋だったり鉄格子の中であったり、はたまたトイレであったり。
さながらトラッシュバスケットシアター!
しかしながら、なまえの脳裏に浮かんだのは劇的なやり取りや命がけの戦いというよりも、取るに足らないどうでもいい毎日の走馬灯だった。
たったひとりの相方、はじめての友人。デンジは自分のやりたいことを放り投げてまでなまえの面倒を根気強く見てくれたから、なにかデンジに返せるものはないか、なにか返したいとなまえはずっと考えていた。
───デンジはわたしのバディだから、わたしの命の1つや2つくらいくれてやろう。
結局、渡せるものは自らの命くらいなもので。ようやく考えついたと思ったら、とっくにサヨナラの時間が近づいていた。
まぶたの瞬きはなまえの目に溜まった水分の表面張力を崩し、デンジの眦に落ちた。
考えてみれば、そう長くない魔人としての生の中で、愛した人間は彼ひとりだけではないか。
死に別れることと生き別れることは、どちらがデンジにとって辛いのだろう。どちらにしろ別れなければならないことに変わりないけれど。
悪魔は死なない。現世で肉体が朽ちたとして、地獄に生まれなおす。地獄で果てたとしてうつし世に蘇る。もっとも、その時々の記憶は無くしてしまうけれど。
姿かたちを変えて、思い出をなくした悪魔はもはや、“なまえ“とは言えず、ただの悪魔となっているだろう。それでも、そうであってもデンジが『良い』といってくれるのなら、
「恋しいなら探しに来い」
なまえは最期にデンジを抱きしめた。
───わたしが死んでも誰が死んでも悲しむ必要はない。
どれだけ悲しんだところでその哀情は、いずれ訪れるであろう再会の喜びに変わるのだから。
人間の命の価値は地球よりも重いという。
ならば、きっと彼の命は宇宙にある全ての星を合わせたそれよりも、ずっとずっと重いのだろう。
▽
「────デンジ君には今日からバディを組んでもらう」
魔女のように美しい上司はこうして窓を背に立っているだけでサマになる。デンジはマキマに見惚れてつつ、投げ掛けられた言葉を復唱した。
「バディ......?」
「忘れちゃった?公安では小規模任務とかパトロールは安全の為、2人1組で行動することになってるんだよ。......ちょうどよかった、来たみたい」
バディと聞いてデンジの脳裏に浮かんだのは、化けねずみと戯れる“彼女”のことだった。もういないけれど。(仮)は消えて、相棒の後ろには(死)とついてしまった。
慌ただしい足音がすごい勢いでこちらに近づいてくる。
「気をつけてね...”彼女“も魔人だから」
振り返る。
「おうおうおう!ひれ伏せ人間!!バディとやらはウヌか!?」
懐かしい姿だった。否、姿形は違う。ネズミも連れていない。だが口調が雰囲気が、彼女だった。
「なまえ!?お前っなまえ!?」
「あ??コヤツ、頭がおかしいのか??ワシの名は、───」