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いあ・あいはいあ・ゔるとぅーむ!



「ううううう~……
ごめんなコタン、俺もうトシだぁ……前は日に三公演やっても平気だったのに……」

「ははっ、今さら何言ってんだよ! さっきも言ったけど今回は事故だろ。楽しすぎてボーダーライン忘れてただけだ。大丈夫だって───コホッ」


数十分後。ヴルトゥームはべそをかいた表情で、洗面台の前で顔を伏せる「相棒」にしがみついていた。仲間の協力があってかその外見はおおよそ世に知られた風貌を取り戻し、もじゃもじゃの茶髪の下では二つの細い目が涙に濡れている。……下半身は相変わらずツル植物じみた物質が繁茂し、ヒトらしい二本脚は見当たらないが、これでも精一杯に「擬態」を凝らした結果だ。

彼が発した言葉のあまりに情けない響きに、コタンダイオウは思わず笑い声を上げたが、直後に顔をしかめて再び背を丸めた。小さく咳き込む声とともに、渦巻く水流に胃液の雫を落とす。「異形」と化したヴルトゥームとの長い接触により、不調をきたした彼は吐き気と頭痛に苦しめられていた。気にするほどのことではない。仲間を救うためであれば、これくらい大したことではない。


「本当にありがとな……ピーにも怖い思いさせちゃった。事前に言えたらよかったけど……裏に引っ込んだ時点でクラクラしてて。気持ち悪くて声も出なくて、まっすぐ部屋戻って衣装脱ぐくらいしかできなくて」

「いいよ。向こうも気にしてないって。これぐらいで亀裂が入るほどヤワな関係じゃないだろ?」

「そう……思いたいね。いや信じてはいるよ? お前たちなら何があっても、俺のこと信じてくれるって……信じてる」


だからこそ。力なく呟いた瞬間、腰に回した腕に力が入った。ぽつぽつと口をついてこぼれたのは、取り留めもないもしもの話。数日前から脳裏にちらつき続けている不安───それを吐き出し、ぶつけられる相手は、発狂覚悟で自分に身を差し出してくれる、彼のような者でしかありえないと思った。


「信じてるからこそ、怖いんだ。お前らのそばでは心から安心できる……安心『できてしまう』。
もしさ、もし今回のコトがステージの上で起きてたら? 俺らのこと見に来てくれたファン、見守ってくれてるスタッフ、ネットで見てくれてる何万もの人の前で───俺がもし壊れたら? ヒトの形を、忘れたら……?」

「……、」

「キモイ触手を振り回して、ズルズル這いずり回るだけの、バカでかい花だか何だかになって。人が聞いたら気が狂う、わけわかんない波長の声でわめき散らして。そうして壊してしまったら。この東京を、壊してしまったら」

「───ないよ。絶対ないって、そんなこと」


「わかってる。そうならないようにお前らは、周りの人達は全力で俺を気にかけてくれるし、俺だって気を付けてるし……まあ、今回はちょっと危なかったけど、そんなこと絶対起きないってわかってるよ───『ここでは』。

……あのペレスの話を聞いてから、ずっと怖くて仕方ないんだ。今じゃないいつか、ここじゃないどこかで、何度も滅んでたセカイの話。俺のせいで滅んだ世界があったかもしれない。今後そうやって終わる世界があるかもしれない。そう考えただけで、おれ……おかしくなりそうで……」


ぎゅう、と握りしめた手が黄色い衣装の布地に皺を寄せる。ようやく痛みの引いてきた頭で、その言葉を噛み締めるように聞いていたコタンダイオウは、水道の蛇口をひねると腰に回されたヴルトゥームの手を取った。自分の体に触れ、それを真似ることで象られた、五本の指を備えた手。仮にそれが四本でも、六本でも構わなかった。自分の背後にいるそれが、どんな形をしていようと……今の自分には関係なかった。自分の覚悟は、揺らがなかった。


「……同じだよ。何度だって同じこと言う。そんなこと絶対にない。俺たちが起こさせないし、お前だって起こさない」

「!? そん……な、こと。どうして言えるんだよ。今日だってこんなに危うかったんだ、仲間を危険に晒して、お前にも嫌な思いさせて。なのに……」

「信じることでしか、生きられないからだ。
届きたい理想も、叶えたい夢も、二度と繰り返したくない過ちも。そうなりたい、そうなりたくない、なる、ならない様々あるが。どれも強く強く心に誓って、心から信じることでしか実現できないからだ」

「…………。」

「自分ひとりが一所懸命に念じたって、世界は動かないかも知れない。でも少なくとも自分自身は、信じることで変えられる。誓って動くことで変わる。俺はそう信じる。
目を合わせれば七人死ぬ、闇を司る魔王と呼ばれ。悪の権化と噂されて、その『役割』を押し付けられたって。俺自身が願えば変わる。光のほうへを歩むことができる。誰もがなりたいように成れると、信仰しんじている。

だから……お前にも同じことを言う。お前の不安はお前にしか晴らせないし、お前の悩みはお前にしか分からない。分かってほしいと思うことも、勇気を出して打ち明けることも、お前が信じて動くことでしか実現しない。そういう意味じゃさっきのお前は……百点満点なんじゃないのか」


話が仰々しくなるのは、いつもの悪い癖だな。腹部できつく布を握りしめる手に、分厚い掌を覆い被らせる。ゆっくりと骨ばった甲をさすり、五指に指先を絡めた。ふう、と大きく吐き出される吐息で背中が熱くなるのを感じる。無音で手をつなぐ数秒が、まるで永遠のように思えた。


「……そろそろ引き上げの時間だ。俺も楽屋戻って荷物取ってこないと。そういやお前、舞台裏にポーチ忘れてたぞ。持ってこようか?」

「大丈夫、自分で行く。おかげさまで動けるようになったし」

「ハハハ、いいって。また何かあったら言えよ、個人じゃなくてグループチャットでも。あと、ピーには変に謝ったりすんな。あれぐらい日常茶飯事だって、そのうち分かるようになるさ」

「……すっげ。ひょっとしてエスパー? はいはい、じゃあこれは消してっと」


壁掛けの時計を見上げ、現在時刻を把握したコタンダイオウが、ぱっと手を打ってリーダーらしく仕切り始める。入口に放り出したカバンを拾う背中越しに、ふいに話の矛先を向けられたヴルトゥームは、相変わらず鋭い観察眼に舌を巻きつつ……片手に持ったスマホに打ち込んでいた「さっきはごめん」の一文を削除した。

よいしょと重い腰を上げ、扉の鍵を開けて外に顔を出す。もじゃもじゃの前髪の隙間から、点々と灯りがともる廊下を覗き込んだ瞬間、その細めた視界いっぱいにオレンジ色が広がった。


「ゴズ兄ぃ───! トゥームさぁーん!!」


甲高い泣き声が静寂を裂き、二又に分かれたパーカーの袖から延びる四本の腕が、先に廊下へ踏み出したコタンダイオウ、続いて一歩進んだヴルトゥームに襲い掛かる。追い出された後も素直に引き下がれなかったピーフェートが、やきもきしながら二人を待っていたのだ。


「うえええ、トゥームさんや……いつものトゥームさんやぁ……
よかったあ……ふだりども、よがっだあ……」

「ピー!? 大丈夫だって言ったろ。ずっと外で待ってたのか? 心配かけてごめんな」

「えー、人には謝るなって言っといて自分は謝るのかよ!? 迷惑かけ倒した俺の立つ瀬がないんですけど!」

「ふへぇ……トゥームさんごめんなぁ……トゥームさん苦しそうやったのに、怖がってごめんなぁ」

「ヒャアー、あんたまで謝んないでよ! ますます立場がないでしょ……ってこれ忘れてたポーチ! ヤダもう、ピュアピュアなうえに気まで利くんだからこの子!」


涙にもつれた前髪を梳いて、優しい声音で呼びかけるコタンダイオウ。抜け駆けじみたその台詞に呆れたように、また片手に菫色のポーチを握りしめて泣きじゃくるピーフェートにお手上げだと笑い、ヴルトゥームはコタンダイオウと挟み込むかたちでピーフェートを抱き上げた。安堵でぐしょぐしょになった顔を擦りつけ、四つの細腕で力いっぱいしがみつく黄金色の頭を撫でる。

他者を害さずに生きられない自分。すでに終わった世界から、終わった後に落ちてきた、どうしようもなく終わった自分。そう自らを否定的に捉えていた彼にも、ひとつだけ胸を張って言えることが、今この瞬間に生まれた。


自分が生きているこの「今」は、これまで見てきたどの「千年ゆめ」よりも。この東京のどこかで父祖が見ている、どの「過去ゆめ」よりも幸福で───何にも替えがたい、大切なものだということ。

そしてそれを守るためなら、自分はどんな事もできるし、何にだって成れる。そう信じて、誓って、動くことができるだろうということ。


(完)
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