【雪景色】
「おお・・・!スゲェな、こりゃあ・・・・!」
畑に到着してトラクターのエンジンを止め、そこから降りようとして悟空は眼前に広がった光景に感嘆の声を上げた。
切り立った崖の上の平地は悟空の畑を呑み込んでなおも彼方まで白い世界が続き、それが太陽を浴びて、一面はまるでダイヤモンドを敷き詰めたような光沢を放っている。
うっかりおとぎ話の世界に迷い込んでしまったのかと錯覚するほどの幻惑的な景色を見渡した悟空は、胸に込み上げてきた切なさを伴う熱に、咽喉の奥から感動の塊を吐き出した。
次いで、片恋だった過去にも両想いとなった今でも切なく溜め息を洩らす自分にくすりと笑うと、美の要素だけで構成されたような清々しい空気を胸郭いっぱいに吸い込んだ。
ダイヤモンドの破片を含んだような冷たい空気は肺を満たすだけではなく、心まで洗ってくれる。
世界はこんなにも美しかったのか。
今日ほど己が守ってきた地球を美しいと思ったことはない。
これまで悟空が見てきた景色の中で、眼前に広がっている今の光景が一番美しい。
しかも、この絶景の下では、食物連鎖の最下層に位置するか弱い草花ですら己が生きる術を懸命に模索しているのかと思うと、この世の生きとし生きるもののすべての命が愛おしく思えてくる。
きっと、目覚めた悟飯が部屋の窓から今日の雪景色を目の当たりにしても、今の悟空と同じものを感じてくれることだろう。
愛おしさ。
昨夜の悟空が初めて知った感情を、すでに悟飯は知っていたのだろうか。
妻のチチにすら悟空が抱いたことがなかった、あの感傷的な心の動きを。
心の奥底から湧き上がって体の外にまで染み出す、あの情感を。
愛される以上に幸福感を与えてくれるあの心情が、大地を抱く雪のように昨夜の悟飯を包み込んだのを。
悟空が野菜の上に積もった雪を払ってやると、濃い緑色の葉が、ようやく息をつける喜びに勢いよく雪の下から飛び出しては体を震わせる。
まるで、悟空の想いを受け取った喜びに敏感に震えた悟飯のように。
悟空の手の中に残る悟飯の躰の震えは、初めての経験への恐怖と怯えからだけではないのを悟空は知っていた。
その悟飯の『初めて』を痛いだけの思い出にしたくなくて、悟空の持っているありったけの切り札をぜんぶ使い切って奉仕した。
だが、切り札の中には悟空自身も経験の及ばない、効果の未知数なものもあった。
これまでの人生でチチとしか交渉を持った経験のない悟空には、同性への口腔での奉仕が初心者なのは当然。
それでも同じ男なのだからツボは心得ている筈、と思いつく限りの方法を試みてみたのだが、悟空にも意外なことに、あの行為に対して不思議と抵抗感はなかった。
しかも、口内に独特な苦味が広がった瞬間に感じたのは嫌悪感などではなく、己がとてつもない偉業を成し遂げた覇者になったような達成感と幸福感だった。
悟空が勝利に陶酔する直前の悟飯は、『離して』との必死の訴えに応じない悟空への戸惑いと、悟空の口内での放出への躊躇と嫌悪と、それらに遮られてなおも抑え切れないほどに昇りゆく快感への抗いと、幾つもの波が同時に押し寄せる苦しみに涙を流していた。
その涙と苦悶の表情に悟空の中の得体の知れない何かがぞわりと蠢き、愛おしいと思う一方で、乱暴な衝動に突き動かされて悟飯が達するまで許さなかった。
それだけではない。
自身の中で荒れ狂う快感を堪える為に自分の指を噛んだ、悟飯のあの仕草。
汚れを知らない悟飯の処女性を象徴したあの動作に、悟空は初々しさと清純さと、それらを裏切る真逆のエロティシズムを感じて物狂おしくなり、気付けば必要以上に白い躰に所有の印を刻んでしまっていた。
そして極め付けが、ぬるついた女の体内とは似て非なる悟飯の中だった。
柔らかく悟空を包み込んだ肉の感触は想像以上・・・いや、想像したことはないが、想像もつかない質感だった。
「・・・ん?・・・わっ、ちょ、ちょっと、たんまっ!」
急激な体の変化に驚いた悟空は、雪を払う手を止めて焦ったように地団駄を踏んだ。
まさか、昨夜の今朝でこんなになってしまうなどとは、それこそ想像の範囲外だ。
もともと交渉に対して淡白とまではいかないが、それほど貪欲だったわけでもなく、その時の雰囲気と気分に任せてそれなりにあれば良い、程度に感じていた。
しかも、一度満足すれば、それから暫くは間が空いても何ら苦痛ではなかった。
だからこそ、結婚して間もなくして悟飯を授かったものの、チチが悟天を身籠るまで9年もの間が空いたのだった。
今回とて例外ではなく、悟飯の傷が癒えるまで忍耐を必要とせずとも待てるのは当然、と思っていた。
それなのに。
「参ったな・・・。こんな筈じゃなかったんだけどな・・・」
昨夜の悟飯を思い出すと、ますます下半身にパワーが漲ってくる。
このパワーを畑仕事に転じれば、予定よりも遥かに早く終えられそうに思えて、仕事に専念すべく目の前の作業に集中した。
・・・のだが。
「だからっ・・・!ダメだってばっ!悟飯はおめぇのせいで怪我したんだぞ!悟飯の傷が治るまでは、我慢しろ・・・!」
宥めても諌めても、血の継った息子と違って悟空の下半身の『ムスコ』は聞き分けが悪く、一向に機嫌を直してくれそうにない。
どうやら『コイツ』は、昨夜のたった一回の出来事で、すっかり悟飯の味を占めてしまったらしい。
こうなったら致し方ない、悟飯の傷が治ったら即座に・・・。
ちょっと待てよ・・・悟飯の傷はいつ頃治るのだろうか。
一週間も待てば十分か。
いや、一週間なんて待てそうもない、いくら何でも長過ぎる。
ならば、6日・・・無理だ、それまで『コイツ』が大人しくしているとは思えない。
5日・・・4日・・・。
なんてこった、それでは悟飯は、古傷が完治した直後に新たな傷を負ってしまうことになるではないか。
だが、昨夜の今朝でもう悟飯が欲しくなっているのを考えると、気の毒だがここは悟飯には堪えて貰うしかない。
悟飯が欲しい―?
雪を払っていた手を顎に当て、ふと悟空は考え込んだ。
そう、悟飯が欲しいのだ。
こんなにも。
かつて今まで、こんなことがあっただろうか―?
・・・いや、なかった。
世俗的な欲とは無縁だった悟空には、自ら何かを欲した経験も物質的な何かを求めた記憶もなかった。
それは恋愛に於いても同じで、チチとはその場の成り行きで結婚し、チチの懐妊、出産の経緯を経るうちにチチに対して情が沸いてきた。
何の努力なくしてチチとの結婚に至った、とピッコロが言及した通り、悟空は意中の異性を射止める為の苦労を知らない。
それが、生まれて初めて自ら求めて行動した。
恋愛経験の乏しさ故にアプローチの拙い悟空と、これまた恋愛経験値がなく寄せられる好意に疎い悟飯とでは進展が捗らず、思いがけない苦戦を強いられたのだが。
その苦労の甲斐あって手に入れた悟飯に対して、労せずして手に入ったチチとは違った感情が芽生えたのだと仮定しても、それほど奇異なことでもないように思える。
そう、これまで感じたこともないような欲望を悟飯に抱いたとしても。
ここまで思いを巡らせた途端に今まで知らなかった様々な欲望が一気に押し寄せてきたような気がして、悟空は大きく身震いをした。
めでたく両想いになったは良いが、どうやら新たな問題が勃発したようだった。
「おかしいな・・・。そんなにガツガツしてる方じゃなかったんだけどな」
そちらの方面の悟空の欲求が一般的な地球人と比べて多いのか少ないかの議論はともかくとして、強大無比な食欲と比べたら可愛いレベルのものだった筈だ。
それなのに。
大事にしなければならないとわかっているのに、悟飯を大事に想う心理を嘲笑うように体の奥底から湧き上がる情動。
少なくとも今日と明日くらいは我慢しなければならないのは心得ているが、その我慢が明後日まで続くかどうかは保証がない。
「悟飯、早く傷治せよ・・・」
悟飯でなければどうにも収まりがつきそうにない自分自身への困惑に、晴れ渡った青空を降り仰いで祈るように呟いた悟空が佇む雪景色には、悟空ただひとりの足跡だけが残されていた。
END
ここまでお読み戴きありがとうございました。