【朝の朝食風景】


ダイニングキッチンから漂う香ばしい匂いにつられて眼を覚ました悟空は、ベッドに半身を起こすと大きく伸びをした。

「ふぁ~あ」

ついでにひとつ大きなあくびを洩らして、のろのろと動き出す。
リビングを兼ねたダイニングキッチンからはTVの報道と、テーブルに食器を並べる音と、子供の明るい声が聞こえてくる。
今すぐにでも美味しそうな料理が用意された食卓に飛び込みたいくらいなのだが、あいにく孫家にはパジャマのままで朝食をとる習慣がない。
仕方なしに大きな声で鳴く腹の虫を宥めつつ用を済ませて、上はアンダーシャツに下は道着のズボンというラフないでたちでダイニングキッチンに赴くと、ちょうど悟飯が空いたグラスに飲み物を注いでいるところだった。

「お父さん、おはようございます」

「おはよう、お父さん」

「ああ、おはよう」

可愛い子供達の元気な挨拶に応えると、ふたりとも嬉しそうにはにかんだ笑顔を見せる。
TVから流れるローカルニュースの天気予報に耳を傾けながら椅子に腰掛けると、テーブルの中央には大きな骨付き肉がでん!と存在を主張していた。
食欲をそそるその匂いに、7年振りに味わう妻の手料理が待ち切れなくなってきてしまう。

「どうぞ」

と、そこへ、テーブルを半周して来た悟飯が、悟空の眼の前のグラスに牛乳を注ぎ始めた。

「あれっ!?牛乳!?」

紙パックからグラスの中へと溢れてゆく液体に、てっきり悟飯が水を注いでくれるもの思っていた悟空は驚きに眼を丸くした。
一般家庭の朝食時に牛乳など珍しくも何ともないが、これまで孫家では食事時の飲み物は水と昔から相場が決まっていたのだ、悟空が驚くのも無理はなかった。

「ああ」

悟空の驚きの理由に思い当たった悟飯は、グラスに牛乳を注ぐ手を止めると、にこやかに悟空へと振り返る。

「悟天が生まれてから、朝は牛乳を飲むようになったんですよ」

だからお父さんが知らなくても無理はありませんね、と続く言葉を呑み込んで、悟飯はもう一度にこりと微笑んだ。
どうやら悟空亡き後、新たな家族が加わっただけでなく、新しい習慣も増えたらしい。
悟空が不在だった7年間に変わったことは、他にもまだまだありそうだった。
悟飯の成長も、そのひとつだ。
7年の間に縦にばかり伸びたようで、スラリとした今の悟飯の肢体には昔の面影がないが、子供の頃の悟飯は鍛えられて筋肉質だっただけでなく、どこかムッチリ感があった。
昔はあのムッチリ感が可愛かったのだが、無駄な肉を感じさせない今の悟飯も、悪くはない。
唯一昔から変わらないのは日焼けを知らない肌の色で、グラスに牛乳を注ぐ為に前に傾けられた頭から続く白いうなじに、悟空は眼を奪われた。

「真っ白だな」

率直な感想を洩らすと、悟飯は驚きに手を止める。
しまった、声に出したのはまずかったかな。

「コーヒー牛乳とか、フルーツ牛乳の方が良かったですか?」

・・・どうやら悟飯は、悟空が洩らしたのは牛乳への不満だと踏んだらしい。

「そういうわけじゃねぇよ。白くてうまそうだ、って思っただけだ」

と白いうなじに応えると、悟空の視線に気付かない悟飯は安堵して作業を再開させる。
その悟飯の引き締まった尻が、悟空の手の届く距離に見えた。
吸い寄せられるように悟空は手を伸ばしかけてはたと我に返り、放浪を始めた自分の手を膝に呼び戻した。

(いきなり尻触るんは、やっぱ、まずいんかな・・・)

いくら周囲から『天然』の烙印を押された悟空でも、そのくらいの判別はつくし、自制心もある。
いいさ、チャンスはまたある、今日のところは止めておこう。
と、グラスに牛乳を注ぎ終えてテーブルの中央に紙パックを戻す悟飯のうなじが、悟空の目線の先を動いた。

「かぶりつきたくなっちまうな」

眼を覚ました食欲とは違う欲を、悟空はおどけた口調で言葉にしてみせる。

「いいですよ、どうぞ」

嫌悪感も不審感も表さずに悟飯が破顔して応え、その言葉の意味に悟空の心臓が痛いほど跳ね上がった。
こんなに心臓が痛んだのは、ウィルス性の心臓病に罹って以来だ。

(そんなことして、本当にいいんか!?)

ごくり、と大きく咽喉を上下させると、腹の虫を押さえて『自慢のムスコ』がファイティングポーズを取る構えを見せ始める。
こらこら、朝っぱらから。

「美味しそうでしょう?」

と悟空の横で悟飯が、悟空の自制心を無視して更に悟空の欲を煽る。

「ああ。うまそうだ・・・」

いいのか、朝からこんな不謹慎な会話をして。
しかも、子供の悟天の居る前で。
こんなにきわどい会話なのに、大人の悟空はドギマギして、高校生の悟飯は落ち着き払っている。
ム、こういう駆け引きに、悟飯は慣れているのだろうか。

「好きなだけ、かぶりついて下さい」

「・・・本当に、いいんだな?」

覚悟を決め込んだかのような悟飯に、思わず声が低くなってしまう。
こんな日が来るなんて。

「はい。僕達、朝からお肉は食べませんから」

「・・・へ・・・?」

何のことだ。

「豪勢でしょう?今日の朝食は、お母さんがお父さんの為に用意した、特別メニューなんです。だから、お父さんが好きなだけかぶりついて良いんですよ」

(・・・そっちか!?)

確かにこの肉の匂いにつられて起床したのは事実だが、悟空が美味しそうに思えるものは何も食物ばかりとは限らない。
一応、悟空も男なのだからして。
それを、果たして悟飯は理解しているのだろうか。
どうも悟飯と会話が噛み合わないと感じた悟空だが、この時はまだ、同じ現象に後々まで苦労させられる羽目に陥るとは夢にも思っていなかった。

「悟空さ、おら、悟空さの為に頑張って腕を振るっただよ。さぁ、冷めねぇうちに腹いっぺぇ食ってけれ」

湯気の立つ新たな料理を手にチチがテンションの高い声でダイニングキッチンに姿を現すと、大きな皿から立ち上る胡麻油の香りが、忘れかけていた食欲を悟空に思い出させる。
だが悟空の瞳は、悟空の眼前に山盛りの料理を置くチチにその場を譲って自席に戻る悟飯の姿を追っていた。
あの尻に触れてみたい、と思いながら。
まあ、今日のところは悟飯に触れるのは諦めるとして、代わりにチチの死角からさりげなく丸い尻を掴んでみる。

「悟空さっ!!」

途端に、怒声と共にチチのゲンコツが飛んできた。

「痛ぇ~!!」

「当たり前だっ!!子供達の前で何てことするだっ!!」

「何だよ、いいじゃねぇかよ、尻くれぇ」

「良かぁねぇ!」

「・・・子供達の前じゃなかったら、良かったんか?」

「ばっ・・・!・・・そういう問題じゃねぇ!」

「お父さんのスケベ!」

「こ、こら、悟天・・・!」

自分の妻に触れて何が悪い、とまるで悪びれない悟空と。

顔を真っ赤にして怒るチチと。

厳しくも優しい父親のイメージと、日常生活に戻った悟空とのギャップに驚く悟天と。

7年前まではなかった突拍子もない悟空の行動に呆気に捉われながらも、弟を窘める悟飯と。

初めて4人が揃った孫家の朝の食卓は、なかなかに騒々しい。

でも、この風景はきっと、明日も同じ。

これからはきっと、毎日同じ朝がやってくる。







END

ここまでお読み戴きありがとうございました。
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