【ゆらゆら】

今回だけではない。
悟飯が、いや、この親子が絡むと不測の事態がたびたび起こる。
そのつど感情が揺さぶられ、振り回されるのは不本意極まりないが、ベジータにも意外なことに悟飯の存在そのものは不快ではなかった。
むしろ、失いたくないとすら思っている。
あんなに憎かった男の息子だというのに。

「・・・あれ?・・・ここは・・・?」

「悟飯!!!」

「悟飯さん!!!」

「お兄ちゃん!!!」

やがて完全に毒が消えたのか、意識を取り戻した悟飯は上体を起こすと不思議そうに辺りを見回した。
途端に天界に湧き上がった歓声に、ミスターポポが目を白黒させている。

「うえ~ん!!お兄ちゃ~ん!!よかったぁ~!!」

「・・・えー・・・と・・・?」

状況が飲み込めないうちに大泣きしている悟天に首根っこに齧り付く形で抱きつかれた悟飯は、困り顔で周囲に説明を求めた。
最後の記憶は海の中だったのに、どうして今自分は天界にいるのか、なぜ悟飯の目覚めを皆が歓喜しているのか。
目覚めたばかりで記憶が曖昧な悟飯には、不可解なことばかりだった。

「お前は猛毒のクラゲに刺されて溺れたんだ。覚えていないか?」

「あ・・・!」

安堵に頬を緩めたピッコロに説かれると、ようやく悟飯は前後の記憶を取り戻した。

「そうだった。ピッコロさんと別れたあと、島の木にとまっていた珍しい鳥にみとれてたら、うっかりクラゲの触手に触ちゃって・・・。僕、それから溺れちゃってたんですね。水中から海面を見上げてたのは覚えているんですけど・・・。」

つらつらと話しながら、悟飯は最後に見た情景を思い出していた。
自然を神と崇めた古代人の心理が理解できるほどに美しかった光景。
それらを堪能する間もなく徐々に麻痺して動かなくなっていった脚。
視界から遠ざかっていった水面。
麻痺していたせいなのか、呼吸ができずに苦しいという感覚さえなかった。
だから、自分が溺れているのもわからなかったのだ。
それなのに今ここにいるということは、誰かが溺れている悟飯を助けてくれたに違いない。
いったい誰が?
うっすらと脳裏に誰かの逞しい胸に抱かれた記憶の断片が残っているような気もするのだが―

「お父さんが溺れてるお兄ちゃんを見つけて、天界まで連れて来てくれたんだよ。それで、デンデさんがお兄ちゃんを助けてくれたんだ」

悟飯の頭の中に沸き上がった疑問は、泣いている悟天が即座に解消してくれた。
その内容に悟飯は小さく息を呑む。
またしてもデンデが悟飯を助けてくれたのだ。
ことあるごとに悟飯を救ってくれた、勇敢で賢い、心優しき親友が。
デンデは悟飯が瀕死の重体に陥るたびに、いつも真心を尽くしてくれた。
これが感謝せずにいられるだろうか。
その思いに駆られた悟飯がいずまいを正そうとした時だった。
いきなり目の前で悟空が地面に両手をついてデンデに深々と頭を垂れ、その場にいた者達はもれなく驚愕に目を見張った。

「悟飯を助けてくれて、ありがとう。オメェがいなかったら、悟飯は助からなかった」

「いえ、そんな・・・!僕はとうぜんのことをしただけですよ!」

平身低頭で礼を述べる悟空の恭しさに度肝を抜かれたデンデは、言葉を放つと同時に体の前で何度も両手を左右に振って応えた。
焦ったようなその様子に、悟空らしからぬ行動に完全に気圧されたデンデの動揺が顕著に表れている。
同じく驚愕のあまりに悟空から出遅れた悟飯も、すっかり恐縮してしまった親友に礼を言うべく姿勢を正した。

「僕からもお礼を言わせて。ありがとう、デンデ。いつも助けてもらってばかりで悪いね。でも、デンデがいてくれてよかった」

「正直なところ、今回ばかりは僕にも自信がなかったんです。何しろ怪我の治癒は得意なのですが、生物毒の治療は経験がなかったものですから。でも、悟飯さんのお役に立てて僕も嬉しいです」

悟飯からの礼に、今度こそデンデは嬉しそうに破顔した。
その頬が純朴な少年らしく赤く染まっている様は、自然と見ている者の笑みを誘う。
誰しもが謙虚で素直なデンデへの好感が度を増したのを自覚した一幕でもあった。

「よくやった、デンデ。やはりお前は龍族としても優秀だな」

さらにはピッコロからの労いがデンデの喜びに拍車をかけた。
デンデと向き合った時のピッコロの言葉にはピッコロの中のネイルの意思も含まれていて、今回の件で、ピッコロのみならずネイルもデンデの能力を認めてくれたのだという事実がデンデには嬉しかった。

「僕だけの力ではありません。おふたりの力添えがあってからこそ成功したんです。僕の方こそ、おふたりには感謝しています」

「えっ!?お父さんとピッコロさんも僕を助けてくれたんですか!?」

「そうだよ。僕達が天界に着いた時にはお父さんがお兄ちゃんに気を送っていて、ピッコロさんはデンデさんの手助けをしていたんだよ」

「3人とも、すっげぇ真剣だったよな。悟飯さんの命がかかってたんだから当たり前なんだけど」

「・・・そうだったんですか。お父さんもピッコロさんも、ありがとうございました。・・・その・・・僕知らなくて、すっかりお礼が遅れてすみません」

「何を言う。溺れているお前に気づいてやれなかったんだ、礼を言われる筋合いはない」

「ピッコロの言うとおりだ。オラも、オメェはもう高校生なんだからひとりにしても大丈夫だなんて思い込んで、すっかり油断しちまってた。・・・目ぇ離して悪かったな、悟飯」

思いがけない謝罪の言葉に、悟飯は悟空と視線を合わせたまま一言も発せられなかった。
素直に己の非を認める潔さは良しとしても、この件に関してふたりが責を感じているのが悟飯には意外だった。
とくに、日頃の言動が責任感とは無縁な片方が。

「それに、礼を言わなきゃならねぇ奴がもうひとりいることだしな」

「え・・・?」

悟飯の驚愕にさらに追い打ちをかけた悟空はおもむろに立ち上がると、皆の注視を浴びながら悠然とした足取りでまっすぐベジータのもとへ向かった。
腕組みをして皆より少し離れたところに佇むベジータへと視線を移した悟飯に、横からこっそりトランクスが耳打ちする。

「悟飯さんがいなくなったことにまっさきに気づいたのが、パパなんだ」

これを聞いた悟飯は、頭の中で首を捻った。
悟飯の不在にまっさきにベジータが気づいたことが意外であるような、そうでもないような気がしたからだ。
他者を寄せつけず、他人と馴れ合うのを嫌うベジータだが、その半面、他民族との戦闘経験が多いからか観察力は優れている方だった。
そのベジータが、セル戦が終わってからというものどういった心境の変化からなのか悟飯を気にかけてくれるようになっている。
これらを併せて考えると、悟飯の姿が見えないことにベジータが気づいたとしても、それほど奇異なことではないように思えるのだ。

「サンキュー、ベジータ。悟飯がいなくなったことにオメェが気づいてくれなかったら、今頃は手遅れになってたかも知れねぇ。こうして悟飯がデンデの手当てを受けられたのもオメェのおかげだ、助かったぜ」

「勘違いするな。貴様の為なんかではないぞ。・・・俺はただサイヤ人の王子として、サイヤ人の血を引く者がくだんらん死に方をするのが許せなかっただけだ」

「それでも、オメェが知らせてくれたおかげで悟飯が助かったことに変わりはねぇ。恩に着るぜ」

「ふん!」

相も変わらず悟空への態度が軟化する兆しを見せないベジータだったが、悟空はまるで意に介していなかった。
相手によって接し方を変えない悟空のフラットな対応も依然として変わらずなのだが、却ってそれがベジータの癪に障っているのではないか、と悟飯は時々思っている。
なにせ、ベジータに嫌われているのを承知の上で、まるで古くからの友人のように振る舞うのだから。
それはともかくとして、悟空だけに礼を述べさせるわけにはいかないだろう。
ベジータに命を救われたのは悟空ではなく悟飯なのだ。
悟飯はふらつくことなく立ち上がると、とても先刻まで死にかけていたとは思えないしっかいした足取りでベジータの傍まで歩み寄った。
デンデの治療の成果なのか、絶望感に圧迫された海の中と違って、快調と言ってよいほど体が軽い。
悟飯の動きに合わせてベジータの視線が悟飯に固定されたが、その瞳の表面には悟飯を拒絶する色は浮かんでいなかった。
今ならきっと、誰にも心を開かないベジータも悟飯の礼ならすんなり受け入れてくれることだろう。

「ベジータさん、ありがとうございました」

「・・・リゾート地に赴いてはしゃぐなとは言わんが、気を抜くんじゃない。いつどこに危険がひそんでいるか、わからんのだからな。今回のことで懲りたなら二度と油断はしないことだ。それに、ちゃんとトレーニングはしておけ。猛毒クラゲに刺されたと言っても、自力で浜まで戻って来られなかったのは体がなまっている証拠だ」

「あの時は足が攣っちゃって、必死にもがいてもどうにもならなかったんです。・・・でも、そうですね。これからはもう少し体を動かすことにします。・・・ご迷惑をおかけして、すみませんでした」

「お前を助けることなど迷惑でも何でもない」

「え・・・?」

「謝罪など無用だ」

「・・・わかりました!ありがとうございました!」

悟飯が礼を述べて頭を下げると、ベジータは悟飯の頭頂部に向かって片方の口角を上げた。
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