【ゆらゆら】
「だったら、なおさら早く悟飯を探さないと!悟空、ピッコロ、意識を海中に集中させて悟飯の気を探るんだ!!」
クリリンが的確な指示を飛ばして瞑目すると、残るふたりもすぐさまそれに倣った。
3人が海中を探ると、まず、ゆっくりターンを決めてから目標に向かうように一直線に進む大型の回遊魚が発見できた。
彼の進行方向にあるのは、小魚の大群だろうか。
逃げ惑う小魚達の小さな気まで感じ取れるほど意識を集中させると、ピッコロを驚愕させた猛毒のクラゲが数百匹の大群を成して周辺を取り囲んでいるのが判明した。
そこからさらに意識を下へ下へと沈めてゆくと、海底を歩く甲殻類や、砂に擬態して獲物を待つ魚の気までが感じられる。
その海底に向かってゆっくり沈んでゆく、今にも消えそうなほど小さな気は、悟空達がよく知っているものだった。
「見つけた!!」
叫ぶなり悟空は、自らの額に二本の指を当てたまま大きく息を吸って止め、瞬時に虚空から姿を消した。
残されたピッコロとクリリンの胸中には、安堵よりも危惧と不安が大きく広がっている。
悟飯の姿を拝めるまでは安心できない。
その思いで見守るピッコロとクリリンの目に、海面近くを浮遊する、問題の猛毒クラゲの姿がかすかに垣間見えた。
海の色に溶け込むほど淡い色彩の体から伸びた、まるでフリルのリボンのような長い触手が波間に揺られ、その様は優雅という形容が相応しいほどに美しかった。
これを水族館の水槽から鑑賞できるなら、時が経つのも忘れていつまでも眺めていたいくらいだ。
だが、どれほど姿かたちが美しかろうと、家族や友人がバカンスを楽しむビーチに現れたからには悠長に構えてはいられない。
「ピッコロはこのままここで悟空を待っててくれ。俺はみんなにこのことを知らせて来る」
「ああ。珊瑚礁の付近は安全だと思うが、念の為みんなを避難させておいてくれ」
「わかった」
ピッコロからの依頼を受け、クリリンは返事とほぼ同時に猛スピードで浜へ向かった。
痛いほどの風圧に耐えながら飛行するクリリンが、過去はどうであれ現在では仲間内の軍師であり司令塔の役割を果たすピッコロから頼れるのを内心では誇らしく思っているなどとは露ほども知らず、腕組みをしたピッコロは身動ぎもせずに海中の様子を窺う。
やがて、聴覚の鋭いその耳にクリリンが皆に避難を促す声が聞こえ、ピッコロは被害の拡大を防げたことを知ったのだった。
一方そのころ海底付近では、砂から顔を覗かせて周囲を窺うニシキアナゴのわずか数メートル手前で、悟空は悟飯の体をキャッチしていた。
この時点で悠に数十メートルは落下している。
地球人であればとうに失神していただろうが、悟飯がサイヤ人の血を引いていたことと、生命の危機に瀕した悟飯の防御本能が働いたのが幸いして、辛うじて悟飯は気を完全に失ってはいなかった。
でなければ、溺れた悟飯の気を辿っての救出など、限りなく不可能に近かっただろう。
(悟飯・・・!)
腕に抱えた悟飯の顔は精巧な蝋人形のように青白く、驚愕と恐怖に悟空は危うく口の中に溜めた空気を飲み込んでしまうところだった。
心臓が痛い音を立てるのと同時に体中の血液が一気に下へとさがり、ここが南国の海の中だと忘れてしまうほど水温が冷たく感じて全身に鳥肌が立った。
悟空は悟飯を抱いたままゆっくり着地すると、色を失った唇に迷うことなく己の唇を合わせ、悟飯の肺に空気を送り込んだ。
広がった肺に合わせて胸郭が開くと、悟飯がうっすらと瞳を開ける。
それだけ確認すると悟空はすかさず海底に向かって気砲を放ち、その反動を利用して一気に海面を目指した。
悟空達が浮上していった後には渦が起こり、幾匹もの小魚が巻き込まれて渦の中をぐるぐると回る。
故意に作られた人工の渦に多少の被害が出たものの、それらは一刻の猶予も許されない今の悟空には些末なできごとだった。
「悟空!!悟飯!!」
海上に現れたふたりの姿を認めると、ピッコロが切羽詰まった声でふたりの名を呼んだ。
だが、腕組みを解いたピッコロに対して説明している暇はない。
今や完全に意識を失ってぐったりとした悟飯を抱き、悟空はピッコロに『行くぞ』とだけ声をかけると、レーサーも真っ青な超スピードで浜へ向かう。
悟空がわずか数秒で浜に辿り着けば、嵐のような強風が浜辺に吹き荒れ、海水浴を楽しむ為のアイテムが悉くどこへともなく飛ばされていった。
だが、それらを何ひとつとして気にかける者はなく、ベジータを除く面子が口々に何かを言いながら、砂浜に横たえられた悟飯を取り囲んだ。
「何これ!?・・・ねぇ、何で悟飯さんの脚がこんなになってるの!?」
中でも際立ったのは、悟飯の足もとに駆け寄ったトランクスの一声だった。
自由奔放で怖いもの知らずの彼が珍しく怯んでいる様子に場の緊張がさらに高まり、一旦は視界に収めたはずの悟飯の脚にいくつもの眼が集中した。
そこにあった悟飯の脚は螺旋を描いて毒々しい紫色に変色し、徐々に濃い紫に侵蝕されつつあるもう片方の脚と比べるまでもなく一目瞭然でわかるほど腫れ上がっていた。
「猛毒クラゲの触手が脚に絡みついたんだ」
悟空に遅れて浜に到着したピッコロが、人垣の後ろからそう説明した。
さきのクリリンの話から、どうやら悟飯がクラゲに刺されたらしいと知っていた面々でさえも、ここまで酷い状態は想像すらしていない。
彼らには自然界での事故というよりも、とうてい悪魔の所業としか思えなかった。
「・・・酷ぇよ・・・。こんなの、クラゲに刺されたなんて可愛いものじゃない」
あまりのことに愕然としたクリリンが悲痛な声でそう呟くのも、無理はないだろう。
「どうやら相手が悪かったようだ。・・・どけ、悟空。俺が水を吐かせる」
努めて冷静に返したピッコロは、険しい顔で人の輪を割って悟飯の傍らに膝をつくと、悟飯の顔よりも大きな掌で、生色を失った胸板を圧迫し始めた。
もしも彼の皮膚が人間と同じ肌色をしていたならば、彫りの深い顔面の色は青くなっていたことだろう。
幸いにも悟飯は大して水を飲んでいなかったらしく、ピッコロの手によって少量の水を吐き出すと、意識を失ったまま小さく咳き込んだ。
その様子に、必死に我が子に呼びかける悟空とチチ以外の者が束の間の安堵に胸を撫で下ろしたところに、少し離れた距離から一部始終を傍観していたベジータが問うた。
「水を吐かせたところで安心はできまい。ピッコロ、その猛毒クラゲとやらに刺された人間はどうなるんだ?」
「そんなに心配しなくても大丈夫よ、ベジータ。クラゲの毒には血清があるの。病院で血清を打ってもらえば、なんとかなるわよ」
地球への移住歴が長いといえどもまだまだ知識の浅い夫を安心させようと、気難しい表情のピッコロに代わってブルマが明るい見通しを語って聞かせた。
だが、楽天的とも言えるブルマのこの意見を、あろうことか豊富な知識を持つピッコロが静かに否定した。
「・・・いや、無理だ」
「どういうことだ」
呟くように答えたピッコロの暗い表情が気に食わなかったからなのか、それとも望んだ回答が得られなかったことへの苛立ちからなのか、おおよそ説明を求めるというよりは責めるのを目的としたような刺々しい口調で、ベジータはなおも低く問い質す。
「あのクラゲは捕獲された個体数が少なくて、血清は世界中でもわずかしか作られていないんだ。しかも、これまで南半球にしか生息していないと言われていたクラゲの血清が、この付近の病院に存在すると思うか?」
「・・・可能性は極めて低いわね・・・」
「なんてことだよ・・・。それじゃあ、一番近くの病院にも血清はないってことじゃないか」
「その血清とやらを打たなければどうなるんだ?まさか死ぬわけではあるまい」
会話の内容からどうやら血清が重要な役割を担っているらしい、とおおよその検討はつけども、地球上の生物が持つ毒がどのていどのものなのか、猛毒と呼ばれるレベルがどれほどの脅威なのかを知らないベジータが、絶望感にうちひしがれるクリリンを一瞥してから再びピッコロに問うた。
胸中を過ぎった嫌な予感を完全に払拭してもらうために。
「・・・全身に毒がまわれば、悟飯は死ぬ・・・」
だが、数日間は寝込むが、やがて時間の経過とともに回復するだろうという返答を期待したベジータのささやかな望みは、無情にもピッコロの暗い声によって打ち砕かれてしまった。
このままでは悟飯が死んでしまうなどと、ピッコロ自身も考えたくはなかったのだろう、最後の言葉は傍にいる者でさえも聞き取るのが難しいほど弱々しかった。
そうこうしている間にも悟飯の身体を蝕む紫色は徐々に領土を拡大してゆく。
海水パンツからはみ出すようにじわりじわりと広がるその色は、血の気が引いた悟飯の顔色に相対して異様な不気味さと不吉さをいや増していた。
まるで、見る者の恐怖心を煽るのが目的のように。
「・・・お兄ちゃん、死んじゃうの!?嘘でしょう!?誰か嘘だって言ってよ・・・!」
誰もが押し黙る中で、どんよりとした重い空気を切り裂いて、目の前の現実を受け入れたくないとでも言うように悟飯の幼い弟が涙声で叫んだ。
言葉が先か、涙が先か。
実際に言葉を紡ぐたびに悟天の両目からは大粒の涙が溢れ出していた。
「落ち着けよ、悟天。神龍に頼めば、こんな毒くらい一瞬で治してくれるさ」
気の毒なほど号泣する悟天の肩に手を置き、悟飯の傍らに屈んだクリリンが不安に揺れる瞳を覗き込んで慰める。