今日は帰りたくないと言われたときの反応
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部屋の隅で、テレビの音が小さく、ぼんやりと鳴っていた。
机の上には読みかけのジャンプコミックスが乱雑に積まれ、さっき食べたカップ焼きそばの匂いが、ほんのりと空気に溶けている。
夕暮れの光がまだ放課後の余韻を引きずる部屋で、私はずっと胸の奥にしまっていた言葉を、ようやく口にした。
「……今日は、帰りたくないな」
自分の声が耳に届くのを、少し怖く思いながらも、私は呟いた。
瞬間、桃は顔を上げ、ぱっと笑った。
その笑顔は、まるで夕陽に反射する水面のきらめきのように、軽くて、眩しかった。
「だろ! ワンピースは一度読み出したら止まんねーよな!」
「えっ」
「今日は好きなだけ読んでいけよ! 夜更かし上等!」
親指を立てるその仕草に、私は思わず口をぱくぱくさせる。
まさかの全力勘違いだ。
確かに目の前には、今読んでいるコミックスの続きが何冊も広がっているけれど……それじゃない。
「そ、そうじゃなくて……いや、漫画は面白いけど……」
誤魔化すように言うと、彼は眉をひそめた。
「あ? どうした? 急に元気ねぇじゃん」
やっと、異変に気づいたらしい。
けれど、その鈍さが、少しだけ胸をくすぐる。
「私は、漫画が読みたくて帰りたくないんじゃないの」
「じゃあ、何だよ」
「……分かるでしょ」
「わっかんねーよ」
即答だった。あまりにも、あっさり。
「本当に分かんないの?」
「分かんねぇ。なぁ、ヒントくれよ! 頼む!!」
食い気味に身を乗り出す桃。
その必死な顔を見ていると、少し焦らしてやりたくなるけれど、私の方が先に根負けしてしまった。
「じゃあ、ヒントね」
「おう」
期待に満ちた目を見つめながら、そっと彼の手を取る。
ごつごつとして男らしい手に、自分の指を絡めた。
「……漫画読んでたら、こんなこと出来ないでしょ」
空気が、一瞬止まった。
桃の手は熱くて、私の手がすっぽり隠れてしまうほど大きい。
でも、ちゃんと優しい。
指先を絡めたまま、彼を見上げると、表情がみるみる変わっていく。
最初は、ぽかん。
次に、瞬きを繰り返す。
そして、ゆっくりと頬に朱が差す。
「……まじか」
低く呟いたその声が、わずかに震えている。
「まじ、だよ」
答えた瞬間、彼の喉が小さく鳴った。
何かを悟ったように、長い息を吐き出し、いつになく真面目な顔で私を見つめる。
「……そんな可愛いことされたら、今日はもう帰せねぇな」
間を置いて、照れたように笑う。
「帰せねぇよ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなる。
ようやく伝わったのだ、という安堵と、彼らしい不器用な優しさに、自然と頬が緩んだ。
「それが聞きたかったの」
思わず彼の胸に顔をうずめる。
熱を帯びた体温が、すぐそこに、鼓動と一緒にある。
照れ隠しのように笑う彼の腕が、少しだけ力をこめて私を抱き寄せる。
不器用で、でも真っ直ぐな抱擁。まるで彼そのものだ。
窓の外では、夜風が少し冷たくなってきている。
それでも、私たちの間には、外の寒さなど忘れてしまうほどの温もりがあった。
肩越しに見える漫画の山が、遠く感じられる。
────もう、物語の続きを読む必要はない。
今、この瞬間こそが、いちばん面白いのだから。