第三章 ストーリーテラー
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店主さんは続けた。
「その人にとって、その条件はよほど大事だったんでしょうね。
二代目の店主は子供のころ、ずいぶんと念入りに言い含められたそうですよ。
もし百年後に彼女が写真の姿のままで現れたとしたら、本人ならすでに老婆のはずだなどと余計なことは考えるな、とね。
何でも、二代目はその娘さんの話がとても好きで、ことあるごとにねだったので、その人は、ずいぶんといろいろな話を語り聞かせてくれたそうです。
…そう、ちょうどその暖炉脇の椅子に座って」
私がさっき、ホームズの椅子のようだと思った方を、店主さんは指さした。
もう一度その椅子を見て、そう思った理由がわかった。椅子の上には、当時のものなんだろうか、色あせたイギリスっぽい模様のひざ掛けと、古いけど高そうなパイプが飾ってあった。
この洋館の、明治のころの空気が残っているみたいな雰囲気のせいだろうか。
なんだか、情景が思い浮かぶ気がした。
長い夜、暖炉脇の大きなふかふかのクッションに座った小さな男の子が、目をきらきらさせて話をねだる。
ホームズの時代みたいな古風な安楽椅子に座って、パイプをくゆらせていた男性が、しかたないなと言った顔をして、ぽつり、ぽつりと、昔の恋の話を語り出す…。
「その人は、私…写真の女の子について、他にどんな話をしたんですか?」
店主さんは残念そうに首をふった。
「わかりません…。
二代目は、子どものころから細かく日記をつけていたそうです。特にその娘さんの話はお気に入りで、聞くたびに日記にくわしく書きつけていたのだそうです。
でも、あいにく彼は日清戦争の時に脚気で亡くなってしまいましてね。
それでも彼の日記だけは、当時大阪に住んでいた息子さんが、形見として大事に保管して、確かに昭和の時代までは家に残っていたそうですが…。
その家も、太平洋戦争中に大阪大空襲で焼失してしまいましてね。日記も、家財も、その時に全部焼けてしまいました。
ちょうど南太平洋に出征していたという当時のご主人は、日記をよく読んでいて、内容もよく覚えていたそうですが、ラバウルで部隊が全滅した時に、一緒に戦死なさったそうです。
そのお子さんたちは、疎開していて無事だったのですが、なにしろ当時は生きるのに必死で、日記など読んでいる余裕はなかったとかで。
…だから、二代目がどんな物語を聞かされたのか、今では誰にも知りようがないんです」
店主さんは、そんなふうに、長い長い百何十年間の出来事を、当たり前のようにすらすらっと、まとめて話してくれた。
でも、私は聞いていて、大久保さんの時代から私の今の時代までの、時の隔たりの大きさに、めまいがするような気分になった。
日清戦争に太平洋戦争…大阪大空襲にラバウル…なんだか知らない名前がいっぱい出て来て、よくわかんなかったけど…。
この店や、この店にかかわった人たちが、通り抜けてきたもの、過ごしてきた年月は、決して平和で順調なものではなかったことはわかった。
「その人にとって、その条件はよほど大事だったんでしょうね。
二代目の店主は子供のころ、ずいぶんと念入りに言い含められたそうですよ。
もし百年後に彼女が写真の姿のままで現れたとしたら、本人ならすでに老婆のはずだなどと余計なことは考えるな、とね。
何でも、二代目はその娘さんの話がとても好きで、ことあるごとにねだったので、その人は、ずいぶんといろいろな話を語り聞かせてくれたそうです。
…そう、ちょうどその暖炉脇の椅子に座って」
私がさっき、ホームズの椅子のようだと思った方を、店主さんは指さした。
もう一度その椅子を見て、そう思った理由がわかった。椅子の上には、当時のものなんだろうか、色あせたイギリスっぽい模様のひざ掛けと、古いけど高そうなパイプが飾ってあった。
この洋館の、明治のころの空気が残っているみたいな雰囲気のせいだろうか。
なんだか、情景が思い浮かぶ気がした。
長い夜、暖炉脇の大きなふかふかのクッションに座った小さな男の子が、目をきらきらさせて話をねだる。
ホームズの時代みたいな古風な安楽椅子に座って、パイプをくゆらせていた男性が、しかたないなと言った顔をして、ぽつり、ぽつりと、昔の恋の話を語り出す…。
「その人は、私…写真の女の子について、他にどんな話をしたんですか?」
店主さんは残念そうに首をふった。
「わかりません…。
二代目は、子どものころから細かく日記をつけていたそうです。特にその娘さんの話はお気に入りで、聞くたびに日記にくわしく書きつけていたのだそうです。
でも、あいにく彼は日清戦争の時に脚気で亡くなってしまいましてね。
それでも彼の日記だけは、当時大阪に住んでいた息子さんが、形見として大事に保管して、確かに昭和の時代までは家に残っていたそうですが…。
その家も、太平洋戦争中に大阪大空襲で焼失してしまいましてね。日記も、家財も、その時に全部焼けてしまいました。
ちょうど南太平洋に出征していたという当時のご主人は、日記をよく読んでいて、内容もよく覚えていたそうですが、ラバウルで部隊が全滅した時に、一緒に戦死なさったそうです。
そのお子さんたちは、疎開していて無事だったのですが、なにしろ当時は生きるのに必死で、日記など読んでいる余裕はなかったとかで。
…だから、二代目がどんな物語を聞かされたのか、今では誰にも知りようがないんです」
店主さんは、そんなふうに、長い長い百何十年間の出来事を、当たり前のようにすらすらっと、まとめて話してくれた。
でも、私は聞いていて、大久保さんの時代から私の今の時代までの、時の隔たりの大きさに、めまいがするような気分になった。
日清戦争に太平洋戦争…大阪大空襲にラバウル…なんだか知らない名前がいっぱい出て来て、よくわかんなかったけど…。
この店や、この店にかかわった人たちが、通り抜けてきたもの、過ごしてきた年月は、決して平和で順調なものではなかったことはわかった。