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七月の季節

【棚ぼた話】
 始まったのは三週間ほど前からのことでした――。

 世俗のことにあまり興味のないわたしはウェブニュースにさえ目を通すことがなく、スマホを開いてもゲームしかしない自他ともに認めるソシャゲ依存の喪女。
 朝、急ぐわけでもなく、いつもと同じ時間にソシャゲの体力を消費しながら、いつもと同じ道で駅へ歩いて向かっていると……目の前に植木鉢が落ちてきた。

 靴に土がかかりそうなほどな距離で割れた植木鉢は騒がしい朝の喧騒の中でも大きな音をたてまします。
 一体、自分の身に何が起きたのか理解するのには時間がかかりました。空を、植木鉢が降ってきた方向を見上げると、そこでは一切見覚えのないイケメンが手を振っているではないですか。

 イケメンはとてもさわやかな声で「おはようございます」と言って笑う。
 わたしは軽く会釈すると、それが夢であったかのように、何もなかったかのように仕事に向かいました。

 それから2、3日に一度は上から植木鉢が落ちてきて、イケメンと挨拶を交わすという日常が始まったわけで。
 命の危険を感じないわけではないです。けれど、絶妙な距離で堕とされる植木鉢になにかしらの駆け引きというものを感じている自分がいるのです。
 断じて、イケメンと挨拶をかわせるからという欲望で時間と道を変えることをしなかったというわけではないと主張しておきます。

 今まではすべて平日だったので、休日に通ってみたらどうなるのかを確かめたくなりました。
 いつもと同じ時間に同じように同じ道を通る。システム的というような表現が一番正確なように、植木鉢が降ってきて、見上げればイケメンが手を振っています。

「あの、なんでこんなことをしているんですか??」
 初めて挨拶以外の言葉を交わしてみました。
 イケメンからの解凍は非常にシンプルで『お金になるんだよ』ということです。
 戸惑っていると『テレビ見ないの?? 君もやってみるといいのに』というとイケメンは消えていきました。

 帰り道にスマホから目を離して、よくよく周りを見回すとあの場所以外にも植木鉢が落ちたような跡が残っている。
 イケメンがテレビは見ないのかと言っていたので、テレビを付けてみるとワイドショーが流れ始めました。するとコメンテーターたちが楽し気に視聴者から投稿された植木鉢を落とす動画を見ながら話をしていました。

 その動画では落として割れた植木鉢の中から大粒の金の塊が転がりだして、下で待っていた友人らしき人物が大喜びしている。

 解説を聞いていると、長期間放置されていた植木鉢を高いところから落とすとあの動画のように、金の塊が出てくることがあるらしく、一種のブームになっているそうです。

 テレビを付けたままわたしはベランダに出ました。
「この中に金の塊が」
 片手サイズのそこにかつて生えていた植物が思い出せないほど、枯れて汚れがこびりついた植木鉢を見下ろす。

「次のイベント、推しキャラのSSRが来そうなんだよね……」

 これが魔が差すというのでしょう。休日の道路に人影など一切なく、わたしの脳裏には『お金になるんだよ』という声が響くのです。

 わたしは植木鉢を持った手をベランダの外に突き出すと一本ずつ指を離していく。最後の一本になったとき、背後のテレビから「しかし、この一獲千金を狙ったブームからすでに200人を超える死傷者が出ているというのは大きな問題ですよ」という言葉が聞こえます。でも、もう手遅れでした。

 片手サイズとはいえ、それなりに重さのある陶器の植木鉢。無情にもニューと運の法則にしたがう植木鉢は数秒後に鈍くも甲高い音を立ててはじけます。

 テレビからは先ほどのコメンテーターが「政府はもっと対策を立てて禁止にすべきだ」という声はまるでわたしに言っているようでした。 
 音を聞く限り、人にあたったということはないと思いましたが、下を除くのには勇気がいり、もう見ないでおこうかとも迷いました。でも、悲鳴が、女性の悲鳴が響いてきたのです――。

 血の気が引いていくのを感じながら、ゆっくりと下を除くとわたしが落とした植木鉢の中から金の粒が水のように溢れ出していました。
 叫び声を聞いたからか、次第に人が集まってきて、我先にとその金を拾っていきます。

 わたしは茫然とそれをながめることしかできなかったのですが、その騒ぎを聞きつけ、他の階の人や向かいのアパートの人達も顔を出してきました。

 眩しいほどの金色の海で歓喜の声をあげる人々。そこに突然鈍い音が響きます。初めは一つだったその音は次第に増えていく。
 周囲をみると、人々は手に手に植木鉢を持っては下で金を集めていく人達に叩きつけるのです。

 ついさきほどまで眩しかった金の海はすぐに赤い色へと変わっていきました。

 気が付けば警察や救急隊員、報道車も集まって、わたしは自分のやってしまったことに恐れ、動けなくなります。けれど、わたしがしたことといえば植木鉢を落としただけです。それに誰かがあたったわけでもなければ、誰かを傷付けてもいないのです。

 外の喧騒が止まないなかで、インターホンが鳴り響きます。容易に玄関の外にいる警察官の姿が想像できたわたしは動けずにいました。
 再びインターホンが鳴り響きます。吐き気さえ覚えるような感覚でゆっくりと玄関をあけます。
 予想に反して意外な人物がそこには立っていました。

 あの植木鉢を落としてくるイケメンです。
『すごいことになりましたね』
 彼はニコニコとしながらも、どうでも良さそうな口調でそういい、懐から封筒を取り出してわたしに差し出してきます。

 何も言わずにただ、笑顔を絶やさないその顔を見ながらそっと渡された封筒を開くと中には3万円ほどの現金が入っていました。
『癖になるよね』
 楽し気に彼はそういうとジャンバーをひるがえして、廊下を去っていく。

 その背中には大きくどこかで見たロゴが入っていました。

 玄関に立ち尽くしたままテレビに目をやるとワイドショーは変わらずに金の出る植木鉢の話題で盛り上がっています。
「……1つで3万円」
 そんなわたしの目に映っていたのは、ベランダに放置している10個以上の植木鉢でした。
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