七月の季節
【鬼貝】
ボクの祖父の家は山奥にあって、近くには綺麗な滝がある――。
ここを訪れるのは何年ぶりになるだろうか。小学生の頃は毎年来ていたが、会社に入ってから訪れるのは初めてじゃないだろうか。お陰様で祖父も祖母もとても元気で、久々に来たボクを山で採ってきたという新鮮な山菜料理でもてなしてくれるくらいだった。
有休消化も兼ねてきたので、四泊五日という小旅行気分で遊びに来たのだが予想外なことにこの村の大半はスマホが圏外で二日目にしてやることがなくなってしまう。そんなボクを見かねて祖父が釣りに誘ってくれた。子供の頃には連れて行って貰えなかった滝のある川だ。
釣竿を持って歩いていると制服の警官とすれ違った。祖父は仲が良さそうに世間話をして、この村には警官は三人いるということを教えてくれる。
こんな田舎の小さな村には珍しいと感じたけど、川に近付くにつれてその答えがわかった気がした。川の近くには《命を大切に》という警告看板が何枚も立てられていたからだ。
祖父は静かに「この川はとても深いからな。特に滝壺は」と静かに言う。
ただ、そんなことさえ意識しなければ川辺は夏とは思えないほど涼しくて心地が良い。釣れる魚も肉付きがよく、立派なものばかり。素人目から見ても塩焼きにでもすれば美味しいだろうと思うものだった。
けれど祖父は帰る時間になるとその魚を全て川へ戻し、不慣れそうな横文字で「キャッチアンドリリースじゃ」と笑う。
ついでだからと帰る前に滝を見て帰ろうということになり、五分程上流へ向かうと自分が思っていたよりも大きな滝が大きな音を立てて出現する。
木々の隙間から差し込む夕日にきらめく滝はどこか幻想的で異世界にでも来たかのような気持ちになった。どのくらいその景色に見惚れていたかはわからないが、カシワを打つ音で意識が現実に引き戻された。
振り返れば小まめに手入れをされているのだろうという綺麗な祠があり、祖父はそこに手を合わせている。
そんな祖父を横目に、水に手を浸すと水はとても冷たく氷水のようだ。そんな水をの中をよくよく見ると初めは石かと思ったが、真っ黒な巻貝が沢山いることに気が付いた。一匹捕まえて祖父に見せると、祖父はボクの手を叩き、貝を水に戻す。
唖然としていたボクに祖父は「アレは鬼貝じゃから、触ったらいかん」と怒ったわけではなく、ボクの手の心配をしてくれた。
昔からの言い伝えで、あの滝の傍には時折、鬼が現れたそうで、その鬼はみんなボクが捕まえた貝の貝殻を身に付けていたらしい。そして、村人に襲い掛かって来たそうだ。
ときに、村から鬼を退治しに行った勇敢な若者も鬼になって村に帰ってきて、そのときにはこの貝殻を持っていたそうなのであの貝にはかかわってはいけないということらしい。
翌日、祖父は畑仕事をすると言っていたので、釣った魚はすぐに川に返すという約束と滝には近づかないという約束をして、ボクは再び川釣りに出掛けた。
祖父には悪いがボクはその約束を守る気はさらさらなかった。というのも、どうにも一目見たときからあの貝が美味しそうでならなかったからだ。
川辺で飲むと言ってアルミ缶のジュースを一本祖母から貰い、ボクは滝の前で簡易の鍋を作るとそれでお湯を沸かしあの貝を茹でて食べた。予想通り、鬼貝は身がぷりぷりとして歯ごたえがあり、でも海の貝のような磯臭さは一切なく特に胆にはレバーに近い旨味がある。病みつきになったボクは残りの二日も滝に行っては貝を食べた。
祖父母の家から帰ってもあの貝の味は忘れられず、ネットで鬼貝について調べたが当たり前のようにそんな貝は存在していない。
でもある日あの貝にそっくりな味を見つけた。それは恋人の耳で、ボクはそのまま噛みちぎりたい衝動が我慢できなかった……。
ボクの祖父の家は山奥にあって、近くには綺麗な滝がある――。
ここを訪れるのは何年ぶりになるだろうか。小学生の頃は毎年来ていたが、会社に入ってから訪れるのは初めてじゃないだろうか。お陰様で祖父も祖母もとても元気で、久々に来たボクを山で採ってきたという新鮮な山菜料理でもてなしてくれるくらいだった。
有休消化も兼ねてきたので、四泊五日という小旅行気分で遊びに来たのだが予想外なことにこの村の大半はスマホが圏外で二日目にしてやることがなくなってしまう。そんなボクを見かねて祖父が釣りに誘ってくれた。子供の頃には連れて行って貰えなかった滝のある川だ。
釣竿を持って歩いていると制服の警官とすれ違った。祖父は仲が良さそうに世間話をして、この村には警官は三人いるということを教えてくれる。
こんな田舎の小さな村には珍しいと感じたけど、川に近付くにつれてその答えがわかった気がした。川の近くには《命を大切に》という警告看板が何枚も立てられていたからだ。
祖父は静かに「この川はとても深いからな。特に滝壺は」と静かに言う。
ただ、そんなことさえ意識しなければ川辺は夏とは思えないほど涼しくて心地が良い。釣れる魚も肉付きがよく、立派なものばかり。素人目から見ても塩焼きにでもすれば美味しいだろうと思うものだった。
けれど祖父は帰る時間になるとその魚を全て川へ戻し、不慣れそうな横文字で「キャッチアンドリリースじゃ」と笑う。
ついでだからと帰る前に滝を見て帰ろうということになり、五分程上流へ向かうと自分が思っていたよりも大きな滝が大きな音を立てて出現する。
木々の隙間から差し込む夕日にきらめく滝はどこか幻想的で異世界にでも来たかのような気持ちになった。どのくらいその景色に見惚れていたかはわからないが、カシワを打つ音で意識が現実に引き戻された。
振り返れば小まめに手入れをされているのだろうという綺麗な祠があり、祖父はそこに手を合わせている。
そんな祖父を横目に、水に手を浸すと水はとても冷たく氷水のようだ。そんな水をの中をよくよく見ると初めは石かと思ったが、真っ黒な巻貝が沢山いることに気が付いた。一匹捕まえて祖父に見せると、祖父はボクの手を叩き、貝を水に戻す。
唖然としていたボクに祖父は「アレは鬼貝じゃから、触ったらいかん」と怒ったわけではなく、ボクの手の心配をしてくれた。
昔からの言い伝えで、あの滝の傍には時折、鬼が現れたそうで、その鬼はみんなボクが捕まえた貝の貝殻を身に付けていたらしい。そして、村人に襲い掛かって来たそうだ。
ときに、村から鬼を退治しに行った勇敢な若者も鬼になって村に帰ってきて、そのときにはこの貝殻を持っていたそうなのであの貝にはかかわってはいけないということらしい。
翌日、祖父は畑仕事をすると言っていたので、釣った魚はすぐに川に返すという約束と滝には近づかないという約束をして、ボクは再び川釣りに出掛けた。
祖父には悪いがボクはその約束を守る気はさらさらなかった。というのも、どうにも一目見たときからあの貝が美味しそうでならなかったからだ。
川辺で飲むと言ってアルミ缶のジュースを一本祖母から貰い、ボクは滝の前で簡易の鍋を作るとそれでお湯を沸かしあの貝を茹でて食べた。予想通り、鬼貝は身がぷりぷりとして歯ごたえがあり、でも海の貝のような磯臭さは一切なく特に胆にはレバーに近い旨味がある。病みつきになったボクは残りの二日も滝に行っては貝を食べた。
祖父母の家から帰ってもあの貝の味は忘れられず、ネットで鬼貝について調べたが当たり前のようにそんな貝は存在していない。
でもある日あの貝にそっくりな味を見つけた。それは恋人の耳で、ボクはそのまま噛みちぎりたい衝動が我慢できなかった……。