ヒロアカ 第一部



「………よし。………いや、…あと少し…」

完成させて、まだ足りなく思えてまた足して、どんどんと増えていく文字量に唸りつつ、はっとして顔を上げれば時計は十一時を回ってた。

「な、ぐっ」

気づいて立ち上がったところで足の指をデスクの過度にぶつけ、痛みにもだえながらもプリントを押す。プリンターから吐き出された紙を手近にあったファイルに挟んですぐさま部屋を飛び出した。

用意してあった帰りの新幹線チケット、到着時刻から逆算するとそろそろ雄英に着いていていい頃で、香山さんにメッセージを飛ばす。

すぐに、今迎え入れてるところときたそれに、速度を早めてる。向かった正門では緑谷にひっついてる弟と楽しそうな心操、それから安心したように口元をゆるめて見守ってる爆豪がいた。

『ほら、出久。おちついて』

「だって三日ぶりの兄ちゃんだよ?!ねぇかっちゃん!」

「ちったぁ落ち着けや」

「無理だよおおお!兄ちゃんおかえりー!!」

『ふふ、ただいまぁ、出久』

「んんっ!兄ちゃん!!」

「…なぁ爆豪、これあと何回見ればいいんだ?」

「知らね」

心操の言葉に爆豪はそっぽ向く。見ていた香山さんは可愛いわねぇと笑っていて、再度二回、同じことを行ったところでようやく落ち着いた弟に兄はあ、と鞄からファイルを取り出した。

『先生、これ今後のです』

「ふふ、準備が早いわねぇ。それじゃあ緑谷くん、預かるわ」

『はい。よろしくお願いしま、』

手を伸ばして、掴む。

『「え、」』

「「相澤先生??」」

「……………」

その場にいた全員が漏れなく驚き、目を丸くする。爆豪はすっと目を細めて、香山さんは俺を見てぱちぱちと目を瞬くと首を傾げた。

「あ、相澤くん?どうしたの?」

「……香山さん、少しだけ、待ってください」

「待つって…?」

香山さんと同様に弟がこてんと首を傾げて兄と俺を見比べる。心操も全く同じ表情をしていて、目つきを少しだけ鋭くした爆豪は唯一、手を伸ばすと兄にくっついてる弟を引っぺがして自身の横に置いた。

「かっちゃんなんで!?」

「話の邪魔だろ」

「んんっ!でもっ!」

「でもは言うな、デク」

「ぐぅっ」

「うるせぇ」

二人の会話を横目に、心操は俺をじっと見据え、手元に視線を落としたところでああと納得がいったように頷くと一歩離れて騒ぐ幼馴染たちに近寄る。

妙に間が空いたことで俺と緑谷と香山さんか取り残されて、緑色の瞳を見つめた。

「緑谷」

『、はい』

「すまなかった」

『え、??』

わかりやすく戸惑ってる緑谷に香山さんがそっと離れる。爆豪に抑えられてる緑谷と横にいた心操の三人と顔を見合わせ首を横に振った。

向かいの緑谷はまっすぐ俺を見つめつつも、眉尻を下げて困った顔をしてる。

『えっと…どうしたんですか?先生?』

「……俺は…君の成長を望んで、ミルコをインターンに紹介した」

『はあ。知ってますけど…』

「だがそれは決して、俺が君を見限ったわけでも、手放したかったわけでもない」

『へ、』

「君の今後に、俺が関わることが正しいかどうか…俺が迷ってた」

『……………』

「君は今まで、周りに教師がいなかったから俺に師事を仰いでいるだけで、だからこそ、それしか知らない君をこれ以上縛り付けるのはどうなのかと、俺じゃないほうが君はもっと成長できるんじゃないかと、そう考えていて…俺は、ミルコとのインターンを後押しした」

『…そ、う、だったんですね』

ぱちぱちとまばたきを繰り返す緑谷にずっと持っていたそれを握りしめて、口を開いた。

「俺は、ミルコのほうが君に合うと、そう思って、君に選ばせなかった」

『…………』

「…だが、もし、まだ間に合うのなら、」

ファイルを差し出す。皺の寄ってしまったそれを緑谷は受け取って、こちらを見たあとに取り出す。

今時会議資料でもそこまで分厚くならないだろうに、数十ページの冊子のそれを最初から、数枚内容を確認した緑谷は顔を上げた。

『これ…』

「この間君に渡した資料は一部だ。もっとしっかりと、君を育てるための準備はしてある」

『あれ一部だったんですか…?』

「ああ。これでもまとめたほうだ」

『まとめた…??』

向こう側から、あれ何ページあると思う?あの量でまとまってるの?中身気になりすぎる…とこそこそと話す声が聞こえる気がするが、緑谷はそちらに意識を向けず、手元の資料と俺を見比べて眉根を寄せた。

『あの、相澤先生、俺…』

「…今更なのはわかってる。だが、もしまだ間に合うのなら、」

手を握りしめて、言葉を吐き出す。

「俺を、選んでもらえないだろうか」

『………………』

やっと言えたそれに気持ちが落ち着く。言い切った達成感と、断られるかもしれないという不安。やれることはやったけれど、なにもかもが後手に回ってしまったから、本当に今更だろう。

緑谷は手元の資料にもう一度視線を落として、息を吸った。

『あの、』

「ぶっ」

「は?」

「あはっはっ!!相澤くん!!あなた!ひぃっ!!」

響いた笑い声に顔を上げる。

大口を開けて笑う香山さん。ばしばしと足を叩いてヒーヒー言う香山さんに呆気取られていれば、近くに立つ二人は顔を見合わせて、幼馴染は揃って息を吐いた。

「おい、デク。お前焚き付けすぎだろ」

「僕じゃないよ。かっちゃんが意地悪しすぎたんでしょ?」

「なんもしとらんわ。…おい、目ぇ逸らしてんじゃねぇぞ、心操」

「俺は何も知らない。何も聞いてない」

「あれ?もしかして心操くん何かした?」

「何もしてない。俺はいらっとして先生に馬鹿って言っただけだ」

「まじかよお前。すげぇな」

「心操くん、突発的にすごいことするね…?」

「ひーっ…はははは!もうほんと!最高っ!!」

しまいには地面に崩れ落ちてしまった香山さんに向かいが身じろいだ気配がして視線を戻す。

緑谷は笑い転げる香山さんと残る三人を見つめてから首を横に振り、俺を見上げた。

『相澤先生。この間も言いましたけど、俺はもう決めたんで今更なにがあっても答えは変わりません』

「、そう、だったな」

『はい。ですから、先生』

俺が渡したのとは別に、ずっと持っていたそのファイルを俺に差し出す。

香山さんに渡そうとしていたそれを受け取って、視線を落とし、脳が認識した文字に目を見開いた。

「え、」

『 “イレイザーヘッド” 』

初めて呼ばれた名前に顔を上げると、緑谷はどこか気恥ずかしそうに、この暗闇でもわかるくらい目元が赤くさせて、笑ってた。

『これからも、よろしくお願いします』

「、」

書類はインターンの申込書。入所許可の受領書であるそれは緑谷の名前と、志望先ヒーロー名にイレイザーヘッドと記入されていて後は俺の受領印を押すだけになってた。

「…………俺で、いいのか?」

『…は〜。何を今更…。俺は先生が良いんです』

微笑む緑谷に視線を泳がせてしまって、香山さんの笑い声が遠くに聞こえる。

見つめた紙面は何度見直しても俺の名前で、あまりに見比べるからか緑谷も笑いだした。

『先生、なんかやばそうですね』

「…それは、…っそうだろう。いきなりこうなるとは思わなかった…」

『あっははっ!はぁー…もー、先生ったら、何言ってるんですか…?』

伸びてきた手が、申込書を持つ俺の手に重ねられて、覗くように視線が合わされた。

『今更俺から逃げられるわけねーじゃん。ちゃぁんと責任取って最後まで面倒見てよね?せんせ』

「、」

「ひっ、ひぃっ、相澤っくっ、あは、ぶふっ」

「ミッドナイト先生、息できてます??」

「あーあ。やっぱ兄ちゃんのスイッチ入っちゃってたね、かっちゃん」

「逃げられねぇか。…まぁ先生も腹くくってたっぽいし、いいんじゃねぇの、デク」

「ふふ、相澤先生これから大変だね」

息のできてない香山さんを心配する心操に、訳知り顔で会話をする幼馴染。緑谷は手を離すと一礼して、俺から離れてみんなのもとに向かった。

『出久、勝己』

「兄ちゃん!」

「ん」

手を広げた兄に二人が飛び込み抱きつく。頬を擦り寄せると緑谷はへらりと笑った。

『応援してくれてありがとう』

「ん。気にすんな」

「兄ちゃん!お願い叶ってよかったね!」

『うん』

ぎゅーぎゅーっとくっつきあって、二人の頬にキスを落とす。二人も同じように額にキスを贈って、それから緑谷は視線を上げると心操と目を合わせ、目が合うなりお互いに表情を緩めた。

「よかったな、出留」

『ありがとう、人使』

頷きあった二人に、ふと、心操が首を傾げる。

「…よくわかんないけど、どっから計算だったんだ?」

『ん?なぁんにも。別に計算はしてないよ』

「そうなのか?」

『うん。てか俺、先生に三日間だけミルコにお世話になるって言ったし』

「、は?」

『まぁ相澤先生にインターン申し込む気とかは内緒にしてたけど…。ね、香山先生?』

「ぐ、っふふっ、ええ、そうねっ。私っは、ちゃんと今後の予定は聞いてたわ!!」

「は???」

「あははははっ!もう!ほんと!その顔!相澤くんのそんな間抜けづら久々に見たわ!!!」

ゲラゲラ笑う香山さんを生徒たちは見なかったことにして、再び幼馴染と弟にキスを送る緑谷、それを見ながら心操がまたやってるよと息を吐きながらも安心したように口元を緩める。

「…………は?」

穏やかな四人のやり取りとずっと笑い続けている香山さんの意味を考えて、急に存在感を増した手の中の紙に重みを覚えたところでくわりと緑谷が大きな欠伸をして幼馴染が手を伸ばして滲んだ涙を拭った。

「寝不足だろ」

「兄ちゃんずっと夜間もパトロールしてたもんね。おつかれさま」

「今日くらいはゆっくり休んだほうがいいんじゃないか?」

『うん…』

びっとりとくっついていた弟が一歩離れたことに兄はまたあくびを零して、こちらを振り返った。

『先生、もう眠いんで部屋帰りますねー』

「あ、ああ…?」

『おやすみなさーい』

「おやすみなさい!」

「おやすみなさい」

「おやすみ」

「…………え…?」

兄を真ん中にして手を繋ぎ、鞄を持つ弟に、トランクを代わりにひく爆豪。一歩分離れて歩く心操も挨拶を残して離れていく。

四人の後ろ姿を見送ったところでやっと笑いが収まったらしい香山さんは涙を拭い、汚れたらしい洋服を払うと息を大きく吐いて、親指を立てた。

「最高の笑いをありがとう、相澤くん」

「何がそんなに笑えたんですか」

「何がって当たり前じゃない。まさか貴方がここまで突っ走ると思わなかったんだもの!」

「っ、」

「いやぁ。確かにね?ちょっとは何かあるかもと思ってたけどね?あそこまでやるとプロポーズかと思っちゃったわ」

「そんなわけないでしょう」

「ふふ。まぁ…」

右肩に手が乗せられる。

「初勝利おめでと!相澤くんっ!」

「ハッ倒しますよ」

「恥ずかしがっちゃって!連敗阻止出来て嬉しいくせにっ!!」

ばしりと背中が叩かれてふらつく。えらく上機嫌な香山さんはふふと嬉しそうに笑って、さぁと手を広げた。

「これから忙しくなるわよ!相澤くん!まずは申請書完成させてあげないと!」

「……判を押したらすぐに渡します」

「ええ!すごく楽しみにしてたもの!ぜひそうしてあげてちょうだい!」

全てわかってた上で見守っていたんだろう。昔から広い視野でよく相手を見ている人で、山田といい、この人といい、俺の足りない部分を補ってくれる大切な人間だ。

「………この間言ってた祝賀会、あれ、山田と三人でやりましょう」

「あら!山田くんに背中押されたのね!」

「ええ。胸ぐら掴まれましたよ」

「すごい青春してるじゃない!なんで呼んでくれないのよ!」

「三十超えた人間同士の言い合いは青春じゃないですよ。まったく」

「ふふふ。相変わらず落ち着いてるわね、相澤くん」

言葉をかわしながら歩き出す。右手には書類を持ったままで、本来担任が持つべきその書類は、印鑑を押すためにという名目で預けられた。

寮にたどりついたところで、香山さんは俺を見つめる。

「ねぇ相澤くん」

問いかけるような声に顔を上げる。

「生徒はひとりひとり違うから、私達の答えもその生徒ひとりひとりに合わせたものが存在するわ」

「、そ、ですね」

「故に私達はとても悩むし、いつだって生徒のことを一番に考えなくてはならない」

「………はい」

「でもね、だからこそ、」

大きく手を広げた香山さんは、笑った。

「生徒が答えてくれたのなら、私達は全力で導かないと!それが教師ってものよ!」

「……ええ、本当に。その通りですね」

「わかってるなら結構!それじゃあさっさと寝なさい!相澤くん!最近貴方眠れてなかったでしょ?また顔色悪いわよ!」

「少し立て込んでたんで。今日はもう寝れますよ」

「ならいいの!それじゃあおやすみなさい、相澤くん!」

「はい」

手を振って、部屋に向かう気らしい香山さんが消えるのを見送る。俺も自室に戻れば出てきたときのまま、横倒しの椅子が転がった部屋に迎え入れられた。椅子を正してから座る。

手に持っていたそれをデスクにおいて、表面に指を置き、文字をなぞれば、自然と口元が緩んだ。


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