ヒロアカ 第一部


『出久。あんまり無茶しないようにな』

「うん!約束する!」

今日から職業体験。出久に指名を出したヒーローはここから遠くに拠点を構えているらしく出久もそこで寝泊まりをするらしい。

数日間会えないことに心が堪えられるか怪しいので今のうちに抱きしめて充電をしておく。

もごもごしていた出久が小指を差し出すから同じように小指を絡める。

『ほんともう、次は母さんの心臓止まんから気をつけなさい』

「はぁい」

「いつまでそれやってんだぁ??」

ずっと隣で見てた勝己がいい加減飽きたらしく大きく息を吐いた。

今は大きめの駅にいる。出久や勝己を含めてたくさんの生徒が出発するための主要駅はちらほら同じ制服を着た学生が見えた。

時折こちらを見て目を逸らすその人たちを無視して出久の髪を撫で回し、頬の感触を指先で確かめる。ぷにぷにしたほっぺたに安心して息を吐き拘束を解いた。

『次見るときも怪我のない姿でいろよ?』

「う、うん!」

『そこは迷いなく頷いてくれ…』

髪を撫で回して本当に離れる。

それから近くの勝己に手を伸ばして、動きを止めた。

「あ?」

驚いたように固まった勝己に首を傾げてる。

『勝己もやる?』

「ああ??」

ぎっと眉根を寄せた勝己はとてつもないほどの不機嫌さを顕にして、苦笑いを浮かべてから、伸ばしていた手のひらを髪に置いた。

『勝己、怪我しないで帰ってきてね』

「あったりめーだ。俺がザコに負けるわけあるか」

三秒。髪を撫でてすぐ手を下ろす。鼻を鳴らしてそっぽ向いた勝己は満足そうで、向こう側から人影が近寄ってきた。

「おーい!」

「おはよ!」

A組の子たちが近寄ってきたことに勝己は眉根を寄せて、出久が笑う。

『それじゃあ二人とも、いってらっしゃい』

二人を見送り背を向ける。俺は他県に行くことはないから毎日家に帰る予定だし、定期券内で活動することにはなる。

見送るためにこちらにきたけど、来た道を戻って学校に来た。

少し考えてから職員室に向かう。職業体験中は生徒がいないためかとても静かで過ごしやすい。足音は俺のものだけが響き、目的の職員室で止まる。扉をノックすればがらっと勢い良く開いた。

「緑谷くん!早かったわね!」

迎えてくれたのは担任で中に招かれる。職員室を進んでもう一つ扉をくぐれば応接室のようなソファーとテーブルのある部屋に出た。

「相澤くんも心操くんもまだだから、ゆっくりしてちょうだい」

『ありがとうございます』

ささっと差し出されたお茶は冷たいらしくグラスに入れられていて、一緒にカステラが用意される。そのまま流れるように向かいに腰掛けた担任に目を瞬いた。

『仕事はいいんですか?』

「ええ。今日の私は当直だけど連絡はきちんと確認しているわ。だから私とお話しましょ」

『はあ。そうですか』

麦茶を飲んでカステラを食して微笑む。

「正直意外だったのよね。貴方が相澤くんの指名を受けたの」

『そうですか?』

「貴方、自分の外に興味ないでしょ?」

外という表し方に少し考えてわからず目を瞬けば、一瞬固まって苦笑いに表情が変わった。

「ご兄弟の緑谷出久くんと、爆豪勝己くん。あとは…一応、心操くんと発目さんは少し内側に近いでしょう?それ以外の人間に貴方は興味ないんだろうなって思って」

『あー、まぁ確かにそうかもしれませんね。あまり人付き合いが得意じゃないんで昔から友達も少なくて』

「心操くんとはすんなり仲良くなってなかった?」

『なんとなくですね』

「最近はクラス内も貴方達の活躍に触発されて活気があるし、この調子で仲良くしていってね!」

『検討しておきます』

「ガードが硬いわねぇ」

うふふとカステラを口に入れて咀嚼する。それで?と首を傾げられた。

「相澤くんの指名を受けた理由は?」

『要りますか?』

「聞いてみたいわね!」

『…そもそも俺に指名はなかったですし、お誘いを断る理由もありません。でも、強いて理由を上げるのなら…少し興味があって』

「興味?」

『あの観察眼が気になって。どこで俺のことをそう思ったのか判断基準も知りたいなと』

「相澤くんの合理的判断の思考基準か。…相澤くんは貴方と少し似ているものね」

『いえいえ、先生と俺が似てるなんて、先生に申し訳ないですよ』

口元を緩め目尻を下げた担任に首を横に振ったところで扉がノックされて開かれる。現れたのは黒髪で待ち人の片割れだった。

「早いな」

『暇になってしまったので早く来てしまいました』

「そこはせめて、やる気が有り余って気が急いたって言うべきじゃないの?」

「弟ならそうでしょうけど、兄はそんなこと言うタイプじゃないでしょう」

やれやれと担任の横に腰を下ろした相澤先生の脇腹を楽しそうに担任は突く。

「あらあら、緑谷くんのことよくわかってるような口振りね!」

「見てりゃわかりますよ。けどま、ここまでやる気のベクトルがおかしい奴中々いませんね」

「そうかしら?……と、ちょっと失礼するわ?」

電話がかかってかきたのか腕時計のようなそれを操作しながら足早に部屋を出ていく。差し出されたまま放置していたお茶を飲んで、向かいの相澤先生を見れば同じように用意したお茶を飲んでから、膝の上に乗せた腕で頬杖をついた。

「指名を受けたってことは、俺の資料を見た上での判断ってことでいいんだな」

『ええ。いただいた資料はきちんと拝見いたしました』

「そうか。俺は回りくどい腹の探り合いは嫌いでね…。単刀直入に聞くが、あの考察はあってたのか」

考察とは渡された資料の一部のことのはずで、指し示すのは体育祭の行動原理だ。思わず口角が上がった。

『はい、概ねは。…本当に驚きました、よくわかりましたね』

「普通に見てたらわからなかったがな。最後の爆豪や緑谷との様子を見ていたらなんとなく気づいた。もくろみ通り、がっつりネットで叩かれてるぞ、お前」

『こんなにきれいにうまくいくと思わかなったっていう驚き20%、うまく行ってよかったっていう安心40%、扱いやすい群衆に呆れ30%ってところですね』

にっこり笑えば眉間にぐっと皺が寄る。

「残りの10%はなんだ?」

『約束を破ってしまった勝己と、心配かけた出久への申し訳無さですね』

「………一応人の心があるようで安心した」

『そりゃあ俺も人間ですから』

更に深くなった眉間の皺。口が続きの言葉を吐くため動く。

「普通の感性を持った人間は、自分に負の感情を集めて他を庇うなんてやり方はしないぞ」

『大切な人を守りたいっていうのは普通じゃないですかね?』

「やり方を考えろ」

お気に召さなかったらしい。低い声に笑ってカステラを口に運び、糖分を補給すれば向かい側でため息が響いた。

「爆豪の粗暴さと緑谷の狂気的執念は、本戦を投げ捨てるという君の愚行によってきちんと霞んだ。また、無個性というマイノリティーをあえて否定せず投げ出した様子は更に群衆の批判を煽る材料になって今でも燃え続けている」

『ええ、燃料が良かったんでしょうね。俺が手を加えなくても燃え続けてくれてていい感じです』

「おかげでベスト8まで上り詰められるだけの体捌きや判断力は霞んでしまったがな」

『元々目立ちたいわけじゃないんで』

おかげでテレビに映らないと文句を言いに弔がやってきてしまったけれど、それを言う必要はないだろう。

お茶も飲んで息を吐くと依然眉間に皺が寄った相澤先生と目があった。

「雄英に来たのはなんのためだ」

『出久がここに行くって言ったので、追いかけました』

「推薦でほぼ入学の決まっていた兄の言葉とは思えないな」

『そうですか?もし出久が入試落ちたら、たとえ俺が受かっていたとしても辞退する予定でしたから嘘ではないですね』

「ブラコンか」

『出久が世界一可愛いってだけです』

タイミングをはかったようにこんこんとノックが響く。間を置かず開いた扉の向こうには担任とその後ろに人使が見えて時計を確認すれば待ち合わせの十分前だった。

部屋に入って相澤先生に挨拶をして、それから俺の横に座る。

「出留、早いな」

『おー、弟見送るのに家出てきてたから、あんまりにも暇すぎて時間つぶしてた』

「なるほどな」

あっさり頷かれる。すっかり悪友感のある人使は俺のやる気のなさをしっかり理解しているようで言い回しに突っかかることはない。

揃った俺達に相澤先生はのそりと体を起こして頬杖をやめた。

「それじゃあ改め、今日から職業体験を始める。指導は俺、イレイザーベッドが行い、君たちには俺の指導を受け、ヒーローになるための力を培ってもらう」

「よろしくお願いします」

「基本の活動場所はこの学校だが、場合によっては事件現場について来てもらう可能性もある。留意してくれ」

「はい」

返事は人使がしっかりしてくれたから頷いて返事とする。相澤先生はついてこいと立ち上がり扉を開けた。

ついていった先は実習室と書かれていて、初めて足を踏み入れる区画だった。

これから始まる職業体験に目を輝かせ興奮が抑えきれない様子の人使が先に歩き、二人分の後頭部を眺めながら歩く。

「まずは正確なデータがほしい。今日は身体測定を行う」

開いた扉の向こうは運動場のような開けた屋外で、身体測定と言ったとおり近くの壁にはいくつかの器具が並んでた。

「心操、体は鍛えてるのか」

「はい、少しずつ」

「緑谷は」

『困らない程度の筋トレくらいですね』

「俺の筋トレメニューは出留から教えてもらったものです」

「ほう、本当に仲がいいな。……さて、ここで出た数値を元に訓練を組み立てる。特に緑谷、本気でやれ。やらんかったら職業体験の担当をミッドナイトかオールマイトにする」

『ええ…?信頼なさすぎません?』

「出留のその雰囲気のせいだろ」

とりあえずはと渡されたのは握力計で、まずは握力の計測かららしい。その次は走り幅跳び、垂直跳び、腹筋、長座体前屈、反復横跳びと中学の時にやったようなラインナップを熟していく。

最初に念押しをされたし、今更担当を変えられるのも困るから割と真面目に計測を終わらせて、人使が汗を拭った。

「心操は入学時から比べるとたしかに体力も筋力もついてるな。トレーニングの成果が出てる」

「ありがとうございます」

「緑谷は全て平均以上…お前なんで学力推薦で入学したんだ?」

『確実に枠が貰えるのと、個性授業についていける訳がないんで、そういうことです』

「個性があってもそれに驕り基礎体力が無い奴よりよっぽど数値はいいけどな。……心操、トレーニングは今まとめられるか?」

「それなら携帯に入ってるんですぐ呼び出せます」

「見せてくれ」

計測中は離れたところに置いておいた貴重品から携帯を取り出して人使が差し出す。視線が文字を追っていき、数秒考える間をおいてからこちらを見た。

「緑谷が考えたんだったな」

『俺がやってるやつを大体そのまま教えてます』

「そうか」

人使にトレーニング内容のコピーをメッセージで送ってもらった相澤先生は先程の計測結果を眺めながら口を曲げる。

「心操には個性に柔軟性を身に着けてもらいつつ、身体をつくり、第二の力を身に着けてもらう」

「第二の力…」

「そのためには緑谷。二人で組手を行ってもらうこともある。力加減は俺が伝えるからなるべく指示に従うように」

『わかりました』

「さて、そうしたら次は座学と行くか」

近くにあったベンチに座って、向かいに腰掛けた先生がじっと人使を見た。

「心操の個性を詳しく教えてくれ」

情報を即時共有できるようにか用意されているのはタブレットで、人使が答える。

「洗脳。発動条件は意思をもって問いかけた内容に相手が答えること。肉声じゃないと意味がないからマイクや拡声器を通したら効果はないし、一度の問いかけで洗脳できるのは一人まで。洗脳自体もかけた相手に強い衝撃が加わったりすると洗脳が解けることがある」

「どんなことをさせられる」

「あまり難しいことはさせられない。たとえば騎馬戦のときとかみたいに右に動けとか左に動けとか簡単な命令は聞くけど、対象に考えさせて行動させることはできないから、たとえば出留を洗脳したとして、昨日の夜ご飯を答えさせることはできるけど明日の朝ご飯を考えて教えろってのは無理」

人使から初めてしっかりと個性の話を聞き、意外と制約が多いなと思う。

たとえば勝己の個性は、汗腺から発火性物質を出すことによっての爆発で、使い過ぎは腕が攣ったり痛むことがあるけれど、それ以外は小爆発や物質を溜め込めば大爆発も起こせる万能タイプだ。

俺の場合は…と目を伏せようとしたとき、緑谷はと話が振られてすぐに視線を戻した。

「自主トレーニングはどのタイミングでいつからしてる」

『小学生くらいからですかね?だいたい毎日筋トレはしてて、たまに体動かしたり』

「体動かすとは具体的にはなにをしてる」

『いろいろしますけど、組手がやっぱ多いですかね』

「…緑谷弟か」

『爆豪勝己です』

「爆豪?」

あからさまに驚いたような語尾の上がり方に頷いてそれからどこまで話したらいいのか考える。

出久が無個性だったのは調べればすぐわかることかと口を開いた。

『元々出久は無個性で、最近個性が開花してトレーニングをするようになったので昔から相手は勝己でした』

「ほう。爆豪との組手は成果があるようだな」

『無個性の俺でも慣れてそれなりに動けるようになったんで、無くはないと思います』

流石に小学生からずっと鍛えていて慣れなかったらそれは細胞レベルで格闘にセンスがないだろう。

「体育祭でサポートアイテムを使ってたが、組手もメインは素手か」

『長物は苦手で。基本は殴る蹴るです』

「それであのアイテムか。心操はサポートアイテムは考えたことはあるか」

「はい。つい昨日、ずっと考えていたアイテムの試作品を作ってもらったところです」

元から見せるつもりだったアイテムを取り出した人使に促されて俺も鞄からグローブとブーツを取り出す。

手にとってじっくりと眺める相澤先生から出てくる質問に答えながら最終的に相澤先生が発目さんともいくつか話をして必要な場合はサポート科と連携することが決まった。

「まぁ色々言ったが、心操に関しては第二の力は候補がある」

ずっと横に置いていた袋から取り出したのは包帯で、気のせいじゃなければ今相澤先生の首元にあるものと似ていた。

「俺も使っている捕縛帯だ。俺の個性は知ってるかもしれんが抹消。基本的には個性を消した相手を縛り敵を捕獲してる」

「洗脳して、隙のある敵を捕縛するってことですか」

「ああ。現状一番効率がいい。もちろん扱うためには技術や筋力が必須。今日から扱い方を教えていくから当分この捕縛帯に慣れることと、体力づくりが課題だ」

「はい」

渡された捕縛帯の感触を確かめる人使は端っこを差し出してくるから同じように触れてみる。案外硬めの素材で出来ているらしく捕縛と言っていたから縛っても千切れない強度になっているはずで、その分重みも長さもある布は扱いが難しそうだった。

「緑谷はもっと動きをきちんと見たい。だから組手をしてもらうため別の教師を呼んである」

『はあ。俺の知ってる方ですか?』

「数学教諭のエクトプラズムだ。個性はともかく、あったことはあるだろう」

『はい。エクトプラズム先生の個性は俺の組手に最適だってことですね』

「純粋に強いのもあるが、ほぼ無限に分身体を作り出せる。倒しても次の相手が現れるから心して掛かるように」

『わかりました』

場合によっては多対個になる組手は初めてなのだがきちんと動けるだろうか

サポートアイテムをつけるよう指示されてグローブとブーツを纏う。改良されたときは次つける予定もないと言ってしまったけど、こんなに早く出番くるなんてと息を吐いた。

また別の訓練場があると今度は隣の部屋に移る。そこには黒いマスクのようなものをつけた人がいて、見覚えのあるその人は数学の授業中にたまに授業の範囲外の問題を出してくるエクトプラズム先生だった。

「それじゃあよろしくお願いします」

「アア、任セラレタ」

電子音が重なっているような不思議な声色で返事をする。相澤先生と人使は別の部屋での活動らしく、また違う扉の向こうへ消えていった。

「緑谷出留クン。我ハ“エクトプラズム”。君ノ組手相手ダ」

『よろしくお願いします』

説明はこれで終了なのか、急に開かれた口から乳白色の液体が吐き出されて目を丸くする。その液体は粘度があるのかどろどろと吐き出され、それからいくつかの塊に分かれると形が作られた。

『おお…!』

目の前のエクトプラズム先生そっくり、瓜ふたつのそれは分身体というものなんだろう。

分身がこちらに突進してくるから腰を落として、襲ってくる足を避けて鳩尾に拳を叩き込む。ぶわりと液体のようになって消えた分身に、また違う分身が襲ってくるから同じように叩いていく。

一定の攻撃を受けると消える分身は許容量があるんだろう。何体も現れる分身は一つ一つが独立して動いているのか本体の先生が指示を出す気配はない。時折二人、三人と複数人に囲まれる。攻撃をいなしながら一人ずつ確実に消していく。発目さんのサポートアイテムは以前よりも手足に馴染んでいて前回よりも更に違和感なく動くことができた。

どれだけ消していたのか流石に上がってきた息と垂れてきた汗。拭うのが間に合わず流れ目に入った汗が滲みて、片目をつぶればこれ幸いと分身が襲ってきた。

咄嗟に飛び上がって思いっきり足を下ろす。踵落としを喰らった分身はきちんと消えて、振り下ろした足の裏が地面についた瞬間に床を蹴り、迫ってた分身を殴り飛ばした。

気配を探っても分身が増えず、不思議に思いながら顔を上げて本体の先生を見据える。

先生はすでに液体を吐き出すのをやめていて、腕を組んで頷いてた。

「組手終了」

『ぁ、お疲れ様でした』

垂れてきた汗を握った服の裾で拭う。思ったよりも動き回っていたのか勝己との朝練よりも流れてる汗はどんどん滲み出てきて拭うのが間に合わない。

「出留」

聞こえた声に顔を上げれば先程の捕縛帯を首元にかけてる人使がいて、横にいた相澤先生が目が合うなりペットボトルを投げる。

『あざっす』

受け取ったペットボトルは程よく冷えていて、ミネラルウォーターを一気に飲んで息を吐いた。

『あ〜、スッキリした』

「すごい汗だな。体育祭でもそこまで疲れてなかっただろ?」

『あん時は最後までやってないからね』

「二人とも五分休憩してろ」

「はい」

『はーい』

休憩をいいことに蒸してるグローブを外して手を振る。握ったり開いたりしても違和感はなく、何度か攻撃を受け止めた腕自体に赤みもない。人使から渡されたタオルをありがたく借りて手汗を拭い、腕や首も拭いていく。

『まじ発目さんの作品、出来が最高すぎる』

「俺の方もマスクに不調ないし、やっぱり今度ちゃんとチョコ差し入れないとな」

指先で触れてるのは作ってもらったサポートアイテムで、口元が緩んでる。

椅子を探すのも億劫で腰を下ろせば隣に同じように人使も腰を下ろした。

『人使の方は何やってたの?』

「捕縛帯の制御練習。死ぬほど難しい」

『そういえばその布、どうやって動くんだ?』

「原理は鋼製メジャーとかと一緒らしい。あれって引っ張ると固くまっすぐになるけど、力を込めて叩きつけたりすると勢い良く丸まるだろ?」

『へー』

布をつついてみるけれど、生き物でもないから動くわけもない。メジャーと作りが同じと言われればある程度の想像はつくものの、布でどうやって再現しているのか気になるし、手首や腕の振り方、力の入れ加減で丸めるとなればかなり難しそうだ。

「出留はずっと組手か?」

『そ。人使と分かれてからずーっと分身相手に連続組手してた。てかアレから何分経ってんの?』

「一時間くらいだろ」

『そりゃ疲れるわ』

一時間も無駄に動き回ってしまったのかと目をつむる。こんなに組手をしたのは初めてのことで、流石に疲れたのか足の裏とふくらはぎが攣りそうだった。

「明日は体ギシギシだろうな」

『家帰ったら全力ストレッチだね』

腕を回して足を投げ出す。ブーツを脱ごうか考えたところで人が寄ってきて、相澤先生がじっと俺達を見てた。

「後二分だから脱ぐのはやめておけ」

『はい』

どこで気づかれたのか。勝己並の察しの良さに諦めて、かかとを支点につま先を左右に振るだけで留めておく。

「緑谷も一応捕縛帯を渡す。次からは一緒に捕縛帯の取り扱い訓練だ」

『武器の取り扱い、死ぬほど下手ですよ?俺』

「何か持ったことがあるのか?」

『鞭ですね』

「どんな状況だ??」

『…猛獣調教に誘われて?』

「なんで疑問形…?」

「まぁ緑谷の身体能力なら多少は扱えるだろ」

『ほんとやめたほうがいいと思いますけどね…』

「やってみかけりゃわからん」

人使の不思議そうな表情に笑って誤魔化す。一体俺にどんな期待をしてるのか。そんなことを言われても本当にあれは猛獣調教だったし、結果は悲惨だったから後は実際に見てもらうしかない。

休憩時間が終わり、先程まで人使がいたという訓練場に移る。

広い敷地。開いた距離の先には棒状の的が刺さってた。

「これが捕縛帯だ。最初は短めから持ったほうがやりやすい」

渡された捕縛帯は短いと言うけど3mはあろう代物でこれからのことを考えると乾いた笑いしか出てこない。

「心操も、改めて説明するから聞いてくれ」

集められて、試しにと説明を口にしながら捕縛帯を操る相澤先生。コツや力の入れ方を話されて理屈としては理解するけれど出来るかどうかは全くの別物だ。

「よし、心操、やってみろ」

「はい」

一時間の練習成果かひゅっと風を切る音がして捕縛帯はまっすぐ飛び、目標に絡む。それから相澤先生がやっていたように解こうとして失敗したのか絡まった。

「筋はいいぞ。投げるときにはもっと下から上げるようにしたほうが力に無駄がない」

人使にアドバイスをして、それからこちらを見る。

「次、緑谷。まずはまっすぐ一直線に飛ばす練習からだ」

『はい』

教えられたとおり布を手繰って、それから力を入れて振った。




エクトプラズムとの組手を頼んだのは俺で、連続組手になると脅しはしたものの、まさか一時間ぶっ続けで通してるとは思わなかった。

手加減していたとは言え、エクトプラズムいわく一発も攻撃を受けず応戦していたという緑谷は、即戦力になる逸材で爆豪と同じ器用さを感じる。

あの爆豪の柔軟性のある攻撃力。組手で鍛えられたのは果たして爆豪のほうなのか、緑谷のほうなのか。職業体験期間中に問いかければ答えるだろう。

文句のつけようがない体力と高い技術力。捕縛帯を渡したのはいざという時に教え合うことで心操の支えになるだろうからとの期待があった。

武器は苦手だと口にしていたのは謙遜だとばかり思ってた。

「どうしたらそうなるんだ」

『死ぬほど下手って言いましたよね?』

初っ端投げた捕縛帯は目の前に向けてまっすぐ放ったのに何故か緑谷の後頭部に直撃し、もう一度投げれば真横にいた俺に飛んできたから避ける。更に投げれば今度は緑谷の腕を縫い付けるように体を雁字搦めにして捕縛された敵の姿のようだった。

「出留も出来ないことがあるんだな」

『長物は、特にこういうしなるもんはほんと駄目なんだよね』

驚いた顔の心操に緑谷は遠い目をしていて、前回扱ったのが鞭だと言っていたことを考えればこれは想像の範疇だったのだろう。

しかたなく捕縛帯を解く。解放された緑谷は深々と息を吐いて、俺も息を吐いた。

「流石に予想外だった」

『無駄に怪我人出す前に諦めたほうがいいと思います』

「そうだな」

これはもう得手不得手というより、センスが壊滅的ということだろう。本人の言い分の通り、練習でどうにかなるものでもなさそうなそれに解いた捕縛帯を隅に置いた。

「緑谷は体術を磨くことにする」

『はーい』

あっさりと頷いた緑谷は立ち上がって後頭部を擦る。最初にぶつかった捕縛帯はよほどの勢いだったようでまだ痛むのだろう。

「冷やしてくるか?」

『大丈夫です』

手を下ろすと表情を普段通りに戻す。気になるようならすぐ冷やすようにと伝えて心操には捕縛帯の取り扱い、緑谷には再びエクトプラズムとの組手を伝えて一日が終わる。

家に帰った二人にエクトプラズムからの感想や撮影していた動画を眺めながら資料を手直ししていく。

春頃の体力測定から心操はかなり筋力や体力が増えており始めたという筋トレの成果は出ているだろう。捕縛帯の扱いも最低限必要なセンスや力は備わっているし、一週間せずとも形にはなりそうだ。サポートアイテムに関してもサポート科の発目により自身の個性を活かせるものを用意してもらっていて行動力に感心する。

心操にはこのまま体力作りと個性訓練、捕縛帯の操縦を覚えてもらう最初の予定を継続でいいだろう。

もう一つのファイルを開いて、息を吐く。

体育祭のトーナメントで見せた体捌きから、十分な力があるのは想像がついていた。初対面で詳しい個性も知らない相手との戦闘で相手の弱点を見つけ、即座に動きを変えられる判断力と制圧まで実現できる戦闘スキルに関してはすでに一介の生徒を超えている。

爆豪と同じ、即戦力になる逸材。緑谷とエクトプラズムの組手は見ているこちらも感嘆の息を溢しそうになるもので、エクトプラズムがとても気に入っていた。

二回目からの組手は難易度を上げてエクトプラズムからの攻撃も増え、敵役も増えていた。それでも対応し、致命傷に繋がるような攻撃を喰らわず組手を続けるとはどんな訓練を今までしてきたのかが逆に気になる。

取り寄せた過去の資料は中学、小学校のものまであるが、どちらの成績も驚くほど優秀で、段階評価に関しては最高値以外を獲得したことがない。クラス内でも孤立しているわけではなく、大まかに朗らかな人柄ではあるが、基本は幼馴染の爆豪と弟の緑谷と常につるんでいたようだ。

幼馴染と弟と一緒にいることはなにもおかしなことではないが、それだけ成績がよくそれなりに交友を築いているような人間であるのに、目立った活躍がないのは不審だった。

コンクールや行事の代表、学校の役員選出どころかクラスのリーダーに至るまで、全てにおいて功績を残した形跡がない。

中学三年の担任からの講評では、周囲の目を気にするきらいがあり、その結果として周りを優先するとあり、それ以前はここぞのときやる気に欠ける、真剣さの足りない生徒と評価されていた。おそらくこの三年時の担任の講評が正しい緑谷の人物像だろう。

一人でやらせる分には思う存分好きに力を出して結果を出すけれど、順位が決まるものに関しては常に力をセーブするか決まりそうになってしまった代表に対しては辞退をしてる。雄英入学時の挨拶を断った過去を見るに、辞退は一度や二度では済まないであろうそれに緑谷の意図を読み解くため頭を押さえる。

「自身の力を誇示しないのは美徳かもしれんが…こいつの場合は極端すぎる」

まだまだ個性の扱いが危うすぎる、頭の回転は早いのに一辺倒な弟と、なまじ優秀すぎて生来の性質もあるだろうが少々傲慢な幼馴染。二人に囲まれた結果がこうなのか、それとも別の意味があるのか。

考えられるのは周りとの力量バランスの調整だが、そんなことを何故する必要があったのかがわからない。

突出しすぎた才能は迫害の対象になりやすいが、いじめを受けていたのはどちらかといえば弟の方のようだし、扇動していたのは幼馴染。そしてそれを見ている兄の構図に眉根を寄せる。

彼奴が体育祭で起こしたことを考えればそれもおかしな話だ。

自身に悪意を集めて二人の粗暴性と狂気性を隠すほど二人を保護したがっている人間が、二人を止めないはずがない。意図的に作られていた環境の意味はなんだ。

資料を遡り、動画を見返し、緑谷自身だけではなく弟や幼馴染の様子を思い出しても今一答えは出ない。

確証が得られないそれは考えすぎても深みにハマるだけで、幸いまだ時間はある。考察と検証はじっくり時間をかけて行うべきだろう。

とりあえずはと明日のスケジュールを調整し、今度はミッドナイトへと連絡を入れる。緑谷は、扱うのが苦手な長物にはどこまで対応できるか確認をさせてもらおう。



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