『生誕祭』 (前編)
姫様万歳…ナノカ姫様ばんざーい!
ここは、とある場所にある不思議の国ーー月国〈つきこく〉
この国には、獣耳尻尾を持つ獣人が主に暮らしている。その種のほとんどが兎で、他は犬や狐、リスなど様々だ。そして、この国を統べているのが代々猫の種族であり、中でも白い毛並みの猫は高貴な位の表れとされている。
現在この国を統治するのは、先代から代替わりした真っ白い猫の3姉妹ーー通称 猫姫3姉妹である。その名はそれぞれ、長女ナノカ、次女ハヅキ、3女カンナという。
月国では今、長女ナノカの生誕祭の真っ最中である。
この国は四季がなく年中春のような陽気だ。そのためか、国民ものんびり陽気な性格な者が多く、祝い事やお祭り事が大好きである。
生誕祭も1日では終わらず、誕生日の前後2週間ずつの約1ヶ月は生誕祭として国を上げて盛り上がっている。あちらこちらで、『姫様万歳、姫様に乾杯!』と陽気な声が飛び交うほどだ。
そして、いよいよ明日は誕生日当日。壮大な式典が執り行われる予定で、生誕祭で1番の盛り上がりをみせるのは言うまでもない。
毎年恒例で、式典では誕生日を迎えた姫から国民へ向けた尊きお話がある。国民はまるで神からの啓示を受けたような面持ちになるのだが、話の内容としてはいたって普通で。その年の抱負など他愛ない内容がほとんどである。だが、時たまに重大発表がなされる場合もあるので油断ならない。
もしかしたらナノカ姫から何かしら発表があるかもしれないと、国民はそわそわして眠れぬ夜を過ごす者も少なくない。
そんなはやる気持ちをおさえ、国民たちは皆式典が行われる会場へ赴き猫姫への祝いの花や菓子を供えていく。様々な花や菓子で彩られた会場はその日を今か今かと待ちわびていた。
「カンナ様がまた…!すぐにこちらに来てください!」
ところ変わって、月国のちょうど中心地に当たる場所。
ここには猫姫たちが住む大きなお城が建っている。その外観は猫姫を思わせる白く美しいもので、とても荘厳な建物だ。
そんな城から似つかわしくない声が響き渡っていてーー
「こんな青いドレスなんて嫌っ!いーやーだ!!」
静かな城内に子どもの金切り声がこだまする。
ここは城の中央部より少し左側にある、三女カンナ姫の部屋。
そして、カンナ付きのメイドから呼び出されこの部屋を訪れたのは、長女ナノカ姫の執事ソナタだ。白い兎耳と尻尾、女性のようにしなやかで美しい長い髪。彼は端正な顔立ちに眼鏡がトレードマークの真面目を絵に描いたような性格の執事である。
なぜ長女の執事が呼び出されたのかというと…
現在カンナを担当している執事は執事長を務めているエーデルでソナタの父親でもある。代々猫姫に仕える家系であるが、彼は病気を理由に近々その職務を引退しようと考えている。そのため新たな執事を一人迎えようと選考中だが、決め手にかけるとのことでまだ決まっておらず引退時期も未定である。
引退後は彼のあとを引き継ぎ、息子であるソナタが執事長になる予定だ。そして、担当姫も長女ナノカから三女カンナへと変わることになっている。引き継ぎを滞りなく進めるためにも、何かあれば次期執事長として三姫のもとへ駆り出される状態であった。
「どうされましたか、カンナ様。明日の生誕祭式典でのお召し物なら、そちらで合っているかと思いますが…」
ソナタは顔を隠すように眼鏡をくいっとあげたが、その目は泳いでいる。背中に嫌な汗もかいていた。それは、まだカンナ姫に慣れずどう接していいか分からないという心情の表れである。
白い肌に淡い桜色で巻き髪のツインテールが特徴の幼な姫、三女カンナ。とても愛くるしい顔立ちはまさに美少女だが、執事が問いかけると非常にご機嫌斜めの様子でこちらを睨みつけてくる。
そんな彼女の前には愛らしく美しい、姫に最も合うだろう水色と白が基調のフリルとリボンがたっぷりあしらわれているドレスが掛けられていた。
普段カンナはピンクが好きなのでピンク色のドレスを身に纏うことが多いのだが、今回は流行を取り入れ水色のドレスを着たいとカンナ自ら選んでいる。オーダー通りのドレスでミスなど無いことはもう何週間も前から確認済みであった。
「カンナはピンクのが着たいの!こんな青いの…かわいくない!!」
姫の御前であるにもかかわらず、ついつい大きなため息が出てしまう。
式典はもう明日へと迫っているという状況で、ドレスの変更など難しい。こういったことは、このカンナ姫としては日常茶飯事なのだが、ほんの数日前まで彼女は水色のドレスを気に入った様子で式典を楽しみにしていたというのに…だから、油断していたとも言える。
カンナ姫といえば、三姫のなかで1番手のかかる姫である。年齢的にも10歳と幼いのだから仕方のないところもあるが、それ以上に性格に問題があるのだ。『カンナ姫はわがまま姫』というのは、国中に知れ渡った共通認識だが、城の者からするとそんな生易しいものではないと口を揃えるだろう。国が生んだ小さき大怪獣はたまた暴君かーーそれがカンナ姫だ。
出された料理が気に入らず爆破したとか言いつけに背いた使用人を川に沈めようとしたとか…子どものいたずらでは済まされない、度を越した悪行の実録は今は割愛させて頂く。
普段ならこんなわがままかわいい部類なのだが、如何せん式典は明日へと迫っていて待ってはくれない。姫のドレスが急ごしらえの間に合わせな物などあってはならないのだが…
「何を騒いでいるのかしら?」
そこへ、騒ぎを聞きつけた長女ナノカ姫が様子を見にやって来た。
腰ほどまである漆黒の髪は絹のような滑らかさ。その瞳はルビーのように紅く、瞳の下にホクロがあるのが特徴だ。また、背が高くスラリとしたモデル体型で、頭のてっぺんからつま先まで全てが美しい。まさに美の象徴。しかも彼女から滲み出るその妖艶さは、見た者を虜にしてやまないという。
彼女はとても聡明で才色兼備、非の打ち所がない姫ーーある1点を除いてはだが…
「姉さまー明日のドレスの色が気に入らないの!なのに、この眼鏡がこのドレスじゃないとだめって言うの!!」
ナノカに状況説明をしようとしたが、カンナに先を越されてしまった。もう打つ手なしか、とソナタはまたため息をつく。
「カンナ、そんなに怒ってはかわいい顔が……さらに、かわいいわね」
ここにいる執事やメイドたち皆が、そこは『台無し』の間違いでは?と思ったが、姫につっこみを入れられる者などおらずその思いはそれぞれそっと胸に秘めた。
完璧姫ナノカの難点は唯一つ…それは、小さくて可愛らしいものが好きだということ。それはもう、病的に。
中でも妹のカンナを溺愛していて、カンナを目の前にするとナノカのあの聡明さはどこへやら…短絡的な思考になり、語彙力も消失。ただただ愛くるしい妹を愛でるだけの存在に成り果てるのだ。それ故、カンナのわがままっぷりは増幅していくばかりである。
今もナノカ姫は鼻息荒く、かわいいしか言えなくなった壊れた機械のようなお姿に成り果てている。そんな姉をよそに妹カンナは、頼もしい味方を得て勝ち誇った顔でこちらを見ていた。可愛さ余って憎さ百倍とはこのことである。
ナノカはある程度妹の頭を撫でくりまわし気が済んだのか、漸く二人の世界から抜け出し執事たちの存在に気づいてくれたようで。やっと本題へと戻ることができた。
「…ドレスの件は、カンナの好きにさせてあげなさい。ピンクのドレスも用意があるのでしょう?ねえ、エーデル」
「お呼びですかな、姫様。このじいやに、是非お任せあれ」
そう言いながら、ゆっくりと部屋に入って来た人物。
白髪に片眼鏡をつけた背の低い老人ーー彼が執事長ことエーデルである。
執事長がやっと来てくれたと思っていたら、次々と使用人がドレスを部屋に運び入れていく。ピンクのドレスだけで数十着はあり、さらにデザイン違いの青色ドレスに、普段着ないような色合いのドレスまでかなり豊富に取り揃えていた。
「父さ、いえ…執事長。このドレスは一体…ドレスの発注は私に一任すると言っていませんでしたか?」
「万が一に備えて、準備を怠らないのが執事長の務めというものだよ」
エーデルはソナタの肩を優しく叩いて笑顔を向けた。その笑顔につられ、気づけば『すみません、父さん』と執事ではなく一人息子として素直に笑顔を向けていた。
「さすが、じーや!やっぱり、できる執事は違うねっ」
「そうですじゃろ?あんな若造にはまだまだ負けません!」
『イエーイ』と、ソナタの目の前でカンナとエーデルがハイタッチしている。
(あんな若造と愚弄していますが、それは貴方の息子ですよ)
父さんがいてくれて良かったと思ったあの時間を返してほしいものだと、はしゃぐ幼な姫と老執事を冷ややかな目で見つめるソナタであった。
「これで明日の朝また気分が変わられて、カンナ様が別のドレスにと仰られても大丈夫そうですね」
隣にいたカンナのメイドがそう呟く。
なんて怖いことをこの子は言い出すのだろうかと思ったが、ソナタは平気な顔でそうですねとだけ答えた。
因みに万が一に備えていたというあの色とりどりのドレスだが、実は歴代の姫たちが着ていたドレスと同じ物だという。仕立てたドレスの見本として、町にある姫御用達の仕立て屋に保管されていたものらしい。色褪せることなく新品同様に保管されたそれらは、勿論どれも超一級品だ。これならば姫の予備のドレスとしても遜色はないだろうと、つい先程エーデルが取り寄せたとのこと。ドレスのことで騒ぎ出したカンナのもとに、エーデルが駆けつけるのが遅れたのはこのせいである。
「ナノカ様、そろそろお休みの時間です…」
「ユナ、その呼び方であっていたかしら?」
「あ…す、すみません!ナノカ…姉さま?」
良くできました、とつい最近ナノカ付きのメイドになったリス族の頭をナノカは撫でている。まだ幼さの残るかわいらしい女の子でさぞナノカ好みなのだろう。姉妹でもないのに姉さまと呼ばせているようだ。
「そうね、問題も解決したようだし…部屋へ戻りましょう」
ナノカはメイドとともに自室へと帰っていった。
それを皮切りにここに集まっていた者たちもそれぞれ持ち場へと戻っていく。
ソナタはナノカに同行せず、職務室へ向かった。まだまだ雑務が山積みなのだ。幸いナノカはあまりお世話せずとも何も困らない、最も手のかからない姫で助かっている。
カンナはメイドたちとともにどのドレスにしようかと吟味しているようだった。
だいぶお疲れ気味のソナタが漸く仕事場へと戻ってくると、部屋の前には人影があった。彼を出迎えてくれたのは、次女ハヅキ姫のメイド、ガーナであった。彼女は茶色の兎族で大きな丸メガネにお下げ髪、頬にはそばかすがある。月国の外れにある田舎町出身で、気弱な新人メイドだ。いつもおろおろしており、メイドとしてもまだ半人前といったところだが、なぜかハヅキ姫に気に入られ専属メイドとなっている。
「ああー、ソナタさんやっとお戻りにー良がったです…実は困ったごとになりましてー」
少し訛りのある話し方の彼女から発せられた、困ったことーー
またか…とソナタはため息混じりに頭をおさえた。気落ちしていても厄介事が消えてなくなるわけではないので、すぐさま何があったのか尋ねることにする。
「それがーハヅキ様のお夜食が綺麗サッパリなくなっでしまったんですー今、お店に問い合わせしてもらっで、追加で新しく届けてもらえないか確認中なんですが…」
彼女の話によると、ハヅキの夜食用にと用意していたスイーツが少し目を離したすきにお皿の上から綺麗サッパリ無くなっていたとのこと。
「ハヅキ様が待ちきれずお召し上がりになられたのでは?それか、あの馬か…いえ、失礼。ハヅキ様の執事であるセイランが毒味と称してまたつまみ食いをしたのかもしれません。後でよく言ってきかせます」
「そうなんでしょうがー…でもやっぱり、お夜食20皿全部無くなるのはおかしいと思うんですー」
お夜食が20皿もあるのがおかしいのでは…?
ついそのように答えたくなるが、健啖家で有名なあのハヅキ姫だ。そのくらい普通なのだろう、多分きっと。
次女ハヅキ姫と言えば、あまり自分から話されようとしない方で、意思疎通が難しい。ナノカ姫によると妹ハヅキは不思議ちゃんなのだそう。彼女の特徴は、大食漢であるということと肌がとても弱いこと。
3姫の中で1番肌が白く、日に当たると火傷のようになってしまう。そのため外に出ることが少なく、国民のほとんどがそのお顔をあまり見たことがない。神秘のベールに包まれた謎の姫、それが国民のハヅキ姫の印象だ。
見た目だけなら、そのイメージに近いとも言えるだろう。
可愛さと清廉さを合わせ持ち、透き通るような肌の白さ。それに加え瞳はオッドアイであり、また美しいエメラルドグリーンの御髪はまさに神秘的ーー
だが城の者からすると、『ぐうたらなただの大食らい変人姫』と口を揃えて言うだろう。実情を知ればそんなものなのだ。いや、思っていても口には出せないが…
「分かりました、その件は私が処理します。
あと、洋菓子店の御主人にはあまり無理を言わないようにお願いします。もうこんな夜更けですし…
もし、スイーツが手配できないようでしたら、ハヅキ姫のもとへ私も同行して説明と謝罪をしますので、声をかけて下さい」
納得してくれたようで、そのメイドは何度も頭を下げ礼を述べながら戻っていった。
ソナタは、職務室の椅子に倒れ込むように座り、深い深いため息をこぼす。
窓からは綺麗な真ん丸の月が見えている。
(今日はもう何も起こらなければいいのだが…)
月が綺麗だ、などと呑気に眺めている暇などない。机には処理しなければならない書類が山積みになっている。
そんな書類の山が、窓から入ってきた風に煽られ数枚床へと落ちた。その風とともに窓の外で何か黒い影がひらりとした気がするが、疲れているしきっと見間違いだろう。然程気にすることなく、ソナタは床に落ちた書類を1枚拾いあげる。目を通してみると、それは式典に関する報告書だった。
「式典に備えられていた食べ物が全て消失…?」
床に落ちた他の報告書にも目を通して見ると、ここ最近式典近くの店で売られている果物やパンなど食べ物が盗まれる事例が多発していた。
金品など高価な物が盗まれたという報告はあがっておらず、盗賊団の目撃情報もない。これは恐らく盗賊団として有名な組織による犯行ではない、とソナタは結論づける。
(それにしても、これ程までに食べ物ばかり狙うとは…よほど腹のすいた賊なのだろう。式典の食べ物に、さらにはこの城の姫の夜食にまで手を付けて…)
疲れた脳がそう答えを導き出したが、その答えに笑いがこみ上げてくる。
そんなはずはないのだ。この城の警備は国で1番厳重なのだから。鼠1匹とて入り込むことは不可能ーー
『ヴーヴー 警備棟より緊急連絡』
その時突然、静かな部屋に耳障りな音が響き渡った。これは、緊急時にのみ使用される無線連絡。
『ナノカ姫の部屋に侵入者ありーー
繰り返します…ナノカ姫の部屋に侵入者あり、姫さま…応戦中!!』
ーーこれは生誕祭式典当日の、長い長い夜の出来事である。
続
ここは、とある場所にある不思議の国ーー月国〈つきこく〉
この国には、獣耳尻尾を持つ獣人が主に暮らしている。その種のほとんどが兎で、他は犬や狐、リスなど様々だ。そして、この国を統べているのが代々猫の種族であり、中でも白い毛並みの猫は高貴な位の表れとされている。
現在この国を統治するのは、先代から代替わりした真っ白い猫の3姉妹ーー通称 猫姫3姉妹である。その名はそれぞれ、長女ナノカ、次女ハヅキ、3女カンナという。
月国では今、長女ナノカの生誕祭の真っ最中である。
この国は四季がなく年中春のような陽気だ。そのためか、国民ものんびり陽気な性格な者が多く、祝い事やお祭り事が大好きである。
生誕祭も1日では終わらず、誕生日の前後2週間ずつの約1ヶ月は生誕祭として国を上げて盛り上がっている。あちらこちらで、『姫様万歳、姫様に乾杯!』と陽気な声が飛び交うほどだ。
そして、いよいよ明日は誕生日当日。壮大な式典が執り行われる予定で、生誕祭で1番の盛り上がりをみせるのは言うまでもない。
毎年恒例で、式典では誕生日を迎えた姫から国民へ向けた尊きお話がある。国民はまるで神からの啓示を受けたような面持ちになるのだが、話の内容としてはいたって普通で。その年の抱負など他愛ない内容がほとんどである。だが、時たまに重大発表がなされる場合もあるので油断ならない。
もしかしたらナノカ姫から何かしら発表があるかもしれないと、国民はそわそわして眠れぬ夜を過ごす者も少なくない。
そんなはやる気持ちをおさえ、国民たちは皆式典が行われる会場へ赴き猫姫への祝いの花や菓子を供えていく。様々な花や菓子で彩られた会場はその日を今か今かと待ちわびていた。
「カンナ様がまた…!すぐにこちらに来てください!」
ところ変わって、月国のちょうど中心地に当たる場所。
ここには猫姫たちが住む大きなお城が建っている。その外観は猫姫を思わせる白く美しいもので、とても荘厳な建物だ。
そんな城から似つかわしくない声が響き渡っていてーー
「こんな青いドレスなんて嫌っ!いーやーだ!!」
静かな城内に子どもの金切り声がこだまする。
ここは城の中央部より少し左側にある、三女カンナ姫の部屋。
そして、カンナ付きのメイドから呼び出されこの部屋を訪れたのは、長女ナノカ姫の執事ソナタだ。白い兎耳と尻尾、女性のようにしなやかで美しい長い髪。彼は端正な顔立ちに眼鏡がトレードマークの真面目を絵に描いたような性格の執事である。
なぜ長女の執事が呼び出されたのかというと…
現在カンナを担当している執事は執事長を務めているエーデルでソナタの父親でもある。代々猫姫に仕える家系であるが、彼は病気を理由に近々その職務を引退しようと考えている。そのため新たな執事を一人迎えようと選考中だが、決め手にかけるとのことでまだ決まっておらず引退時期も未定である。
引退後は彼のあとを引き継ぎ、息子であるソナタが執事長になる予定だ。そして、担当姫も長女ナノカから三女カンナへと変わることになっている。引き継ぎを滞りなく進めるためにも、何かあれば次期執事長として三姫のもとへ駆り出される状態であった。
「どうされましたか、カンナ様。明日の生誕祭式典でのお召し物なら、そちらで合っているかと思いますが…」
ソナタは顔を隠すように眼鏡をくいっとあげたが、その目は泳いでいる。背中に嫌な汗もかいていた。それは、まだカンナ姫に慣れずどう接していいか分からないという心情の表れである。
白い肌に淡い桜色で巻き髪のツインテールが特徴の幼な姫、三女カンナ。とても愛くるしい顔立ちはまさに美少女だが、執事が問いかけると非常にご機嫌斜めの様子でこちらを睨みつけてくる。
そんな彼女の前には愛らしく美しい、姫に最も合うだろう水色と白が基調のフリルとリボンがたっぷりあしらわれているドレスが掛けられていた。
普段カンナはピンクが好きなのでピンク色のドレスを身に纏うことが多いのだが、今回は流行を取り入れ水色のドレスを着たいとカンナ自ら選んでいる。オーダー通りのドレスでミスなど無いことはもう何週間も前から確認済みであった。
「カンナはピンクのが着たいの!こんな青いの…かわいくない!!」
姫の御前であるにもかかわらず、ついつい大きなため息が出てしまう。
式典はもう明日へと迫っているという状況で、ドレスの変更など難しい。こういったことは、このカンナ姫としては日常茶飯事なのだが、ほんの数日前まで彼女は水色のドレスを気に入った様子で式典を楽しみにしていたというのに…だから、油断していたとも言える。
カンナ姫といえば、三姫のなかで1番手のかかる姫である。年齢的にも10歳と幼いのだから仕方のないところもあるが、それ以上に性格に問題があるのだ。『カンナ姫はわがまま姫』というのは、国中に知れ渡った共通認識だが、城の者からするとそんな生易しいものではないと口を揃えるだろう。国が生んだ小さき大怪獣はたまた暴君かーーそれがカンナ姫だ。
出された料理が気に入らず爆破したとか言いつけに背いた使用人を川に沈めようとしたとか…子どものいたずらでは済まされない、度を越した悪行の実録は今は割愛させて頂く。
普段ならこんなわがままかわいい部類なのだが、如何せん式典は明日へと迫っていて待ってはくれない。姫のドレスが急ごしらえの間に合わせな物などあってはならないのだが…
「何を騒いでいるのかしら?」
そこへ、騒ぎを聞きつけた長女ナノカ姫が様子を見にやって来た。
腰ほどまである漆黒の髪は絹のような滑らかさ。その瞳はルビーのように紅く、瞳の下にホクロがあるのが特徴だ。また、背が高くスラリとしたモデル体型で、頭のてっぺんからつま先まで全てが美しい。まさに美の象徴。しかも彼女から滲み出るその妖艶さは、見た者を虜にしてやまないという。
彼女はとても聡明で才色兼備、非の打ち所がない姫ーーある1点を除いてはだが…
「姉さまー明日のドレスの色が気に入らないの!なのに、この眼鏡がこのドレスじゃないとだめって言うの!!」
ナノカに状況説明をしようとしたが、カンナに先を越されてしまった。もう打つ手なしか、とソナタはまたため息をつく。
「カンナ、そんなに怒ってはかわいい顔が……さらに、かわいいわね」
ここにいる執事やメイドたち皆が、そこは『台無し』の間違いでは?と思ったが、姫につっこみを入れられる者などおらずその思いはそれぞれそっと胸に秘めた。
完璧姫ナノカの難点は唯一つ…それは、小さくて可愛らしいものが好きだということ。それはもう、病的に。
中でも妹のカンナを溺愛していて、カンナを目の前にするとナノカのあの聡明さはどこへやら…短絡的な思考になり、語彙力も消失。ただただ愛くるしい妹を愛でるだけの存在に成り果てるのだ。それ故、カンナのわがままっぷりは増幅していくばかりである。
今もナノカ姫は鼻息荒く、かわいいしか言えなくなった壊れた機械のようなお姿に成り果てている。そんな姉をよそに妹カンナは、頼もしい味方を得て勝ち誇った顔でこちらを見ていた。可愛さ余って憎さ百倍とはこのことである。
ナノカはある程度妹の頭を撫でくりまわし気が済んだのか、漸く二人の世界から抜け出し執事たちの存在に気づいてくれたようで。やっと本題へと戻ることができた。
「…ドレスの件は、カンナの好きにさせてあげなさい。ピンクのドレスも用意があるのでしょう?ねえ、エーデル」
「お呼びですかな、姫様。このじいやに、是非お任せあれ」
そう言いながら、ゆっくりと部屋に入って来た人物。
白髪に片眼鏡をつけた背の低い老人ーー彼が執事長ことエーデルである。
執事長がやっと来てくれたと思っていたら、次々と使用人がドレスを部屋に運び入れていく。ピンクのドレスだけで数十着はあり、さらにデザイン違いの青色ドレスに、普段着ないような色合いのドレスまでかなり豊富に取り揃えていた。
「父さ、いえ…執事長。このドレスは一体…ドレスの発注は私に一任すると言っていませんでしたか?」
「万が一に備えて、準備を怠らないのが執事長の務めというものだよ」
エーデルはソナタの肩を優しく叩いて笑顔を向けた。その笑顔につられ、気づけば『すみません、父さん』と執事ではなく一人息子として素直に笑顔を向けていた。
「さすが、じーや!やっぱり、できる執事は違うねっ」
「そうですじゃろ?あんな若造にはまだまだ負けません!」
『イエーイ』と、ソナタの目の前でカンナとエーデルがハイタッチしている。
(あんな若造と愚弄していますが、それは貴方の息子ですよ)
父さんがいてくれて良かったと思ったあの時間を返してほしいものだと、はしゃぐ幼な姫と老執事を冷ややかな目で見つめるソナタであった。
「これで明日の朝また気分が変わられて、カンナ様が別のドレスにと仰られても大丈夫そうですね」
隣にいたカンナのメイドがそう呟く。
なんて怖いことをこの子は言い出すのだろうかと思ったが、ソナタは平気な顔でそうですねとだけ答えた。
因みに万が一に備えていたというあの色とりどりのドレスだが、実は歴代の姫たちが着ていたドレスと同じ物だという。仕立てたドレスの見本として、町にある姫御用達の仕立て屋に保管されていたものらしい。色褪せることなく新品同様に保管されたそれらは、勿論どれも超一級品だ。これならば姫の予備のドレスとしても遜色はないだろうと、つい先程エーデルが取り寄せたとのこと。ドレスのことで騒ぎ出したカンナのもとに、エーデルが駆けつけるのが遅れたのはこのせいである。
「ナノカ様、そろそろお休みの時間です…」
「ユナ、その呼び方であっていたかしら?」
「あ…す、すみません!ナノカ…姉さま?」
良くできました、とつい最近ナノカ付きのメイドになったリス族の頭をナノカは撫でている。まだ幼さの残るかわいらしい女の子でさぞナノカ好みなのだろう。姉妹でもないのに姉さまと呼ばせているようだ。
「そうね、問題も解決したようだし…部屋へ戻りましょう」
ナノカはメイドとともに自室へと帰っていった。
それを皮切りにここに集まっていた者たちもそれぞれ持ち場へと戻っていく。
ソナタはナノカに同行せず、職務室へ向かった。まだまだ雑務が山積みなのだ。幸いナノカはあまりお世話せずとも何も困らない、最も手のかからない姫で助かっている。
カンナはメイドたちとともにどのドレスにしようかと吟味しているようだった。
だいぶお疲れ気味のソナタが漸く仕事場へと戻ってくると、部屋の前には人影があった。彼を出迎えてくれたのは、次女ハヅキ姫のメイド、ガーナであった。彼女は茶色の兎族で大きな丸メガネにお下げ髪、頬にはそばかすがある。月国の外れにある田舎町出身で、気弱な新人メイドだ。いつもおろおろしており、メイドとしてもまだ半人前といったところだが、なぜかハヅキ姫に気に入られ専属メイドとなっている。
「ああー、ソナタさんやっとお戻りにー良がったです…実は困ったごとになりましてー」
少し訛りのある話し方の彼女から発せられた、困ったことーー
またか…とソナタはため息混じりに頭をおさえた。気落ちしていても厄介事が消えてなくなるわけではないので、すぐさま何があったのか尋ねることにする。
「それがーハヅキ様のお夜食が綺麗サッパリなくなっでしまったんですー今、お店に問い合わせしてもらっで、追加で新しく届けてもらえないか確認中なんですが…」
彼女の話によると、ハヅキの夜食用にと用意していたスイーツが少し目を離したすきにお皿の上から綺麗サッパリ無くなっていたとのこと。
「ハヅキ様が待ちきれずお召し上がりになられたのでは?それか、あの馬か…いえ、失礼。ハヅキ様の執事であるセイランが毒味と称してまたつまみ食いをしたのかもしれません。後でよく言ってきかせます」
「そうなんでしょうがー…でもやっぱり、お夜食20皿全部無くなるのはおかしいと思うんですー」
お夜食が20皿もあるのがおかしいのでは…?
ついそのように答えたくなるが、健啖家で有名なあのハヅキ姫だ。そのくらい普通なのだろう、多分きっと。
次女ハヅキ姫と言えば、あまり自分から話されようとしない方で、意思疎通が難しい。ナノカ姫によると妹ハヅキは不思議ちゃんなのだそう。彼女の特徴は、大食漢であるということと肌がとても弱いこと。
3姫の中で1番肌が白く、日に当たると火傷のようになってしまう。そのため外に出ることが少なく、国民のほとんどがそのお顔をあまり見たことがない。神秘のベールに包まれた謎の姫、それが国民のハヅキ姫の印象だ。
見た目だけなら、そのイメージに近いとも言えるだろう。
可愛さと清廉さを合わせ持ち、透き通るような肌の白さ。それに加え瞳はオッドアイであり、また美しいエメラルドグリーンの御髪はまさに神秘的ーー
だが城の者からすると、『ぐうたらなただの大食らい変人姫』と口を揃えて言うだろう。実情を知ればそんなものなのだ。いや、思っていても口には出せないが…
「分かりました、その件は私が処理します。
あと、洋菓子店の御主人にはあまり無理を言わないようにお願いします。もうこんな夜更けですし…
もし、スイーツが手配できないようでしたら、ハヅキ姫のもとへ私も同行して説明と謝罪をしますので、声をかけて下さい」
納得してくれたようで、そのメイドは何度も頭を下げ礼を述べながら戻っていった。
ソナタは、職務室の椅子に倒れ込むように座り、深い深いため息をこぼす。
窓からは綺麗な真ん丸の月が見えている。
(今日はもう何も起こらなければいいのだが…)
月が綺麗だ、などと呑気に眺めている暇などない。机には処理しなければならない書類が山積みになっている。
そんな書類の山が、窓から入ってきた風に煽られ数枚床へと落ちた。その風とともに窓の外で何か黒い影がひらりとした気がするが、疲れているしきっと見間違いだろう。然程気にすることなく、ソナタは床に落ちた書類を1枚拾いあげる。目を通してみると、それは式典に関する報告書だった。
「式典に備えられていた食べ物が全て消失…?」
床に落ちた他の報告書にも目を通して見ると、ここ最近式典近くの店で売られている果物やパンなど食べ物が盗まれる事例が多発していた。
金品など高価な物が盗まれたという報告はあがっておらず、盗賊団の目撃情報もない。これは恐らく盗賊団として有名な組織による犯行ではない、とソナタは結論づける。
(それにしても、これ程までに食べ物ばかり狙うとは…よほど腹のすいた賊なのだろう。式典の食べ物に、さらにはこの城の姫の夜食にまで手を付けて…)
疲れた脳がそう答えを導き出したが、その答えに笑いがこみ上げてくる。
そんなはずはないのだ。この城の警備は国で1番厳重なのだから。鼠1匹とて入り込むことは不可能ーー
『ヴーヴー 警備棟より緊急連絡』
その時突然、静かな部屋に耳障りな音が響き渡った。これは、緊急時にのみ使用される無線連絡。
『ナノカ姫の部屋に侵入者ありーー
繰り返します…ナノカ姫の部屋に侵入者あり、姫さま…応戦中!!』
ーーこれは生誕祭式典当日の、長い長い夜の出来事である。
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