今宵はナイトで逢いましょう
「光線過敏症とは別名日光アレルギーと言い、日に当たると発疹や赤み、かゆみなどを引き起こす病気である。重症化すると頭痛やめまい、吐き気などを催すこともある。
日焼けとの違いは紫外線がそれほどつよくなくても症状が出てしまうところだとーー」
テレビのアナウンサーが読み上げているのは、先日国民的俳優として人気を博している、とある芸能人が告白した病気のことだ。聞き慣れない病名だったため、今話題となっている。
「女優さんも大変だな、ちょっと発疹できたくらいで大騒ぎされて」
朝のテレビ番組をぼんやりと見ながら、宮城リョータは呟いた。
テーブルの上には自分でこしらえた朝食が2人分。同居人が向かいの席につくのを待っているのだが、一向に現れる様子がない。
「なにしてんのー?早くご飯食べないと遅れるよー」
先程から呼びかけているが、返事がないので仕方なく席を立ち様子を見に行った。朝のルーティーンから察するにきっと今はベランダだろう。朝起きると、ベランダに出て朝日を浴びる。そしてコップ1杯のEAAドリンクを飲む。何に影響されたのか、毎日同じ行動を繰り返しているようだった。
彼は先月発売されたファッション誌の表紙を飾っているが、その中のインタビュー記事でも答えている。大人気プロバスケ選手三井寿、朝のルーティーン大公開、だ。
ベランダの方へ向かうと、予想通り寝癖のついた髪が見えた。少し大きめのシャツを羽織り、下はスラリと長い艶めかしい足が覗いている。また下着のままベランダに出たのだろうか。何度注意しても改めてくれないので、そろそろ本気で怒ってやろうと近づくと、何やら蹲りながら唸っていた。心配になり駆け寄って声をかける。
「どうしたの、大丈夫?」
「りょーたぁ、すげぇかゆい、これなんだろ」
これと言って色白い生足をこちらに向けてくる。見ると太もものあたりが赤くなっていた。
「そんな格好でベランダになんか出るからでしょ。かゆいからって掻きむしったらひどくなるからねー」
虫刺されなら薬を、とリビングへ引き返す。すると、もうちょっと親身になってくれてもよくねーとぶつぶつ文句を言いながらも三井はのろのろと後をついてくる。
「ほら、優しい彼氏が薬塗ってあげるから、足出して」
するとソファに寝転び、薬を塗りやすいようにとシャツを両手で捲るようにして引き上げた。太ももどころか黒いボクサーパンツにへそまで見えている。朝の光景としては少々刺激的だが、気にしないようにして薬をぬってやる。どうせこの人は何も考えていない、狙ったりはしないのだ。
薬がしみるのか身悶えしているが無心で素早く塗りたくって終わらせ、朝の食卓へと促した。
2人はその日の予定を確認しながら食事を終え、支度をしでかけていく。
この日は、ファン感謝祭と称したイベントが開催される。イベント会場は屋外、屋内の2ヶ所に分かれおり、それに伴い同チームの選手もランダムに2チームに振り分けられた。運悪く宮城は屋内、三井は屋外会場と分かれてしまったため、それぞれの会場に各々で向かうことになっている。宮城は自身の車で会場へ、そして三井はーー
「朝からご機嫌ななめだな、三井」
マンションを出たところに車がとまっており、こちらに声をかけてきたのは同チームの藤真だ。彼は早朝にもかかわらず爽やかで、しかもなんだか煌めいているようで見間違いかと思い、宮城は目をごしごしと擦る。だが、三井は見慣れているのか気にする様子もなく、普通にあいさつしていた。
「なんかよー足がかゆくて、朝からテンション下がるぜ」
近づいてきた三井に助手席のドアを開けてやり、回り込んで藤真も車に乗り込む。
「宮城、じゃあ終わったら合流なー連絡しろよ」
三井が助手席の窓から顔を出す。そして、いつものようにいってきますのキスを交わす。俺のことはお構いなく、と藤真に毎回言われるので、気にしないことにしている。
宮城も自分の車に乗り込み出発する。隣の車をちらりと見ると、三井がジャージのズボンをずり下げていた。どうやら朝からかゆいと言っていた箇所を藤真に見せようとしているのだろう。普通見せるにしても、スボンの裾から捲くりあげないだろうか。
はぁと溜め息をつきながらハンドルを握った。
藤真にその気がないことは承知している。いや、漸く割り切れるようになってきたといった感じだ。だが、嫉妬心が芽生えないかと言われれば、答えはノーである。
宮城はとても嫉妬深い男だ。
三井のいるクラブチーム、神奈川サンダースに加入してきた時は、皆三井に気があるのではないかとさえ思ったほどで。
宮城の車は信号にひっかかり、停車する。信号が変わるまでの間、ふと思い出されるのは先程の光景ーー
(さっき、わざわざドア開けてやる必要あったか?)
宮城はいつも同じ感想をもつ。藤真の所作は彼の見た目とあいまってとてもお似合いではあるが。相手が付き合っている彼女ならともかく、なぜただのチームメイトである三井にそのようなことをしなくてはいけないのか。
三井と藤真は大学からのつきあいだ。同じ大学に進学し、プロになっても同じチームになり仲良くなるのはわかる。しかし、これは少し行き過ぎではないだろうかと。
だが、これには一応理由がある。三井を中心にチームを盛り上げろというお達しなのだ。それが、この神奈川サンダースというチームの方針といえば聞こえはいいが、要は三井がお偉いさんのお気に入りであり、もとい金のなる木なのだ。実力もあり、ファンの人気も高い。三井本人の人間性も良いとなれば、気に入られて当然だろう。
元々三井は人に愛され輪の中心にいるような人で、ちやほやされることにも慣れている。自然とそうなってしまう、そうさせてしまう何かが三井にはある。
そして、このチームの仲の良さを見たファンが、「三井選手が姫扱いされてる」と呟いたのをきっかけに、ファンの間で三井姫ブームが広まったのだ。しかも三井と1番仲の良い選手が藤真であったため、王子と姫として定着してしまった。
そこでさらなるお達しである。三井を姫扱いし、ファンの期待にこたえろとーー
最初は選手間でも戸惑いはあった。しかし、人間とは慣れる生き物で、少し経つとその戸惑いもなくなり、皆率先して三井を姫扱いするようになった。
ちなみに、三井本人はというと姫と呼ばれることに疑問を持ちはしても、その扱いには不満はないようだった。
宮城はそんなチームにアメリカから帰国し途中参加した形になったため、その異様な光景に目を疑った。それはもはやちやほやの度合いを超えていて、言うなれば三井はこのチームの皆の彼女だ。
自分の恋人が他の男どもにいやらしい目で見られているのかと思うと、とてつもなく腹立たしかった。コイツら全員正座させて一発ずつ殴っていきたいという衝動に駆られるが、もはやそんな愚行ができるほど子どもではない。いい大人はガンくれるぐらいしかできないのだ。
チーム内でも明らかにその場のノリで、三井をからかう様なスタンスの選手はまだ良いほうで。本気で三井を落としにかかっているとしか見えない奴らも多い。その最たるが藤真である。三井をまるで女性のように扱い、エスコートしている。またそれが絵になるから腹立たしいやら悔しいやら。
三井に言わせれば、藤真はファンが喜ぶからやっていて、からかうとまではいかないが楽しんでやっていると。勿論その気などないらしい。全く顔に出ないので、宮城にはいまいちよく分からないし、疑いははれないのだが。
「いちいち気にしていたら、うちではやっていけないぞ、宮城」
そう藤真に言われた時は、お前がそれを言うのかと毒づいたものだ。
また、宮城にはもう一つ問題があって、自分の立ち位置をどうするかということ。
他の選手と同じように三井のとりまきになるのは論外で、だとすると高校時代のように生意気な後輩キャラでいくしかないととりあえず結論づけた。これはともすると、チーム内で悪役のような形になってしまうかもしれないが、それも仕方ない。有象無象になるよりはましだ。ファン層の厚い三井にたてつく感じになるので、アンチとかできてしまうかもと内心ヒヤヒヤしていたが、結果から言うと全くもってそんなことはなかった。藤真とはまた違った観点のコンビ扱いをうけるようになり、「宮リョは好きな子をいじめたいタイプ」「子どもみたいでかわいい」と好き勝手に言われる始末で、全くもって解せない。
このチームに加入して2年半、稀有な雰囲気に漸く慣れてきたものの、今だ不満は多々ある。だが、もういい大人で仮にもプロとしてここにいるということを忘れてはいけない。あとは自分の中でどう向きあっていくかということだけだった。
そんな事を考えていたら、あっという間にイベント会場についていた。
もうすでに会場近くにはファンが多く集まっており、宮城は胸を撫で下ろす。
2大人気選手の三井、藤真がどちらも屋外会場の方に固まってしまったため、こちらにはあまりファンは集まらないのではと危惧していたがそうでもなかったらしい。
選手分けはランダムなどと言っていたが、このチーム編成を見るからに明らかに操作されているとしか思えなかった。
イベントが始まるとそれはもうすごい熱気で、かなりの盛り上がりを見せた。
途中、大食い大会という謎のコーナーを挟みつつも、やはりイベントの締めはバスケ選手らしくということで、選手たちはお馴染みのユニフォーム姿で登場する。そして、最後にミニ試合が行われたのだが、そこで宮城のファンと思われる女性がうちわを持っているのが見えた。他の選手が気づいて教えてくれたが、宮リョダンクして!は無理がある。宮城を抱えあげてダンクシュートをさせてやろうと試みるものがいたが、持ち上げられなくて断念し笑いが起きていた。
高校時代ならいざ知らず、今の宮城はアメリカにいたこともあって筋力量がすごく、その身長に見合わない重さであったからだ。
その後、ミニ試合を終えるとチームのキャプテンが挨拶をしイベントは無事終了した。
他の選手が着替えをする中、宮城は着替えもそこそこに携帯をチェックする。
屋外チームはもう終わっただろうか。あちらはどんな盛り上がりを見せたのだろう。三井のために設けられたであろう3P対決で、彼は何本シュートを決めたのか。色々と聞きたいことが出てくると、興奮気味にイベントの様子を話す三井の姿が容易に想像できて、思わず笑みがこぼれる。
しかし、三井からの連絡ではなくなぜか藤真から電話がきていてーー
「宮城、とりあえず、1回深呼吸しろ」
開口一番、藤真がそう言ってきたので拒もうとしたが、粘られそうだったので、言われた通り深呼吸。それで?と先を促すと、藤真は言いづらそうに告げたーー三井が倒れた、と。
その後藤真が色々と説明してくれたが、かろうじて聞き取れたのは病院名と命に別状はないということだけだった。
三井サンが倒れた…怪我した、ではなく…?
あちらは屋外でのイベントだった、倒れたということは熱中症だろうか。今はまだ5月だ。今日はそこまで日差しも強くなかったと思うが、三井は暑さに弱いところもある。あるいは、どこか悪くて倒れた、まさか病なのか。
宮城は急いで駐車場に向かうが、ドアを開けようとした手が震えていてやめた。自身が車を運転していけるような状態ではないと判断しタクシーを拾う。
最初はスムーズに病院へと向かっていたが、どうやら渋滞しているようでなかなか進まない。焦る気持ちから貧乏ゆすりと眉間のしわがひどくなる。そんな宮城の様子をミラー越しにみた運転手は、土地カンがあるのか近道だからと小道へとルートを変える。それが功を奏しその後は渋滞に捕まることなく病院を目指すことができた。
漸く病院につきタクシーを降りると、藤真が立っているのが見え駆け寄る。すると、自身の顔色の悪さを指摘され、お前のほうが病人みたいだと言われながら三井のもとへと連れて行かれた。
着いてみるとそこは病室とは違う部屋で、妙に中が暗い。黒いカーテンは遮光性だろうか。まだ16時くらいで外は明るいはずなのに、ここだけ夜のようだった。
「三井さん…大丈夫?」
椅子に座っている人影に恐る恐る声をかける。うとうとしているのか前後に頭が揺れて船を漕いでいた。声が小さくて聞こえなかったのだろう、反応がない。藤真が見兼ねて、三井の肩に手をかけ揺り起こす。
「んーやべっ寝てた…暗すぎんだよなー電気つけてくんね?」
部屋が急に明るくなり、元気そうな三井の顔が漸くはっきりと見えた。
世界が揺らめいている
もっと三井の顔を見ていたのに、視界が悪い。
どうやら泣いてしまったようだ。いい年して恥ずかしいと思うが、流れ出るものは止められない。
「うおっ宮城!? いつ来たんだよ、ってお前泣いてんのか?」
三井が両手を広げて、ほら来いと言うので、のそのそと近づいて抱きつく。どうしたよと頭を優しく撫でるので、ますます泣きが入ってしまう。
「どうした、じゃねえし。倒れたっていうから心配で慌ててきたら、なんか元気そうだしー?ほっとしたら涙とまんないじゃないっすか」
頭を肩口にぐりぐりと押し付ける。なんで倒れたの?病気とかじゃないんすか?と矢継ぎ早に質問していたら、頭を撫でる手が止んだ。
「光線過敏症だってよ」
「こーせんかびんしょー?」
そうオウム返しすると、三井は、俺と同じ反応じゃねえかよと笑っている。
何それと言うと、俺の病名とかえってきた。
「聞いたことあんじゃねえの?最近、芸能人がこれになったって、よくテレビでやってただろ?日に当たるとかゆくなるやつで、なんかそれがひどいみたいでよー急にめまいと頭痛がしてきてすごい気持ち悪くなって倒れちまったんだけど」
確かにどこかで聞いたような気がする。
『女優さんも大変だよなーちょっと発疹ができたくらいで、大騒ぎされて』
それは、朝の番組を見ながら自身が発した言葉だ。
そして、番組の中ではアナウンサーが病気の説明もしていたことを漸く思い出す。
『光線過敏症とはーー日光にあたると赤みやかゆみをおこす病気ーー重症化すると頭痛やめまいがーー』
ベランダに出て朝日を浴びるという三井の朝のルーティーン、そして足の赤みやかゆみ。
それをどうして、自分は虫刺されなどと軽く流してしまったのだろう。この時点で病院に行っていれば、公衆の面前で倒れるなどということは防げたはずだ。これは明らかに自分の落ち度だ。
そう、宮城はひどく後悔した。
「すんません、俺のせいっす…俺がもっとちゃんとしてたら、こんなことにはーー」
「はあ!?なんでお前のせいになんだよ。違ぇだろ!それに、お前はちゃんと心配してくれただろうが。薬ぬってくれただろ?」
「虫刺されの薬なんて意味ないじゃん」
そんな言い争いをしていると、どこかに連絡しに行っていた藤真が戻ってきた。
「なに喧嘩してるんだ?そんな暇あったら手伝ってくれないか」
同じ屋外イベントに出ていたチームメイトが、三井と藤真の荷物を持ってきてくれたらしい。会場からそのまま救急搬送されたので、荷物も何もかも置きっぱなしになっていたからだ。
宮城が慌てて三井の荷物を受け取りに行く。すると、藤真が荷物からジャージの上着を取り出して三井に着せるように言ってきた。
「遮光カーテンがあるから大丈夫だと思うが、念の為だ。暑がりのお前には酷かもしれないが、我慢して着てくれ。今後は日のあるうちは長袖長ズボンの完全防備だぞ、三井」
部屋の中を見渡しても、全て窓は黒い布に覆われているため外の様子はわからない。だが、日が沈むにはまだ早い時間帯だ。
病院での診察は終わったが、日が高いため沈むのを待ってから帰ることになったようだった。
「あとは帽子や日傘で顔を守る必要があるなーーということで、宮城。お前の被ってる帽子を三井に貸してやってくれないか」
宮城は被ってきたお気に入りの帽子を、言われた通り三井の頭にのせた。
「帽子はいいけどよー日傘って必要か?あれって女がさすもんだろ」
「三井、紫外線は男女平等に降り注ぐんだから、日傘が女性専用だなんておかしいだろ。男も持っていいはずだ」
そう言われりゃあそうかもなーと藤真の持論に三井は納得したようで、後で日傘買いに行こうぜと言っていた。
それから、漸く日が落ち恐る恐るといった感じで宮城は病院の外に出る。大丈夫?と声をかけると、お前がびびってどうすんだと言われてしまった。
日が沈むのを待っている間に宮城は一度車を取りに帰っていて、三井共々その車に乗り込む。すると、藤真がガラスをコンコンとノックするので窓を開けてやる。
「明日一旦皆集まって、今後のこととか話があるらしい。三井が倒れたことも結構な騒ぎになってるみたいだから、何かしら発表もあるだろう」
藤真の言うとおり、その日の夜に三井の病名がクラブチームから公式発表されていた。ファンの間では色々な憶測が飛び交っていて、三井の引退説まで出ていたからだろう。
だが、それをゆっくり眺める余裕などなく、宮城は慌ただしい夜をむかえていた。食事をおえた三井が具合が悪いと言い出し、食べた物を吐いたりして病院へと逆戻りになったからだった。
どうやら、病院からもらっていた薬が合わなかったらしい。大したことはなかったが、日傘を買いに行くことなどすっかり失念していた。
翌日チーム全員が集められ、今後のイベントをどうするかという話し合いが行われた。
イベントは今後もまだまだ続き、県外での交流試合まで控えている。三井人気に鑑みると大事をとって全イベント不参加などということができるわけもなく、とりあえず屋外でのイベントのみ不参加ということで話はまとまった。
「災難だったなぁ、三井。そんなおまえにチームの皆からプレゼントだ」
そう言って手渡されたのは、包紙に覆われた細長いもの。傘の柄だけ見えていて、恐らくこれは日傘なのだろう。
三井が乱雑に包紙を外し傘を開く。ばんと大きな音を立て広げられた傘はなんとも可愛らしいもので。色は黒だが、ふんだんにフリルがあしらわれていた。どう見てもーー
「これ、女物じゃねえか!こんなのさして試合にいけっていうのかよ」
1番姫っぽいの選んどいた、と言いながらぐっと親指をたて笑顔のチームメイトたち。これが、チームの仲の良さナンバーワンと言われる神奈川サンダースである。
「良かったじゃないか、三井。どうせ日傘用意してなかったんだろ?」
傘をさしながらわなわなと手を震わせていた三井の肩に、ぽんと手をおき笑顔でなだめた。流石に三井の扱いが手慣れている藤真である。
「そんなに持ちたくないなら、俺がかわりにさしてやろうか」
その言葉通り、いつでもどこでも三井のために日傘をさしてやる藤真、という構図は見るものにかなりのインパクトをあたえたようで。ファンは大いに沸いた。ただ三井に傘をさしてやるのではなく、相合い傘のように2人は密着し、時折藤真が三井の肩を抱き寄せるような仕草も交えてくる。藤真という男はファンの心を掴んではなさない、ファンサの鬼である。
そして、その流れにのっかるように他の選手たちも次々と三井のために傘をさしてやり、その光景が常になった。
「なーんで、俺だけなんか違うって笑われなきゃいけないんすか」
小さな携帯画面には三井と他の選手との日傘ツーショット映像が流れている。その中に宮城とのツーショットもあるのだが、ファンの反応が他の選手たちと微妙に違っているのだ。他の選手であれば、仲良しだとかお似合いとか、かわいいとかそういったコメントが多いのだが。宮城の場合、手が痛そうとか無理してる感がかわいいとか、挙句の果てには、かわいそうだから宮リョはやめたほうがいいと言われる始末だ。
「俺以上に、三井サンにお似合いの奴がいるわけねぇでしょ!」
宮城は携帯を放り投げ、座席の背もたれにどんと背中を預けた。
そう、ここは狭いバスの中ーー今彼らは隣県のクラブチームとの交流試合のため移動中である。バスの座席は特に決まっておらず、選手それぞれ好きな席へと座っている。当然宮城は三井の隣を陣取っていて、本来なら三井を窓側に置くのだが、今は宮城が窓側に座っている。
三井の病気を考慮し、日差しの強い時間帯の移動を避けるため交流試合の前日の夕方から出発している。だから、日差しはないので三井が窓側でも構わないだろうが念の為である。
「何ふてくされてんだよぉ。おら、こういうのもあるんだから良いじゃねぇか」
三井は宮城の放り投げた携帯がバスの通路に出てしまう前に、片手で軽くキャッチする。
そして、三井宮城の湘北コンビ集という映像に切り替える。そこには今でも学生の頃と変わらず、笑い合って喧嘩して、バカやってという先輩後輩コンビが赤裸々に映し出されていた。
「最高のコンビ、2人が一番お似合いーーだってよ。よかったな」
宮城と頬擦りできそうなほど近づいてきて、一緒に映像を見ようと携帯画面を向けてくる。
「とーぜんでしょ?あのときからずっと追いかけてるんだから、アンタの隣は絶対誰にも譲らないっすよ」
自然とお互い顔を近づけ唇を重ねようとするが、さすがにここではまずいと踏みとどまる。
「やっぱだめ、だよな」
「そうっすね」
2人がくすくすと笑いあっていると、通路をはさんだ反対側の席に座っている藤真が携帯画面から視線を離さぬまま声をかけてくる。
「1回くらい良いんじゃないか?誰も見てないだろ」
「ちょっと黙っててもらえます?今良いところなんで」
隣の三井を抱き寄せて、前の座席と三井の隙間から顔を出し宮城は反論する。だが、引き寄せた三井が隙ありっとばかりに宮城のつむじやらうなじやらにキスをしてくるのでそれどころではなくなった。なにしてんすかと文句を言おうとしたら今度は後ろの席から、ぱしゃりとシャッター音がした。
「おおーこれはいいのが撮れたな。高値で売れるぞ」
「…買い取るんで、勘弁してくださいよーキャプテン」
(何が誰も見てないだ、危うく三井サンとのキス写真が出回るところじゃないか)
宮城は油断も隙もないと思いながら、引っ付いたままの三井を座席へと押し戻した。
それから騒がしいバスの旅を終え、漸く試合会場近くのホテルについた一行は各々食事をすませ明日に備えたのだった。
次の日、会場に到着した神奈川サンダースの面々は目を疑った。
試合会場となるホールは、その室内にこれでもかというほどの日の光を取り込んでいたからだ。
ここの名物らしいそれは、ステンドグラスで出来た窓によりその美しい色合いがコート上を鮮やかに照らしている。
「おい、嘘だろ…まさかこの中で試合すんのかよ。ジャージ上下で試合に出るとかまじで勘弁しろよーぶっ倒れちまう」
目の前の光景に慄き、三井は青ざめいている。
「いや、その前にアンタこれ、試合出れないでしょ」
そう話しながらも宮城は、三井を自身の後ろに隠すような位置取りをする。
バスケットコートに必要か否かはさておき、ステンドグラス製の窓から指す光は、新築で美しい手の混んだ演出だと本来なら感嘆の声をあげるところなのだろう。だが今の三井の状況では、じりじりと日の光に攻め込まれているような恐怖を感じてしまうというのが本音だ。
三井の病気が公表されたこともあり、会場に集まっている客たちにも動揺が見て取れざわざわとしていた。
そんな中、本日の司会進行を担当しているものからのアナウンスが始まった。
「皆さん、この美しいステンドグラスの光のハーモニー、存分にご覧いただけたでしょうか?もっとお楽しみ頂きたい方は、ぜひまたこちらへ足をお運びくださいませー
それでは、交流試合へ向け皆様が安心してご観覧できますように準備を致しますので、もうしばらくお待ち下さいーー」
アナウンスが終わると、スタッフらしき人たちが黒い布を持って窓の方へかけていく。ばさっと大きな音を立て広げられたその布は暗幕のようで、次々と美しいステンドグラスをそれらで覆っていく。
三井の病気に配慮した対応なのだろう。
暗幕により日を遮られ暗くなった会場内に電気がつけられた。
「良かったすね、三井サン」
「おお、ひびったわー助かったぜ」
三井は顎を後ろから宮城の肩にのせ、懸念材料がなくなったからか脱力していた。
そして、漸く試合が開始されるーー
この日の三井寿はとても調子が良かった。彼の手から放たれるボールは全てリングに収まってしまうのではないかというほどだった。美しい軌道を描くシュートは見る者すべてを魅了する。
宮城ももちろんその1人だが、同じコートからみているのではなくベンチから。試合前半、宮城に出番はなかったからだ。
このチームのメインポイントガードは藤真である。宮城がチームに加入する前からずっとそれは変わらない。最近漸く、ツートップといった表現をされるようになってはきたが、加入当時は藤真の代打でしかなかった。それを分かっていてこのチームに入ってきたのだ。また三井と同じチームでプレイしたい、という思いがあったから。
それから試合後半になり、漸く宮城の出番となった。
「今日はちょっと調子が良すぎるな。後半はもうもたないぞ」
すれ違いざまに藤真はそう言って、ベンチへ下がっていく。
言われなくても分かっているが、少しペースを落とさせますと返事をした。
会話に主語などないが、それが三井のことだともうわかりきっているからだ。
三井の調子にはかなりのムラがある。年々ひどくなってきているようで、それをどう調整していくかが大きな課題でもある。
調子が悪いときはもちろんだが、良いときも油断はできない。いや、良いときほど気をつけなければいけないのだ。調子が良いとかなりのハイペースでシュートを打っていくことになるが、近年それにより体力をかなり削られているようで試合終了までもたないことが多くなっていた。
三井に途中退場されては困るのだ、チーム力としても視聴率としても。
藤真と交代して入ってきた宮城に、三井は笑顔を向ける。まだ少し余裕が見て取れる。それはやはりこの試合が公式のものではないからだろう。別に交流試合だからと手を抜いているわけでは決してないが、どこかで勝手に体がセーブしているのかもしれない。
「三井サン、もうへろへろじゃん。大丈夫?」
「ぁあ!?んなわけねぇだろ、まだまだいけるぜ俺は」
そんなに怒らなくていいのに、と宮城は三井をあやすように背中をぽんぽんと軽く叩く。
怒るということはきっと図星なのだろう。三井の体力が尽きる前にけりをつけなくては。敵をかき乱し、味方を勝利へと導く。ポイントガードの腕の見せどころだ。
有言実行ーー宮城が加わった後半戦、神奈川サンダースは徐々に敵との点差をはなしていく。
だが、残り数分となったその時、事件は起きた。
黒い物体がひらりと大きく靡いたのが、宮城の目の端に映る。
それは、風に煽られ窓を覆っていた暗幕が剥がれる瞬間だった。
宮城は咄嗟に三井の名を叫ぶ。それから選手の波を掻い潜り、三井のもとへと駆けた。
一方、名前を呼ばれた三井は、突進してくる宮城に屈んでと言われわけも分からずその場に蹲る。他の選手や見ていたファンたちも何事かと騒ぎ出した。
そして、剥がれた暗幕が客席へと落ちていき、女性の悲鳴がこだまする。遮るもののなくなった窓からは、ステンドグラスを通した鮮やかな赤い光がコート上を突き刺した。
「三井サン、動かないで。そのままじっとしてて」
蹲った三井に上から覆いかぶさるように、宮城は三井の体を抱きしめる。なんとかこれで、三井の体を光から守ることができれば良いのだが、恐らく無理だろう。もっとタッパがあれば…宮城はこの時ほど自身の低身長を悔やんだことはない。
どれほど光が差してしまうのか予想ができない、願わくば少しでも少なくあれと祈る気持ちでその時を待つーーだが、一向に光が入ってくる様子がない。それどころか影になっているようで。
宮城は恐る恐る後ろを振り返った。すると、目の前には神奈川サンダースのユニフォームが壁のように立ち並んでいたのだ。
「俺らが盾になってやるから。その間に三井を避難させろ、宮城」
三井たちを取り囲むように自チームの選手たちが整列してる様は圧巻だった。
また、相手チームの選手たちも三井のもとへタオルや上着を投げ入れてくれ、それを有り難く受け取り三井へと覆い被せる。
そこへ会場のスタッフたちが駆け寄り、声をかける。
「三井選手、いったんこちらへ避難しましょう」
大丈夫ですかとスタッフたちにせわしなく心配されながら、控室へと三井は連れて行かれたのだった。
「試合は一時中断とさせて頂きます。お客様の中でお怪我をされた方はいらっしゃいませんでしょうか。何かありましたら、スタッフまでお申し出ください。なお、試合再開までもうしばらく、お待ち下さいませーー」
場内にアナウンスが響き渡る。
選手たちも各々水分補給したりして小休止にひと息ついていた。
それからしばらくして、試合再開のアナウンスがあったが、三井はもどっては来なかった。大事をとって三井の試合続行は避けたという言い方だったが、彼の性格からして何もなければ必ず試合に出るはず。
「交代するか?宮城。三井の様子見に行ってきて構わないぞ」
藤真がそっと耳打ちする。
そうしたいのはやまやまだが、きっと三井はそれをよく思わないだろうから。
「いくら交流試合とはいえ、試合ほっぽり出して様子見に来たなんて言ったら怒られるんで、いいっす。それよりも試合に勝って、優勝旗持ち帰るほうが断然喜んでもらえるでしょ?」
確かにそうだな、と藤真は苦笑いを浮かべていた。
試合は再開後、残り数分だったこともありすぐに終わりをむかえる。最後宮城のスリーポイントシュートで決着がつき、会場をわかせていた。結果10点差をつけ神奈川サンダースの勝利で幕が下りた。
「三井サン大丈夫?具合悪いの?」
試合終了後、一目散に三井のもとへと駆けてきた宮城は心配げにそう声をかける。三井はソファの上に横になり、顔をタオルで覆った状態で休んでいた。
タオルを少しずらし宮城の姿を認めると、疲弊しながらも笑顔をみせてくれる。
「めまいがしてよー目の前がぐるぐるしちまったから休んでた。もう落ち着いたから大丈夫。それで?試合勝ったんだろうな」
「とーぜんでしょ!今たぶん藤真さんがヒーローインタビューされてる、ほら」
何を話しているかまでは分からないが、客席からの歓声が聞えてくるので盛り上がっているのだろう。
「たぶんこの後、今日のMVPとして三井サン呼ばれると思うんだけど、いけそうっすか」
「お前も一緒に来てくれたらな、そうすりゃ大丈夫」
「しょーがないっすね、じゃあいきますか」
宮城は手を差し出し、座っている三井をひっぱりあげる。そして、ゆっくりと2人でコートへと戻っていく。会場の扉を開けると歓声が上がり、三井たちは拍手で迎え入れられた。
その後、この日のことは様々なところで取り上げられ話題となっている。だが、1番注目を集めたのは、三井の活躍でもなければ暗幕が落ちたことでもなく、藤真のインタビューであった。
藤真の発言は度々、名言(迷言)として注目を浴びることがあり、ファンの間では藤真語録として親しまれている。
今回は試合後のヒーローインタビュー内で発した「あいつらの高身長はこの日のためにあった」という言葉である。
神奈川サンダースは高身長の選手が多いチームで有名であるが、あの時三井を助けようとその高さを利用し自ら壁となって立ちはだかった有志たち。そんな彼らにむけた藤真の賛辞がまさかのこれである。もっと功績を称えるようなものであって然るべきなのだが、なぜかこういった場面で予想通りの発言をなかなかしてくれない。これぞ藤真である。
そして、もう一つ話題になったのがーー
「三井選手の危機をいち早く察知し助けに入った宮城選手のその姿は、さながら姫を守る騎士(ナイト)のようだった…だって!いやぁ照れるっすね」
「何だよ、やけに嬉しそうだな」
「そりゃあそうでしょ、今まで一兵卒だったのが騎士に昇格っすよ」
練習後のロッカールーム、雑誌の記事を片手に宮城はそう語る。けれども三井は納得がいかないようで。
「一兵卒ってなんだよ。お前はすげぇPGだろうが!もっと自信持てよ」
そういう意味じゃないんだけど、と思ったが三井の中でPGとしても高評価らしいので、ありがとと素直に礼を伝えた。
「ナイトの俺がこれからも絶対、アンタのこと守ってあげるんで」
「お前らよぉ、ちょっと大げさすげるんだよなー俺は別に日に当たっても死んだりしねえのに…」
「なに言ってんすか、医者からこの間言われたでしょ、今まで診てきたどの患者よりも症状が重いって」
アンタこそもっと慎重になったほうがいいと言うと、三井はぶつぶつと何やら文句を言っている。
そんな折、駆けてくる足音が聞こえ勢いよくロッカールームの扉が開かれた。皆帰ったあとで三井と二人きりだと思っていたが、まだ残っていたものがいたようだ。
忘れ物を取りに来たのか、入ってきてすぐに慌ただしくロッカーの中を漁っている。
「まだいたのか、お前ら…そういえば、三井。次のイベントの関係者から、外にテント用意するからユニフォーム姿で出てきてほしいって打診があったみたいだけど、どうする?」
「「絶対、無理!!」」
2人の答えがぴったり同じで、宮城も三井も顔を合わせて笑っていた。
それから少し時が経ち、練習日の早朝ーー
「三井サン、いい加減傘くらい自分で持ったらどうっすか。藤真さんも嫌そうにしてるし」
取材のためホテルに泊まっていた面々が、朝日を浴びながら練習場へと赴いていた。
三井はいつも通り宮城お気に入りの帽子を深めに被り、藤真に日傘をさしてもらっている。
「はあ?藤真、お前嫌々持ってたのかよ」
「まあ、嫌々だったらこんなこともするかもな」
藤真は三井の気を引くように、さしていた傘を頭上から正面へと振り下ろす。その時、カメラのシャッター音のようなものがしたが、三井は気づいていなかった。
せっかくの日傘もこれでは役に立たないので、三井が何しやがんだと抗議するのだが。もう建物の中で屋根があるから日傘は必要ないだろうと、藤真は優しげな笑みを向けた。
一方、宮城は2人から離れ来た道を戻っていく。それに反応し慌てて物陰に隠れる者が…
「ねえ、アンタさー、さっきからずっと俺らの後つけてきてたでしょ。どこの記者?ここ、もううちのチームの敷地内って分かってんの?…はあ!?いいから、早く許可証見せろ…なぁおい、聞いてんのか!なんとか言えよ、クソがーー」
「そういや、宮城は?いねぇじゃん、どこいった?」
「トイレじゃないか?俺も自販機で飲み物買ってくる…三井、お前の分も買ってくるから、荷物を頼む」
おお、分かったという三井の返事を背に受けながら、藤真は入口にあった自販機へと向かっていく。すると、ちょうど一仕事終えた宮城と出くわした。
それで、どうだった?と自販機で飲み物を買いながら藤真が問えば、宮城は首に手をあて、こきこきと鳴らしながら疲れたように答える。
「あーやっぱり違ったすね。記者とかじゃなくてたぶん、三井サンのストーカーまがいの追っかけ?みたいなヤツでしょ」
「最近そういうのが多いな」
「そうなんすよねー嫌になっちゃいますよ」
そんな会話をしながら三井のもとへ戻ってみると、椅子に腰掛け荷物を抱えながら気持ちよさそうに寝ていた。
「この人、なーんでこんな無防備なんでしょうね」
「まぁある意味、これも三井の美点じゃないか?」
口が半開きのだらしない表情を晒している恋人をまじまじと見つめながら、かわいくはあるけれどもう少し気をつけてもらいたいと、宮城は思ってしまう。
「三井サン、そんなとこで寝てたら危ないっすよ」
眠気に誘われてふらりと傾いた三井の体を優しく受け止める。
そこで漸く目の覚めた三井は、眼前に広がる愛しい恋人に向けてふにゃりとした笑みを向け、その日2度目の朝の挨拶をした。
「はよぉ、りょーた」
「いや、違げぇから…寝ぼけてんじゃん」
不意打ちをくらい、宮城は顔を朱色に染める。
藤真はそんな2人を微笑ましく眺めながらも、三井が抱えていた自身の荷物を引っこ抜いた。そして、自販機で買ってきた冷たい飲み物を三井の頬にあてる。
「目覚めたか?お前ら、いちゃいちゃしてないでさっさといくぞ」
そんなやり取りをしながら、彼らは控室へと消えていった。
本日もよく晴れた青い空が広がっている。
日差しは容赦なく、誰のもとにも降り注ぐのが常だ。
だからこそ、これからも三井寿の日傘生活は続いていく。
その日々の中できっとまた勇ましい騎士にも出会えることだろうーー
終
日焼けとの違いは紫外線がそれほどつよくなくても症状が出てしまうところだとーー」
テレビのアナウンサーが読み上げているのは、先日国民的俳優として人気を博している、とある芸能人が告白した病気のことだ。聞き慣れない病名だったため、今話題となっている。
「女優さんも大変だな、ちょっと発疹できたくらいで大騒ぎされて」
朝のテレビ番組をぼんやりと見ながら、宮城リョータは呟いた。
テーブルの上には自分でこしらえた朝食が2人分。同居人が向かいの席につくのを待っているのだが、一向に現れる様子がない。
「なにしてんのー?早くご飯食べないと遅れるよー」
先程から呼びかけているが、返事がないので仕方なく席を立ち様子を見に行った。朝のルーティーンから察するにきっと今はベランダだろう。朝起きると、ベランダに出て朝日を浴びる。そしてコップ1杯のEAAドリンクを飲む。何に影響されたのか、毎日同じ行動を繰り返しているようだった。
彼は先月発売されたファッション誌の表紙を飾っているが、その中のインタビュー記事でも答えている。大人気プロバスケ選手三井寿、朝のルーティーン大公開、だ。
ベランダの方へ向かうと、予想通り寝癖のついた髪が見えた。少し大きめのシャツを羽織り、下はスラリと長い艶めかしい足が覗いている。また下着のままベランダに出たのだろうか。何度注意しても改めてくれないので、そろそろ本気で怒ってやろうと近づくと、何やら蹲りながら唸っていた。心配になり駆け寄って声をかける。
「どうしたの、大丈夫?」
「りょーたぁ、すげぇかゆい、これなんだろ」
これと言って色白い生足をこちらに向けてくる。見ると太もものあたりが赤くなっていた。
「そんな格好でベランダになんか出るからでしょ。かゆいからって掻きむしったらひどくなるからねー」
虫刺されなら薬を、とリビングへ引き返す。すると、もうちょっと親身になってくれてもよくねーとぶつぶつ文句を言いながらも三井はのろのろと後をついてくる。
「ほら、優しい彼氏が薬塗ってあげるから、足出して」
するとソファに寝転び、薬を塗りやすいようにとシャツを両手で捲るようにして引き上げた。太ももどころか黒いボクサーパンツにへそまで見えている。朝の光景としては少々刺激的だが、気にしないようにして薬をぬってやる。どうせこの人は何も考えていない、狙ったりはしないのだ。
薬がしみるのか身悶えしているが無心で素早く塗りたくって終わらせ、朝の食卓へと促した。
2人はその日の予定を確認しながら食事を終え、支度をしでかけていく。
この日は、ファン感謝祭と称したイベントが開催される。イベント会場は屋外、屋内の2ヶ所に分かれおり、それに伴い同チームの選手もランダムに2チームに振り分けられた。運悪く宮城は屋内、三井は屋外会場と分かれてしまったため、それぞれの会場に各々で向かうことになっている。宮城は自身の車で会場へ、そして三井はーー
「朝からご機嫌ななめだな、三井」
マンションを出たところに車がとまっており、こちらに声をかけてきたのは同チームの藤真だ。彼は早朝にもかかわらず爽やかで、しかもなんだか煌めいているようで見間違いかと思い、宮城は目をごしごしと擦る。だが、三井は見慣れているのか気にする様子もなく、普通にあいさつしていた。
「なんかよー足がかゆくて、朝からテンション下がるぜ」
近づいてきた三井に助手席のドアを開けてやり、回り込んで藤真も車に乗り込む。
「宮城、じゃあ終わったら合流なー連絡しろよ」
三井が助手席の窓から顔を出す。そして、いつものようにいってきますのキスを交わす。俺のことはお構いなく、と藤真に毎回言われるので、気にしないことにしている。
宮城も自分の車に乗り込み出発する。隣の車をちらりと見ると、三井がジャージのズボンをずり下げていた。どうやら朝からかゆいと言っていた箇所を藤真に見せようとしているのだろう。普通見せるにしても、スボンの裾から捲くりあげないだろうか。
はぁと溜め息をつきながらハンドルを握った。
藤真にその気がないことは承知している。いや、漸く割り切れるようになってきたといった感じだ。だが、嫉妬心が芽生えないかと言われれば、答えはノーである。
宮城はとても嫉妬深い男だ。
三井のいるクラブチーム、神奈川サンダースに加入してきた時は、皆三井に気があるのではないかとさえ思ったほどで。
宮城の車は信号にひっかかり、停車する。信号が変わるまでの間、ふと思い出されるのは先程の光景ーー
(さっき、わざわざドア開けてやる必要あったか?)
宮城はいつも同じ感想をもつ。藤真の所作は彼の見た目とあいまってとてもお似合いではあるが。相手が付き合っている彼女ならともかく、なぜただのチームメイトである三井にそのようなことをしなくてはいけないのか。
三井と藤真は大学からのつきあいだ。同じ大学に進学し、プロになっても同じチームになり仲良くなるのはわかる。しかし、これは少し行き過ぎではないだろうかと。
だが、これには一応理由がある。三井を中心にチームを盛り上げろというお達しなのだ。それが、この神奈川サンダースというチームの方針といえば聞こえはいいが、要は三井がお偉いさんのお気に入りであり、もとい金のなる木なのだ。実力もあり、ファンの人気も高い。三井本人の人間性も良いとなれば、気に入られて当然だろう。
元々三井は人に愛され輪の中心にいるような人で、ちやほやされることにも慣れている。自然とそうなってしまう、そうさせてしまう何かが三井にはある。
そして、このチームの仲の良さを見たファンが、「三井選手が姫扱いされてる」と呟いたのをきっかけに、ファンの間で三井姫ブームが広まったのだ。しかも三井と1番仲の良い選手が藤真であったため、王子と姫として定着してしまった。
そこでさらなるお達しである。三井を姫扱いし、ファンの期待にこたえろとーー
最初は選手間でも戸惑いはあった。しかし、人間とは慣れる生き物で、少し経つとその戸惑いもなくなり、皆率先して三井を姫扱いするようになった。
ちなみに、三井本人はというと姫と呼ばれることに疑問を持ちはしても、その扱いには不満はないようだった。
宮城はそんなチームにアメリカから帰国し途中参加した形になったため、その異様な光景に目を疑った。それはもはやちやほやの度合いを超えていて、言うなれば三井はこのチームの皆の彼女だ。
自分の恋人が他の男どもにいやらしい目で見られているのかと思うと、とてつもなく腹立たしかった。コイツら全員正座させて一発ずつ殴っていきたいという衝動に駆られるが、もはやそんな愚行ができるほど子どもではない。いい大人はガンくれるぐらいしかできないのだ。
チーム内でも明らかにその場のノリで、三井をからかう様なスタンスの選手はまだ良いほうで。本気で三井を落としにかかっているとしか見えない奴らも多い。その最たるが藤真である。三井をまるで女性のように扱い、エスコートしている。またそれが絵になるから腹立たしいやら悔しいやら。
三井に言わせれば、藤真はファンが喜ぶからやっていて、からかうとまではいかないが楽しんでやっていると。勿論その気などないらしい。全く顔に出ないので、宮城にはいまいちよく分からないし、疑いははれないのだが。
「いちいち気にしていたら、うちではやっていけないぞ、宮城」
そう藤真に言われた時は、お前がそれを言うのかと毒づいたものだ。
また、宮城にはもう一つ問題があって、自分の立ち位置をどうするかということ。
他の選手と同じように三井のとりまきになるのは論外で、だとすると高校時代のように生意気な後輩キャラでいくしかないととりあえず結論づけた。これはともすると、チーム内で悪役のような形になってしまうかもしれないが、それも仕方ない。有象無象になるよりはましだ。ファン層の厚い三井にたてつく感じになるので、アンチとかできてしまうかもと内心ヒヤヒヤしていたが、結果から言うと全くもってそんなことはなかった。藤真とはまた違った観点のコンビ扱いをうけるようになり、「宮リョは好きな子をいじめたいタイプ」「子どもみたいでかわいい」と好き勝手に言われる始末で、全くもって解せない。
このチームに加入して2年半、稀有な雰囲気に漸く慣れてきたものの、今だ不満は多々ある。だが、もういい大人で仮にもプロとしてここにいるということを忘れてはいけない。あとは自分の中でどう向きあっていくかということだけだった。
そんな事を考えていたら、あっという間にイベント会場についていた。
もうすでに会場近くにはファンが多く集まっており、宮城は胸を撫で下ろす。
2大人気選手の三井、藤真がどちらも屋外会場の方に固まってしまったため、こちらにはあまりファンは集まらないのではと危惧していたがそうでもなかったらしい。
選手分けはランダムなどと言っていたが、このチーム編成を見るからに明らかに操作されているとしか思えなかった。
イベントが始まるとそれはもうすごい熱気で、かなりの盛り上がりを見せた。
途中、大食い大会という謎のコーナーを挟みつつも、やはりイベントの締めはバスケ選手らしくということで、選手たちはお馴染みのユニフォーム姿で登場する。そして、最後にミニ試合が行われたのだが、そこで宮城のファンと思われる女性がうちわを持っているのが見えた。他の選手が気づいて教えてくれたが、宮リョダンクして!は無理がある。宮城を抱えあげてダンクシュートをさせてやろうと試みるものがいたが、持ち上げられなくて断念し笑いが起きていた。
高校時代ならいざ知らず、今の宮城はアメリカにいたこともあって筋力量がすごく、その身長に見合わない重さであったからだ。
その後、ミニ試合を終えるとチームのキャプテンが挨拶をしイベントは無事終了した。
他の選手が着替えをする中、宮城は着替えもそこそこに携帯をチェックする。
屋外チームはもう終わっただろうか。あちらはどんな盛り上がりを見せたのだろう。三井のために設けられたであろう3P対決で、彼は何本シュートを決めたのか。色々と聞きたいことが出てくると、興奮気味にイベントの様子を話す三井の姿が容易に想像できて、思わず笑みがこぼれる。
しかし、三井からの連絡ではなくなぜか藤真から電話がきていてーー
「宮城、とりあえず、1回深呼吸しろ」
開口一番、藤真がそう言ってきたので拒もうとしたが、粘られそうだったので、言われた通り深呼吸。それで?と先を促すと、藤真は言いづらそうに告げたーー三井が倒れた、と。
その後藤真が色々と説明してくれたが、かろうじて聞き取れたのは病院名と命に別状はないということだけだった。
三井サンが倒れた…怪我した、ではなく…?
あちらは屋外でのイベントだった、倒れたということは熱中症だろうか。今はまだ5月だ。今日はそこまで日差しも強くなかったと思うが、三井は暑さに弱いところもある。あるいは、どこか悪くて倒れた、まさか病なのか。
宮城は急いで駐車場に向かうが、ドアを開けようとした手が震えていてやめた。自身が車を運転していけるような状態ではないと判断しタクシーを拾う。
最初はスムーズに病院へと向かっていたが、どうやら渋滞しているようでなかなか進まない。焦る気持ちから貧乏ゆすりと眉間のしわがひどくなる。そんな宮城の様子をミラー越しにみた運転手は、土地カンがあるのか近道だからと小道へとルートを変える。それが功を奏しその後は渋滞に捕まることなく病院を目指すことができた。
漸く病院につきタクシーを降りると、藤真が立っているのが見え駆け寄る。すると、自身の顔色の悪さを指摘され、お前のほうが病人みたいだと言われながら三井のもとへと連れて行かれた。
着いてみるとそこは病室とは違う部屋で、妙に中が暗い。黒いカーテンは遮光性だろうか。まだ16時くらいで外は明るいはずなのに、ここだけ夜のようだった。
「三井さん…大丈夫?」
椅子に座っている人影に恐る恐る声をかける。うとうとしているのか前後に頭が揺れて船を漕いでいた。声が小さくて聞こえなかったのだろう、反応がない。藤真が見兼ねて、三井の肩に手をかけ揺り起こす。
「んーやべっ寝てた…暗すぎんだよなー電気つけてくんね?」
部屋が急に明るくなり、元気そうな三井の顔が漸くはっきりと見えた。
世界が揺らめいている
もっと三井の顔を見ていたのに、視界が悪い。
どうやら泣いてしまったようだ。いい年して恥ずかしいと思うが、流れ出るものは止められない。
「うおっ宮城!? いつ来たんだよ、ってお前泣いてんのか?」
三井が両手を広げて、ほら来いと言うので、のそのそと近づいて抱きつく。どうしたよと頭を優しく撫でるので、ますます泣きが入ってしまう。
「どうした、じゃねえし。倒れたっていうから心配で慌ててきたら、なんか元気そうだしー?ほっとしたら涙とまんないじゃないっすか」
頭を肩口にぐりぐりと押し付ける。なんで倒れたの?病気とかじゃないんすか?と矢継ぎ早に質問していたら、頭を撫でる手が止んだ。
「光線過敏症だってよ」
「こーせんかびんしょー?」
そうオウム返しすると、三井は、俺と同じ反応じゃねえかよと笑っている。
何それと言うと、俺の病名とかえってきた。
「聞いたことあんじゃねえの?最近、芸能人がこれになったって、よくテレビでやってただろ?日に当たるとかゆくなるやつで、なんかそれがひどいみたいでよー急にめまいと頭痛がしてきてすごい気持ち悪くなって倒れちまったんだけど」
確かにどこかで聞いたような気がする。
『女優さんも大変だよなーちょっと発疹ができたくらいで、大騒ぎされて』
それは、朝の番組を見ながら自身が発した言葉だ。
そして、番組の中ではアナウンサーが病気の説明もしていたことを漸く思い出す。
『光線過敏症とはーー日光にあたると赤みやかゆみをおこす病気ーー重症化すると頭痛やめまいがーー』
ベランダに出て朝日を浴びるという三井の朝のルーティーン、そして足の赤みやかゆみ。
それをどうして、自分は虫刺されなどと軽く流してしまったのだろう。この時点で病院に行っていれば、公衆の面前で倒れるなどということは防げたはずだ。これは明らかに自分の落ち度だ。
そう、宮城はひどく後悔した。
「すんません、俺のせいっす…俺がもっとちゃんとしてたら、こんなことにはーー」
「はあ!?なんでお前のせいになんだよ。違ぇだろ!それに、お前はちゃんと心配してくれただろうが。薬ぬってくれただろ?」
「虫刺されの薬なんて意味ないじゃん」
そんな言い争いをしていると、どこかに連絡しに行っていた藤真が戻ってきた。
「なに喧嘩してるんだ?そんな暇あったら手伝ってくれないか」
同じ屋外イベントに出ていたチームメイトが、三井と藤真の荷物を持ってきてくれたらしい。会場からそのまま救急搬送されたので、荷物も何もかも置きっぱなしになっていたからだ。
宮城が慌てて三井の荷物を受け取りに行く。すると、藤真が荷物からジャージの上着を取り出して三井に着せるように言ってきた。
「遮光カーテンがあるから大丈夫だと思うが、念の為だ。暑がりのお前には酷かもしれないが、我慢して着てくれ。今後は日のあるうちは長袖長ズボンの完全防備だぞ、三井」
部屋の中を見渡しても、全て窓は黒い布に覆われているため外の様子はわからない。だが、日が沈むにはまだ早い時間帯だ。
病院での診察は終わったが、日が高いため沈むのを待ってから帰ることになったようだった。
「あとは帽子や日傘で顔を守る必要があるなーーということで、宮城。お前の被ってる帽子を三井に貸してやってくれないか」
宮城は被ってきたお気に入りの帽子を、言われた通り三井の頭にのせた。
「帽子はいいけどよー日傘って必要か?あれって女がさすもんだろ」
「三井、紫外線は男女平等に降り注ぐんだから、日傘が女性専用だなんておかしいだろ。男も持っていいはずだ」
そう言われりゃあそうかもなーと藤真の持論に三井は納得したようで、後で日傘買いに行こうぜと言っていた。
それから、漸く日が落ち恐る恐るといった感じで宮城は病院の外に出る。大丈夫?と声をかけると、お前がびびってどうすんだと言われてしまった。
日が沈むのを待っている間に宮城は一度車を取りに帰っていて、三井共々その車に乗り込む。すると、藤真がガラスをコンコンとノックするので窓を開けてやる。
「明日一旦皆集まって、今後のこととか話があるらしい。三井が倒れたことも結構な騒ぎになってるみたいだから、何かしら発表もあるだろう」
藤真の言うとおり、その日の夜に三井の病名がクラブチームから公式発表されていた。ファンの間では色々な憶測が飛び交っていて、三井の引退説まで出ていたからだろう。
だが、それをゆっくり眺める余裕などなく、宮城は慌ただしい夜をむかえていた。食事をおえた三井が具合が悪いと言い出し、食べた物を吐いたりして病院へと逆戻りになったからだった。
どうやら、病院からもらっていた薬が合わなかったらしい。大したことはなかったが、日傘を買いに行くことなどすっかり失念していた。
翌日チーム全員が集められ、今後のイベントをどうするかという話し合いが行われた。
イベントは今後もまだまだ続き、県外での交流試合まで控えている。三井人気に鑑みると大事をとって全イベント不参加などということができるわけもなく、とりあえず屋外でのイベントのみ不参加ということで話はまとまった。
「災難だったなぁ、三井。そんなおまえにチームの皆からプレゼントだ」
そう言って手渡されたのは、包紙に覆われた細長いもの。傘の柄だけ見えていて、恐らくこれは日傘なのだろう。
三井が乱雑に包紙を外し傘を開く。ばんと大きな音を立て広げられた傘はなんとも可愛らしいもので。色は黒だが、ふんだんにフリルがあしらわれていた。どう見てもーー
「これ、女物じゃねえか!こんなのさして試合にいけっていうのかよ」
1番姫っぽいの選んどいた、と言いながらぐっと親指をたて笑顔のチームメイトたち。これが、チームの仲の良さナンバーワンと言われる神奈川サンダースである。
「良かったじゃないか、三井。どうせ日傘用意してなかったんだろ?」
傘をさしながらわなわなと手を震わせていた三井の肩に、ぽんと手をおき笑顔でなだめた。流石に三井の扱いが手慣れている藤真である。
「そんなに持ちたくないなら、俺がかわりにさしてやろうか」
その言葉通り、いつでもどこでも三井のために日傘をさしてやる藤真、という構図は見るものにかなりのインパクトをあたえたようで。ファンは大いに沸いた。ただ三井に傘をさしてやるのではなく、相合い傘のように2人は密着し、時折藤真が三井の肩を抱き寄せるような仕草も交えてくる。藤真という男はファンの心を掴んではなさない、ファンサの鬼である。
そして、その流れにのっかるように他の選手たちも次々と三井のために傘をさしてやり、その光景が常になった。
「なーんで、俺だけなんか違うって笑われなきゃいけないんすか」
小さな携帯画面には三井と他の選手との日傘ツーショット映像が流れている。その中に宮城とのツーショットもあるのだが、ファンの反応が他の選手たちと微妙に違っているのだ。他の選手であれば、仲良しだとかお似合いとか、かわいいとかそういったコメントが多いのだが。宮城の場合、手が痛そうとか無理してる感がかわいいとか、挙句の果てには、かわいそうだから宮リョはやめたほうがいいと言われる始末だ。
「俺以上に、三井サンにお似合いの奴がいるわけねぇでしょ!」
宮城は携帯を放り投げ、座席の背もたれにどんと背中を預けた。
そう、ここは狭いバスの中ーー今彼らは隣県のクラブチームとの交流試合のため移動中である。バスの座席は特に決まっておらず、選手それぞれ好きな席へと座っている。当然宮城は三井の隣を陣取っていて、本来なら三井を窓側に置くのだが、今は宮城が窓側に座っている。
三井の病気を考慮し、日差しの強い時間帯の移動を避けるため交流試合の前日の夕方から出発している。だから、日差しはないので三井が窓側でも構わないだろうが念の為である。
「何ふてくされてんだよぉ。おら、こういうのもあるんだから良いじゃねぇか」
三井は宮城の放り投げた携帯がバスの通路に出てしまう前に、片手で軽くキャッチする。
そして、三井宮城の湘北コンビ集という映像に切り替える。そこには今でも学生の頃と変わらず、笑い合って喧嘩して、バカやってという先輩後輩コンビが赤裸々に映し出されていた。
「最高のコンビ、2人が一番お似合いーーだってよ。よかったな」
宮城と頬擦りできそうなほど近づいてきて、一緒に映像を見ようと携帯画面を向けてくる。
「とーぜんでしょ?あのときからずっと追いかけてるんだから、アンタの隣は絶対誰にも譲らないっすよ」
自然とお互い顔を近づけ唇を重ねようとするが、さすがにここではまずいと踏みとどまる。
「やっぱだめ、だよな」
「そうっすね」
2人がくすくすと笑いあっていると、通路をはさんだ反対側の席に座っている藤真が携帯画面から視線を離さぬまま声をかけてくる。
「1回くらい良いんじゃないか?誰も見てないだろ」
「ちょっと黙っててもらえます?今良いところなんで」
隣の三井を抱き寄せて、前の座席と三井の隙間から顔を出し宮城は反論する。だが、引き寄せた三井が隙ありっとばかりに宮城のつむじやらうなじやらにキスをしてくるのでそれどころではなくなった。なにしてんすかと文句を言おうとしたら今度は後ろの席から、ぱしゃりとシャッター音がした。
「おおーこれはいいのが撮れたな。高値で売れるぞ」
「…買い取るんで、勘弁してくださいよーキャプテン」
(何が誰も見てないだ、危うく三井サンとのキス写真が出回るところじゃないか)
宮城は油断も隙もないと思いながら、引っ付いたままの三井を座席へと押し戻した。
それから騒がしいバスの旅を終え、漸く試合会場近くのホテルについた一行は各々食事をすませ明日に備えたのだった。
次の日、会場に到着した神奈川サンダースの面々は目を疑った。
試合会場となるホールは、その室内にこれでもかというほどの日の光を取り込んでいたからだ。
ここの名物らしいそれは、ステンドグラスで出来た窓によりその美しい色合いがコート上を鮮やかに照らしている。
「おい、嘘だろ…まさかこの中で試合すんのかよ。ジャージ上下で試合に出るとかまじで勘弁しろよーぶっ倒れちまう」
目の前の光景に慄き、三井は青ざめいている。
「いや、その前にアンタこれ、試合出れないでしょ」
そう話しながらも宮城は、三井を自身の後ろに隠すような位置取りをする。
バスケットコートに必要か否かはさておき、ステンドグラス製の窓から指す光は、新築で美しい手の混んだ演出だと本来なら感嘆の声をあげるところなのだろう。だが今の三井の状況では、じりじりと日の光に攻め込まれているような恐怖を感じてしまうというのが本音だ。
三井の病気が公表されたこともあり、会場に集まっている客たちにも動揺が見て取れざわざわとしていた。
そんな中、本日の司会進行を担当しているものからのアナウンスが始まった。
「皆さん、この美しいステンドグラスの光のハーモニー、存分にご覧いただけたでしょうか?もっとお楽しみ頂きたい方は、ぜひまたこちらへ足をお運びくださいませー
それでは、交流試合へ向け皆様が安心してご観覧できますように準備を致しますので、もうしばらくお待ち下さいーー」
アナウンスが終わると、スタッフらしき人たちが黒い布を持って窓の方へかけていく。ばさっと大きな音を立て広げられたその布は暗幕のようで、次々と美しいステンドグラスをそれらで覆っていく。
三井の病気に配慮した対応なのだろう。
暗幕により日を遮られ暗くなった会場内に電気がつけられた。
「良かったすね、三井サン」
「おお、ひびったわー助かったぜ」
三井は顎を後ろから宮城の肩にのせ、懸念材料がなくなったからか脱力していた。
そして、漸く試合が開始されるーー
この日の三井寿はとても調子が良かった。彼の手から放たれるボールは全てリングに収まってしまうのではないかというほどだった。美しい軌道を描くシュートは見る者すべてを魅了する。
宮城ももちろんその1人だが、同じコートからみているのではなくベンチから。試合前半、宮城に出番はなかったからだ。
このチームのメインポイントガードは藤真である。宮城がチームに加入する前からずっとそれは変わらない。最近漸く、ツートップといった表現をされるようになってはきたが、加入当時は藤真の代打でしかなかった。それを分かっていてこのチームに入ってきたのだ。また三井と同じチームでプレイしたい、という思いがあったから。
それから試合後半になり、漸く宮城の出番となった。
「今日はちょっと調子が良すぎるな。後半はもうもたないぞ」
すれ違いざまに藤真はそう言って、ベンチへ下がっていく。
言われなくても分かっているが、少しペースを落とさせますと返事をした。
会話に主語などないが、それが三井のことだともうわかりきっているからだ。
三井の調子にはかなりのムラがある。年々ひどくなってきているようで、それをどう調整していくかが大きな課題でもある。
調子が悪いときはもちろんだが、良いときも油断はできない。いや、良いときほど気をつけなければいけないのだ。調子が良いとかなりのハイペースでシュートを打っていくことになるが、近年それにより体力をかなり削られているようで試合終了までもたないことが多くなっていた。
三井に途中退場されては困るのだ、チーム力としても視聴率としても。
藤真と交代して入ってきた宮城に、三井は笑顔を向ける。まだ少し余裕が見て取れる。それはやはりこの試合が公式のものではないからだろう。別に交流試合だからと手を抜いているわけでは決してないが、どこかで勝手に体がセーブしているのかもしれない。
「三井サン、もうへろへろじゃん。大丈夫?」
「ぁあ!?んなわけねぇだろ、まだまだいけるぜ俺は」
そんなに怒らなくていいのに、と宮城は三井をあやすように背中をぽんぽんと軽く叩く。
怒るということはきっと図星なのだろう。三井の体力が尽きる前にけりをつけなくては。敵をかき乱し、味方を勝利へと導く。ポイントガードの腕の見せどころだ。
有言実行ーー宮城が加わった後半戦、神奈川サンダースは徐々に敵との点差をはなしていく。
だが、残り数分となったその時、事件は起きた。
黒い物体がひらりと大きく靡いたのが、宮城の目の端に映る。
それは、風に煽られ窓を覆っていた暗幕が剥がれる瞬間だった。
宮城は咄嗟に三井の名を叫ぶ。それから選手の波を掻い潜り、三井のもとへと駆けた。
一方、名前を呼ばれた三井は、突進してくる宮城に屈んでと言われわけも分からずその場に蹲る。他の選手や見ていたファンたちも何事かと騒ぎ出した。
そして、剥がれた暗幕が客席へと落ちていき、女性の悲鳴がこだまする。遮るもののなくなった窓からは、ステンドグラスを通した鮮やかな赤い光がコート上を突き刺した。
「三井サン、動かないで。そのままじっとしてて」
蹲った三井に上から覆いかぶさるように、宮城は三井の体を抱きしめる。なんとかこれで、三井の体を光から守ることができれば良いのだが、恐らく無理だろう。もっとタッパがあれば…宮城はこの時ほど自身の低身長を悔やんだことはない。
どれほど光が差してしまうのか予想ができない、願わくば少しでも少なくあれと祈る気持ちでその時を待つーーだが、一向に光が入ってくる様子がない。それどころか影になっているようで。
宮城は恐る恐る後ろを振り返った。すると、目の前には神奈川サンダースのユニフォームが壁のように立ち並んでいたのだ。
「俺らが盾になってやるから。その間に三井を避難させろ、宮城」
三井たちを取り囲むように自チームの選手たちが整列してる様は圧巻だった。
また、相手チームの選手たちも三井のもとへタオルや上着を投げ入れてくれ、それを有り難く受け取り三井へと覆い被せる。
そこへ会場のスタッフたちが駆け寄り、声をかける。
「三井選手、いったんこちらへ避難しましょう」
大丈夫ですかとスタッフたちにせわしなく心配されながら、控室へと三井は連れて行かれたのだった。
「試合は一時中断とさせて頂きます。お客様の中でお怪我をされた方はいらっしゃいませんでしょうか。何かありましたら、スタッフまでお申し出ください。なお、試合再開までもうしばらく、お待ち下さいませーー」
場内にアナウンスが響き渡る。
選手たちも各々水分補給したりして小休止にひと息ついていた。
それからしばらくして、試合再開のアナウンスがあったが、三井はもどっては来なかった。大事をとって三井の試合続行は避けたという言い方だったが、彼の性格からして何もなければ必ず試合に出るはず。
「交代するか?宮城。三井の様子見に行ってきて構わないぞ」
藤真がそっと耳打ちする。
そうしたいのはやまやまだが、きっと三井はそれをよく思わないだろうから。
「いくら交流試合とはいえ、試合ほっぽり出して様子見に来たなんて言ったら怒られるんで、いいっす。それよりも試合に勝って、優勝旗持ち帰るほうが断然喜んでもらえるでしょ?」
確かにそうだな、と藤真は苦笑いを浮かべていた。
試合は再開後、残り数分だったこともありすぐに終わりをむかえる。最後宮城のスリーポイントシュートで決着がつき、会場をわかせていた。結果10点差をつけ神奈川サンダースの勝利で幕が下りた。
「三井サン大丈夫?具合悪いの?」
試合終了後、一目散に三井のもとへと駆けてきた宮城は心配げにそう声をかける。三井はソファの上に横になり、顔をタオルで覆った状態で休んでいた。
タオルを少しずらし宮城の姿を認めると、疲弊しながらも笑顔をみせてくれる。
「めまいがしてよー目の前がぐるぐるしちまったから休んでた。もう落ち着いたから大丈夫。それで?試合勝ったんだろうな」
「とーぜんでしょ!今たぶん藤真さんがヒーローインタビューされてる、ほら」
何を話しているかまでは分からないが、客席からの歓声が聞えてくるので盛り上がっているのだろう。
「たぶんこの後、今日のMVPとして三井サン呼ばれると思うんだけど、いけそうっすか」
「お前も一緒に来てくれたらな、そうすりゃ大丈夫」
「しょーがないっすね、じゃあいきますか」
宮城は手を差し出し、座っている三井をひっぱりあげる。そして、ゆっくりと2人でコートへと戻っていく。会場の扉を開けると歓声が上がり、三井たちは拍手で迎え入れられた。
その後、この日のことは様々なところで取り上げられ話題となっている。だが、1番注目を集めたのは、三井の活躍でもなければ暗幕が落ちたことでもなく、藤真のインタビューであった。
藤真の発言は度々、名言(迷言)として注目を浴びることがあり、ファンの間では藤真語録として親しまれている。
今回は試合後のヒーローインタビュー内で発した「あいつらの高身長はこの日のためにあった」という言葉である。
神奈川サンダースは高身長の選手が多いチームで有名であるが、あの時三井を助けようとその高さを利用し自ら壁となって立ちはだかった有志たち。そんな彼らにむけた藤真の賛辞がまさかのこれである。もっと功績を称えるようなものであって然るべきなのだが、なぜかこういった場面で予想通りの発言をなかなかしてくれない。これぞ藤真である。
そして、もう一つ話題になったのがーー
「三井選手の危機をいち早く察知し助けに入った宮城選手のその姿は、さながら姫を守る騎士(ナイト)のようだった…だって!いやぁ照れるっすね」
「何だよ、やけに嬉しそうだな」
「そりゃあそうでしょ、今まで一兵卒だったのが騎士に昇格っすよ」
練習後のロッカールーム、雑誌の記事を片手に宮城はそう語る。けれども三井は納得がいかないようで。
「一兵卒ってなんだよ。お前はすげぇPGだろうが!もっと自信持てよ」
そういう意味じゃないんだけど、と思ったが三井の中でPGとしても高評価らしいので、ありがとと素直に礼を伝えた。
「ナイトの俺がこれからも絶対、アンタのこと守ってあげるんで」
「お前らよぉ、ちょっと大げさすげるんだよなー俺は別に日に当たっても死んだりしねえのに…」
「なに言ってんすか、医者からこの間言われたでしょ、今まで診てきたどの患者よりも症状が重いって」
アンタこそもっと慎重になったほうがいいと言うと、三井はぶつぶつと何やら文句を言っている。
そんな折、駆けてくる足音が聞こえ勢いよくロッカールームの扉が開かれた。皆帰ったあとで三井と二人きりだと思っていたが、まだ残っていたものがいたようだ。
忘れ物を取りに来たのか、入ってきてすぐに慌ただしくロッカーの中を漁っている。
「まだいたのか、お前ら…そういえば、三井。次のイベントの関係者から、外にテント用意するからユニフォーム姿で出てきてほしいって打診があったみたいだけど、どうする?」
「「絶対、無理!!」」
2人の答えがぴったり同じで、宮城も三井も顔を合わせて笑っていた。
それから少し時が経ち、練習日の早朝ーー
「三井サン、いい加減傘くらい自分で持ったらどうっすか。藤真さんも嫌そうにしてるし」
取材のためホテルに泊まっていた面々が、朝日を浴びながら練習場へと赴いていた。
三井はいつも通り宮城お気に入りの帽子を深めに被り、藤真に日傘をさしてもらっている。
「はあ?藤真、お前嫌々持ってたのかよ」
「まあ、嫌々だったらこんなこともするかもな」
藤真は三井の気を引くように、さしていた傘を頭上から正面へと振り下ろす。その時、カメラのシャッター音のようなものがしたが、三井は気づいていなかった。
せっかくの日傘もこれでは役に立たないので、三井が何しやがんだと抗議するのだが。もう建物の中で屋根があるから日傘は必要ないだろうと、藤真は優しげな笑みを向けた。
一方、宮城は2人から離れ来た道を戻っていく。それに反応し慌てて物陰に隠れる者が…
「ねえ、アンタさー、さっきからずっと俺らの後つけてきてたでしょ。どこの記者?ここ、もううちのチームの敷地内って分かってんの?…はあ!?いいから、早く許可証見せろ…なぁおい、聞いてんのか!なんとか言えよ、クソがーー」
「そういや、宮城は?いねぇじゃん、どこいった?」
「トイレじゃないか?俺も自販機で飲み物買ってくる…三井、お前の分も買ってくるから、荷物を頼む」
おお、分かったという三井の返事を背に受けながら、藤真は入口にあった自販機へと向かっていく。すると、ちょうど一仕事終えた宮城と出くわした。
それで、どうだった?と自販機で飲み物を買いながら藤真が問えば、宮城は首に手をあて、こきこきと鳴らしながら疲れたように答える。
「あーやっぱり違ったすね。記者とかじゃなくてたぶん、三井サンのストーカーまがいの追っかけ?みたいなヤツでしょ」
「最近そういうのが多いな」
「そうなんすよねー嫌になっちゃいますよ」
そんな会話をしながら三井のもとへ戻ってみると、椅子に腰掛け荷物を抱えながら気持ちよさそうに寝ていた。
「この人、なーんでこんな無防備なんでしょうね」
「まぁある意味、これも三井の美点じゃないか?」
口が半開きのだらしない表情を晒している恋人をまじまじと見つめながら、かわいくはあるけれどもう少し気をつけてもらいたいと、宮城は思ってしまう。
「三井サン、そんなとこで寝てたら危ないっすよ」
眠気に誘われてふらりと傾いた三井の体を優しく受け止める。
そこで漸く目の覚めた三井は、眼前に広がる愛しい恋人に向けてふにゃりとした笑みを向け、その日2度目の朝の挨拶をした。
「はよぉ、りょーた」
「いや、違げぇから…寝ぼけてんじゃん」
不意打ちをくらい、宮城は顔を朱色に染める。
藤真はそんな2人を微笑ましく眺めながらも、三井が抱えていた自身の荷物を引っこ抜いた。そして、自販機で買ってきた冷たい飲み物を三井の頬にあてる。
「目覚めたか?お前ら、いちゃいちゃしてないでさっさといくぞ」
そんなやり取りをしながら、彼らは控室へと消えていった。
本日もよく晴れた青い空が広がっている。
日差しは容赦なく、誰のもとにも降り注ぐのが常だ。
だからこそ、これからも三井寿の日傘生活は続いていく。
その日々の中できっとまた勇ましい騎士にも出会えることだろうーー
終
1/1ページ