氷の糖花は永遠(とわ)に咲く



3月14日・ホワイトデー 夜もだいぶ更けた頃。
約束通りリーグの職員通用口で待っていると、仕事を終えたチリがコートを翻しながら猛ダッシュで走ってきて熱烈なハグをしてくる。

「グルーシャ!久しぶり!元気やった?ちょっとしゅっとした?背ぇ伸びたんとちゃうん?」
「何も変わってないって。子供じゃないんだから。チリ、ちょっと落ち着いて」
「うあー!これこれ、この感じ!この冷静なツッコミとぽっかぽかな身体、むっちゃ久しぶりやー!」

ぐりぐりと肩口に顔を擦り付けて再会の喜びを爆発させてくれるのはいいが、ここは通用口の目の前。誰かに見られでもしたら困るのはチリの方だ。引き離そうと肩を掴む。

「ちょっ!ここじゃダメだって!一回離れ……」
「なんなん、グルーシャはチリちゃんに会いとうなかったんか!?」
「会いたかったに決まってるだろ!」

食い気味に溢したぼくの本音を聞き出せ、してやったりと満足そうに笑ったチリを見たらこちらの杞憂なんかどうでも良くなってしまった。バレたらバレたで責任を取ればいいだけのことだ。遅かれ早かれいつかは公表するのだから。

「今夜はお月さんも雲もないし絶好な天気やな」
「そうだね。向こうも天気の崩れは無さそうだから、行こう」

手袋の季節は終わりを告げ、隔てるもののない指と指を絡めて歩き出す。


空飛ぶタクシーは物見塔でぼくらを下ろして飛び去ってゆく。チリが出張に行く前に決めた、二人で訪れたかった場所へと降り立つ。

乾燥した空気が実際の気温以上に体感温度を低く感じさせる。ぼくにとっては慣れた寒さもチリにとっては凍える冷たさだろう。身震いした細い身体にぼくのスプリングコートを羽織らせる。

こんなに夜遅い時間にここ、ロースト砂漠へ訪れるものなんてぼくらぐらいのものだろう。ヤミカラスの鳴き声が遠くで聞こえるのみの静寂に包まれた世界。そして見上げれば満天の星空がぼくたちを見下ろすかのように辺り一面瞬いている。

「こら……思ってた以上に絶景やね……」

ぼくのスプリングコートを胸の前で合わせながら零れ出た言葉に共感しか出来ない。チリを引き寄せ共に数多の星を見上げる。

「うん。チリと見れて良かった」
「うちも」

吸い寄せられるように重なる唇。瞼を開けばうっとりと口づけを享受する愛しい顔が目の前にある。

「会いたかった」
「今言うんか。さっきも聞いたで?」
「さっきはさっき。今は今で言いたくなったの。言葉にしないと伝わらないこともあるから」
「せやったらうちだってグルーシャにずっと会いたかったわ」
「知ってる。ちゃんと伝わってるよ」

ぼくの言葉に何故か不満そうに唇を尖らせている。

「なんか今の言い方やとチリちゃんはにぶちんで、あんたの気持ち汲み取れてないみたいな言い方やん。うちかてグルーシャの気持ち分かっとるわ」
「そんなつもりで言ったわけじゃないけど」
「いーや!今のは完全にうちへの当て付けやったわ。そんっなにバレンタインのこと引きずっとんの?もう大丈夫やって言うたやん」

チリに言われ、ハッと思い出す。

──バレンタインのこと引きずっとんの?

引きずっているつもりは無かったが無意識のうちに後悔と自責の念に駆られていたのかもしれない。言葉にしなくても態度で恋人だと分かってくれている、という慢心。それが招いた結果があのバレンタインだ。チリにとっては遊びの関係だと思われ、長い間辛く苦しい思いをさせてしまった。誤解は解けたものの、それでもあの時の罪悪感は今もなお忘れることは出来ない。

「あれはグルーシャのせいやないって言うたやろ?あんたはあんたの国のやり方で想ってくれてた。けどそれをちゃんと受け取れてなかったんはうちの方やったって。お互い違う国で生きてきたんやから勘違いしたりすれ違ってもちゃんと話して理解していこう、って決めたやんか」
「そう、だったね。……チリには敵わないな」

罪悪感も後悔も全て見抜いた上でぼくを受け止めてくれる。そんな君だからこそ伝えたい想いがある。手にしていた小さな紙袋から彼女の掌の上にぼくの気持ちを代弁したあのお菓子を自分の掌と共に乗せる。

「チリ、ホワイトデーのお返し。受け取ってください」
「どしたん急にかしこまって。そない高級なもんやなくてええって言うたのに」
「高級なものじゃないよ。ただ、チリにはどうしてもこれをあげたいと思ったんだ」

重ねていた掌を外すと現れたのはスノードロップがあしらわれた缶。

「可愛らしい缶カンやなぁ。開けてもええ?」
「どうぞ」

蓋を捻ると星のかけらのような飴が純白と薄水を基調に、檸檬、朱、浅碧の粒たちが缶に敷き詰められている。

「これ……金平糖?」
「そっか。チリの国ではコンペイトウって言うんだっけ?」

僕の国やパルデアでは《コンフェイト》の響きの方が馴染み深いが。

「むっちゃ可愛い。ほれ、お星さんみたいやなぁ」

薄水の粒をつまむと、夜空に掲げながらこちらを振り向く。満天の星空を背景に少女のような無垢な笑顔が咲きこぼれる。

「あ!この白い金平糖は雪の結晶やん!グルーシャっぽいからこれをプレゼントしてくれたん?」
「それもあるけど、金平糖の意味をチリに送りたかったんだ」
「へぇー、そんなんあるんや。どんな意味なん」

不思議がるチリが金平糖と僕を交互に見ている。彼女の正面に立ち、混じり気の無い素直な気持ちを贈る。

「永遠の愛」
「…………っ!」
「ぼくがチリに返せるのはこの気持ちだけだから。こんなホワイトデーだけど間違ってなかった?」

ぼくの心が込められた糖花を大事そうに胸元で抱えるチリもまた、目を背けることなく向き合ってくれる。

「……キザ過ぎやろ。こんなホワイトデー、うちかて初めてやから正しいかどうかなんて知らんよ」
「それじゃチリが喜んでくれたなら正解、かな」
「……っ!そんなん花丸満点の大正解やわ!」

勢いよく抱きつかれ彼女を支えようとしたが、ここは雪山ではなく沈み込む砂地。踏ん張れず足をとられチリを抱いたまま二人して砂の海へと倒れ込む。

「「あははっ!」」
「砂まみれになってもうた!ちゅーかグルーシャ重ない?大丈夫?」
「大丈夫、軽いくらいだって。でも気持ちいいね。こうして地面に寝転ぶのって」

よくチリがポケモン達と大の字になって寝転んでいるのを思い出す。

「せやろ。なんちゅうか生きる力を大地からも大空からも貰てる気がせん?」

流石地面のエキスパート。そうやって物事を捉えられる、ぼくにはない感性が羨ましい。

「せや貰いもんで悪いけど、うちからのホワイトデーも受け取ってや」
「何を……」

頬を両手で挟まれ、ぼくの贈った純白の金平糖が口移しで口内へと入ってくる。始めは突起のあった金平糖も二人の舌で遊ばれ溶かされていくうちに丸みを帯びてくる。強度を失った飴はほろりと崩れチリの舌だけが残った。もう金平糖はどこにもいないのに、探るようにチリに口内を犯される。満足したのか、ようやく唇が離されると聞き間違えようのない言葉が降り注ぐ。

「Я тебя люблю」(ヤ ティビャー リュブリュー )
「っ!」
「その反応ならちゃんと発音出来てたみたいやな」
「どうしてチリがその言葉を」
「うちかてあんたのこともっと知りたい思っとるわ。こっそり練習しとったからちゃんと言えるまでは内緒にしとこ思たけど……我慢できんかったわ。グルーシャに貰ってばっかなんはフェアやないやろ?」

──あなたを愛しています。

母国語でチリから言われることなんて考えたこともなかった。
そう思い込んでいたことがまた独りよがりだったのかもしれない。何度だってぼくを掬い上げて、幸せを与えてくれる君に心からの言葉を贈ろう。

「Я благодарен Богу за то, что мы встретились.」
(ヤ ブラガーダレン ボグ ザト シュトムイ フストレーティリシェ)
「うんん!?ちょっ、もっかい言って?長うて聞き取れんかった」
「今は分かんなくていいよ。何度だって言うから。意味が分かってチリもそう思ってくれたらそれで十分」
「随分と含みのある言い方しよって。このカッコつけ!」

ぼくが何を言ったのか分からずじまいで怒り出してしまったが、愛の言葉を言われたことは声色からも伝わったのだろう。ほんのりと頬を染めたまま、ぼくの上から下りて隣へと寝転ぶチリ。幸せそうにこちらを見つめるその笑顔に先ほど伝えた言葉を思い出す。

──貴女に出会えてよかった。

チリと共に見上げたこの星空を決して忘れることは無いだろう。



◇◇◇



「なぁなぁおかあちゃん、なんであめちゃんのカンカンいっぱいあるん?」

化粧台のサイドキャビネットに手を掛け、つま先立ちをしながら並んだ空の缶を眺めている我が子。手に取りたそうに短い手を必死に伸ばしているので、あの日に貰ったスノードロップの缶を紅葉のような手に乗せてあげる。

「これはお父ちゃんからのプレゼントやねん」
「ええなーほしー!こないいっぱいあるんやからいっこちょーだい!」
「いくらあんたの頼みでもそれは出来へんなぁ。これはお母ちゃんの宝物やねん。中の飴ちゃんで勘弁してや」

これはグルーシャからの変わらぬ気持ちなのだ。あの日から毎年、ホワイトデーになると決まって金平糖を贈ってくれる夫。空いた瓶や缶がいつの間にかこんなに増えてしまった。
先日貰ったばかりの金平糖をむくれている小さな口に一粒放り込んだが、その答えではお気に召さなかったのか自分に似た不満げな顔で缶を持ったままリビングにいる父親の元へと駆け出していった。

「なんや、おかあちゃんのケチ!ええもん、おとうちゃんにこうてもらうから!」

寝室のドアが豪快な音を立てて閉められる。

「う~ん、元気があんのはええけどちいっと我が強すぎるなぁ。もうすぐ長子ちゃんになるんやから落ち着いてくれたらええけど」

幸せな悩みを吐露すると、大きくなったお腹を一撫でし自分も愛する家族の元へと向かう。

並べられた金平糖の缶たちが降り注ぐ日光に照らされ、まばゆく煌めいていた──。




◇◇◇

※長子ちゃんは《お兄ちゃん》《お姉ちゃん》好きな方を当てはめてください。


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