氷の糖花は永遠(とわ)に咲く



バレンタインから一週間後の金曜の夜。
約束通り宿泊セットを持参してぼくの元へと来てくれたチリ。ジムの職員には見られたくないから、と随分と遅い時間に麓のフリッジタウンのバルで待ち合わせをした。

一人でジムまで行けるとチリは言っていたがとてもじゃないが深夜の雪山を女性一人、しかも大切な恋人を登山させるなんてぼくが許すはずもなく。職員が全員帰宅したことを確認してから、バルまで迎えに行くと、そこでは何度見ても心がざわつき苛立ちを覚える光景が繰り広げられている。

チリに絡む二人の男たち。だいぶ出来上がっているようで赤ら顔を無遠慮に彼女に近づけて声を掛けているが、当のチリはつーんと素知らぬ顔ではちみつ色のカクテルに口をつけている。このままだと反応が返ってこないことに腹を立て、チリへと手が上げられるのも時間の問題だ。

「チリ!ごめん、待たせた。あんたたちぼくの恋人になんの用……」
「ヒュー♪こりゃまた別嬪さんがもう一人増えたぜ!どっちに相手してもらおうか」
「俺はこっちの緑の姉ちゃん♪気の強い感じがたまんねぇ~」
「じゃあ俺は水色のお嬢ちゃんだな。ダメだよ~、まだ若いのにこんなとこ来ちゃ?お姉さんと待ち合わせ?」

──ぷつん

怒りの沸点を越えた音が脳内で静かに反響した。
女扱い、しかもあろうことかチリの妹だと勘違いされている始末。 無礼極まりない奴らに掴みかかろうとすると、バンッ!と掌を机に叩きつけられる音が狭い室内に鳴り渡る。呆気に取られていると腕を掴まれそのままチリの元へと引き寄せられる。

「ちょっとあんたら!うちのことはどう言おうと構わんけどなぁ、この人のどこが女やねん!目ん玉かっぴらいてよぉ見てみぃ!こないにカッコよくて頼もしい男、パルデア中探しても他におらんで!これ以上、うちの恋人悪ぅ言うたらいてこましたる!」
「「男!?」」

驚きを隠さず失礼にも人の顔を指差して、「なんだ、彼氏持ちかよ。失礼しました~」とそそくさと去っていく男たち。

「おとつい来るんやな!」

腕を組み、したり顔で男たちを見送っているが。
いやいや、何を格好いいことしてくれてるんだこの人は。助けに入ったはずのぼくが何故か助けられ、不埒な輩どもを追っ払ったのもチリのお陰ではないか。

「大丈夫?えらい失礼な奴らやったなぁ」
「……全然大丈夫じゃない」

男の沽券をずたずたにされ、カウンターの向こうから壮年のマスターに声を掛けられる。「お兄さん、何か飲まれますか?」との慰めの声にノンアルのブルドッグをオーダーすると心配するチリをよそに一気飲みして憂さを晴らした。


バルを出ると先ほどよりも夜は更け、吹きつける風も一段と冷たさを感じる。モンスターボールからツンベアーを呼び出し二人で柔らかい毛並みの背中に乗ると、チリの腕がするりと腰へと回される。密着する細い身体に柄にもなく鼓動が早くなる。

「しっかり掴まってて。出発するよ」
「おー!ツンベアー、よろしゅう頼んまーす!」

真夜中の雪山は不気味なほど静かで、聞こえる音と言えばツンベアーの雪を掻き分ける音だけだ。時折ルガルガンの遠吠えが山中に響き渡る。

「なぁグルーシャ!」
「なに!」

ツンベアーの足音に負けないよう自然と大声での会話になる。

「お迎えありがとう!グルーシャもツンベアーも疲れてんのに悪かったなぁ」
「これくらいどうってことないよ。チリがここまで来てくれたんだからお安い御用だって」

ぶわっ!とクレバスを飛び越え、雪道を駆る二人を乗せたツンベアー。腰に回った腕に力が入ったので、後ろを振り向くとぴとりと背中にくっつくチリの姿があった。
たった一週間。今までに比べたら短い期間で会えたはずなのにこんなにも愛しさが込み上げてくる。



ジムへ到着するとチリの荷物を持ってエントランスを解錠する。

「さ、早く中に入って」
「お邪魔しまーす」

ぼくたちしかいないのに律儀に挨拶をして入るチリ。灯りの落ちたジムは無機質な印象だが、そんなことには気にも止めずぼくの執務室へとなんの迷いもなく進んでいく。

「どこ行くの!先にお風呂行ってきなって。そのままだと風邪引くよ」
「お風呂はもう入ってきたからええの。それより……早くグルーシャと二人きりになりたい」

こちらを振り返りながら真っ直ぐに言うチリを抱き寄せる。

「ふふっ、グルーシャの匂いがするぅ」
「ごめん、臭かった?」
「ちゃうって。そういう意味やのうて、安心するだぁいすきな匂いってことやねん」

少し酔っているのか舌足らずに甘えてくる。
あぁもう、恋人が可愛すぎてぐらりと眩暈がする。
とりあえず廊下から執務室へと移動するが、その間もくんくんと匂いを嗅がれどうにも落ち着かない。

ソファに座り、いよいよチリとの甘い時間が始まる──。

しかし一向にチリが動く気配はなく腕の中で固まっている。これはもしかしなくても……。

「……すぅすぅ」
(寝てる……)

一週間前から散々期待させておいていざ会うとこれだ。安心してくれているのは嬉しいがいくらなんでも生殺しが過ぎやしないか。
とは言っても普段の彼女より幾分幼く見える寝顔を至近距離で見れるのも、自分が特別な存在であることを実感できるからこれはこれで良しとするが。

「起きたら覚えてなよ」

チリの温かさを肩に感じながら自分も睡魔に誘われる。せめて毛布だけでも彼女に掛けてやろうとソファの片隅に畳んであるものを広げ身体を覆ってやると更に丸まってぼくの方へとすり寄ってきた。自分にも毛布を分けてもらいチリと同じ夢が見れるように願いながら眠りについた。




翌朝、雪に反射した朝日が室内に入り込み眩しさで目を覚ます。眠りに落ちた時と同じように、チリは肩へと寄り掛かったまま幸せそうに眠っている。起こさぬようゆっくりと横に下ろし、朝食の準備のため部屋を静かに出る。

食堂でポケモン達とチリとの二人分の朝食をアルクジラとマニューラにも手伝ってもらいながら、彼女の眠る執務室へ運ぼうとすると地鳴りのような足音がこちらへ迫ってくる。すると、間髪入れず勢いよく開かれる扉。そこにはヘアゴムがほどかれ、髪が少々乱れたオフのチリが息を上げて立っていた。

「おはよう。よく眠れたみたいだけど、変な体勢で寝てたから身体痛いんじゃない?」
「……あ、あ、あかーん!チリちゃん、なにやっとんのっ!?寝落ちするなんてアホちゃう!?あんなに楽しみにしとったのに……ごめんなぁ、グルーシャぁぁ……」

ぼくの顔を見るなり、一人頭を抱えて床へと蹲って叫んでいる。 言いたいことは山ほどあるが、とりあえずは朝食が優先事項だ。

「しかも朝ごはんまで作ってもろてるやん。あかん……チリちゃん恋人失格や……すんません、うちみたいなダメ女が彼女で」

急に自分を貶し始めてしまったチリを引っ張り上げて出来上がったオムレツとサラダのプレートを持たせる。

「チリ、何か言うことは?」
「うっ……せやからごめんって……」
「そうじゃなくて、朝の挨拶言われてないんだけど」
「お、はよう?」
「うん。おはよう。せっかく朝一緒に居られるんだからちゃんと言ってよね」

ぽかんとするチリをその場に置いてスープを注ぎに厨房へと戻る。

「いつまでそうしてるの。それチリの分だからテーブルに運んで。こっちに来たんなら好きな席に座って待ってて」
「……はい」

ぼくに言われた通りテーブルへと着くと大きな溜め息が聞こえた。二人分のスープと自分の分のプレートを持って彼女の正面へと座る。

「チリのポケモン達も外に出して。僕のポケモン達と一緒に食べさせるから」
「なにからなにまでお世話掛けます……」

ポンッと飛び出してきたチリのポケモン達は皆空腹だったのか、足早に食堂の一角にあるポケモン用の餌場へ向かっていった。

「じゃあぼくたちも食べようか」
「「いただきます」」

チリと出逢ってから知った《いただきます》という言葉。食べ物と作ってくれた人に対する感謝の言葉らしいが。自分の出身国では食事時にはせいぜい美味しかったぐらいしか挨拶らしいものはなかったので、毎回新鮮な気持ちになる。一人の時でも挨拶するようになってしまったのだから、彼女の習慣に染まっている自分に笑ってしまう。

「なに笑っとんの?あ!このオムレツ美味しくてやろ。分かるわぁ、このふわとろの半熟具合最高やもんな」
「なんでチリが胸張ってるの。ぼくが作ったんだけど」
「そないなこと言うてもグルーシャのオムレツ大好きなんやもん。とろぉっとして優しい味付けで毎日食べたいくらいやわ」

肘をついて微笑みをこちらに向けてくれる。美しいマラカイトグリーンの髪がはらりとテーブルへこぼれる。

がたんと椅子を引いて席を立つとチリの後ろへと回り込む。自分の結んでいた髪をほどきヘアゴムを咥えると、指通りの良い滑らかな髪へと手を伸ばす。

「グルーシャ?」
「いいから前向いてて。チリがそんなに好きなら毎日作ってもいいよ、オムレツ」
「……それってどういう意味?」
「そのまんまの意味。チリが一緒に住みたいって言うなら明日にでも引っ越すよ。でもまだチリはそんな気持ちじゃないだろ。もう少しお互いのこと知ってそれでも一緒に居たいって思ってくれたら、毎日オムレツ作ってあげるよ」

慣れた手つきで手早く結び終えると、髪で隠れるうなじへと吸い付き紅い華を咲かせる。

「っ……!」
「うん、可愛い。その髪型もよく似合ってる。まぁぼくはいつでも心の準備は出来てるから、チリも早くそう思ってくれれば助かるけど」

いつも自分がしている髪型をチリに施し満足する。された本人は普段と異なる結い方に違和感があるのか髪をしきりに触って確かめている。

ぼくとチリの気持ちの大きさはきっと違う。一方的に押し付けるようなことがあっては駄目だ。これから先の共にある未来を思えば今の我慢なんて短いはずと自分に言い聞かせる。

「あんたほんま器用やなぁ。こない至れり尽くせりやと離れられんくなるやん」
「それはどうも。でも離れる気あったとはね。ぼくはチリを離す気なんて1ミリも無いけど」
「……さっきと言うてることちゃうんですけど。チリちゃんの気持ち待っててくれるんやろ?」
「それはそれ。これはこれ。チリがぼくと一緒にいてくれるならいくらでも待てるけど、離れるって言うなら話は変わってくる」

ゆっくりと首を上へ向けると背後に立つぼくと視線が交わる。

「離れんて。もうあないな想い二度としたない……」

下からそっと頬に添えられる小さな掌を取り、見上げてくる顔はそのままに上から唇を重ねる。

「んっ……」

ちゅっ、とリップ音を鳴らして離れる唇。
一週間ぶりのキスは揃いのオムレツの味がした。




朝食を終え二人並んで食器を洗う。
マニューラとアルクジラが先ほどと同じように食べ終えた食器を持って洗い場までやってきた。受け取ろうとするとチリに制される。

「手、泡だらけやろ。うちが受け取るからあんたはそのまま洗っといてや。 お利口やなー、あんたたち!うちの子達にも食器の片付け教えたろかな」

頭を豪快に撫でられている2匹は熱烈なスキンシップに少々面食らっている様子だ。困ったように視線を送ってくるので、心配いらない、と頷いて合図を送る。

すると安心したのかアルクジラは「くぅ~」とチリに抱きついていた。相変わらず甘えん坊な奴だ。マニューラがチリからアルクジラを引き離し、他の仲間の元へと引っ張って連れていく。

「エエ子達やなぁ。躾がちゃんと行き届いとる。グルーシャの教育の賜物やな」
「別にぼくが何かをしたわけじゃないよ。元々のポテンシャルが高いんだろ」
「そらそうかもしれんけど。あの子達の能力を引き出したんは間違いなくあんたなんやから素直に受け取っとき」

背中をバシンと一発はたかれ、再びチリも洗い物を始める。皿を洗う音と水が流れる音、そして隣からご機嫌な鼻歌が流れる、心地好い時間が過ぎていく。

「ほんまここに来れて良かったわ。この休みはどうしてもグルーシャと一緒に過ごしたかったん」
「なに急に」

突然の告白に何故か言い知れぬ不安が襲ってくる。蛇口が締まり、ぽたぽたと掌から水滴が落ちる音が響く。

「うちな月曜から出張でパルデアを2週間離れんねん。戻ってきた後も年度末で仕事も忙しなるし、次に会えるの3月の真ん中くらいになりそうやったから今のうちにグルーシャに会お思て来たのに。まさかの寝落ちでえらいショックやったけど、こんな風にのんびり過ごす朝もええもんやね」

ぼくが整えた髪を嬉しそうに触る彼女を腕の中へと閉じ込める。

「ちょっ!グルーシャ!?」
「当分会えないなら今のうちにチリを補給しとかないと。昨日の夜は楽しみにしてたのに誰かさんが寝ちゃっていちゃつけなかったし」
「うっ……。それは悪かったって言うとるやん。……そんなんうちかて楽しみにしとったんやからそないに言わんといてや」

ふて腐れながらも背中へと回る腕。
この温もりを暫く味わえないのなら今のうちに堪能しておかないと。このままここでチリを抱きたい気持ちを理性でなんとか抑え込み、今回の逢瀬の大事な目的を果たさないといけない。

「ぼくもチリと相談したいことがあるんだ」
「相談?なに、改まって」
「それは部屋に戻ってから」

ポケモン達をモンスターボールへ戻すと執務室へと引き返す。一晩一緒に眠ってしまったソファへ並んで腰掛け、雑誌とレポート用紙を目の前の机に並べる。

「ホワイトデーのことなんだけどチリはどういうプランが好きか聞いておきたくて。一応幾つか候補は挙げておいたから好きなの選んで。要望があれば受け付けるよ」

サプライズも考えたがそれで間違えたり、またすれ違いが起きるくらいならチリが喜ぶものを一緒に考えたい。

「ホワイトデーって……。あんたそれどうして」
「チリの国ではバレンタインにチョコを貰ったらお返しするのが当たり前なんでしょ?だったらぼくがしなくて誰がするの」
「そんなんええのに!あんたの国には無いこと、無理してせんでも!」
「別に無理なんかしてない。それともなに、ぼくからのお返しは要らないって?」
「そうは言うてへんけど……。そもそもバレンタインにあんたからも貰たんやからお返し要らんとちゃう?」
「あれは僕の国流のバレンタイン。これはチリの国のバレンタインのお返し。ほら全然違う」
「そういうもん……なんか?」

あれだけいつもチャレンジャー達を論破しているチリがこんなに簡単にぼくに説き伏せられていて少し心配になるがこのまま押しきってしまおう。

「そういうもんだって。で、チリと次に会えるのは3月の中旬だっけ?それまでに準備するから色々言ってみてよ」
「色々って別にホワイトデーってそない仰々しいもんとちゃうよ?チョコとおんなじくらいのお菓子のお返しで十分やって。仕事は15日にやっと土日続けての休みやねん。それまでは土曜出勤に、家での仕事もあるはずやから」

過去を思い出すように天井を見上げ、指折り数えて仕事内容を思い出している。なるほど、流石四天王。年度末の仕事量はぼくのものよりずっと多いようだ。机の端にある卓上カレンダーを引き寄せ、来月のページを捲り予定を立てる。

「15日が朝からオフなら14日の金曜の夜に迎えに行くよ。先週のように金曜の夜からぼくに時間を頂戴?」
「それは勿論ええけど……何時になるか分からんよ?」
「その頃はぼくも今より忙しいだろうしチリの仕事終わりまでには山を下りれるようにするから。なにより3週間会えないんだ。一秒でも早くチリに会いたい」
「グルーシャがそれで大丈夫なら、そうしてくれたら嬉しい。きっとうちかてグルーシャに会いたくてたまらんはずやし」

はにかみながらこちらが喜ぶことを言ってくれる。

「夜に会うならそのまま行きたい所があるんだ」
「夜景でも見に行くん?」

雑誌のとあるページを指差すとチリは喜んで賛同してくれた。どうやら彼女にも楽しんでもらえるデートが出来そうで、ひとまず胸を撫で下ろす。

さて無事にホワイトデーの予定は取り付けた。ここからは会えない日々を埋めるように今度こそ恋人の時間を始めようではないか。チリも同じ気持ちらしくぼくの太ももに掌を乗せ、肩へと寄りかかってくる。 いつものように髪を解きあって睦み合いを始めようと手を伸ばすが、その手はチリによって止められる。

「ちょお待って?今日は解かんでこのままがええねん」
「そんなに気に入ったんだ、それ」
「そらあんたにやってもらったんやもん。嬉しいに決まっとるやん。ちょっとグルーシャになれたみたいやから崩したないねん」
「……そんなものにすがらなくても一つになれるだろ」

「ぅんんっ!」

チリを膝へと抱き乗せ唇を奪う。キスをしながら髪をほどかない代わりに、先ほど食堂でつけたうなじのキスマークを指で往復させるとふるりと震える身体。

「じゃあ今日は髪を崩さないようにヤろうか。ぼくになりたいんだろ?」
「うえっ!? なにもそこまでは言うてへんけど……でも……」
「でも……? なに、ちゃんと言って」
「……グルーシャといっこになりたい……」

羞恥で顔を見せないように耳元でぽそりと言われた言葉は効果は抜群かつ急所に当たってぼくの身体を駆け巡る。

「どろどろに溶かしてしてやるよ……!」

ソファの軋む音が開始の合図となり、溶け合う時間が始まった。



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