雨降りウテナ

雨降りウテナと陽気な紳士(1/3)





「あーあー。だからお洒落なんかしなくてもいいって言ったのに。すごいびしょびしょじゃん」

さびれた街並みの中、2頭の馬がひく車輪が、石畳にできた水たまりを割いていく。
石壁の匂いと雨粒をかき分けながら、自分の足元を見たウテナは下唇を出して誰にともなく文句を垂れた。
未だ雨は止まず、街には人影もまばらで、昼間にもかかわらずあたりは薄暗い。

小間使いとして働くウテナの雇用主・トワイライト夫人はこのあたりでは知らない人がいないというくらいの有名人。
何が有名なのかは正直よく知らないが、彼女が変り者であることは確かだ。
中世ヨーロッパ貴族や退廃的な美しさを思わせる、豪奢で動きにくい服をウテナに着せているのも彼女で、目立つから嫌だと言っても到底聞かない。
彼女自身もそんな煌びやかな洋服を好んで着用し、ウテナのことは着せ替え人形か何かと思っているらしい。

『やあねえ、どうしてこんなかわいくない服ばかり着るのかしら、せっかく見目良く生まれてきたのに、もったいない』

誰もが見事と言う金髪と翡翠色の瞳を持てば見た目には派手だが、洒落た着物に頓着せず、誰かに口を挟まれないかぎりきたきり雀のウテナには、縁遠い感覚だ。

女物を着せられないだけ、マシだが。




さて、普段のお使いはお気に入りの洋服屋に発注した品物の受け取りばかりだったが、今日はすこし、様子が違っていた。

お客様の出迎えなんて初めてのことで、トワイライト夫人が自ら他人を友人と評するのもきわめて珍しい。
ウテナの知る限りでは、彼女は好んで他人とつるんだりするたちではなかった。

『あら、あなたは初めましてだったのねえ、この近くを彼が通る時は、いつもうちにお泊りいただいてるのよ。あなたのこといい子だって自慢してあるんだから、失礼のないようにね』




「ええと、燕尾服と黒いステッキ、それに胸元の金のチャームが目印だっけ」

目的地に着いてあたりを見回すが、それらしい人物は見当たらない。
この雨のなかで燕尾服を着て出歩く人なんて、いたら相当目立つと思う。

そう、相当目立つ。

だからウテナは、少し先にある街灯の下で、人待ち顔でたたずむ燕尾服の男を視界にとらえた途端、きっとあの人だと感じたのだが。

声をかけようかと迷っていると、ウテナに気が付いた燕尾服の男は心許ない足取りで近付いてきた。

「君、トワイライト夫人のお使いの、ウテナ君かな?」

「え、あ、はい!……じゃ、あなたは……イロンデル様?」

慌てて馬車を降りると、ひょろりと背の高い若い紳士がステッキに体重を預け、困ったように頷いた。

シルクハットにつややかな黒髪、やわらかい表情に上品な立ち姿。
いかにも優しそうな風貌に、ウテナは少し安心した。

でも一つだけ、彼をトワイライト夫人のお客様と断定しかねていた要因だけは、聞いておきたい。
何せ、ほとんどそれが決定打になると思ってそこに注視していたのだから。

「あのう、主から、イロンデル様について、胸元の金のチャームを目印にって言われたのですが…」

イロンデルの胸元には上質なタイが巻き付いているだけで、光るものといえば少しばかりの水滴だけだった。
イロンデルはいっそう浮かない表情で、

「ああ……それは迷惑をかけたね……実はそのことで非常に困っているんだけど……」

そう言うと、大きくため息をつき、ぽつりぽつりと話し始めた。

「ここに来る途中でどこかに落としてしまったみたいで、一度引き返したんだけど見つからなくて……犬には追いかけられるし、躓いて足首を痛めてしまうし……ああとにかく困った、あれがないとトワイライト夫人に宿のお礼ができないんだよ、このままお屋敷に行くなんてとてもできない」

「ほかのお礼じゃダメなんですか?」

「いやいや、お礼はいつもあれだって決まってるんだ。あれは僕にしかできないものだから。トワイライト夫人もたいそうお気に入りで」

なんだか話が分からないが、要するに、イロンデルしか所有しない金のチャームがトワイライト夫人のお気に入りで宿代、ということらしい。

屋敷に着いてから夫人に訳を話せばいいだろうと思ったが、どうもそれを持っていなければ屋敷に近づくこともできないらしく、ウテナはその謎の律儀さに困却した。

けっこう、面倒くさい人かもしれない。

「じゃあ、一緒にその金のチャームをさがしましょう。きっと見つかりますよ、こんな天気だから汚れてるかもしれないけど……」

「一緒に!?それは駄目だよ、君に迷惑がかかってしまうから。先にトワイライト夫人のところに行って、僕は当分来られないと言ってくれ」

「そんなこといいですから、馬車に乗って。こんな雨の中に夫人のお客様を、それも怪我した人を、置いていけませんよ」

「でもね、君……あのチャームはね……あ!」

イロンデルの話すことなどお構いなしに、ウテナは水滴の付いた背中を馬車の中へと押し込み、自分は手綱をにぎった。

「ゆっくり走りますから、ちゃんと下見ててくださいね。あと、道案内も」

「君ね、ほんとうに、何があっても知らないからね、ちょっと聞いてるかい!?」

いななきとともに駆けだす二人を、石畳を打つ雨音が見送った。






雨降りウテナと陽気な紳士(2/3) [2296] に続く


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