雨降りウテナ

雨降りウテナと陽気な紳士(2/3)




「うてなっていうのは高楼(こうろう)のことかい?」

雨音と蹄の音にまぎれて、滑らかな男の声が聞いた。

「え?……」

「花の萼(がく)のことかい?」

「さ、さあ……よくわかりません……多分花の方じゃないかな……それよりほら、ちゃんと探してください」

イロンデルが来た道も近くの小道もよくよく探してみたのだが、金のチャームは一向に見つからない。
イロンデルがトワイライト夫人のお客様でなければ、とっくに投げ出したくなっていた頃だった。
ああ、そんなに大事なものなら、箱にでも入れて懐に抱えておけばよいものを。
どうして、身につけて来てしまったのだろうか。

「星の形をしていてね、そんなに小さいものでもないんだけど……光り物だし、落ちていたらすぐに気付くと思うんだけどなあ」

「綺麗なものなら、誰かが拾ったのかもしれませんよ。とりあえず交番所で聞いてみましょうか」

「あんなものを届けるいい人がいたら僕はどんなお礼でもするよ……」

「念のため改めて聞いておきますけど、ほんとうに宿代はその金のチャームじゃなきゃダメなんですか」

「そうだよ。あれだけは手に入れられないって、トワイライト夫人自身が言ってたんだから」

「うーん…」

宝石や洋服、どんなに高価なものでも欲しいものは何でも自力で手に入れてしまうトワイライト夫人が、イロンデルに頼まないと手に入れられないほどのもの。
一体どんな値がつくのか、想像しただけで気が遠くなる。
きっと一目で高価なものだとわかるであろう、そんなものが道端に落ちていれば、お世辞にも安全とは言えないこの街の人間はどうするだろうか。

「……!」

ウテナは急いで馬車の向きを変え、速度を上げた。
ゴロゴロと鳴っていた車輪が、鋭い音を上げて回り出す。

「うわ!ウテナ君!?どうしたの!!」

「もう!何でもっと早くに気が付かなかったんだろ!イロンデル様、換金所ですよ、換金所!」

速度とともに、期待が高まった時だった。

「え!?」

「あ!!」

「うわあああ!!」

突然、凄まじい勢いで空から花が降ってきた。
轟音をたて、土を四散させて、2頭の馬のちょうど間に、鉢植えが砕けた。

「きゃあ!ごめんなさい!」

女性の叫びと、馬の叫びが交わる。
一瞬の沈黙の後、馬車の真上に位置する3階の窓から顔を出した女性は、鉢が馬車に直撃しなかったことに些か安堵し、すぐに駆け下りて来た。

「鉢を部屋に入れようと思ったら、手が滑っちゃって……」

「びっくりした……気を付けてくださいね……あ」

馬の様子を確認したウテナは、ああ、と、この先の面倒を予測した。

「破片で脚を切っちゃったのか。これじゃ走らせるのはかわいそうだ」

「ほんとうにごめんなさい、私ったらなんてことを」

外に出たイロンデルも、馬の脚を確認する。

「ウテナ君、あの……」

「歩いていくしかないですね」

馬の治療代を払うと言う女性の提案を断り、その代わりに馬車の守を頼んで二人は傘をさし、その場を後にした。

「すまないね、ウテナ君、僕のせいで」

「なに言ってるんですか、イロンデル様は悪くないでしょ」

「でもねえ、ウテナ君……」「ガウウー…」

背後から低いうなり声が聞こえた。
二人同時に振り向くと、今にも飛び掛かってきそうな、牙を剥く1匹の黒い犬。
嫌な予感が背筋を這う。

「さっき僕を追い回した奴だ!」

「うそ!」

犬が駆けだすのが先か、二人が逃げ出すのが先か、水たまりを蹴る音がいっそう激しく響き渡った。
落とした傘を拾う間もない。

「あ!イロンデル様、足を挫いてるんだった!」

一気に引き離されるイロンデルに気付き、ウテナは滑りこけそうになりながら急停止し、大急ぎでイロンデルの持つステッキを奪い取り、それを剣のように構える。

「えええい!!」

振り下ろしたステッキは犬の肩に命中し、ぎゃん!と悲鳴を上げると、黒い影は文字通り尻尾を巻いて去って行った。

「いやあ、ありがとう、ウテナ君、助かった」

息を整える間にも、ウテナの中に不安はつのった。
換金所に無事にたどり着けるのだろうか……!?

「イロンデル様、大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫、大丈夫。それより」

「いじめっ子、みーっけ!」

「今度はなんだよ!」

道端で桃色の愛らしい傘を持ち、ウテナとイロンデルを指さしてどやいているのは小さな女の子だった。
5歳くらいだろうか。
意地の悪い得たり顔をして、軽いステップで二人に近付いた。

「今ワンちゃんいじめてたでしょ!めっ!」

「いじめてないよ、飛び掛かってきたから追い払っただけだ」

「おまわりさんに言いつけちゃうわよ」

「ご自由に!じゃあね、急ぐから。君もこんなところに一人でいると危ないよ」

「いーだ」

子供らしい挑発を無視してウテナはまた歩き出したが、イロンデルは「あ!」と言って女の子と目線を同じ高さに合わせた。

「それ!ちょっと君!それどこで見つけたの!」

「いやっ、さわらないで!これ私のなんだから!」

女の子が抱えた革の鞄に、金色の光るものが揺れていた。
細い輪の中に一つの星がきらめく、かわいらしいデザイン。

「イロンデル様!もしかして……」

「これだよ、金のチャーム!間違いない!」

二人が目を合わせた瞬間、女の子は脱兎のごとく駆けだした。
蹴った水が顔を直撃したイロンデルは出遅れ、かわりにウテナが追走の体勢に入る。

だが追いかけようとした瞬間背後から首根っこをつかまれ、ぐえっとつぶれた声が上がった。

「ごるあああ!てめえらか!うちの犬に怪我させてくれた奴は!」

大男の腕に抱かれた、見覚えのある黒い犬。

……ざっと血の気がひく音を聞いた気がする。
ウテナはもう、青ざめて苦い笑みを作るだけだった。

「はは……は……はあ」





雨降りウテナと陽気な紳士(3/3) [3873] に続く


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