雨降りウテナ

雨降りウテナと不思議な森(4/6)




「へえ~、ウテナはご主人様のおつかいでここに来たんだ」

儀礼であることを隠さない、いかにもつまらないといった表情で猫が言う。
相変わらず兎に異様な執着をしていて、ウテナが兎に近づきすぎないよう睨みをきかせてくる。

「乳くさ…いや若いのに大変だな」

兎の方はわざとらしく言い直すのを遅れさせ、ウテナへの拒絶をそれとなく示す。
兎にとって人間とはそこにいるだけで景観を破壊する異物であり、協力はしてもなれ合う気は無いようだ。

二匹ともウテナに友好的な素振りはかけらも見せない。それなのに不思議なことだが、独りで森の中をさまよっていた時とは違い、ウテナの中には安心感があった。この感覚は、知らない場所でも親の背中さえ見えていれば大丈夫だと思える幼子にも共通する。
恐らく歪んだ空間を避けて通る正しい道が、猫と兎には見えているのだろう。彼らが森の住民だから当たり前かもしれないが、全く迷う気配がないのだ。
それに、独りだった時は無響室にいるような感覚と吐き気を催したのに、今はそれが無い。普通の森だ。

(森に、受け入れてもらったのかもしれない)

人間や動物以外にも意思があるのなら、こちらが怖がってばかりいれば敵意を生むだろう。
ウテナは人生で初めて、花一輪単位ではなく、森全体がひとつの生命体だと感じた。

「ほら、あそこだ」

兎が指さした方向に蜜色の小さな花畑が見える。
そこにだけ木漏れ日がさし、美しく光り輝いていた。

「うわ、綺麗……」

「じゃあな」

「えっ!?」

ここがどういう場所か、どうすればいいのかも言わず、兎はウテナに背を向け、猫もそれにならう。
引き留めようにも、また迷子になってしまう可能性がウテナの脚を縛り付けた。

「ちょっと! 待って……!」

あっという間に二匹の背中は薄暗い森の陰に溶けて消えた。
せめてお礼が言えたらよかったが、二匹はそれよりも早く関りを切りたかったのかもしれない。
少しの不安はあったものの、もう前のような恐怖は感じないし、気にするべきではないことに思えた。
一息ついて辺りを見渡し、花畑の中央に入って座り込み、膝を抱える。

「これからどうしよう……」

ここでじっとしていればアンブルが来てくれるのだろうか。
それとも、大声で呼ぼうか。歌ったり踊ったりしようか。

「アンブルは魔法使い……人間が怖くて……動物がともだち……」

(自分を迫害した人間が、怖い)

ウテナはその気持ちがよく理解できた。
昔、髪の色や顔立ちが派手で周囲から浮いてしまうためにのけものにされた。
幼いウテナは逃げることしかできず、いつも泣き、誰も彼もを恨んで過ごした。

だが今思えば、彼らも本当は怖かったのではないだろうか。
いちはやくそれに気付き、歩み寄ろうとすれば、もっと違った生き方ができたのではないだろうか。
今の自分が森を拒絶したことで森に拒絶され、恐怖を乗り越えて受け入れられたように、心は鏡合わせで繋がっている。
アンブルを迫害した人間も、アンブルの未知の力に恐れを抱いていたに違いない。

(気付き、歩み寄る……)

アンブルがウテナを恐れているなら、ウテナはアンブルの心に影響されないように、努めて自分の恐怖を自覚し、その上で敵ではないと認識してもらう必要があった。

「恐怖を自覚……。そう、たぶん、僕は少し怖い。あなたがどんな人か知らないし、傷ついた人に接する心得も、正直無い。だけど僕にはあなたの気持ちがわかる。排斥された人間の気持ちを一緒に語り、慰めあうことができる」

木々がざわりと蠢く。風が吹き抜け、ウテナの髪先を揺らした。それはまるで、誰かの優しい指先に絡めとられているようなくすぐったさをもたらした。

「僕はあなたの味方だよ」

アンブルが顔を出すのが恥ずかしくないよう、瞼を閉じた。
刹那、先ほどよりも強い風が、花畑の周りから中心へと吹き上げる。
頬や瞼の上を、幾ひらかの花弁が転がって舞う。
髪か何かにひっかかったのか、花弁はウテナの頬の上で止まっているように感じた。
その花びらはなぜか温かい……。

(……いや、花びらじゃない)

ハッと目を開けると、目の前にしゃがんだ琥珀色の少女が、ウテナの頬に手を伸ばしていた。
柔らかな髪を頭部の両サイドで結んだ活発そうなスタイルに、本物と見紛う花や蝶が所々にあしらわれた妖精のようなドレス。

「は……はじめまして、僕はウテナ」

(アンブルが迫害されたのは昔……トワイライト夫人が夢を介してアンブルに会いに行ったっていうのも昔だったよな……? だったらこの“少女”は……?)

笑顔を作ったつもりだったが、笑顔になっていたかどうかはわからない。
ただその少女は愛らしくクスリと笑い、こう言った。

「アンブルよ」




雨降りウテナと不思議な森(5/6) [4041] へ続く


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