雨降りウテナ

雨降りウテナと不思議な森(3/6)




「離してぇー!」

叫び虚しく、金色の猫はウテナをうつぶせに押し潰し、後ろ手に拘束した。
垂れ耳の兎は用心深くその様子を少し離れて見守り、怯えているのか物珍しいのか、倒れたウテナの顔を何度か確かめている。

ウテナは夫人から“アンブルの森にはアンブル以外の人間がいないこと”や“アンブルの森の動物はアンブル以外の人間に対して友好的ではないこと”などを聞いていた。
しかし動物がヒトの姿をしていることは一言も口に出さなかった。それはもっとも重要な情報だとウテナは思うのだが、夫人はおそらくウテナを揶揄うためにわざと言わなかったのだろう。

なぜ一瞬でもトワイライト夫人のもとに帰りたいと思ったのか、ウテナは自分を呪っても呪いきれなかった。

「お前! どこから来た!?」

ウテナの上から猫が怒鳴る。
煌びやかな顔立ちのわりに、その声には凄みがある。体つきといい身のこなしといい、腕力やどすを使う場面には慣れていると見た。
慎重派の兎はともかく、この猫はまずい。これ以上刺激してはいけない類だろう。
それこそ、トワイライト夫人の言っていた“二度と戻れない”状況になってしまう。
怖気だって震えると、ウテナに反撃の意思が無いと読み取った猫は腕に込めた力を緩めて再度問う。

「どこから来た?」

呆れか、同情か。
あまりの怯え様に、窮鳥懐に入れば…といった感じの声音だった。
同情心は持っているのかと幾分か安心するも、恐々「トワイライト夫人のつかいで」と切り出したウテナの言葉を「何しに」と遮られたとたん、ヒッと首が窄まる。

「アンブルに…」

そこまで言った瞬間、空気が変わった。
兎と猫だけではない。ウテナの脳内にもパッとした変化があった。

(わ、わすれてた。合言葉があったんだっけ…たしか、“アンブルの”…)

ウテナが眠る前に夫人がくれぐれも忘れるなと言った言葉。
みるみる体から恐怖が抜けていくかわりに、焦燥のような心臓の早鐘が地面に押さえつけられる胸を押し戻した。

「お前、アンブルを知ってるのか」

驚いた兎が口を開くと同時に、猫の手がするりと離れる。
この隙を見逃してはならない。次に何か言われる前に、ウテナは一息に叫んだ。

「アンブルのご機嫌伺いに参りました!」

エコーがかかった声が二匹の殺気とともに消え去ると、ウテナの上からも圧力が遠のいた。
はあっ、とウテナの息が漏れる。
怖すぎて意識しなかったが、思ったよりも呼吸を妨げられていたらしい。
兎と猫は態度を一変して、急に興味を失ったような顔になった。
うずくまったウテナを見下ろし、

「なんだご機嫌伺いか」

「ご機嫌伺いなら最初からそう言え」

などと口々に言いながら。

(いきなり追いかけてきたのはそっちじゃないか! 無茶言うな!)

反論しようにも呼吸を整えるのがやっとで、互いに寄り添った兎と猫をせめて精いっぱいの眼力で睨みつける。
姿形は人間だが、思考の単純さや、それが行動にすぐ現れるところなどはやはり動物的と言える。素直と言えば聞こえはいいのだろうが。

「……僕はウテナ……トワイライト夫人の代理で、アンブル、いや、アンブルさま宛につかいものを預かっているんです。アンブルさまの居場所を知りませんか?」

身の安全が確保出来たら仕事だ。
何とか気持ちを切り替えて、アンブルの居場所を尋ねる。
しかしどうやらこの二匹はアンブルの居所は知らないようだった。それどころかアンブルの森の動物たちはそのほとんどが、アンブル本人の姿を知らないのだという。

ただしアンブルの森の動物は人間嫌いだということを忘れてはならない。
ウテナが“アンブルのご機嫌伺い”だとわかったとはいえ、本当のことを言っているのかどうかはわからないのだ。

「“アンブルのご機嫌伺い”が合言葉として周知されているということは、ご機嫌伺いは僕やトワイライト夫人だけじゃないってことでいいですよね。だって来る人が固定なら合言葉なんて要らないし」

兎と猫は答えない。
やはり未だウテナの本性を探っている様子だ。
ウテナはかまわず続ける。

「相当数の関係者がご機嫌伺いとして森に来ているなら、速やかにアンブルさまに出て来ていただかないと渋滞するでしょう。居場所を知らないのが本当だとしても、呼ぶ方法はあるんじゃないですか。他のご機嫌伺いはどうやってアンブルさまに会ってるんですか?」

「見た目はガキだが頭はまわるらしいな」

(ちょっとしか変わらないじゃん、見た目年齢だけど……)

兎のつぶやきにカチンとくるも、ここで怒っては“ガキ”という評価を裏付けてしまうと思ったウテナは黙ってそれ以降の言葉を待った。
猫に発言の気配は無く、すべての判断を兎に委ねる面持ちだ。
腕力に関しては猫、交渉力に関しては兎という役割分担があるらしかった。
ただすこし猫が忠実すぎるというか、兎を見つめるその視線には信頼を通り越して服従・崇拝するような、妙な空気も感じる。

確か、猫は兎を襲って食うこともある。
もちろん肉食と草食が睦まじいシーンはしばしば和むものとして人間界でも話題になるが、どうしてこの二匹はこんな微妙な雰囲気なのだろうか。
人間の姿だから微妙に感じるだけで、獣の姿でも皆実際はこんなものなのかもしれない。

「……ま、いいだろ」

面倒そうにどこかへ歩き出す兎に遅れて付いて行く猫が、ウテナに向かって手を招く。

「まねきねこ……」

思わずウテナからこぼれた言葉に少し首を傾げた猫はそれ以上取り合わず、先へ進む兎のことを「うさぎ」と呼んで追いかけた。

ウテナは“アリス”と言いかけ、今度は飲み込んでその後に続いた。





雨降りウテナと不思議な森(4/6) [1911] へ続く


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