雨降りウテナ

光合成(1/3)




トワイライト夫人のきんきんとした喋りは、長らく続く雨の音のうざったさに負けないくらいの煩さだった。
広い部屋にばらまかれたベルベットやサテンを器用に飛び越え、彼女は自分を装飾することに夢中になっている。

……年甲斐も無く。

「え? 何か言った? ねえどうかしら、これ。いいと思わない? 靴はどっちが合うかしら? あら、ねえちょっと、聞いてるの? やだわあ、返事してちょうだいよ、ねえ、どうかしら?」

返事が欲しいならちょっと黙ってくれ、頼むから。
と言いかけて、小間使いのウテナは愛想笑いをしたつもりだった。
彼女が散らかした服を拾い上げるのに必死で、話をするどころではない。

やっと絨毯の上をフラットにしたと思えば、またひとつ、頭上からやわらかいものが降ってきた。

「んっもう! 男の子って、つまんない! お洒落させてあげても汚して帰ってくるし、ショッピングには付き合ってくれないし、話は合わないし、それから」

「服は貴女が勝手に着せてるんでしょう……文句言うならもうお使い行ってあげませんよ」

「やっだ! いつからそんな生意気言うようになったの、悪い子!」

そんなことを言っている間に、もう一人の自分とにらみ合う彼女は次々と洒落た布や宝石で着飾っていく。帽子には垂れるほど巨大な羽飾り、ぼんと膨らんだ袖に、引きずった深紅のスカート。そこには豪快な薔薇の刺繍が施されていた。
すかさず、鏡の中のウテナが、苦虫を噛み潰したように「うぇっ」と顔をしかめる。
結局は質問には答えなくても、自分で勝手に服なり靴なり決めてしまうのに、どうして最初から決まっていることを、人に聞いたりするのだろうか?
男がつまらない生き物なら、女は奇天烈な生き物だ。

ことさらに彼女に至っては、もはや理解できるとかできないとか、誰と比べてこうだとか、そんな範疇を越えてしまっていた。








トワイライト夫人はウテナの亡き母の古い知り合いだ。
ウテナを度々呼び出して小間使いとして使うのは、親を失い独りになってしまった子供に対する、彼女なりの優しさ……だったと思うことにしている。
少なくとも世間ではそういう風に噂されているから、わざわざ別の理由をつくろうこともないだろう。

ほんとうのところ、下町の悪ガキだったウテナを使おうとしたトワイライト夫人がいの一番に発したのは、『可哀そう』でも『私をお母さんだと思っていいのよ』でもなく、「これから面白くなりそうだわあ」というあまりにも能天気すぎる一言だった。

だからウテナ自身、助けられた身であることを気に病まずに済んだのかもしれない。
それこそ、トワイライト夫人の優しさだろう。

今ではほとんどトワイライト夫人の屋敷に寝泊まりし、夫人はウテナの後見人のようになっていたし、実際、はたから見れば親子のようでもあった。

「まるで本物の親子のよう」とささやかれるのは、ウテナにとっては色々な意味で複雑な気持ちがするものだったが。

「さあ、できたわ。あらら、なに突っ立てるのウテナ、あなたも着替えるのよ、今日は二人そろって大事なパーティーって言っておいたでしょう、まさか、またお洒落は嫌だとか言わないわよね」

「夫人がもう少し丁寧にお召し物を扱ってくださればね」

夫人とは目を合わせもせず、雑にまとめた布の山をテーブルに放り、いくらするかわからない宝石が嵌め込まれた指輪やブローチをザラザラと硝子の容器に流し込む。美しい色たちが室内の柔らかな照明を浴びて、硝子の獄中で煌めく様子はまるで万華鏡のようだった。
小間使いとして働くようになった当初は宝石をこんな雑な扱いをして大丈夫かと思ったものだったが、今となっては宝石を一つ一つ仕舞う間に夫人によって仕事が増やされ、日が暮れてしまうことをよく覚えてしまった。
この人にとって何が価値のあるもので何がそうでないかというところの判断は、いまだに難しい。

「ま! ほんとうに生意気な子!」

そう言いつつ、淑女らしからぬ手つきでウテナ用の服を選り抜くと、あっという間にウテナは仕事着を脱がされてしまった。
主人が小間使いの着替えを手伝うというところも、普通の主従では好ましくない習慣なのではと思っていたが、夫人にとっては、ウテナに任せてめちゃくちゃな仕上がりになるのがどうしても許せないのだそうだ。
鏡の中で別人になってゆく自分を冷ややかに見つめながら、自分にセンスがないことに関しては異論はない、とウテナは思った。

トワイライト夫人自身の好みは、毒のある茸か爬虫類が如く派手だ。しかし人に似あう服を選び、コーディネートする能力には長けている。
窮屈で高飛車で暑くて重っ苦しい服を着るのは何としても嫌いだが、夫人の美的感覚に共感するところはあり、いつも甘んじて着せ替え人形の役目を担っているのだ。
そうでなければ、だれがこんな……。

「あら! もうお迎えが来たみたいね!」

雨音に混じるいななきと車輪が土を踏む音を聞き、「はい、完璧」と夫人が背を叩く。
深い緑で統一された貴族風の洋服に、高価な糸で刺繍された葉がきらきらと光るシルクハット。
深紅の薔薇のトワイライト夫人とは、対になっているわけだ。
ほうほうと頷きながら、部屋を出る夫人に付いて歩く途中で、はたと足がとまる。

「って、僕は引き立て役ということか……」

表に出ようとしていたトワイライト夫人がウテナのつぶやきを聞き逃さず、「ウテナは花のガクでしょ!」と、振り返りもせずに言った。
花のガクのことを、ウテナとも呼ぶ。それが名前の由来になっているのか否かは定かではないが、両親がいない今となっては確認のしようがない。

それよりも、常に自分が主役でないと気が済まない夫人に、ほとほと呆れてしまった。しかもただの目立ちたがりではなく、実際に軍隊の将校らしき人や、ウテナにはよくわからないような偉い人にまで一目置かれているのだから、ぐうの音も出ない。

そんな夫人はパーティーに呼ばれることも多く、ウテナは側近のように世話を焼く日々だが、お供をしろと言われたのは初めてだった。

「側近ならまだ格好がつくよ、まったく……」

重い足取りのウテナを子供のように跳ねてせかす夫人の羽根飾りが、鈍い逆光に踊っていた。






光合成(2/3) [3072] に続く


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