雨降りウテナ

光合成(2/3)




トワイライト夫人があらわれた途端、会場のホールは俄にざわめきたった。
深紅の薔薇の裾をさっそうと引いてその中を往くトワイライト夫人の後を、おっかなびっくりのウテナが追う。
黄金のシャンデリア、純白のテーブルクロス、目にも美しい古今東西の料理達、そして、ここぞと着飾った貴婦人たちに、仰々しくその手を引いてエスコートをする紳士たち。
注目されるトワイライト夫人の後に付いて行く自分も見られているのではと思うと、そんな煌びやかな紳士淑女の中を歩くだけでも身が縮こまってしまいそうだった。

場違い。

その一言がウテナの脳内を占拠して、他の思考と動作を邪魔していた。

ウテナの気配を察した夫人が、前を向いて堂々たる歩みを緩めないまま声をかける。

「どうしたのウテナ、いつもの元気は?」

「どうしたのじゃないですよ。なんですかこれ、こんなの聞いてない」

「ホームパーティーか何かだとでも思ったの? こーんなにお洒落をしてきたのに。ほんとに男子って鈍感だわ」

“こーんなにお洒落”と言われても、どこかの舞踏会(それも怪しいやつ…)に出かけていきそうな感じのするビラビラの服が普段着のトワイライト夫人がどんなに重ねて着飾ったところで、いつもと違う所などわかるはずがない。

「あなただって黙って立ってりゃ立派にご令息くらいには見えるんだから、堂々としてらっしゃい。いやあよ、恥かくのは」

トワイライト夫人の恥になる……。ドキンと胸が鳴る。
一応は自分の主人であるのだから、身の回りの世話だけでなく、その名誉を守るのも従者の役目だ。
夫人は面倒な人だが尊敬はしているし、母亡き後自分の面倒を見てくれたことへの恩もある。
慣れないこととはいえ、夫人の言動が注視されるこの大事な場面で、同じく注視されているはずの自分が失態をおかすことはできないのだ。
ハッとしてウテナは顔を上げ、胸を張った。

「あそこ、ご覧なさい」

立ち止まって透かし模様の扇子で口元を隠し、トワイライト夫人がそっとウテナに耳打ちをする。
派手に彩られた目元が笑っていないところを見ると、珍しく真面目な話らしかった。
緊張して目線を辿れば、正面中央の階段の脇に数人の男性が立っている。多分年齢はトワイライト夫人よりも少し上で、皺の深くなりかかった顔がいかついが、皆紳士らしい服装と所作だ。
ただ、談笑はしているが、雰囲気は柔らかくない。

「一番右の殿方、わかる?」

「毛皮の飾りが付いた、黒いハットの人ですね」

「今からあの方にご挨拶があるのだけれど、そこだけウテナにはそばにいてほしいのよね。もしかしたらウテナにも自己紹介してもらうわ。終わったら好きにその辺をうろついて構わないから、頑張って」

「……わかりました」

ますます顔がひきつってしまったウテナの背中を、苦笑した夫人が叩こうとした時だった。
数人いた男性の一人がトワイライト夫人の存在に気付き、毛皮飾りのハットの男性に何かを話しかける。すぐに毛皮飾りの男性は短い断りを告げ、やや速足でこちらに近づいた。
夫人はウテナから目を離し、親しげな笑みで男性を迎える。
や、やばい。自分はどう行動すればいいのだろうか。

「ごきげんようトワイライト夫人。深紅の薔薇とはまた貴女らしい」

「お久しぶり、アンピエル伯爵。決戦の盛装は派手でないとね」

「はは、出ましたな、パーティーは決戦発言。お変わりなくて何より」

(は、はくしゃく!?)

伯爵と聞いた途端、その場の状況も忘れてウテナは極限まで目を丸く見開いた。今までで最高潮の緊張が心臓を急かす。
アンピエル伯爵がウテナを見やると、しげしげと観察するように、小さく数回頷いた。
トワイライト夫人は、黙って二人を窺っている。

「噂のお手伝い君ですかな」

「ええ、かわいいでしょう?」

視線だけで「自己紹介」と促され、口を開いたが出たのは「ウテナです」の硬い一言だけだった。だがアンピエル伯爵は満足そうに目を細め、会話を続ける。

「将来が楽しみですな。本当に夫人には、美しいものの方から寄ってくる天性の素質がおありのようだ。美しいものは美しいもの同士で集まるということかな」

「伯爵ったらまたお世辞の腕を…」

ころころと笑う夫人をよそに、棒立ちのウテナはまた俯いてしまっていた。
目も手も足もどう動かせばよいのかわからず、ただただお上品な上流の会話に耳を傾けていた。
はやく容姿の話からそれてくれないだろうか。聞いてる方が恥ずかしい。
だが、金持ちにとっては普通のことなのかもしれない。
自分が下町の悪ガキだった頃、土臭い道端で聞いた人間たちの世間話を無意識に思い出した。
あの頃は母も生きていて、よく怒られたけれどそれなりに幸せだったなと、様変わりした環境に囲まれながら考える。

往来の下世話な会議は情報源でもある。
見た目が派手なウテナは同年代にはのけ者にされることが多かったが、変に情報通な所があったので、大人の井戸端会議にはちょくちょく参加していた。そのことを知っている母が微妙な笑顔を見せたのを、記憶の端に呼び起こす。

「夫人、この後もご挨拶が続きましょう、細かい話はまた後ほど」

「嫌だわね、もっと伯爵にヨイショしていただいて気分よくなりたいのに」

「でもウテナ君は嬉しくなさそうですよ? ウテナ君、いつも一人で夫人の相手するのは大変でしょう」

急に話を振られ、慌てて姿勢を正す。幸い、聞き返すほど難しい質問ではなかった。

「えっと……いえ、べつに……」

「大変なんて、そんなことないわよねえ? 伯爵もお人がわるいわ、上げておいて落とすなんて」

親しい会話の終わり特有の砕けた挨拶が始まり、些か安心する。
この後は自由だ。美味しいものでも食べて腹を満たそう。

「そうそう伯爵。お頼みしておいたアレですけど」

「ちゃんと持ってきていますよ。きっとお気に召します」

「嬉しいわ! それじゃ、後で!」

「ええ、後で」

にこやかに去っていくアンピエル伯爵を見送り、ウテナはハアーッとため息をついて肩の力を抜いた。

「何やってるの、会場に居る間はだらけちゃだめよ、アンピエル伯爵だけがあなたを見ているわけではないのだから」

「でも、この後は自由に行動していいんですよね……?」

「もちろんよ。その辺のもの好きに食べてらっしゃい。たくさん食べられたらいいわね」

私はまだ用事があるからと言って、夫人はウテナを置いて貴婦人の中に紛れていった。
一人になったウテナは今までの緊張を振り払うように意識を料理達に向け、「さあ食うぞ」と意気込む。美味しそうな料理を見わたすと急に腹が減ったような気がして、期待に子どもっぽく頬が上気する。
だがご機嫌で皿を取ろうとテーブルに近づいた時、そのテーブル付近にいた女性たちの目の色が変わったことにぎくりとする。

「あらちょっとあなた、トワイライト夫人のところのぼっちゃんでしょ!?」

「女の子みたい! かわいい!」

「いまおいくつ?」

一瞬にして目の前がコルセットとフリルとレースになり、手の届かない料理の乗ったテーブルが更に遠のく。

「ちょ、ちょっと……!」

「きゃーっ! お肌つるつる! もちもち!!」

「トワイライト夫人って怖いの? 優しいの?」

「お屋敷に美少年がいっぱいいて夫人に生き血を捧げてるってほんと!?」

「知りません! 知りませんよ! 離してってば」

わらわらと寄ってくる好奇心の塊に押されながら、ウテナはトワイライト夫人の言葉を反芻した。

“アンピエル伯爵だけがあなだを見ているわけではないのだから”

“たくさん食べられたらいいわね”

トワイライト夫人の口元が、扇子の陰で笑った気がした。




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