32話:ニセモノの視認

 用があると適当なことを言って宇栄原という高校の先輩と思われる人物と別れたが、その後オレは無事に知っている道まで行くことができ、帰路の途中にある小さな公園のベンチに座っていた。

(宇栄原って、多分あの人だよな……)

 帰り際に聞いた名前を、心の中で反復する。会ったことは無かったと思うのだが、宇栄原という名前は確かにどこかで聞いたことがあったのだ。否、聞いたというよりは見たと言った方が正しいのかも知れない。テストの点数が廊下に貼り出されるという悪趣味なシステムがなければ、恐らくオレの感じたこの引っかかりはあり得なかっただろう。その名前は、テストの総合順位が職員室の前にある掲示板に貼り出される時に必ず目にしていたものだった。
 本来なら同学年の順位だけ見ればいいのだが、オレはそれだけでは飽き足らず、特別関係の無い二年生と三年生のテストの順位をしっかりと把握していた。それだけなら別にオレが特別珍しいというわけではないだろうが、過去に行われた中間テストと期末テスト、それぞれ一位から十位までのテストの総合点と名前を学年ごとに記憶しているというのは流石にそういないだろう。一度見たら忘れないという類いのものではないのだが、こんなことを口にすれば一般的にはおかしなやつだと思われるに違いない。

「力使えそうな人、見つけたんだ?」背中から、最早聞き慣れてしまったタカハラさんの声が伝ってくる。タカハラさんの方を見るまでも無く、オレは声を発した。
「……いつから居たの?」
「ずーっと見てたよ。幽霊に追われる前からね」

 本当にそうだとするなら何とも嫌な趣味であるが、今日に限ったことでもなかったからもはやどうとも思わなくなった。しかし、ため息くらいは出ても仕方が無いだろう。本来だったらああなる前に……というか、幽霊に接触するよりも前に来て欲しいものだが、元はといえば「タカハラさんは何もしないでくれ」と頼んだのはオレの方だ。文句の一つも言えたものではない。

「せっかく見つけたのに、頼まなくてよかったの?」
「み、見つけたからって、そんなすぐには無理だよ」

 この時、オレは初めてタカハラさんが居ると思われるほうを向いた。ベンチの背に両腕を乗せ、不思議そうな顔をしてこちらの顔を覗いている。どうやら、何故先輩に手伝って欲しいと言わなかったのかが本当に不思議で仕方が無いらしい。

「そうかな? あの彼なら手伝ってくれると思うけど」
「なんでそう思うの? 会ったばっかりなのに」

 どういうわけか、オレがさっき出会ったばかりの宇栄原先輩は言えば助けてくれる人物であるとタカハラさんは確信しているようだった。根拠のない自信にも見えたが、それにしては一切の迷いがないのがどうにも引っかかった。

「多分、あの彼のことは今のキミよりも知ってるから」その物言いから察するに、どうやらタカハラさんは宇栄原先輩のことを知っているようだった。
「……会ったことあるの?」
「気になる?」
「べ、別に……」

 なんだか何かを試されているような気分になり、オレはすぐにそっぽを向いた。気にさせるようなことを言うのはいつだってそっちだというのに、まるでオレの察しが悪いかような感覚に苛まれたのである。

「別に不思議なことじゃないよ。ボクがキミより長くこの一帯に存在していて、キミよりも多くこの一帯を歩いている。ただそれだけのこと」

 素直に会ったことがあるとか知ってるとか言えば良いのに、その解答が余りにも抽象的なのが余計にオレの気力を削いでいく。オレが最初から真面目に聞いたって、似たようなことを返してくるに決まっている。この人はそういう人だ。

「もしさっきの彼が駄目なら、やっぱりボクがやるしかないね」
「だ、駄目だよっ!」

 焚きつけられたというのは分かっていたものの、思わず声を荒げてしまう。少し過剰に反応しすぎてしまっただろうかと、焦って再びタカハラさんから視線を外してしまう。

「オレ、タカハラさんのあんなところもう見たくないから。それに、力は使わないって誰かと約束してるんでしょ? 駄目なら駄目で、こういうことはもうやらないよ」
「……それはつまり、祥吾くんのことを見捨てるってこと?」

 この人の聞き方は、いつも嫌らしくて参ってしまう。そう思ったが、オレが諦めるということはつまりそういうことであるというのは誰が聞いても明白であるせいで、とてもじゃないが弁明することが出来なかった。タカハラさんに力を使わないでとお願いしているのは紛れもなく自分であり、オレがそんなことを言わなければことは既に解決していたに違いないのだ。
 一体どうやって答えるのがいいのかと考えあぐねていると、タカハラさん自らオレの顔を覗き込んできた。まるでオレが何を考えているのかを透視するかのように、眼鏡を介してもなお視線が離れてくれない。

「な、なに?」まるでその行動を取っているタカハラさんが悪いかのように、怪訝な声を出してしまう。
「うーん。いや、本当にそれでいいならボクも何もしないけど、もう少しちゃんと考えてね」

 せっかく橋下くんが掴まえた有限の時間なんだからさ。そう口にすると、タカハラさんはいつもの笑みを繕った。我が儘なオレのことなんて呆れられていたっておかしくないのに、どうしてタカハラさんはそんな顔が出来るのだろうか? 単純に乗りかかった船だから? 祥吾と知り合いだから? 祥吾が瞑邪と成り果てたから? オレに向けているそれはただの同情なのだろうか?
 もしかしたらこの人は、これから起こること全てを最初から知っているのではないかと思わせるような憂いが含まれたそれを、オレはずっと見つめてしまっていた。
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