20話:誰も目には映らない
一体何が正しいのか、何がおれをそうさせたのか。この時のおれは分からない。
「ごめんね、急に押し掛けて」
こうして彼女に会いに来てしまったというのが、果たしてどれ程の意思の元だったのかというのも分からない。
「せ、せせせせ先輩っ……!?」
ただひとつ、分かることがあるとするのなら。
「何か、あったんですか……?」
「ああいや……。別に、何があったって訳じゃないんだけどね」
彼女の顔を見て、酷く安堵してしまった自分がいたということだけだ。
「良ければ、一緒に帰らない?」
そう口にすると、彼女の目はたちまち点になっていくのがよく分かる。おれの言葉をどう取ったのか、徐々に頬に火照りが見えた。
「す、すぐに準備します! 今すぐに!」
そう口にしたかと思うと、彼女は背を向けて席へと足を動かしていく。それはもう、電光石火といっても差支えは無いだろう。「別にそこまで急がなくても」という言葉が果たして彼女の耳に届いているかは置いておくとして、それがどうにも微笑ましくて自分の頬が緩む。
そういう状況じゃないということは嫌でも理解しているというにも関わらず、だ。
中条さんが言葉の通り準備をして戻ってきて暫く、おれらは早々に校舎を出た。帰り道は途中まで一緒らしいという情報しかないまま取りあえず歩を進め、道中は彼女の話をただただ聞くことに努めた。楽しそうに話をしながらもふとしたときに我に返るのか、少し照れた面持ちで視線を外し、そのまま俯く姿。おれが「それで?」と聞くと、戸惑いながらも話を続けていく姿。その後、自然と笑みを溢していく姿。
全てを目にするには、少々時間が足りないというものだ。
「あ、あの……」
「ん?」
状況が違えばそもそも会うことは無かったのだろうと思うと、果たして今どんな顔をすればいいのか分からなくなる。今のおれはちゃんと繕えているだろうか?
「えっと……」
出来ればごくごく普通の日常の一部として一緒に下校するという状況だったら良かったのに、やっぱりそれは難しい。
「……そういえば、栞って今持ってる?」
「栞……? ああ、先輩から貰ったやつなら持ってますよ。ちゃんと!」
弾んだ声が、本当に今も持ってくれているのだろうというのがよく分かる。
「それがどうかしました?」
「いや……」
そう問われて、答えに困る自分がいた。いつもなら適当にかわせることが出来ているだろうに、どうも今日の自分は、いつにも増して頭が働いていないらしい。
「どっちが正解なのかなって、今日までずっと考えてた」
だから、後先考えることも無くこんなことを口にしてしまうのは、致し方ないというものだ。
「栞があったから巻き込まれたのか、それとも栞があったからまだマシだったのか。今も答えが見つからないんだ」
なんの脈絡のないおれの言葉に彼女は少し困惑していたようだったが、だからと言って口を挟むことはしなかった。
「中条さんにはこれ以上迷惑がかからないような状況にしたいのに、どうしてもそこに至るまでの答えを見つけることが出来ない」
それが余計わざわざ言わなくてもいいことを口にしてしまっているような気がしてならないが、もう自分ではどうすることも出来なかった。最も、口を挟まなかった彼女が悪いというわけでは毛頭ないが。
「どっちか分からないままじゃおれだって気味悪いし、無い方がいい可能性だって十分にあるし……」
つまり何が言いたかったのかといえば、恐らく彼女に捨てて欲しかったのだ。その得体の知れないモノを。しかしその決定的なことが口に出来ない辺りが、矛盾に拍車をかけてしまっている。
「やっぱり、何かあったんですか……?」
怪訝な顔で彼女がそう口にするのは、至極当然だ。こんな着地点が見つからない話、本当なら誰かに言うようなことでもない。
「何もないよ。少なくとも、おれの身には何にも起こってない。だからおれは大丈夫」
いつものように詭弁を繕う余力だけは、辛うじて持ち合わせていた。しかし、口にしたことに嘘はない。これだけのことが発生しておきながら、本当におれ自身には一切何も起っていないのだ。
それが余計おれの思考を奪っているという、ただそれだけの話である。
「だから、中条さんが心配する必要は何処にもないよ」
今までだってそうやってきた。それで大丈夫だった。その大丈夫というのが、これから先も通用するのかまでは知らない。知ったことではない。
わざとらしく思考を放棄したおれは、徹底的に笑みを繕っている。
――これは、おれが雅間さんに出会うほんの一時間ほど前の出来事だ。
「ごめんね、急に押し掛けて」
こうして彼女に会いに来てしまったというのが、果たしてどれ程の意思の元だったのかというのも分からない。
「せ、せせせせ先輩っ……!?」
ただひとつ、分かることがあるとするのなら。
「何か、あったんですか……?」
「ああいや……。別に、何があったって訳じゃないんだけどね」
彼女の顔を見て、酷く安堵してしまった自分がいたということだけだ。
「良ければ、一緒に帰らない?」
そう口にすると、彼女の目はたちまち点になっていくのがよく分かる。おれの言葉をどう取ったのか、徐々に頬に火照りが見えた。
「す、すぐに準備します! 今すぐに!」
そう口にしたかと思うと、彼女は背を向けて席へと足を動かしていく。それはもう、電光石火といっても差支えは無いだろう。「別にそこまで急がなくても」という言葉が果たして彼女の耳に届いているかは置いておくとして、それがどうにも微笑ましくて自分の頬が緩む。
そういう状況じゃないということは嫌でも理解しているというにも関わらず、だ。
中条さんが言葉の通り準備をして戻ってきて暫く、おれらは早々に校舎を出た。帰り道は途中まで一緒らしいという情報しかないまま取りあえず歩を進め、道中は彼女の話をただただ聞くことに努めた。楽しそうに話をしながらもふとしたときに我に返るのか、少し照れた面持ちで視線を外し、そのまま俯く姿。おれが「それで?」と聞くと、戸惑いながらも話を続けていく姿。その後、自然と笑みを溢していく姿。
全てを目にするには、少々時間が足りないというものだ。
「あ、あの……」
「ん?」
状況が違えばそもそも会うことは無かったのだろうと思うと、果たして今どんな顔をすればいいのか分からなくなる。今のおれはちゃんと繕えているだろうか?
「えっと……」
出来ればごくごく普通の日常の一部として一緒に下校するという状況だったら良かったのに、やっぱりそれは難しい。
「……そういえば、栞って今持ってる?」
「栞……? ああ、先輩から貰ったやつなら持ってますよ。ちゃんと!」
弾んだ声が、本当に今も持ってくれているのだろうというのがよく分かる。
「それがどうかしました?」
「いや……」
そう問われて、答えに困る自分がいた。いつもなら適当にかわせることが出来ているだろうに、どうも今日の自分は、いつにも増して頭が働いていないらしい。
「どっちが正解なのかなって、今日までずっと考えてた」
だから、後先考えることも無くこんなことを口にしてしまうのは、致し方ないというものだ。
「栞があったから巻き込まれたのか、それとも栞があったからまだマシだったのか。今も答えが見つからないんだ」
なんの脈絡のないおれの言葉に彼女は少し困惑していたようだったが、だからと言って口を挟むことはしなかった。
「中条さんにはこれ以上迷惑がかからないような状況にしたいのに、どうしてもそこに至るまでの答えを見つけることが出来ない」
それが余計わざわざ言わなくてもいいことを口にしてしまっているような気がしてならないが、もう自分ではどうすることも出来なかった。最も、口を挟まなかった彼女が悪いというわけでは毛頭ないが。
「どっちか分からないままじゃおれだって気味悪いし、無い方がいい可能性だって十分にあるし……」
つまり何が言いたかったのかといえば、恐らく彼女に捨てて欲しかったのだ。その得体の知れないモノを。しかしその決定的なことが口に出来ない辺りが、矛盾に拍車をかけてしまっている。
「やっぱり、何かあったんですか……?」
怪訝な顔で彼女がそう口にするのは、至極当然だ。こんな着地点が見つからない話、本当なら誰かに言うようなことでもない。
「何もないよ。少なくとも、おれの身には何にも起こってない。だからおれは大丈夫」
いつものように詭弁を繕う余力だけは、辛うじて持ち合わせていた。しかし、口にしたことに嘘はない。これだけのことが発生しておきながら、本当におれ自身には一切何も起っていないのだ。
それが余計おれの思考を奪っているという、ただそれだけの話である。
「だから、中条さんが心配する必要は何処にもないよ」
今までだってそうやってきた。それで大丈夫だった。その大丈夫というのが、これから先も通用するのかまでは知らない。知ったことではない。
わざとらしく思考を放棄したおれは、徹底的に笑みを繕っている。
――これは、おれが雅間さんに出会うほんの一時間ほど前の出来事だ。