第18話:孤独に別れを告げられない

 この辺り一面に広がる静寂を、オレはよく知っている。一番最初、レズリーの家に来たときも確かこんな感じだった。ただひとつ違うのは、レズリーの声らしいものは一切聞こえてこなかったということ。それがどうしてか、オレの不安をより煽っていた。そうであるのに、まるで最初からそれが分かっていたかのようにして、体は勝手に動いていく。次第に足早となっていく自身の行動に、特別疑問を抱くことはなかった。
 この人の気配ひとつない混沌とした空間の中に、レズリーはずっと居たのだろうか? そもそも、ここは一体何なのだろう? どうしてレズリーは、こんなところにひとりで居るのだろうか?

「どうして、君が……?」

 その理由が分かる頃には、もしかすると全てを思い出し、拒んでいた何かを理解してしまっているのだろうか?

 ――じゃあ、おれとレズリーも友だちだね!

 そうなったら、今レズリーと会えているこの状況が、どれ程の意思の元に存在しているかということにも気付いてしまうのだろうか?

『……それは、随分と歳の離れた友達になってしまうね。いいのかな?』
『おれがいいからいいのっ!』

 今まではそれを分かりたくないというただのオレの我が儘と、都合よく覚えていない一部の記憶によって行動を起こすなんてことはしなかった。但し、今は少しだけ状況が違う。

「呼ばれはしなかったけど……」

 言葉にするのが難しく、思わず口を止めてしまう。僅かに視線を落とし、考えた先に見つけた答えは、さながら自分でもよく分からなかった。

「でも、レズリーが呼んだんでしょ?」

 それでもそうだという確信があったのは、レズリーの揺れる瞳を見れば容易に判断が出来た。

「違うの……?」

 そう口にして、一歩オレが足を踏み出そうとしたとき、僅かに靴先に何かが触れた。

「……っ、来ないでくれ!」

 レズリーの言葉に、反射的に体の動きが止まる。よく見ると、前はテーブルにあったティーカップもお菓子も今はそこには置いていない。代わりに、それら全ては無残にも草の上に散乱していた。オレの靴に触れたのは、その陶器の破片のひとつのだった。
 風にのって香る、僅かなレモンの匂いがオレの鼻を刺激する。これは確か、あれだ。母さんが好きだった、ティシーが作った蜂蜜に浸けたレモンの入っている紅茶の匂いだ。本来ならテーブルに置かれていたはずなのに、目的を果たすことの無かったそれらを見ると自然と眉は歪んでいった。

「私は――」

 私はもう、過去に恋い焦がれることはしたくない。
 そう口にしたレズリーの苦悶に満ちた表情を、オレはこの先忘れることはないだろう。

「……オレ、やっぱり知りたいんだと思う。じゃなきゃ、ひとりで来るなって言われた場所になんて来ないよ」

 オレが今この時にここに来ることをしなかったら、ということは、出来ることなら余り考えたくはない。でももしかしたら、こうなったのはオレがここに足を脚を踏み入れてしまったからなのかも知れないという一抹の不安もあった。もし仮にここに踏み入れることをしていなかったとしたら、どうなっていたのだろう? この息をしているのかさえも朧気にさせる静寂の中、レズリーは今この瞬間も、ずっとひとりでここに居ることになっていたのだろうか?
 ――それはやっぱり駄目だ。

「ねえレズリー。オレ、ちゃんと全部思い出すから」

 靡く風に後押しされるように、オレは言葉を続けていく。レズリーを視界から外すなんていうことは、もうしない。

「だから、そんな顔しないでよ」

 恐らくこれは、懇願に近かった。

「オレとお話しよう?」

 煩わしさを感じる髪の毛なんて到底気にならない程に、今のオレはレズリーにしか眼中がない。自然と差し出していたのは右手である。

『……ずっとだなんて、そんなこと言ってしまって大丈夫かい?』
『大丈夫だよー。えーっと、む、む……むせ、きにん? おれテキトーなこと言わないもんっ!』
『はは、そうか。それは失礼』

 あの時は確か、両手だった。

「……きみは、本当に変わらないね」

 僅かな微笑みを見せたレズリーだけど、それは記憶の中のレズリーとは全く違うものだ。でも、それが見えたのはほんの一瞬で、オレの腕はレズリーの手によって引っ張られた。

「きみの優しさは、私には勿体無い」

 それは本当に瞬間的で、オレが何か行動を起こす余裕すらなかった。レズリーの両腕にすっかり収まってしまうオレは、なんて小さいのだろう。こんなにも大きくなったというのに、まだ足りないとでも言うのだろうか?

「認識が甘かったんだ。私がもっと頑張っていれば、こうはならなかった」

 すがるようにして抱き締めてくるレズリーの力は、次第に強くなっていく。どうしてこんなにもこの人は苦しんでいるのかというのが分からないというのは、何とももどかしく、自分がいかに無力であるかというのが手に取るように分かる。

「こうやってきみが頑張る必要だって、無かったはずなんだ」

 だからこそ、その言葉にはどうしても違和感があった。

「……それは違うよ」

 だけど、そうだ。これくらいなら、何とか言葉に出来る。少し前のオレだったら到底口にはしていないだろうけど、今はちゃんと言わなければいけない。これくらいしか出来ないけど、ちゃんとレズリーの顔が見えるように、上を向いて言わなければならない。

「だって、友達が困ってたら誰だって何とかしたいって思うんでしょ?」

 そういう経験を、たかだた十数年しか生きていないようなオレはきっとまだしていない。でも多分、そういうことなのだと思う。というより、そうじゃなきゃ到底理解が出来ないのだ。

「父さんだって、きっとそうだったよ」

 最後のその言葉が一体何故出てきたのかもよく分からないまま、オレはレズリーの瞳を射抜く。
 思い出していないはずなのだけれど、でもオレがそうなのだからきっと父さんだってそうだった。カルト・クランディオという人物は、ここで友人を見捨てるような人じゃない。そうであって欲しい、という願望も恐らくはあっただろう。

「……それじゃあ私は、カルトにいくら感謝しても足りないね」

 本当に、足りないよ。そう力なく口にした声は、オレの頭に落ちることなく辺りを浸透していく。それを合図とするように木漏れ日に紛れた水滴を、オレは見逃すことをしなかった。
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