第14話:甘味に紛れた毒の味

 市場からはちょっと離れているの。お姉さんがそう口にしたように、気付けばこの街に来てから数える程も来ていない所まで足を運んでいた。どことなく高貴な店に纏われているように感じるのはあながち間違いではないらしく、看板や並べられたそれらに付けられている値段を流し見るに、恐らくごく一般的な人間が住むような場所では無いのだろうというのが容易に想像出来た。貴族が住んでいる場所だからと言われればそうなのだろうけど、住宅街に紛れて住んでいるような何処かのアルセーヌさんとかいう貴族もいるわけだし、一概に一括りには出来ないのが難しいところで、言い換えるなら面白いところでもある。
 歩いて数分といったところだろうか。目の前に現れた、口は悪いがバカでかいそれを前に特別感嘆の意を示すことなく、オレは二人の住んでいる家にお邪魔した。

「ただいまぁ」

 玄関の扉を開けると同時に、お姉さんの声が響く。僅かに体が縮まったような気がしながらも、すぐに玄関外の空気が遮断された。この類の家は一応見慣れてはいるのだが、人様の家というのもあって落ち着くには時間が必要だった。
 これはあくまでも噂の限りだが、聞いたところによるとレナール家はどうも魔法の事件ごとには非協力的らしい。今回のことは、大事になったから重い腰を上げざるを得なかったんじゃないだろうかと勝手に推察しているが、本当に非協力的であるのなら理由は限られてくる。確かに、魔法の関連事は余り深入りし過ぎると後々になって痛い目を見るし、一家の存続だって難しくなる場合も否定は出来ない。オレはその事象を知らないが、そのまま没落なんていうこともあるのだろう。
 これだけ貴族が多い街だから、どの家が中心となって動くのかというのが恐らく決まっているだろうが、それにしたって面と向かって拒むなんてことは簡単に出来ることではない。相当当主の肝が据わっているのか、そうせざるを得ないことが過去にあったのか、それとも単純に存続を優先しているだけなのか。はたまた別の理由があるのかどうなのか、いずれにしてもどれを取っても保守的だと言えるだろう。

「ああ姉さん、どこ行って――」

 ただ、これからその家の舵を取るのであろう人物らは、周りや本人が思っているよりも保守的とは言い難いのではないかと感じている。これはまだ憶測にすぎないが。

「……なんでいるの?」

 ロエルさんの言葉が止まるのが早いか否か、明らかな嫌悪のオーラを放つのが見て取れた。それは誰が見ても明白だったけれど、どうやらそれを気にしていたのはオレだけだったらしい。

「さっきね、偶然会っちゃって。ほら、レイナがケーキ作ってくれたでしょ? だから丁度いいかなって」

 無理やり連れてきちゃったと、少しばつが悪そうにしながらもお姉さんの声はまるで軽快だった。

「……邪魔していい?」
「もう邪魔されてるんだけど」
「その通りだわ……」

 ピシャリと遮断してくるロエルさんのその一言を前に、オレはこれ以上余計なことは言わないと心に決めた。ただ、今発せられたロエルさんのため息は、オレに向けてということではないようなそんな気がした。

「こ、こんなところじゃあれよね。ちゃんとした部屋、案内するわ」

 ようやく何かを察したお姉さんは一歩踏み出したかと思うと、その流れでロエルさんの腕をむんずと掴んだ。

「ちょ、ちょっと姉さん。僕は関係ないって」
「はいはい、そういうのはいいの!」
「よくないんだけど……」

 そう言いながら、ロエルさんの身体は動いていく。但しそれは自身の意思ではないようで、お姉さんの足取りに比べれば少々重そうに見えた。やっぱり来なければよかっただろうかと正直思ったが、そんな後悔は後回しに、オレは左手を髪の毛に埋めながら歩を進めた。勿論、案内されているらしい方向にである。
 大層な家の景観の通り、壁から床から装飾までいかにも大金持ちの貴族といった感じで、まだこの空気感には慣れる余地がない。確かに一般的に考えられている貴族というのはこういうイメージで、オレの家だって普通の家と比べればそれなりだろうし、その自覚は一応ある。ただ、ここまで堂々とした造りのモノはそうは無いだろう。せいぜい、図書館と所縁がある血筋くらいじゃないだろうか。
 玄関から続く、二人並んでも余裕がある廊下を進んでいく。こういう場合、一人や二人のメイドや執事がくっ付いてくるものだけれど、今はその人影さえも視界に入らない。これだけ広いと遭遇する確率も低いのか、それとも予め人払いがされている状態なのかまでは、流石によく分からなかった。
 お姉さんを船頭に、ひとつの扉の前にたどり着いた。無機質的な音と同時に視界に入ったのは、少人数用のテーブルと机。それにソファーが置いてある部屋だ。ロエルさんとオレが部屋に入ったのを確認すると、扉が閉じるよりも前にお姉さんが口を開いた。

「えーっと……。私、レイナのところ行ってくるから。ロエル、後は宜しくね」
「姉さん。連れてきておいて人に任せるのは流石にどうかと思……」
「ケーキ、持ってくるから。待ってて!」

 バタバタと音を響かせて去っていくお姉さんの後ろ姿に、追うようにして視線が左右に揺れる。扉の閉じる音が聞こえたのは、その数秒後のことだった。置いてきぼりにされたオレの体はそこに留まったままで、それはロエルさんも同じである。ただ一つ違うことがあるとするなら、ロエルさんは再びため息をついたというところだろうか。
 申し訳程度の「座れば?」という声と共に発せられた足音によって沈黙は比較的すぐに終わりを告げたが、そう口にしたロエルさんは座ることは無く、窓のすぐ近くに身体を預け腕を組んだままそっぽを向いた。

「……ロエルさんさぁ」

 いっそお姉さんが帰ってくるまで黙っていようかとも思ったのだが、どうやらオレの口は動きたくて仕方がないらしかった。

「やっぱ怒ってる?」

 その言葉はただの独り言になっているようで、ロエルさんはこちらを見ようとはしない。しかし、目が僅かに動いたのをオレは見逃さなかった。

「……アルセーヌさんも大変だよね。隣街の人のことまで考えなきゃいけなくてさ」

 ほんの僅か、唾を呑むことだけが許された短い時間はすぐに終わりを告げた。それはオレの聞いた質問の直接的な答えではなかったが、おおかたオレの考えていることが正解だったと捉えて差し支えないものとみて間違いは無いだろう。ここでアルセーヌさんの名前が出てくるのだから、恐らくはアルセーヌさんの家で色々と聞いたんじゃないだろうか。じゃなきゃ、その名前が今ここで出てくる必要性がない。

「君のせいで、レナール家は関係ないとか言えなくなったから言うけど――」

 しかしそうはいっても、その名前が出てきたことには少し驚いた。

「何のためにこの街に来たの?」

 オレは近づく人間を間違えたのかも知れないと、そう思ってしまうほどだった。

「まさかじゃないけど、こんなところで油売ってる時間があるなんて本当に思ってる訳じゃないよね?」

 この言葉が、本当に非協力的な人間の口から出てくるのだろうか? 到底そうは思えない。

「そりゃまあ、多少はね?」

 やんわりと、そうであるということはそれなりに理解しているくらいのニュアンスで言葉を口にする。こういう真面目な話の時ですらオレの言葉は比較的に軽く、そして適当だった。こればっかりは性格上しょうがない。そう取り繕うことで自我が保たれているところは、多少なりともあっただろう。
 今日だけで一体何回目のことか、ロエルさんはまたしてもため息をついた。

「見た感じだと、持ってあと二週間ってところだと思う。……いや、こっちも大して何も出来てないから、もう少し早まるかもね」

 刺すような視線というのは、どちらかと言うと語弊があるだろう。

「僕には、君が何とかしようと思ってるようには到底見えないんだけど、その前に何とかする気があるの?」

 どこかオレの本心を探しているかのような真面目な瞳は、やはり非協力的な人間のそれではなかった。

「……じゃなきゃ、わざわざここまで来ないでしょ」

 気づけばそれ相応の言葉が口から零れていたが、その言葉に対して、ロエルさんの返事は返ってくることがなかった。

「……彼女、あの彼の妹さん? 君のこと、かなり心配していたみたいだったけど」

 一体どこに納得する節があったというのか、突然話題が切り替わり頭がついていかなくなる。彼の妹、と明確に名前を口にしない辺り、恐らくはリアちゃんのだろう。

「あー……。やっぱり、アルセーヌさんのところ行ってくれたんだ?」
「後で騒がれるよりはマシかと思ってたけど、余計面倒なことになったから行かない方が良かったと心底後悔してるところ」

 その言葉に、手持ち無沙汰のオレは思わず頭を掻いた。ばつが悪かったのだ。一体どこまで知っているのかは分からないが、おおかたこの街に来る前にあった事件のことは耳に入っているのだろう。

「アルセーヌさんの話が何処まで本当かは知らないけど、君のことだからどうせ誰にもまともな説明してないんでしょ?」
「いやだって、説明って言ったってなあ……」

 ロエルさんがこうして伝えてくる辺り、オレが思っているよりも相当心配されてしまっていると捉えるのが普通かも知れないが、オレに向けての心配などではないのだろう。というよりも、正直なところ心配されても困る。誰もかれも心配性で飽き飽きしているのだ。

「僕は探すことくらいしかしないけど、面倒なことになるのは御免だからね」

 ごもっともなロエルさんの言い分の中に混じるその言い方に、ほんの僅かではあるものの違和感を覚えた。

「……手伝ってくれるの?」

 そう問われたロエルさんは、チラリとオレを視界に入れたかと思うと質問の答えを探すようにしてすぐに目を伏せた。単純な疑問に過ぎなかったのだが、どうやらそこを突っ込まれるのとは余り思っていなかったらしい。

「少し、気が変わった」

 窓から射す陽の光と、まるで魔法が具現化したかのような明るい小さな粒がロエルさんを映し出す。
 これは決して比喩などではなく、そのまま消えてしまうのではないかと思う程にサマになっていた。この時、オレは恐らく息をすることすらも忘れていたのだろう。

「……ただそれだけ」

 至極単純な言葉とそれでいて真っ直ぐな瞳は伏せられるばかりで、オレのことを捉えることはない。まるでその光が、ロエルさん自身に浸透していくようで、オレはもう何も言う気にもなれなかった。一体何がこの人をそう言わせたのか、オレには分かる術が全くな見当たらない。アルセーヌさんに何か言われたのか、それともリアちゃんが原因なのか、はたまた別のところに原因があったのか。考えればそれなりに思い当たる節はあれど、どれも確信的とは言い難かった。
 別に特別知りたいとは思っていないけれど、もしその要因を知ることが出来るとして、オレは知る権利を持ち合わせているのだろうか?

「……ロエルさんって、やっぱりいい人だよね」

 仮に権利を持っていたとしても、聞けるその時が来るとは到底思えない。出来ればそうなるよりも前に、全てを終わらせてしまいたいものだ。

「お世辞なら、もうちょっとまともなこと言って欲しいね」
「いやホントだって。バレるようなお世辞なら言わねーし」
「君の言葉は信用に欠ける」
「オレそんなに適当なこと言ってないけど」
「自覚がないなら、尚更だね」
「ロエルさんってオレに滅茶苦茶厳しいよね? もうちょっと優しくしてくれてもよくない?」
「優しくして欲しいなら、もう少し考えを改めてから来て欲しいね」

 喋っているだけなのに煩わしそうに顔をしかめるロエルさんは、正しくいつものそれだった。このすぐ数秒後に聞こえてきたのは、この部屋にいる誰かが発したものではなく、外からのノック音である。遠慮気味に、三分の一ほどだけ開かれた扉の先から覗くようにして顔だけ見せたのは、ロエルさんのお姉さんだ。

「……お話、終わった?」
「んー、まあそれなりに? お姉さんのお陰で」
「ほ、本当?」
「ホントだよ。ねえ?」
「さあね」
「ロエルさんがそうやって言うとまたややこしくなるじゃん」
「そもそもは君が元凶なの。ちゃんと分かってる?」
「分かってる、分かってます。だから怒らないでよ」
「別に誰も怒ってない」
「……やっぱり仲良しなのね。よかった」

 体半分がまだ扉で隠れたまま、小さく笑みを零したお姉さんの口にしたその言葉にどうも納得がいっていないらしいロエルさんは、分かりやすいくらいに話をすぐにすり替えた。

「で、姉さんは今日何しに外に出たの?」
「え? あー……えーっと、なんだったかしら……」
「まさかじゃないけど、この人を探――」
「ちょ、ちょっと! ロエルってば適当なこと言わないの! 怒るわよ!」
「もう怒られてるけど……」

 お姉さんの言葉で簡単に静止された、とあるロエルさんの言葉。一体その後には何が続いていたのか、危うく答えを導いてしまいそうになったけれど、これ以上は何も考えないことにする。……いや、流石にそれは買い被り過ぎというか、まああり得ないだろう。
 片手で数えても余る程しかまだ会っていないのだ。そんなことあるわけがない。そう自分に向けて思うことだけが、この状況で出来るオレにとって精一杯の抵抗だった。
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