15話:有限の時空は存在しない

 目の前でどうでもいい会話が散乱しているのを他所に、おれは相谷くんとの会話を試みていた。左に座る彼からは、若干ソワソワした空気が流れているらしい。

「相谷君って、一年生……で合ってる?」
「……そうですね」
「なんで橋下君に連れてこられたの? 元からの知り合いって訳でもなさそうなんだけど」

 その疑問を口にすると、一体どこに言いたくない部分が含まれているのか彼は思考を巡らせた。

「えっと……。それは、橋下さんに聞いたらいいと思います」

 言いよどんだ彼が発した言葉のひとつが、おれの思考の妨げをする。

(橋下さん、か……)

 先輩という敬称を使わないところを見るに、相当彼との壁があるのだろうという解釈は容易だった。いや、元からそういう言いまわしを使っているだけなのかも知れないけど、一般的な観点から言うのであれば、高校一年生が同じ学校の歳上のことを、しかも名字にさん付けするなんて機会は余りない。せいぜい、男子が女子のことを呼ぶ時くらいじゃないだろうか。

「じゃあ、質問を変えようかな。橋下君とは会ったばっかり?」
「そう……だと思います、多分」
「ふうん?」

 さっきから、どうもちゃんとした言葉が返ってこないなと思っている中、橋下君が割って話に入ってきた。

「あー、あれですね。この前オレがたまたま屋上に行ったら相谷君がいて、なんやかんや今に至るっていうか」
「……多分だけど端折りすぎじゃない? まあいいけどさ」
「だってアレなんですよ。相谷君ってすぐ逃げちゃうんで、ここに来るまでも結構大変だったんですよー」
「お、追いかけてくるからじゃないですか……」
「違う違う。逃げるから追うの」
「はあ、そうですか……」

 相谷君の口からは自然とため息が漏れていた。要約すると、ふたりは屋上で出会って、そこから橋下君は相谷君を執拗に付け回していると、といったところだろうか。
 その辺りを踏まえて考えると、ここに相谷君が来たのって、橋下君が余りにもしつこいからしょうがなくついてきたというのが妥当なところかも知れない。図書室に用があってきた訳でもなさそうだし、ここに来た時の感じを思い返すと大方間違ってはいないだろう。

「……相谷君さ、逃げるの諦めたでしょ?」
「だ、だってどうやったってついてくるんですよ……。逃げるのも疲れるじゃないですか」
「うわあ不憫……」
「ちょっと待ってください。なんかオレが悪者みたいじゃないですか? 神崎先輩、そんなことないですよねー?」
「いや、追いかけるお前が悪いだろ……」

 そうですかね? などと橋下君はすっとてぼけているが、この顔は絶対分かっててやっているだろう。別に直接関係があるわけではないし、どうして橋下君が彼に付きまとっているのかは結局のところ分からなかったが、相谷君自身は余り良い気分ではないということだけは確かではないだろうか。

「……付きまとわれるのが嫌だったら何とかするよ?」

 おれがそう口にすると、彼は少し驚いたように目を向ける。

「えっと、嫌というか……嫌、ううん……」

 嫌、という言葉の何かに引っ掛かったのか、執拗にそれを口にした。

「……ここだったら、お二人がいるらしいので少しはマシな気がします」
「それは果たして良いのか疑問なんだけど。まあうん……いいか」

 その少しというのが果たしてどれだけ彼の居心地に反映されているのかは定かではないが、少しはマシだと彼がと言うのなら、おれがここに居る意味も多少増えたと思っていいのだろうか?

「え、なんですかオレには秘密の話?」
「まあ……そうですね」
「そうですね、じゃなくて教えてよー」
「はいはい分かったから。橋下君って本当に面倒だよねって話をしてただけだよ」
「うわあ、本当にその話してたんだったら傷付きますよオレは」

 それはあながち間違ってはいないから、これ以上適当なことを言うのは止めておくことにしよう。
 意外、と言うべきではないのかも知れないけど、相谷君は嫌なことは嫌とちゃんと主張はするようだし、来れば大体どちらかがいる図書室にいる方が、橋下君と二人きりという可能性が低くなるわけだから、彼の言うように案外気が楽だったりするのかも知れない。
 今のところ喜怒哀楽の少ない彼の表情からそれを読み取るのは容易ではないけど、それにしても、だ。

「ところで宇栄原先輩、今って旬の花って何かあります?」
「旬? 桜とかそういうこと?」
「桜はとっくに終わってるじゃないですか。なんて言うんですかね……あのー、人に渡せる感じのやつで」
「ガーベラはこの時期よく売ってるよな」
「滅茶苦茶速答するじゃないですか。ウケる」
「別にウケる要素は何処にも無かっただろ……」
「いや、宇栄原先輩なら分かりますけどね? 神崎先輩の口からガーベラはちょっと面白いですよ。ねえ相谷くん?」
「僕は花とか詳しくないので……」
「全然話が噛み合ってないんだけど。その話はもう終わったよー」

 ひとり増えただけでいつもの倍騒がしくなったんじないかと思うのは、恐らく気のせいなんかではない。実際のところかなり五月蝿いのだ。いや、五月蝿いと言うよりは喧しいというほうが適切かも知れない。ただまあ、それはある意味当然と言って差し支えないだろう。
 いつも二人だったおれ達に、どういうわけかひとり、またひとりと知り合いが出来た。知り合い、というのは少々素っ気ないけど、かといって友達というにはまだ決定的な何かが足りない。恐らくはそんな感じの距離感だろう。
 でも、知り合いと呼ぶには似つかないくらいには長い時間一緒に居たし、多分、こういう場合は素直に友達と口にした方が良いのかも知れない。
 それから暫く、四人が揃うということが当たり前になっていたのは紛れもない真実なのだから。
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