38話:ニセモノの遊戯

「あ……」

 短く声を発したのは、オレでもその男子高校生でもなく祥吾だった。それは何か、嫌なモノでも見てしまった時のそれによく似ていたような気がした。その声に気付いたのか、それとももっと前から気付いていたのか、男は少しだけ顔を動かしてこちらを見た。

「……こんにちは」和やかに、まるで落ちてくる日差しのような笑みに、オレは何も言うことが出来なかった。

 祥吾はずっと苦い顔をしたままだったが、何となく、祥吾とこの人は初対面ではなさそうな気がして、それが尚更オレが首を傾げる要因だった。決して悪い人には見えないのだが、それはオレがまだこの人のことを知らないだけなのだろうか?

「……祥吾の知ってる人?」
「いや、知ってるっていうか……」はいといいえで答えられる質問のはずなのに、どういうわけか祥吾の言葉の歯切れはかなり悪かった。
「ボクは知り合いだと思ってたけど、違うの?」

 茶化すように男が言うと、ようやく身体もこちらに向ける。その姿がちゃんと視界に入ると、何故か少しだけ涼しくなった心地がした。オレと祥吾を見比べるようにして、男は目を左右に動かした。

「今日はひとりじゃないんだね」

 この口ぶりからして、この人はやはり祥吾のことを知っているらしい。まじまじと目が合ってしまい、オレはこの人を前にして初めてドキリとした。ただ目が合っているだけなのに、どういうわけか本質を見抜かれたような気がしたのである。その理由は、もしかしたら目が合ったというのだけでは無かったのかも知れない。

「お兄さん、光ってる……」

 口から出てくる言葉は、とてもじゃないが現実で起きていることとは思えなかった。木漏れ日の光なんかではなく、正しく光の粒がお兄さんの周りを浮遊していたのである。いや、浮遊しているというよりは、お兄さんがこの樹齢千年の木だとすると、そこから零れ落ちている木漏れ日のようにそれが存在しているような、そんな感じだ。

「そう見える? よく言われるんだけど、自分じゃあんまり分からないんだよね」

 あの時、駅で見かけた時とはまた少し雰囲気が違って見えたのは恐らく気のせいなんかではなく、この人はどこか現実離れしていたのだ。その原因が、この時はまだ分かっていなかったわけなのだが……。

「おれはタカハラ。よろしくね」

 自分がどう思われているのかなんてどうでも良さそうに、オレに向けて自己紹介をする。タカハラと名乗った人物は、服装のせいか夏には似合わない人だった。
 学校の制服を着ているぶんにはおかしなところは無いのだが、駅前で見つけた時と同じで、格好はやはり長袖を来ており夏に見るには少し暑苦しい。

「お前。またついてきたのか?」少し呆れた様子を見せつつ、祥吾の口調には少し棘があった。
「違う違う。だって、ボクが居るところに君たちが来たんでしょ?」

 お兄さんは、苦笑いを混ぜて笑って見せた後、またオレのことを視界にいれた。風が吹くたびに、柔らかい光が揺れてはどこかへと消えていく。まるで作り話の中にでもいるかのような、現実離れしたその様子に、地面に足が着いていないような心地がした。

「余り見ない顔だけど、キミってこの辺りに住んでたっけ?」
「う、ううん。夏休みだから、祥吾の家に遊びに来たの……」
「そっかぁ、じゃあこっちにはあんまり来ないんだね」

 お兄さんが残念だなぁと言葉を続づけると、祥吾は一層眉を歪める。理由は全く分からないが、どうにもこの人のことが気に入らないらしかった。一見すると優しそうで嫌われるような雰囲気は垣間見えないのだが、第一印象というのはそうそう当てにならないということなのかもしれない。

「……お前、なに企んでるんだよ」
「こっちには余り来ないんだなぁって感想言っただけで、企んでる扱いされちゃうの?」

 これに関しても、オレはお兄さんと同じ感想を抱いていた。口にこそしなかったが、いくら何でも企んでるというのは言い過ぎでは無いかと思ったのだ。しかし、あからさまに嫌な顔をする祥吾にも理由はあるのだろう。そうじゃなきゃ、この態度の理由がつかないというものだ。そう思うと、やっぱりこの人は悪い人なのだろうかと、ほんの少しだけ身構えてしまう。

「邪魔したら悪いから、ボクはもう行くね」

 オレがそんなことを思っているとは知らず、お兄さんが「またね」と付け加える。すると、お兄さんの周りを待っていた光の粒が、まるで意思を持っているかのように地から舞い上がって空高く飛んでいった。その中心にいるお兄さんは一体何を考えているのか、光の粒を追うように空を見つめている。
 一瞬、目だけがこちらを視界に入れたような気がしたが、粒が集約して光へと変化していくと同時にお兄さんは光に包まれて姿が見えなくなってしまう。光が消えていくのは、そのすぐ後のことだった。

「消えちゃった……」

 お兄さんがいた場所には、もう何も残っていない。強いて言うならお兄さんが纏っていた光の粒が幾つか浮いていたが、お兄さん自体はもうどこかに行ってしまった後だった。
 ふわりとオレの元に届いた一粒の光を、手のひらに納める。それが現実なのかを確かめるように、オレはその光を見て呆けてしまう。

「あの人、幽霊なんだ」

 恐らくオレに向けていったのだろう。だがその言葉は、オレを見てではなくお兄さんがいた場所に吐かれていた。この時、オレは初めてさっきのお兄さんが幽霊であるという認識をした。
 ここに至るまで、当然人間では無いということは分かってはいたのだが、それでも説明される後と前では汲み取り方は全然違った。そうは言っても、オレはまだお兄さんのことを何も知らないわけなのだが。

「だから俺、嫌いなんだよね」

 そうやって口にする祥吾の顔は、本当に嫌っている時の顔をしていたのをよく覚えている。しかしこの時のオレは、到底そんな気持ちを持ち合わせてはいなかった。祥吾の言う幽霊という括りの中に存在しているそれを、オレはまだどういったものか理解をしていなかったというのもあるかもしれない。

(二人、喧嘩でもしてるのかな……)

 そんなことを思っていたら、知らない間に手のひらに残っていた光の粒は消えてしまっていた。
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