35話:ニセモノの危惧

「あーいたーにくん」

 オレが今日学校で発した言葉は、もしかしたらこれが最初だったかも知れない。

「元気?」

 オレがそう口にすると、彼は案の定少々嫌そうな顔をした。これがもう少しお喋りな人だったら、急になんですか……と続きそうな顔をしていた。
 相谷くんのクラスの人々は、少なからずオレのことを気にしていた。好奇な目で見ていた者も恐らく居たのだろうが、そんなことはオレにとっては取るに足らないことだった。最も、相谷くんがどう思っているのかは計り知れない。とても嫌な思いをしているということだって、十分に考えられるだろう。
 相谷くんは、何事もなかったかのように学校に足を運んでいた。あの時のことは授業をサボったということになっているだろうし、そのことで何か問い詰められたりしたのかもしれないが、本当にそんなことなんて何もなかったかのような振る舞いだった。

「な、なにか用ですか……?」
「いや別に、用は何もないけど」

 オレがそう言うと、相谷くんはすぐさま「だったらなんで来たのだろうか」と言いたげな顔をした。そこまでの顔をしたのなら言ってしまえばいいのに、会話がすぐに終わってしまうのがつまらなかった。それくらい話をするのが嫌なのか、それともオレが嫌なのかは、これだけではまだ分からなかった。

「お昼、一緒に食べようかなーと思って」
「嫌です……」
「否定だけは早いな。なんで?」

 このままお昼休みが終わってしまうではないかと思うくらいの沈黙が続いたような気がしたが、相谷くんが何かを言うのをじっと待つ。

「……どうして、わざわざ教室まで来るんですか?」オレの質問に、相谷くんは答えることをしなかった。
「だって、他にどこにいるのか知らないし。じゃあ教室じゃない場所だったらいいの?」
「いや、そういうことじゃなくて……」

 相谷くんが口にすることは、どれも確信をつくようなものではなく、なんだかぐずぐずしていた。いや、最初に話したときからこんな感じではあった気がするが、それにしても相谷くん自身がどうしたいのかが見えてて来るものはどこにもなかった。

「せ、先輩の迷惑になるじゃないですか」
「……ならないよ?」

 だが、よくよく考えれば、彼が一体なにを心配しているのかなんてすぐに分かって然るべきものだったのかもしれない。

「相谷くんは、オレが来るの迷惑なの?」
「め、迷惑――ではないですけど……いや僕のことはどうでもよくて……」
「なら別に、心配することなんてどこにもなくない?」

 この人物は、自分と関わることで誰かの迷惑になる可能性をなるべく排除したいだけなのかもしれない。その理由は言わずもがな――周りの目が、それを証明していた。
 しかし何と言ったらいいのか、どうやらオレ自身が嫌というわけでもないようで、そこだけが唯一の救いのような気がしてならなかった。

「そんな難しいこと考えてたら、ご飯の味しなくなるよ」

 辺りを一瞥すると、教室に居る数人の視線がオレと相谷くんに集まったままであるのが分かる。そこまで直接的ではないように見えたものの、それはまるで、この短い間に彼がどういった環境で過ごしてきたのかを表しているかのようで、控えめに言ってもいい気はしなかった。というか、滅茶苦茶ムカついた。
 数分でこれなのだから、こんな居心地の悪い空間でこれまでを過ごしてきた彼の気持ちは、計り知ることが出来ない。
 なるべく小さく息を吐き、オレは相谷くんの手を引っ張った。

「オレ飲み物忘れてきたから、買いにいこ」

 この行為は、どちらかというとオレがこの空間にいる嫌で起こしたことだったと認識している。つまりは偽善であるというのが分かってしまうくらいに、分かりやすい行動だったかもしれない。内心、オレの心臓の動きはかなり早くなっていた。
 これはもしもの話だが――このオレの行動で、更に相谷くんの立場が悪くなるようなことがあるのではないかと内心ひやひやしていた。その可能性は大いにあったし、余りにも軽率に彼のいる教室に足を運んでしまったかもしれないと少々後悔もしていた。
 だが、だからといってあの時のことをまるで何もなかったかのようにしてこれからを過ごすということの方が、オレには到底出来る行動ではなかったのだ。
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