04話:幻影畑

 もし本当に、かつてここが花畑だったのだとしたら。一度だけでいいからこの目で見てみたかったと、純粋にそう思った。だって、あんなに綺麗に僕の頭の中にその景色が映ってしまったのだから、そう思うのは突然だろうし、ある意味では必然だった。だから、という訳ではないのだけれど。

「×××××!」

 まるで、最初からそうなるであろうという予測を立てていたのではないかと思ってしまうくらいに、僕は躊躇することなく後ろを振り向いた。その先には、当たり前のように一面に広がっている色鮮やかな花畑と、ひとりの女性の姿。

「やっぱり×××××ね。私、あなたが来るのずっと待ってたの」

 その景色が、どうしてか僕の心を物憂げにさせた。
 ルシアンでもなくロデオでもなく、明らかに僕の知らない声。知らない名前。知らない景色。いや、花畑だけでいうなら、さっきリベリオさんの家で見たものとほぼ変わらないのだろう。でもそれだけじゃなかった。さっき見た数百年前の景色の中に、僕がいる。知らない女性がいる。それなのに、ルシアンとロデオがどこにもいない。さっきと同じ現象であるのなら、別にそれでも構わなかった。
 でも、彼女は明らかに僕を目を見て話している。僕を認識している。間に入る風が、どうにも鬱陶しい。そう感じてしまうほど、恐らく僕も、彼女のことを見つめていたのだろう。これが果たして驚いているからなのか、別の意味があったのか。分かる術なんてどこにもない。ただ、ひとつ分かることがあるとするなら。
 目の前にいる彼女が、僕という存在を待ちわびていたということだけだった。

「ねえ、すっごく綺麗でしょ?×××××が綺麗だって言ってくれたから、私頑張ったの」

 言いながら彼女は草を踏みしめ、さも当たり前のように近付いてきて僕の手をとる。彼女の気に圧されて体が勝手に後ずさるも、距離はすぐに縮まった。

「ちょ、ちょっと待って。僕はそんな名前じゃ……アオイって名前で――」
「アオイ……?」

 あどけない表情で首をかしげ、僕をじっと見つめたのはほんの数秒間。

「ふふ、おかしな名前ね」

 クスクスと、人間味のない笑い声が頭の中に響いた。

「だって、私が見えるってことはそういうことでしょ?」

 その言葉と、どこか妖しく狂喜に満ちている笑顔に、どうしてか心臓をそのまま掴まれているような感覚に陥っていく。
 それに言い様のない恐怖と背筋が凍るのを感じた僕は、誰かの手を咄嗟に弾き返していた。
 彼女はそれに一瞬だけ驚いた様子だったけど、弾かれた手を口元に寄せ、柔和な笑みを浮かべていく。

「……中々来てくれないから、忘れちゃったのかなって思ってたんだけど――」

 自分の鼓動が、酷く騒がしく辺りを蔓延する。
 他の誰の声も、風の音すらも耳に入ることはない。

「やっぱり、待ってて良かった」

 それなのに、彼女の声はやけに鮮明だった。

「あの、君の名前は……?」

 冷静に、無理矢理心を落ち着かせるようにして、僕は目の前にいる誰かの名前を問う。そうだ、だって僕は、この人のことを知らない。見たことがない。名前を聞いたところで分からないのだから、この後で人違いだと言わないといけない。そんな名前、僕は聞いたことがないと、そう口に出さないと駄目だ。
 彼女の口が、ゆっくりと動いていく。この時、果たして僕はどんな顔をしていたのだろう。鏡でもない限り見ることは叶わないけれど、でも恐らく、その名前を聞いて僕は驚愕していたんだと思う。

「アオイっ!」

 ただ、それが一体どうしてなのかという肝心な部分は分からないまま。

「……なに?」
「いや……。何か、いた?」

 僕の腕を力強く掴むルシアンが視界に入った。

「別に、何もいなかったよ」

 辺りを見回すと、そこにあるのは一面が草原の、元々は花畑があったのであろう場所。そして、この場所に足を踏み入れた僕とルシアンとロデオだけ。

「……なら、いいけど」

 それ以上のものなんて、僕の目には映っていなかった。
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