04話:幻影畑

「……あ、なんだいたの?」

 リベリオさんの部屋を出ると、すぐ横には腕組みをして壁にもたれ掛かっているルシアンの姿があった。

「鍵閉めても良かったなら、行ってたけどね」
「本当にされそうなのが怖いんだけど……」

 僕の次にルシアンが視界に入れたのは、恐らくロデオだったのだろう。ちらりと僕の手付近を視界に入れたのが分かった。

「……ま、いいか」
「なにが?」
「行くんでしょ、花畑。さっさと行くよ」
「あ、うん」

 明らかに何かを言いたげだったが、それに対する答えが返ってくることはない。足早に廊下を歩くルシアンを追って僕らがこの家を出ていくのには、そう時間はかからなかった。
 正門の扉をルシアンが閉める。僕が見ている景色の中には、見ているだけなのにどこか物静かなリベリオさんの家が聳えている。鍵が錠に触れた時に発する音を皮切りに、僕は名残惜しくも家に背を向けた。

「さっきの、なんだったんだろうね?」
「さあ……。あそこにあった文字? と、そこにいるロデオくんが鍵みたいだったけど。あの家に残ってた記憶ってやつじゃない?」

 名前が出たからなのか、いつの間にかマフラーの中に移動していたロデオが、ピクリと体を反応させるのが分かる。ルシアンのことをまじまじと見ているようだけれど、敢えてなのか何なのか、当の本人はその視線に答えることはしない。

「記憶って……そんなことってあり得るの?」
「貴族の持ってる力と、妖精くんの力を使ったのなら可能かもね。あれはうちのところの力じゃないし、大昔にリベリオさんがやったっていうのが、まあ一番辻褄も合うと思うけど」
「ふーん……」

 そうか、リベリオさんが貴族であるなら、貴族が持っているらしい不思議な力を使えばそれも可能なのかも知れない。と、危うく普通に流してしまいそうになったけど、ちょっと待った。

「……リベリオさんって貴族なの?」

 今のルシアンの言い方だと、まるでリベリオさんが貴族みたいじゃないか?彼が貴族だったなんて話、僕は一度も聞いたことがないのだけれど。

「公にはされてないけど、そういう風に聞いてるよ。俺は余り信じてなかったけど、あの感じだと本当みたいだね」

 どうしてこう、ルシアンは重要なことをさも日常会話かのように口にするのだろうか。やっぱり、貴族という肩書きに長く触れているとそうさせるのかも知れないけど、僕にはそれがよく分からない。僕だったらもっとはしゃぐと思うんだけど。

「そういえば、リベリオさんの素性とかって余り出てないけど、それって貴族だったってこととなにか関係あるの?」
「どうしてかは俺も知らないけど……。昔は今よりも貴族への当たりが強かったらしいから、そういうのもあるんじゃない?こんな街外れに住んでるくらいだし」
「そっか……」

 確かに、それはあるのかも知れない。今でこそ軟化しつつあるけど、昔は格差も大きかっただろうし、貴族が小説を書いているという部分だけ見ると確かに反感買いそうだし、素性不明で活動している方が何かと都合がよかったのだろう。
 僕みたいなイチ市民がこうしてルシアンと一緒に居ると言うのも、恐らくは今の時代だから出来ることであって、よっぽどの理由がない限り当時は無理だったんじゃないだろうか。

「……ところで、ロデオくんはどうしてついてきたの?行きたくないんじゃなかったの?」
「だ、だって……」

 突然話題に上がったからなのか、それとも言いたくないからなのか、ロデオはそれ以上言葉を続けることはしない。多分、どっちもなんだろうなと思うけど。

「ま、別に言いたくなかったら良いんだけどね」
「おいらが言っても、信じてくれないよ……」
「そうかな? というか、教えてくれないんじゃ信じるも何もないと思うんだけど」
「うう……」
「ま、まあまあ……。ルシアンちょっと冷たくない?」

 見かねた僕は、思わずふたりの間に入る。一番最初、ロデオと会ったときのルシアンはわりと優しかったような気がするんだけど、あれは僕の気のせいだったのだろうか。

「……別に、普通だけど」

 それだけ言うと、ルシアンは少しだけ息づいた。

「人のこと詮索するのは結構だけど、そっちは帰り道でしょ。こっちだよこっち」
「え? ああ……そうだったっけ」
「そういうところ、本当気を付けてよね。俺、またあの時みたいにアオイのこと探したくないから」
「は、はは……」

 呆れからなのか、ルシアンから再びため息が地面に落ちる。変わりに、心当たりがありすぎて一体いつのことを言っているのか分からない僕の口からは、言葉にならない笑いが自然と溢れていた。
 リベリオさんたちが歩いていた場所。木々が作った自然の陰りは、さっき僕らが見たそれと全く同じ。ある意味では当然かも知れないけど、見ることのないものを見てしまったからなのか、心なしか期待に胸を踊らせていた。ひとつ土を踏みしめていくたびに分かる、草の匂い。恐らくは、あと少しで目的の場所につくのだろうし、早く見てみたいという気持ちも当然ある。
 確かに、僕は期待しているのだ。リベリオさんの見たものを僕だって見てみたいし、何よりこんなところに花畑があるだなんて知らなかった。あの光景を見なければ、多分ここに来ることはなかっただろう。

「ここ……?」

 でも、それと同時に何処かで物案じていたのも確かだった。

「こんなところ、あったんだね……」

 そこには、当たり一面風に靡いている草原の姿があった。当然、と言うべきなのだろうけど、そこに花畑というモノは存在しない。これが時期的なものなのか、それとも既に枯れてしまったからなのかは分からない。出来れば前者であってほしいなとは思うけど、僕らが見た景色は何百年も前のことだから、それは難しいだろう。
 でも、頭の中では分かっているものの、それを目の前にしてしまうとやっぱり悲しいというか、寂しいというのが本音だ。

「ねえルシア――」

 言いながら、ルシアンがいたはずの場所に体を向けたはいいものの、どうしてか僕から少し離れた場所に足を進めていた。辺りを見回しているその様子は、まるで落とした何かを探しているようにも見える。

「……どうしたの?」
「ああいや、いないのかなって思って」
「何が?」
「さあ?」

 また、まただ。今日のルシアンは、どうもいつもより明言を避けているように見える。果たして、何がルシアンにストップをかけているのかは、僕には分からない。さあ? って、どうして僕が聞いてるのに疑問で返してくるのだろうか。これ以上言及してもきっと適当な答えでかわされるから聞かないけど、恐らくは、僕には分からない何かをルシアンはどこかで感じていたのだろう。

「――×××××!」

 でなければ、知らない誰かの声が風に混じって僕の耳に入ってくるだなんてこと、あるわけがないのだから。
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