第10話:修復不可

 僕らの住んでいる家は、市場や広場といったいわゆる市街地からは少し離れている為、比較的人の流れが緩やかだ。

「……あ、あそこじゃない? レイナが言ってたのって」
「本当だ……思ってたより近かったね」

 家を出て五分も経っていない頃だろうか。姉さんが指し示した場所。そこは、確かにそれらしい看板にそれらしい装飾がされたお店があった。こんなに近い場所に出来たというのに気付かなかったというのは、なんというか、自分がどれ程周りに興味がないのかというのが浮き彫りになる。例えば、こういう場所に一緒に行くるほど仲のいい知り合いがいたのなら、もう少し調べてみてもいいのかも知れないという気にもなっただろうに、生憎、そう思える人間が僕の近くにはいない。
 扉が開閉するたびに聞こえる音が、客人を歓迎しているように感じたのがどうにも不思議に感じたのもつかの間、「いらっしゃいませ」なんていう定型文を聞きながら、店内の空いている席へと案内される。お昼を回る前だったからなのか、混むのにはまだ早い時間のようで、人はまばらのようだった。

「んー……」

 姉さんと通路を歩いているその道中、いかにも何を頼むか迷っているといったような声が耳を掠めた。この時、僕がその人物を視界に入れることをしなくても、恐らく向こうから声をかけてきたのだろう。そう思うと余計腹が立ってしまうのは、彼が無理矢理自身の手の内に僕を入れようもしているから、というただそれだけに尽きる。そういうの、僕は一番嫌いなのだ。

「あ、どーも」

 聞き覚えのある嫌な声。どこか鼻につく態度。僕の嫌いなそれに当てはまる、ネイケル・ヴォルタという人物だった。側にいる姉さんは、自分に言われた訳ではないと気づくと僕へと視線を向ける。

「ロエルの知り合い?」
「え? ああ……まあ……」
「ふうん?」

 適当に返事しても良かったんだけど、知り合い、というのは少し……いやかなり語弊があったから、出来るだけ明言を避ける。単に、彼が勝手に僕の周りをうろついているというだけの話ではあるけど、かといってお互いのことを全く知らないかと言われたらそういう訳でもない。
 彼がどこの生まれで、どういう人物なのか。それくらいのことなら言えてしまうのだから、周りから見れば恐らく知り合いという部類には入ってしまうのだろう。

「ねえ、良かったら私たちとご一緒しない? その様子だとまだ頼んでないんでしょう?」
「え、ちょ……姉さん待って」

 思ってもいなかった展開に、僕の口が姉さんを制止する。それは咄嗟のことだった。

「あら、嫌なの?」
「嫌っていうか……。いや……うーんまあ」
「オレとロエルさんの仲じゃん。なんでンな難色示してんの」
「君と仲良くしたことなんて一度もないんだけど」
「ああーひど……。めっちゃ傷つくわあ」
「傷ついてるようには全然見えないけどね?」

 ほんと、どうしてこんな時間から彼のペースに巻き込まれないといけないのかよく分からない。たまたま居合わせた、というのが余計そう思わせる。

「なんだ良かった。ちゃんと仲良しなんじゃない。わたし安心しちゃった」
「どこをどう見たらそういう解釈になるの?」

 それと、この場所にはいつもと違って姉さんがいる。僕ひとりならともかく、明らかに分が悪かった。「早く早く」なんて言葉を彼が僕らに向けると、姉さんは途端に笑顔を見せた。同時に腕を引かれてしまい、逃げられないようにと考えたのかは知らないけど、あろうことか奥の席へと押し込まれてしまう。

「……ロエルさんって、結構押しに弱いよね」
「だったら何?」
「こっわー……冗談じゃん」

 こうして、どういう訳か一緒に昼食を取るという事態になってしまった僕の気も知らず、メニューが僕らの前に置かれていく。本当、こういうタイプが揃うとどうにも駄目だ。

「ところであの……。気に障ったら申し訳ないんだけど、あなたって貴族で合ってるかしら?」
「まあ、ね。うん、一応そうだよ」
「よかったあ。この辺りじゃ見かけない顔だったし、合ってるかちょっと不安だったの」

 一応、という部分が若干引っかかるが、姉さんがいる手前余り深く突っ込むことも出来ない。ただ、これが例え僕と彼の二人だけだったからといって僕が探りを入れるかといったら、また別の話だけれど。

「あ、自己紹介が遅れちゃったわね。わたしはユリアーネ、ロエルの姉よ。ユリアって呼んで欲しいな」
「へー……」
「あなたの名前は?」
「ネイケルだよ」
「ネイケルくんね。でも良かったあ……ロエルってば、家で全然自分の話してくれないから心配してたの」
「心配って……。あの姉さん、僕もう心配されるような歳じゃないんだけど」
「なあに? そんなにわたしに心配されるのが嫌なら、何があったのかくらい教えてくれたっていいじゃない」
「いや別に、言うほどのことなんて特に無いっていうか……」

 特にない、というのは確かにそうなのだけれど、この目の前にいる人物の前で何かをいうのは少し……いや、かなり憚られる。変に適当なことを言われてしまっては、余計ややこしいことになるだけだ。

「あ、ごめんなさい。わたし達ばかり話しちゃって。やっぱり迷惑だったかしら……?」
「いや? こういうロエルさんって見たことなかったから普通に面白いよ」
「そうなの? ねえ、普段のロエルってどういう感じなのか教えてくれる? 最近何があったのかでもいいんだけど」
「んー……」

 彼は少し考えた後、僕を視界に入れてこう答えた。

「ロエルさんが余計なこと言うなって顔してるから、ナイショかなあ」
「なあにそれ? ふたりしてわたしに言えないようなことでも隠してるみたい」
「まあー……多少はね?」
「君ね、適当なこと言わないでくれるかな?」
「ハイハイすみませんねーっと……。あ、オレパンケーキ食いたいわー。ここってオムライスが旨いらしいけど」
「そうなの? じゃあ、わたしはオムライスにしようかな。ネイケルくんはお昼に甘いものでいいの?」
「いいのいいの。こういうの好きなんだよねぇ」
「ロエルはどうするの? あ、何でもいいは駄目よ?」
「わ、分かったよ。分かったけど……」

 やっと、といったところだろうか。はじめて店のメニューが視界に入る。当たり前ではあるけれど、軽食からランチメニューまでそれなりに豊富なようだ。それとなく眺めてみた限りでは、例えばサラダやパスタ。誰かがおススメだと言っていたオムライスにグラタンだったりと、内容自体はよくあるそれではあった。だけど、この中から選ぶのは僕には難易度が高い。
 姉さんに「分かった」とは言ったものの、本当は別に何でもよかった。その言葉を制止されてしまっては、この中から僕が選ぶのに苦労するというのは必然だった。
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