09話:クチナシが馨る

 全然だめだ。
 今日は、全ての出来事がどうにも頭に何も入ってこない。授業だって気付いたら終わっていたし、あっという間に学校での一日が終わってしまいそうだった。

「……宇栄原」

 でも、それを繋ぎ止めたのは、学校の図書室という俺にとっての日常的空間だった。

「なに?」

 こういうことを宇栄原に聞くのは非常に不本意だが、他に聞けるような人物が他にいない。ただそれだけの理由で、俺は宇栄原の名前を口にした。

「……女子の家に行くときって、どうしたらいいんだ?」
「え?」

 それは、純粋な俺の疑問だった。それは当然だろう。そもそもどうしてこんなことになったのかも、未だによく分かっていない。原因は俺だったような気がするが、もうこれ以上は考えたくないものだ。
 宇栄原は一瞬驚いた様子を見せたものの、空を見つめて何かを考えはじめる。答えが見つかったのか、その目は俺を捉えていた。

「……もしかして、雅間さんの家行くの?」

 相変わらずこいつは察しがいい。有難いといえば確かにそうだが、こういう場合、大抵は話が逸れるというのが常だ。

「……なんか、知らない間にそんな話になってた」
「はー……」

 驚いているのか、感心にも近いそれを口から溢しているがその反応は一体なんだ? やっぱり言わなきゃ良かったのかも知れない。

「……拓真って、意外と積極的だね?」
「な、なんだよそれ……」
「ホントですねー。オレ、先輩ってそういうのに奥手な人だと思ってましたけど。ねえ、相谷くん?」
「え……」

 突然間に入ってきた橋下は、さらに突然話を相谷に振る。そのせいで沈黙が流れてしまった。こいつ、相谷は俺らと目が合うと大体すぐ目を逸らすんだけど、今日だけは少し様子が違った。

「……まあ」

 しかし、それだけ言うとまたいつものように目線が外れた。なんだ「まあ」って。どういう意味だ。

「それより先輩、ひとつ聞きたいんですけどー」
「なんだよ」
「その雅間さん? って人の家に行くってことは、先輩ってその人のこと好きなんですよね?」

 突然橋下から発せられたとある単語。それの意味がよく分からなくて、明らかに俺の時は止まっていた。

「……え?」
「いや、え? じゃなくて。違うんですか?」

 俺が引っかかった、こいつが口にした『好き』という意味。それはどういうことだ? つまりあれか? いわゆる恋愛感情的なそういうあれか? そんなことが、果たしてあり得るのだろうか?

「……まじで?」
「いやおれに言われても困るんだけど。違うなら違うって今のうちに言っておいた方が良いと思うけど」

 宇栄原にそう言われ、少しだけ考えた。まさか、そんなことあり得ない。はっきりとそう言うことが出来れば、寧ろよかったのかも知れない。でも、俺はそれが出来なかった。
 思い当たる節が全くないというわけではない。それは流石に分かる。図書館に雅間がいるかを気にし始めたり、見つけたら目で追っていたり、「クチナシの花が咲くの楽しみなんです」とか言いながら本を眺めている雅間を見て、どうしてかいつもソワソワしていた。それがもし、こいつらの言う『好き』という感情を体現していたのだとしたらどうだろう?

「……全然わからん」

 しかし、それも何を持ってしてそういう結論に至るのかもよく分からなかった。

「……どういうことですか?」
「さあ……。そのまんまの意味じゃない?」

 いや、ちょっと待て。それ以前の話、誘ったのは俺だったか? いや、結果的に俺が誘ったみたいな空気になってるけど、一番最初に話を持ちかけたのは誰だ?
 その答えは、確かに時間すらいらない程に簡単だった。

「いや、それはないよな……?」

 もう、周りの雑音なんて耳に入っていない。頭の中は、どう足掻いても雅間のことで頭がいっぱいだった。
 数日後の土曜日。その日が来るまで、俺の気は休まりそうにない。
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