第7話:消えない光

「……今って、誰も住んでないんだよね?」
「そのはずだけれど、魔法の使える趣味の悪い誰かが勝手に住みついている……という可能性も、まあなくはないのかな」

 アルセーヌの手によって、正門が開かれる。その時に現れる耳を掠める音が、古くなっている為であるという証拠だった。目の前にそびえ立つ家には目もくれず、すぐに庭のほうへと歩みを進めていく。迷いのないその行動は、アルセーヌがレズリーと知り合いだったのだろうか?という疑問を生むには十分だった。

「さて……」

 庭に揺れている木漏れ日が、何処か歓迎の意を示していないような気がしたのは、恐らく風が少し冷たいからだろう。
 庭には、オレが見た座ったであろうイスや、テーブルが並べられていたが、それはもはや、自分の居場所とでも言わんばかり庭に伸びた、ツルの定位置のようだった。そして、今の状況であれば当たり前なのだけれど。ティーカップやそれに付随するもの。それと、沢山並べられていたクッキーなんてものは、置いてなどいない。どうしてか、それに違和感を覚えてしまった。
 アルセーヌが向かった先にあるのは、本来あるはずの水が枯れ果てている小さな噴水。落ちてそのまま枯れ葉になったそれが、寂しげに残っているのを少し眺めた後、上に被せるようにして、手にしていた一輪の花を包みごと添えた。

「ここなの? レズリーが死んだのって……」
「いや、彼が亡くなったであろう場所は、家の中ではあるのだけれど……」

 言葉を探しているかのように、アルセーヌはいい淀む。

「……どうも、入る気にはなれなくてね」

 優しく笑みを溢すアルセーヌだけど、その瞳はどこか寂しそうに見えた。一時の沈黙が訪れるが、その中でも風はゆっくりと流れ続ける。それは、まるでお喋りな人同士の会話のように、いつまでもオレらのまわりを取り巻いていた。
 鬱陶しく感じてしまいそうになる程のそれは、アルセーヌが話を切り出したことによって、気にも留めることのないであろういつものそれに変わる。

「……そういえば聞いていなかったけど、路地裏を歩いていたらここにたどり着いたんだったね?」
「う、うん……」
「それ以外に、何か変わったことは無かったかい?」
「変わったこと?」
「そうだね……例えば、普段ではあり得ないような何かが起きた、とか」

 普段では有り得ないこと、という言葉を聞いて、オレはそれに当てはまるであろう出来事を真っ先に思い出す。あの、誰の気配もなかった街の空間のことだ。言ってもいいものなのか、と、思いはしたけど。

「……この家に来る前、市場の噴水に行ったんだけど」

 ぽつぽつと、アルセーヌを見ることなく口を動かす。

「何か、声が聞こえて」
「声?」

 言おうかどうしようか。なんていう一瞬の迷いは当然あったけど、こういう意味の分からない出来事というものを、自分の中でかみ砕いて理解できるほどの情報を、オレはまだ何も持っていないから。

「多分、レズリーの声……」

 こうして、目の前にいるアルセーヌに言うことしかできなかった。
 記憶を辿りながら、ひとつひとつの出来事をアルセーヌに話す。手持ち無沙汰になっているオレの両手は、整備されていない噴水に落ちている葉っぱを手に取ったりと、酷く落ち着かない様子だった。
 オレが話したのは、市場の先にある広場の噴水の近くから、レズリーらしき人の声が聞こえたということ。その声のする方へと体を向けると、そこには誰の気配も感じない街が広がっていたこと。そして、さっきアルセーヌと通った路地裏を進んでいくと、今オレらが足を踏み入れているこの場所よりは、幾分か綺麗な屋敷がそこにあったということ。そして、そこには行方不明とされているレズリーがいたということ。そのレズリーにブレスレットを貰い、気付いた時にはいつもの市場へと戻っていたということ。
 このオレが体験した出来事を、アルセーヌがどこまで信じるのかは分からない。だからというわけではないけれど、誰か……女の人らしき声が、頭にチラついたということを話すことはしなかった。それは、決して忘れていたという訳でも、意図的に離さなかったという訳ではない。ただ、そこにある不確かなとある感情によって、オレの口から零れることを拒んだのだ。

「……そうか」

 話せることは一通り話し終わったあと、アルセーヌは一言だけ言葉を漏らしたが、それは、まるで独り言のように、噴水の中へと落ちた。

「……今のって、言ってなかったっけ?」
「あの時のキミ、相当機嫌悪かっただろう?だから私は、必要最低限のことしか聞いていないよ」
「そう、だったかも……。いや、うん。反省はちょっとしてるけど」
「構わないさ。至極当然の態度だと私は思うよ。それに……」

 アルセーヌが、オレの方に顔を向ける。

「いや……今は、至って普通だね」

 その表情は、どこか嬉しそうで、ある意味では楽しそうにも見えた。

「だ、だって、今日は自分からついてきたんだし……」

 自覚の無かったそれを指摘され、どうにもいたたまれない気持ちになる。何というか、今この瞬間までの一連の流れが、オレもまだ子供なのだということを証明するかのようで。これが、いわゆる羞恥心のようなものであるということに気付くのに、少しだけ時間がかかった。</p>

「というか、その……アルセーヌからしたら、ここに来るのって寄り道だったんじゃないの?」
「ああいや、今日は元々ここに来ようと思って――」

 アルセーヌの言葉が止まる。目線の先は、オレではなくその奥にある何か。オレは、それが何かを確かめるために振り向いた。

「これ……」

 そこにあったのは、オレらが足を踏み入れたはずの廃れた屋敷ではなく、あの時にみた、オレの知っている屋敷の姿だった。
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