第5話:その言葉は真実か

 酷く面倒な日というのは、前々から分かっていて、仕方なく心の準備をしなければならない時もあるが、ある日突然やってくる時だってある。今日は、どちらかと言うと後者の方だ。
 正直とても行きたくない。そもそも行く必要があるのかとも思う。でも、どんなに行きたくなくたって、時間は無情にも進んでいくというもの。そして唯一分かっているのは、行かないと余計面倒なことになりそうだということだけである。

「あ、ローザおばさん……」
「ん? なあに?」
「えっと……ちょっと人と会う約束してて、今から少し抜けてもいい?」
「いいけど……珍しいね、シントくんから言ってくるなんて。お友だち?」
「友……まあ、うん」

 友達だったら、どんなに良かっただろう。そもそも、友達と呼べるような人なんていないし、バレたら確実に心配されてしまう。だけど、「今から貴族の人に会いに行ってきます」なんて絶対に言えない。そんなこと言ったら、余計ややこしくなるのは目に見えている。

「……じゃあ、行ってくるね」
「気をつけてね。いってらっしゃい」
「うん」

 おばさんを背に部屋を出て、靴売り場まで足を運ぶ。今日はおじさんとレノン。そしてセリシアがカウンターに集まっているようだった。

「お父さん黄緑でずきん塗るの? 何かダサいよ」
「いいんだよこれで。塗り絵なんてなー、目についた色を適当に置いてけばそれなりになるんだよ。……ってか、お前こそほぼ紺しか使ってねーじゃん?」
「暗闇の中を歩く赤ずきんだから、これでいいのー」
「お前それ、塗り絵の遊び方間違ってるぞ……」

 オレは、三人の後ろから顔を覗かせる。どうやら三人で塗り絵をしてるようだ。多分セリシアに合わせてやってるんだろうけど、おじさんとレノンはかなり独創的な塗り方をしている。その反面、セリシアはやっぱり女の子らしくいろんな色を使っていた。多分だけど、おばさんが同じ塗り絵をやったら、綺麗に塗るんだろうな。セリシアが塗ったやつを見ていると、なんとなくそう思う。

「あ、お兄ちゃんも塗り絵やる?」
「いや、今から出掛けるから、また今度ね」
「そっかあ……いってらっしゃーい」

 レノンと一緒に、セリシアとおじさんまで手を振ってくれる。オレはそれに答えながらも、出入り口の扉に手をかける。扉を開けた時に鳴るベルの音なんて、今のオレには聞く余裕すら無かった。
 時間にはそれなりに余裕をもって出てきたはずだし、市場ではなく、図書館側の道へと足を運ぶ。広場に行くなら、市場を通るのが一番近い。だけど、今日はなんだかあのざわざわしている場所には余り行く気がしない。まあ遠回りと言っても、ほんの少し迂回するだけだし、何より、あそこを通れば絶対エトガーに捕まってしまう。いつもなら別に構わないんだけど、今日は誰かと世間話をする気分にはどうしてもなれなかった。
 図書館側の道はお店こそはあるものの、市場に比べると落ち着いている印象がある。ここは普段そんなに通らないから、何となく新鮮な気持ではあるけれど、出来ればもう少し落ち着いた気分で通りたかった。
 オレは、図書館に入っていく誰かの後姿を目の隅に写しながら進む。そういえば、今日は金曜日。確か図書館って木曜日が休みだったから、今日はいつもより混んでたりするのだろうか。あの時は、結局何も借りないで帰ってきちゃったし、今度はレノン達と行ってみるのもいいかも知れない。一緒に行ってくれるなら、だけど。
 図書館を通り過ぎ少し進むと、二手に分かれた道に差し掛かる。左側の道から微かに見えるのは、広場にある噴水だ。少し行くのを躊躇っている自分もいるが、ここまで来ておいて行かないという選択肢を選ぶのは、流石に自分でもどうかと思うし、重い足を無理矢理動かして広場へと向かった。取りあえず、目印である噴水近くまで向かうと、人混みの中に紛れて見たことのある人物が辺りを見回している。その人は、オレの姿を見つけると一目散に駆け寄ってきた。

「ああ良かった。来ないんじゃないかって、少し心配してたんだ」

 この人は、今日オレを呼び出したアルセーヌ本人ではなく、図書館で何故かエトガーと仲良くなっていたもうひとりの貴族の人。……名前なんだっけな。……ああもう、面倒だからそれは後でいいや。

「まあ、行かない方がややこしくなるだけだし……」
「な、何かごめんね……。ああでも、別にきみをどうこうしようって訳じゃないから」
「うん……」

 多分、この人の言ってることは本当なのだろう。何となくだけど、そんな気がする。

「じゃあ行こうか。アルセーヌさんの家、あっちだから」

 促されるまま、その人の後をついていく。一応、ここからアルセーヌまでの道のりとか覚えておいた方がいいのかな。多分すぐ忘れるけど。
 そんなことをボンヤリ考えながら、オレたちは広場を後する。来る前に何度も心配していたあの時の出来事は、どうしてか気にも留めなかった。
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