第4話:文字に囲まれた者

 変な空間に迷い混んでから数日。オレの身の回りでは、特に変わったことは起きていない。強いていうなら、あの広場と路地裏の近くには行かなくなったという事くらいだろうか。
 オレの中から、あの出来事が消えることはなかったけど、それを抜きにしても、至って普通の日々を過ごしていた。

「あ、お兄ちゃんブレスレットしてる」
「え? ああ、まあね……」
「彼女出来たの?」
「いや違うし。というか、それおじさん達にも散々言われたから聞き飽きたよ」

 今のオレは、例のごとくエトガーに掴まっている。市場と言えど、平日の午前中は人がそんなに多くはない。靴屋も大体似たようなものだから何となく出てきたけど、行くところなんてあるわけも無く、特に意味もなくエトガーの店を訪れたのだ。
 ただ、余り長居するのも悪いし、何処か他に行ける場所をさっきから考えているけど、これが全然思い浮かばない。普段余り出かけない人間だから、こういう時はとても困る。広場と市場以外に、オレが入れるような場所なんてあっただろうか?

「ねえ、ここら辺でオレらが行けるようなところってあるっけ?」
「えー? ……うーん、ここ抜けた先の広場と……。あ、図書館くらい?俺は行ったことないけど」
「あーそっか、図書館か……」
「行くの?」
「いや、何処か暇潰せるところないかなあって」

 そういえばそうだ。貴族が運営してる図書館があったのを忘れていた。……運営してるのが貴族っていうところが若干引っ掛かるけど、一回も入ったことないから行ってみるのもいいかも知れない。

「ちょっと図書館行ってみるね」
「じゃあ、俺もついていこっかなー」
「え? 何で?」
「だって暇なんだもーん。お客さんはいるけど、店番ならお父さんもいるし、問題ないって」
「そういうことじゃない気がするんだけど……。まあ良いか」
「お父さんに話してくるねっ」

 そう言ってエトガーが足早に奥へと向かう。そして、ものの十秒程でこっちに戻ってきた。どうやらオレらの話は奥まで聞こえていたらしく、エトガーが話を切り出す前に承諾してくれたようだった。

「おっけーだって。お兄ちゃん、早く行こっ!」
「あ、ちょっ……分かったから引っ張らないでって!」

 言いながらオレの手を掴んだエトガーは、いかにも待ちきれないといった様子で走り出した。危うく転びそうになったけど、何とか持ち堪えてスピードを合わせる。別に図書館は逃げないんだし、急がなくたっていいのに。
 でもそのエトガーの様子が、オレの目にはいつにも増して元気に映っていたから、こういうのもたまには悪くないのかな、なんてらしくもないことを思ってしまう。
 少し走って満足したのか、オレらはいつの間にか普通に歩いていた。エトガーは相変わらず、オレの左腕に絡み付いている。それは別に良いんだけど、やっぱりちょっと歩きにくい。

「久しぶりだねー、お兄ちゃんとこうやって歩くの」
「あー……そうだっけ?」

 エトガーはそう言うけど、二人で何処か出掛けたことってあっただろうか? たまに買い物してる時に偶然会ったりすることはあるけど、もしかしてそれのことを言っているのかも知れない。

「ところでさー、オレの店を差し置いてそのブレスレットどうしたの?」
「貰ったんだよ。……貰ったっていうか、押し付けられた気はするけど」
「ふーん? じゃあ今度はさー、俺のところのヤツ買っていってよ」
「あーうん。今度ね、今度」

 いつものように適当にあしらうが、「絶対だよ、絶対!」と念を押されてしまった。これは、いよいよ無理矢理にでも買わされる日が来てしまう知れない。

「あ、あれだよね? 図書館って」

 エトガーの声につられ、辺りを見回す。少し開けた場所に、屋敷に似た大きな建物があるのが見える。何となく、他の建物とは少し雰囲気が違う感じがするし、恐らくあそこなのだろう。

「へへ、何か緊張感するね」
「うん……」

 はじめて入る場所というのは、何故か妙に緊張してしまうというもの。オレは、図書館の入り口である少し大きめの取っ手に手をかけ、力を込めた。
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