第2話:静けさの狂気

『ちょうど、庭でお茶でもしようと思っていたんだ』

 言われるがまま庭に案内され、足を運ぶ。綺麗に整備されているのがよく分かるけど、ひとつ気になったのは、庭に置かれている噴水だけが酷く汚れていることだ。
 庭の中心には、四人がけの白いテーブルふたつにイスがいくつか置かれている。ふわりと、紅茶の匂いが漂ってくるのが分かった。
 テーブルの上には、ティーポットにティーカップ。それと、お皿の上に綺麗に並べられたクッキーが用意されている。だけど、用意されているそれらの数は、オレの想像していた量ではなかった。

『……警戒してる?』
「いや、何て言うか……。ティーカップの数多いなあと思って」

 ティーカップの数は全部で四。庭には、オレとこの人の姿しか見えない。それに、さっきこの人は「ちょうどお茶をしようとしていた」らしいし、この数はどう見ても不自然だった。

『ああ、これか……』

 言いながらティーカップを手に取ったかと思うと、カップは光の粒と化し、跡形もなく消えてしまった。それは、一般市民であるなら関わりたくないであろう存在。

『ほら、これで気にならないだろう?』

 明らかに、魔法そのものだった。

「……魔法、使えるんだね」

 こんな大きな屋敷に住んでいるのだから、少し考えればそれは当然かもしれない。魔法を使えるということはどういう事かなんて、考えなくても分かる。この人は貴族なのだろう。

『さあ、座ってくれ。余り良いもてなしとは言えないけれど……』

 促されるまま、四つあるイスから適当にひとつを選んで座る。普通に暮らしていれば、まず起こらない状況だから、というのもあるけど、こういうのはどうにも落ち着かない。光の舞う屋敷の庭の中で、オレだけが異質な存在のようだった。
 屋敷の主は、テーブルを挟んでオレの前に座った。「さて……」と息をつき、優しく微笑むその様子が、何故だかとても懐かしく感じてしまう。この人とははじめて出会ったはずなのに、だ。

『何から話をしようか。君が私に聞きたい事は沢山あるかも知れないけれど、そう長居はさせられないからね』

 風のそよぐ音が、沈黙を訪れていることを告げる。どうやら、オレが質問をする番のようだった。

「……ここ、オレがいた世界じゃないよね?」

 世界、というのとは少し違う気がするけれど、それ以外に適切な言葉が見付からなかった。

『そうだね……。簡単にいうのなら、ここは時空と時の流れが少しだけ違う、私の家に続くだけの空間かな。限られた人間しか入れないように、私が作り上げたものだよ』
「限られた……?」
『そう。だから、君がここにいるということは一体どういうことか……。分かるよね?』

 限られた人間しかここには来れない。という事は、オレはその限られた人間であるらしいのだけれど……。正直、いまいちピンとこない。

「でもオレ、普通に街歩いてただけなんだけど……」

 そうは言うものの、ふと思う。ここに来る前、オレは誰かの声を聞いた。その声の主は誰だった?
 紛れもなく、目の前にいるこの男の声じゃないか。

「……オレのこと呼んだよね?」
『呼んだ……?』

 彼はきょとんとした様子でオレを見つめる。でもそれは本当に一瞬で、その人はすぐに笑みを浮かべて言葉を口にする。

『ああいや……。呼んだら道が通じるかと思ってね。急だったのは申し訳ないと思ってるよ』

 何か含みを帯びた言い方だが、つまりオレがここに来たのは意図的では無かったという事なのだろうか。さっきの、オレが「ここに呼んだよね?」という質問をした時の反応からすると、もしかして、オレを呼んだのはこの人じゃないのだろうか……?

『……そういえば、君にはこれを渡さないといけないね』

 その人は何かを思い出したかのように、徐に空に手を出す。すると、小さな光の粒が手のひらに集まっていくのが分かった。その様子は、まるで何かが意思を持っているかのようで、その光の粒がひとつに集まると、何かに形成されていくのが分かった。

『はい。これがあれば、いつでもここに来れるから、出来れば大事に持っていて欲しいな』
「え……」

 光の粒が型どったのは、ひとつのブレスレットだ。

「いいよ別に……。っていうかいらな……」
『何なら、私が付けてあげようか?』
「い、いいってば……ちょ、ちょっと待っ……分かったよ付けるから待って!」

 危うく手首を掴まれそうになり、咄嗟にブレスレットを手に取ってしまう。オレンジとピンク。そして透明な丸い何かで作られたそれは、まるで光をまとっているかのように感じる。魔法から作られたからだろうか?
 庭へと落ちてくる太陽の光をブレスレットが反射したかと思うと、オレの左手首に付けられたブレスレットは、先程にも増してキラキラと光を放ち始めた。

「光ってる……?」
『ああ、良かった……。間違っていたらどうしようかと思っていたけど、やっぱり君はシント君なんだね』
「え?」

 その様子、目の前の男は何処か安堵したかのような、優しい眼差しをオレに向けている。だけれどその表情は、オレの目にはどこか少し寂しそうに見えた。

「……なんでオレの名前知ってるの?」
『ふふ、さてね』

 どうしてオレの名前を知っているのか。その問いを軽くかわされてしまう。だが、彼は口を動かすことを止めなかった。

『今日、君がここに来てしまったのは、ちょっと異常な出来事だから、魔法が警告しているんだよ。ここに長居してはいけないってね』
「魔法、って……ええ?」

 魔法。その単語が聞こえると、自然に身構えてしまう。それは市民であるなら当然なのかも知れないけど、自身の行動とは裏腹に、どうしてこんなにもその単語に異常なまでの反応を示してしまうのか。その疑問が、頭にこびりついて離れない。

『そんなに心配することはないさ。そのブレスレットは、キミを導き守ってくれる存在のはずだから』
「……何言ってるのか、よく分かんないよ」
『分からないなら、まだそれを知る時ではないってことじゃないかな?』

 ブレスレットから放たれる光は、より一層輝きを増していく。それは、本当にオレへの警告をしているようで、大げさに言うなら、まるで意志を持っているようにも見えた。

『さて、そろそろ君を戻してあげないと危険だね』

 そう言うと、男は徐に立ち上がりテーブル越しにオレに向けて手をかざす。その行動に共鳴するかのように、光がオレを包み始めた。

『今日は私が向こうへ戻すけれど、そのブレスレットがあれば、いつでもここに来られるはずだから、話はまた君がここに来た時でもいいかな?ああ、勿論すぐに来てくれても構わないけど』
「え、待ってよ。オレは……!」
『……じゃあ、またね』

 彼の言葉が紡がれるその前に、彼の周りで白く染まったそれらは、庭をも全て包み込む。

 少しずつ、少しずつ光が消え、先程までいたシントという人物の姿は何処にもいない事が確認できる。庭にひとり取り残された人物は、それに安堵したのか再び席についた。
 さらさらとなびく風の音と、カップに注がれる紅茶の音が、静寂をかき消すように響く。男は何かを思い出したかのように、注がれている紅茶と共にカップに言葉を落とす。

『声、か……』

 紅茶を何口か飲み、手に持っているそれをテーブルの上に置く。再び訪れた静寂の中、誰に言うでもなく言葉が紡がれた。

『彼をここに呼んだのは、一体誰の仕業だろうね?』
3/3ページ
スキ!