01話:名前のない本

「あーあ……資料室なのは分かるけど、こんな管理の仕方したら痛んじゃうよ……」

 本についた埃を、軍手をした手で優しく払う。払った埃が、今まで掃除していなかったことの当て付けのように宙へと舞った。
 今僕がしているのは、勤めている図書館にある資料室の掃除。図書館司書としての仕事というのも確かにあるけど、どちらかと言うとただの手伝いというよりは、「何か面白いものがあるかも」と言われ、普段は見れないようなものが見れるかも知れないという好奇心に駆られたから。
 だけど、だ。歩くと埃で足跡がくっきりと残ってしまうくらい放置されているというのは、流石に文句のひとつくらい言いたくなってしまうというものである。こういう場所が埃っぽいというのは、ある意味では当たり前だししょうがないとは思うけど、掃除もせずに本を長年放置しているのは、図書館としては如何なものだろうか。
 ……それにしても、さっきから鼻がムズムズする。ここまで酷いとは思わなかったから持ってこなかったけど、やっぱりマスクくらいはあった方が良かったのかも知れない。

「ねえルシアーン?……おーい」

 僕の声が、静まりかえった資料室に少し反響する。僕を倉庫の掃除に巻き込んだ張本人の声が返ってこない。そこまで広いわけではないはずだから、聞こえてると思うんだけど。

「……無視?」
「あーちょっと待って、くしゃみが……っ」
「だ、大丈夫?」

 声の主であるルシアンの場所は、片手をひらひら掲げ主張してくれたことによって辛うじて把握ができた。どうやら、しゃがんだ先でくしゃみに襲われているようで、確かにここに来た時から鼻がぐずついていたのを思い出す。

「……で、何?」
「いや、ここってどれだけ放置されてるのかと思って」
「二年くらいじゃない? 前来たときも埃まみれだったし。面倒臭がって誰も掃除しないんだよね」
「それ、図書館としてどうなの……?」
「だから今日やってるんでしょ?」

 そう言ってマスクを下ろして鼻をすすっている姿を見るに、ルシアンは完全に埃にやられてしまったらしい。僕は、出来るだけ埃が舞わないようにと、ルシアンの元に足を運んだ。
 いつも着ている上着を脱ぎ、袖口を巻くっている姿を見るのは何処か新鮮で、大袈裟に言うなら別人のようにさえ感じてしまう。まあ、僕だっていつも着ているものは出来るだけ外に置いてきているから、人のことは言えないけど。
 ルシアンの周りには、名前も知らないような大きめの本が乱雑に詰まれている。本を触ると、ザラザラとした感触が軍手越しでも伝わってきた。やはりというべきなのか、それは長年掃除をしていない証拠なのだろう。

「あ、そうそう……何処やったっけ」

 唐突に声を上げたルシアンは、何かを探している様子で辺りにあるを漁りはじめる。埃が舞う中で目を擦りながらルシアンが手にしたのは、手帳のような……日記にも似た分厚い何かだった。

「はい、これ」
「……何これ?」
「リベリオ……だっけ? 何とかさんが書いたって言われてるやつ。日記とか手帳とか、そういう類いのやつだと思うけど……アオイってそういうの好きでしょ?」
「リベリオ? リベリオって何処かで……」
「あのー、あれだよ。小説家の」

 差し出されたそれを手に取る。埃こそはあるものの、綺麗に体裁されている表紙を眺めながら考えていたのは、ルシアンが口にした『リベリオ』という単語について。
 真っ先に浮かび上がったのは、とあるひとりの小説家だった。

「……色褪せたシリーズとか書いてる人じゃないよね?」
「そうそう、その人……うわ、この本絶対虫湧いてるでしょ……」

 片手で本の端をつまみながら何かを言っているルシアンをよそに、僕は手にしているそれをまじまじと見つめていた。リベリオという人物は、百年以上前に活躍していたとされる小説家の名前だ。その人の書く小説は数多く存在するけど、その中でも恐らく一番有名なのは、『色褪せた○○』というシリーズものだろう。

「……これ本物?」
「本物じゃない?リベリオさんの家にあったやつらしいし」
「へー……」

 リベリオさんの家にあったもの、ということに対して普通に返事をしてしまったが、よく考えてみればひとつ返事で終わりにしたらいけないことなんじゃないだろうか。思い直して、僕は再び疑問を口にした。

「……何で、その小説家の日記がここにあるの?」
「知り合いだったらしいよ。俺もよく知らないけど」
「え!? そうだったの?」
「うん。でも、別に親交があったってだけだと思うし。というか百年以上も前の話だからね」
「ま、まあ……そうか。そうだね……いや、そうなのかな……?」

 言い切るルシアンの言葉に言いくるめられそうになるけど、普通に考えたらかなり凄いことというか、僕がこうして普通に手に取ったらいけないものなんじゃないだろうか。
 確かに、リベリオさんが生きていたであろう時は百年以上も前の話。ルシアンの言いたいことも分かるし、ルシアンの家はその当時から図書館を運営しているような貴族だから、そういう人達との交流があったとしても、まあ不思議ではない。

「こういうのって、僕が読んじゃいけないんじゃないの?」
「んー……まあ、見れば分かるよ。っていうか、やっぱり窓開けない?このままだと埃に殺されそう」

 少し歯切れの悪い言い方をするルシアンは、僕が返事をする前に、周りに置いてある本を避けつつ開いてる窓へと足を運ぶ。風で本が靡かないように半分も開けていなかったけど、どうやら限界のようだった。確かに、このままじゃ体にも悪い。ガラリと音を立てて開かれた窓から靡く風に合わせて、僕はリベリオさんのものらしい日記に目を向ける。見てもいいのだろうかという気持ちと、好奇心。どちらの気持ちがより大きいかと言われたら、紛れもなく後者だった。
 そっと、表紙に手をかける。何となく後ろめたい気持ちもありながら、彼の綴ったものが見たい。そう思ってしまったのは、紛れもなく僕の意思そのものだった。
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