Caligula

creepy(主+鍵)前編

2018/03/29 14:15

―――普通だ。

と、ドアの陰から教室の中を盗み見ながら、鍵介は思った。帰宅部の先輩以外はろくに知り合いもいない三年生の教室を端から見て回って、やっと見つけた見覚えのある女子生徒。朝のホームルームが始まる前ののんびりとした時間、窓際最前列の席でクラスメイトと談笑する彼女は、手元のスマホの画面を見せ合い明るい声を上げている。どこにでもいる、普通の女子高生だ。遠くから横顔を見ただけでは断言できないものの、少なくとも鍵介の目にはそう映る。



***



時は、昨日に遡る。部活のない放課後、さて今日は何をして暇を潰そうかと考えながら教室を出た鍵介は、見慣れない女子生徒と連れ立って歩く部長の姿を昇降口で見かけた。
「先輩、こんにちは」
「ん? ああ、鍵介か。おっす」 
声をかけると、部長はいつものように、にぱっと人懐っこい笑みを見せる。彼の隣にいたのは、赤みがかった髪を高いところで結わえた可愛らしい女子生徒だった。鍵介より少し背が高くて、部長よりは背が低い。並び立つ二人を順繰りに見遣って、鍵介は「あー」と声を上げる。
「なんだよ」
「もしかしてこれからデートですか? いいなあ」
「ち、違います……」
「えっ」
部長に向かって問いかけたつもりが、慌てたように口を開いたのは彼女のほうだったので、少し驚いてしまった。蚊の鳴くような声で「そんなんじゃなくて……」と囁き首を振る彼女の顔は、単なる照れと断じるには不自然なほどに赤らみ、額にはうっすらと汗が浮いているのを、鍵介は見逃さなかった。赤いリボンの目立つ胸元で握りしめた手が小刻みに震えていることも、僅かな違和感として鍵介の目に映る。確かに彼女の言うとおり、仲の良い男女の甘ったるいデートの雰囲気ではなさそうだが。

「違う、違う。これから、彼女の用事にちょっと付き合うだけだよ」

と、その間に、不意に明るい声が割って入った。
「はあ、用事……」
「気にしないで、こいつ自分に彼女いないのが寂しいだけだから」
「む。失礼な」
部長は女子生徒に冗談めかした口調で言う。べ、別にそういうわけじゃない―――というのはさておき、屈託なく笑ってみせる部長の言葉に、いつものアレか、と鍵介は納得した。部活のない日の部長は、趣味ではなく生きがいだと豪語する「生徒の悩み相談」に勤しんでいるのだ。恋人や友だち紹介から人生相談、はたまた「刀マニアや催眠術師を捜しに行く」だのと、鍵介にはいまいちよく分からない(まあ、抱える悩みは人それぞれなんだろうけど)依頼のために宮比市のあちこちを走り回る姿は、これまでもたびたび目にしている。
「強い奴とケンカがしたい」などという血の気の多い生徒からの物騒な依頼が来た時には鍵介たちが駆り出されたりもするのだが、図書館に行くだとか、パピコでの買い物に付き合うなどといった軽い用事ならば、彼は大抵一人でこなしてしまう。あたりに他の部員の姿は見えないので、今日はそっちか、と鍵介は見当をつける。しかしそれにしては、過度に張り詰めた彼女の様子が気にかかるが。……やっぱりデートなんじゃないか?
「ま、いいですけどね。みんなには内緒にしときますよ、口止め料を弾んでもらえれば」
「だからそういうのじゃねえって」
「いてっ。……ひどいなぁ」
軽い握り拳で、こつん、と部長に頭を小突かれた。手加減はされているので、別にそこまで痛いわけではないけれど。鍵介がわざとらしく頭をさすり、唇を尖らせてみせると、部長は端正なつくりの顔立ちにはあまり似合わない子どもっぽい表情で、べえ、と舌を出した。
「まあいいや、早く行こうか、先輩。鍵介も、じゃあね」
先輩、ということは、彼女は三年生か。最初に鍵介の軽口を否定したきり、俯いたまま口を利いていなかった彼女の肩に部長は自然な仕草で手を添えて、(無茶苦茶サマになってる、くやしい)そのまま二人は靴箱のほうへ歩いていってしまった。
「む……」
なんだあれ、やっぱデートだろデート。去って行く彼らの後ろ姿を見つめながら、鍵介が小さく鼻を鳴らした、その時のことだ。

「…………?」

下校時刻を迎えて混み合う、昇降口の雑踏の中。部長に肩を抱かれたまま、先ほどの彼女がこちらをちらりと振り向いた。これから恐らく、彼女の悩みを解決するために何処かに向かうはずなのに、それにしてはあまりにも不安げで、何かに戸惑っているような目をしている。
「……」
やがて、部長に話しかけられたのか、彼女は髪を揺らして前に向き直った。ほんの数秒足らずの視線の交錯で、違和感は疑惑に変わる。何かがおかしい。鍵介は急いで靴を履き替えたが、校門から出た時、すでに二人の後ろ姿はどこにもなかった。部長宛てのWIREで「今からどこに行くんですか?」なんて聞くのは、流石にしつこいと怒られそうだしいくらなんでも不自然だ。
楽士をすっぱり辞めた今、空き時間にはどうせやることもない。帰りに軽くパピコのショッピングエリアなどを見て回ってみたりもしたのだが、鍵介が部長たちを見つけることはできなかった。



***




クラスメイトのスマホをのぞき込み、きゃあ、と歓声をあげて彼女は笑っている。そこに昨日のようなおどおどした様子は微塵も見受けられない。やはり、部長の手を借りて昨日のうちに問題は解決してしまったのだろうか。しかし、脳裏に彼女の不安げな視線がちらつく。もはや「勘」としか言い表せないような違和感は、未だ鍵介の胸のあたりにもやもやと蟠っている。

「何してんだおい、こんなとこでコソコソ」
「ひええっ」

背後から、とん、と肩を叩かれて、鍵介は思わず引き攣った声を上げた。ばくばくと鼓動がうるさい胸を押さえながら振り向くと、そこには見慣れたツートンカラーの頭。
「お、おどかさないでくださいよ笙悟先輩……お、おはようございます」
「おはようさん。俺だって驚いたわ、お前が珍しくこんなとこにいるから」
とりあえず朝の挨拶だけはしておくと、同じように挨拶が帰ってくる。ここは、鍵介の記憶していた彼のクラスの教室ではなかったはずだが。そう思いながら視線を彼の顔から下ろしていくと、笙悟は手にペットボトルのお茶を一本持っていた。おそらく階段前の自販機に寄った帰り、廊下で偶然鍵介姿を目にして声をかけたのだろう。こうして気軽に話してみればなんともないが、一見しただけでは近寄りがたさを感じる面立ちに、彼は怪訝そうな表情を浮かべている。
「つーかほんとに何してんだお前、覗きか?」
「ちーがーいーまーすー」
いや、確かに教室の中をこっそり観察してはいたけど。「覗き」だなんて言われると、なんだか一気にイヤラシイ感じになってしまうではないか。鍵介はがりがりと頭を掻いた。「ところで笙悟先輩、あの人なんですけど」半ば強引に話題を変え、鍵介は笙悟の腕を引いて、自分の隣に立たせる。教室の中が見渡せる位置。
「なんだ急に……どいつのことだ?」
「あの、いちばん前の席に座ってる女の人なんですけど。ポニーテールの」
「ああ、今友だちと喋ってる奴か? あいつがどうした」
鍵介に促されるまま、窓際の彼女に笙悟はどこかぼんやりとした視線を送る。
「あの人ここ最近、何か変わったようなことありませんでした?」
「ん? んー…………」
そして、唸るような曖昧な返事をして、やがてぼそり、と、

「なんだっけかな、名前…………」

……あれ、聞く人間違えたかな? 鍵介が諦めかけたその時、笙悟は何かを思い出したように「ああ」と声を上げたあと、周囲を気にするようにして声を潜めた。
「……これって部活に関わる話か?」
「?」
「単にお前が……その、なんだ、あの女のことが個人的に気になってるだけとか、そういうアレじゃなく」
「それは違います。絶対」

びしりと言い放つ。まあ、部長の連れていた女の子の様子がおかしかったというのは、帰宅部に関わる話……に、なるのだろうか。ちょっと広義の上にもほどがある気がするけど。「ええ、まあ、一応関係はあるかと」とりあえず鍵介が反応を示すと、笙悟は少し迷うように辺りを見渡して、教室のドアの前から離れた。
「なら話すけどよ」
そう呟いて、廊下の端にさっと移動する。鍵介も、あとを追う。

「あれ、この前俺らが学年集会で体育館に集まった時にぶっ倒れてた奴なんだよなぁ……」
「……? 倒れた……?」
すると、笙悟は口元に人差し指をぴんと立ててみせた。「少しデリケートな話かもしれないから」と前置きをして、低い声で続ける。ざわざわと騒がしい登校時間の廊下で、ふたりの話に聞き耳を立てるような生徒は見当たらない。
「先週くらいだな。これからの進路選択がどうこうの話があるって、三年が集められたんだわ、体育館に」
そんなの俺らに必要ねえのによ、と笙悟は更に小声で悪態をついた。
「その時にひとり倒れた女子がいるんだが、それが多分あいつだ。悪いが名前は知らん。『変な声が聞こえる』とか『水の音がする』とか喚いてて、体調不良ってよりはちょっとしたパニックっぽい感じだったらしいな。でも、別にデジヘッドになりかけてるわけでもなさそうだろ? ……だからあんまり言いふらすなよ、女子はいろいろ難しいだろ、そういうの」
「……そうですか……」
女子はいろいろ難しい。なんか琴乃先輩あたりが言いそうだな、と鍵介が思った直後、「って琴乃が言ってた」と付け加えられた。やっぱりか。
「ふーん……」
鍵介は腕を組む。やはり、彼女が部長に相談したであろう「悩み事」と関係あるのだろうか。笙悟の口から語られる情報が、昨日感じた微かな疑問と、細い線でつながれていく感覚。
「……で、結局何なんだ? もしやばそうっていうなら、皆が集まった時にでも話してくれれば早めに手を打てるんだが」
「え? えーと……」
笙悟の話を聞き、鍵介の中の違和感は強まったものの、それはあくまで輪郭すら掴めないふわっとした何かであって、単なる勘レベルで帰宅部のミーティングの議題にできるものでは到底ない。そもそも一緒にいた部長は、彼女の様子のおかしさにだってとっくに気づいているはずなのだから、彼を交えてその話をすること自体が愚策である気もする。―――部長のことを、疑っているつもりではないのだけど。そもそも、彼女だってあんなに元気そうで、もう済んだ話かもしれないし。

「もう少し、調べがついてからにしますよ。もしみなさんの助けが必要なら、その時は僕から改めて話をさせてもらいますから」

何もなければ、それがいちばん。わざわざ部内に波風を立てることもない。だから、こうしてこそこそと三年の教室を嗅ぎ回っていたことは内緒にしてもらえないか、と。鍵介が目線だけでそう訴えると、笙悟は首を傾げてペットボトルのキャップを捻った。お茶をひと口飲んで、「まあ、あんまり危ないことはするなよ」と、年長者らしいひと言。相手の懐に入り込んで根掘り葉掘り事情を聞き出し、あらゆる相談事を引き受けてしまう部長とは真逆、余分な深追いはしないスタンスだ、と鍵介は思った。それがやさしさか、あるいは無関心か、それとも臆病さなのかは、鍵介の知るところではないが。
「それじゃあまた、放課後ですね」
朝のホームルームの開始を告げるチャイムが、校舎に響いている。軽く手を上げてみせた笙悟に別れを告げ、鍵介は小走りで一年の教室まで戻った。今日もまた、どこまでも平和で、満たされていて、退屈な吉志舞高校の一日が始まる。








***

















「あ、もしもし? 俺だけど……うん」

部屋の中から聞こえてきた声に、鍵介はドアに伸ばしかけた手をふと止めた。聞き覚えのある声が、誰かと電話をしている。

「あれからどう、具合とか」

扉の向こうから聞こえるのは、部長の声だった。他の誰かの声は聞こえてこないので、中にいるのは彼ひとりきりのようだ。
放課後の旧校舎の人通りは、新校舎と比べるとかなり少ない。帰宅部の部室である音楽準備室前になると、それは特に顕著だ。音楽と言ったらDTM、楽器を演奏する文化が廃れつつあるメビウスという世界では、当然のこと。もともとよく通る部長の声は、たとえ控えめなボリュームであろうと、ひっそり静まった廊下にまで聞こえてしまう。
「……」
今は一人きりだとは言え、じきに部員が集まってくるであろう部室でかけているくらいだから、誰かに聞かれて困るような電話ではないと思う。だが、図らずとも盗み聞きをする形になってしまったのは、やはり少々気まずいものがある。どこかで時間を潰してこようと、鍵介が足音を立てずにそろりとUターンした時だ。ふと、部長の声音が深刻そうなものに変わった。

「……うん、うん、やっぱりそうか。この前言ってた変な声とか水の音も、まだ時々聞こえるんだな?」

聞き覚えのあるワードに、思わず足を止める。今、彼は「変な声」「水の音」と言ったか。
先日昇降口で部長と歩いていた三年生の彼女、集会でパニックを起こして倒れたと笙悟から聞いた彼女も、同じようなことを口にしていたという。もしかして、彼の電話の相手は―――鍵介はその場で立ち止まり、ごくりと息を飲んだ。それから、やや長めの間を置いて、

「今度、そういう話聞いてくれる人、紹介するよ。信頼できる人だし、早ければ早いほうが……うん、うん、じゃあ土曜の…………時間はどうしようか……ああ、分かった。土曜日の9時半に、シーパラ前で待ち合わせね」

鍵介は一旦こそりとドアの前から去り、自販機でジュースを買ったり廊下を歩き回ったりして十分ほどの時間を潰してから、たった今来ました、とでも言うような何食わぬ顔で、再び部室を訪れた。今度は部長のほかにも、チョコレート菓子をつまんでいる美笛と、「やっほー」と片手を振りつつもう片方の手では凄まじい指さばきでスマホをいじっている鳴子の姿があることに、少しほっとする。
「おーす、鍵介」
「……どうも」
今日の探索予定地だろう。ホワイトボードに描かれた校舎の地図へ赤いマーカーで丸をつけていた部長に、鍵介は軽く会釈をする。
土曜日、9時半、シーパラ前。部活が始まってから終わるまで、そして解散して、家に着くまでの間。忘れないように何度も脳内で反芻する。


→後編

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