Caligula

おいしい毒林檎はいかが(主カギ)

2018/03/28 13:26
主カギ

おだやかな昼下がり、やさしい木漏れ日がそそぐ中庭のベンチは特等席だ。ここで僕たちは、購買のパンだったり、コンビニ飯だったり、たまには、今日みたいに鍵介が作ってくれた弁当を食べたりする。「ごちそうさま、おいしかった」空になった弁当箱の蓋を閉じた僕の制服の袖を、鍵介はちょいちょいとつまんで引いてみせた。どうしたの、と顔を寄せると、不意に彼の手元からふんわりと甘く、同時に酸味もある爽やかな香りが広がる。

「あ、りんごだ」

鍵介が黄色い蓋を開けてみせたタッパーの中には、食べやすいサイズに切ったりんごが詰まっていた。歓声を上げる僕にプラスチックのピックを手渡す彼の表情は、どこか得意げだ。
「先輩、果物食べたいって言ってたので。僕って健気な後輩でしょう、褒めてくれていいんですよ」
「ん? うーん、それを自分から言っちゃうとな、ちょっと健気ポイント下がるっていうか。減点?」
「えぇー、ひどいなあ」
「ふふ、嘘だよ、ありがと。えらいえらい」
頭を撫でると、ますます満足そうな笑顔。僕が「なんか最近果物足りてない気がするなあ」なんて言いながらメロンパンをもそもそ食べていた翌日の昼休み、さっそくデザートに林檎を剥いてきてくれるのだから、実際健気でまったく良い子だと思う。よく見てみると、タッパーに並んでいたのは赤い皮に切り込みを入れて長い耳のような形に整えられた、所謂うさぎりんごというやつだ。その中から一匹を取って頭から齧っている最中、僕はふと、どこからか視線を感じた。

「ん……?」

顔を上げると、視線の主はすぐに見つかった。僕たち以外にも中庭にいる生徒の中で一際目立つ、コンビニの袋を手に提げたひとりの男子生徒。僕らの座るベンチから、およそ10メートルほど離れているだろうか。白と黒、特徴的なツートンカラーの髪で片目を隠した、背の高い強面の男がこちらを見つめていた。全体的に彩度の低いファッションで身を固めているぶん、首元のスカーフの鮮やかな柄がとても目を引く。
「……?」
自慢ではないけど、僕はわりと気弱でヘタレで、ヤンキーっぽい知り合いなんて一人もいない。わかり合えない類の人種であるのは間違いないと、未だこちらをじっと見ている彼の容姿からなんとなく見て取れた。だが、それにも関わらず、なぜか僕はその視線から目を離すことができずにいた。彼の瞳に、僕に対する深い憐憫、もしくは、何かを詫びるような色が混じっていたから。やがて、ずっと固く引き結ばれていた彼の口が、小さく開くのを僕は見た。何かを言っている。

「ねえ何処見てるんですか、もしかして浮気ですかぁ、せーんぱい」
「わっ」

と、その時。急に両手で頬を挟み込まれ、そのままぐいっと引っぱられて、僕は強制的に鍵介の方を向かされてしまった。もう、意外と力強いんだから。
お互いの鼻先が触れあいそうなほどの距離で拗ねたように唇を尖らせている彼は、おとなしく物わかりのよさそうな顔をしていても、これが意外と嫉妬深いのだ。浮気、浮気ねえ、と脳裏で反芻し、思わず笑ってしまう。「そんなんじゃないよ」と、ピックを持っていないほうの手を降参するように上げてみせて、やっと彼のあたたかい両手から顔を解放してもらえた。ピックに刺さっていたりんごの最後のひとかけらを、口に放り込む。しゃりしゃりと噛むほどに甘さの増す、おいしいりんごだ。
「あの人がこっち見てたから、少し気になっちゃっただけ」
「あの人って?」
鍵介は怪訝そうに眉を寄せる。先ほどの彼は、僕らに背を向け、校舎に向かって歩き出したところだった。もし後ろからこっそり指さしていたのを見つかったりしたらなんだか怖そうだったので、僕は小声で「今校舎のほうに歩いてった人」と、鍵介に耳打ちする。
「なんだろう、僕に用でもあったのかな。それとも、もしかして君の知り合い?」
「……? あー」
白と黒の頭がだんだん遠ざかり、やがて昇降口に消えていくのを見送ってから、鍵介は低い声を出す。
「別に、僕も知り合いとかじゃないですけど。ただ見てただけなんじゃないですか? ていうか、あんまり関わらない方がいいですよ、あの人」
「そうなの? やっぱヤンキーか、だよねぇ」
「うーん、なんていうか……」
ひょいと伸ばしたピックでタッパーからうさぎを一匹捕まえた鍵介は、注意深く周囲を見回してから声を潜める。
「確か三年生の先輩なんですけどね。あの人を中心に何人か、コソコソ集まってる怪しげなグループみたいなのがあるって噂も聞きますし」
「怪しいって何が?」
僕の問いかけに、鍵介はむっとしたような口調で、
「だーかーらー、何してるのかもよく分からないから怪しいし、ほんとにほんとに関わらないほうがいいって話です」
「……? ……ふぅん、そう。まあともかく、ちょっと変な人なんだね」
「さっきからそう言ってるじゃないですか。話しかけられても絶対無視してくださいね、絶対! それか、そうだ、僕を呼んでくれてもいい」
「助けてくれるの?」
珍しく苛立った様子で語気を強める鍵介に少し驚きながら、僕はりんごを食べ進める。まあ、ちょっと頼りない僕の身をそれほど案じてくれているのだろう。確かに、いきなり頭突きとかされて、人気の無い高架下なんかに連れ込まれたら、怖いし。
「もちろんです。すぐに駆けつけますから」
自信たっぷりに胸を張ってみせる鍵介を見て、僕は思わず笑ってしまった。

「無視するも何も、僕あんな怖そうな人に話しかけられたら、それだけで逃げちゃうよ。だから安心して」

きっとこれから先、さっきの彼と話をする機会が訪れることはないのだろう。あの口が「ごめんな」と動いたような気がしたことなんて、僕はすぐ忘れてしまうのだろう。僕には鍵介がいて、鍵介には僕がいる。それだけで十分なのだ。鍵介がそっと差し出してくれたりんごを、僕はぱくりと口に含む。つやつやと赤くてみずみずしいそれは、とっても甘くて、甘くて、甘くて、おいしいりんごだ。

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