Caligula
ベッドの上の、話です(主琵琶+鍵)
2018/03/24 12:45主琵琶∞
「うーん、みんな遅いですね。用事かな」
「……」
「僕は美笛ちゃんから今日は出られないかもって連絡もらってますけど、先輩は他に誰かから聞いてたりしますか?」
「…………」
「永至せんぱーい」
「!」
机に置いてあった手頃な雑誌をメガホンのように丸めて口元に当て、ソファに座って俯いていた永至先輩に呼びかける。するとようやく彼は弾かれたように顔を上げたので、なんだか逆にこちらが驚いてしまった。まさかこのしっかりした人が、こうして名前を呼ぶまで僕が他の「先輩」に話しかけていたなどと思っていたわけがあるまい。何故なら今、やけに部員の集まりの悪い放課後の部室には、他の先輩方どころか僕と永至先輩のふたりしかいないのだから。……実は若干気まずいし。と、それは一旦置いておいて。普段の抜け目ない鋭さがやや欠ける目つきで僕を見る永至先輩と、眼鏡越しに視線が絡まる。
「……ああ、すまない。少しぼうっとしてしまって……大事な話?」
「いや、大事っていうか……今日はなんだか妙に集まりが悪い気がするんですけど、永至先輩は何か聞いてませんか、って」
「いや、僕は特に連絡は受けていないな……悪い」
「じゃあ、だいたいは部長が聞いてるのかな……」
「…………」
あ、終わりか。淡々と答えて、永至先輩はまた俯いてしまう。それっきりすっかり手持ち無沙汰になった僕は、くるくると丸まってしまった雑誌をばさっと机に放った。
部室内をうろついて机や椅子などを整頓したりしながら、彼曰くぼんやり、僕からすると草臥れた様子の永至先輩を観察してみることにする。暇な待ち時間などには自ら率先して周りに話を振ったりする、気遣いのできるオトナの男とやらが、こんな風に会話も放棄してぐったりとしてしまっているのは珍しい気がする。もしかしたら僕の持つ若干の苦手意識が伝わっていて、結果ものすごく嫌われているだけかもしれないけど。それはまあ、今は考えないでおこう。
彼の指先は、さきほどから忙しなく服のボタンを触って―――いや、違う、おなかを撫でているのだろうか。あまりじろじろと見過ぎるのも気が引けてしまうのでちらちらと目線を運ぶだけに留めておくが、僕にはやはり、神経質そうな指先で労るように腹のあたりをなぞっているように見える。具合でも悪いのだろうか。僕が迷いながらも再び「あの」と声を上げた、その瞬間だった。
「やっほー遅れてごめーん……あれ、うそ、これだけ? 謝り損じゃん……しかもなんか野郎しかいないし……」
「……はいはい、華のないメンバーですみませんねえ、部長様。なんか集まり悪いんですよ、今日。聞いてません?」
「俺? ぜーんぜん」
がらがら、と音をたてて開いた扉から飛び込んできた脳天気な声に、つい反射で減らず口を叩いてしまう。しかし部長はそれに対して特に何を言うでもなく、椅子をがたがたと整頓している僕に「おお、ご苦労」と笑ってみせた。器のでかさというよりは、多分あんまり真剣に人の話を聞いていないだけだ。つい一瞬前の僕の声は部長のにぎやかな登場にかき消されてしまったようで、永至先輩がこちらに視線を向ける気配はない。というか、そもそも顔を上げようともしない。大丈夫か。
部長は部長でマイペースなもので、並べられている机に迷いなく向かい、置いてあったチョコバーを手に取って包装をばりばりと剥き始めた。甘い匂いを漂わせるそれを齧ってもぐもぐやりながら、「うーん」と唸って壁の時計を見遣り、そして僕へと目線を移す。
「どうするか。WIREで最終確認取って、そうだな、集まれる人数半分以下だったら今日はやめとく?」
「ええ、そのほうがいいかもですね。少人数で無理しても危ないですし」
「じゃあ鍵介、代わりにみんなに聞いといて」
「えー、なんで僕が……」
そういうの部長の仕事でしょ、と呆れてしまう。しかし彼は食べ終わったチョコバーのゴミを丸めて机に置き、「俺にはやることがあるのだ」などと宣うのだから、それ以上は逆らえない僕はしぶしぶスマホを取り出した。部長が現れてからまだひと言も発していないどころか、やはり未だ顔すら上げない永至先輩に、つかつかと近づいていく。僕がそっと手に取り、アンダースローのフォームで放り投げたチョコのゴミは、少し離れた床のゴミ箱に吸い込まれていった。よし、ナイスシュート。
「おい永至……永至先輩。何寝てんだよ、起きろって。えいっえいっ」
「あ、ああっあのちょっと、先輩、やめたほうがいいんじゃないですか」
「起きているよ……」
僕の制止もむなしく、部長の手が永至先輩の頭に触れる。丁寧にセットされた茶髪をわしゃわしゃとかき混ぜる無遠慮な手を、永至先輩は「やめろ」と心底鬱陶しそうな低い声とともに払いのけてみせた。こうして少し離れていると、まるで部長が茶色いプードルと戯れているようにも見えて少し面白いのだが、次第に双方ともムキになり始めたのだろうか。手を伸ばす、受け止める、払う、のやりとりが、だんだんジャッキーのカンフー映画みたいになってきた。思わず、手に汗を握りながら見入ってしまう。
「あ痛っ、このやろ」
「ああ、もう、いい加減にしろ」
「おわっ……」
どうやら永至先輩が長い腕のリーチを活かし、指輪の嵌まった手で部長にチョップを決めたらしい。うわあ痛そう、と僕が息を呑むと同時に部長が「痛ッてぇな!」と声を上げた。が、永至先輩は赤くなった額を押さえる部長のほうには目もくれずに荷物をまとめ、ソファから立ち上がると、出入り口の扉に向かう。
「少し外す。部活、あるならまた合流するけど、ないようなら今日はこのまま帰らせてもらうよ。決まったら早めに連絡入れてくれると助かる」
「あ、はい。わかりました」
おだやかではあるが有無を言わさぬ圧のある口調に僕が思わず頷くと、がらがらと扉が閉まった。やがて少し遅れてこちらに歩いてきた部長に「ダメじゃん鍵介、捕まえとかないと」などと文句をタラタラ言われたが、叩かれた額をさする彼にもう永至先輩を追う気はなさそうだ。そもそもあの人捕まえとくなんて出来るわけがないでしょうが、僕に。
「何かあったんです? ……喧嘩でもしてたんですか?」
ふう、と肩を竦めながら僕が尋ねると、部長はにやりと唇を歪めて、
「んー、まあ、喧嘩ねぇ……喧嘩、に近いことはしたかもね、昨日。やっぱりまだ怒ってるみたいだった」
「え、冗談で言ったんですけど? 想像できないなあ……」
「俺が? あっちが?」
「えっと、両方」
「ふーん、そう」
まさか図星だとは思わなかった僕が首を傾げているのを見て、部長はさらに笑みを深くした。と、思ったら何故か突然、シャドーボクシングの要領で空中にパンチを繰り出してみせる。意外とサマにはなっているけど、褒めると調子に乗るので言わないでおく。
「? 何ですか?」
「いや、俺けっこう強いんだよ。昨日も第3ラウンドでKO勝ちしたの、いひひ。あ、もうみんなにWIREしてくれた?」
「ああそう……今からです」
「いそげー」
まったく、困った部長様である。戦況の把握や指示の出し方にはきらりと光る物があり、確かに頼りにはなるけど。普段はなんでも笑って誤魔化す、ちょっと憎めないところのあるいたずら小僧。そんな感じだ。たまに誤魔化しきれずに大目玉を食らっているけど。
僕はため息をついて、スマホの操作を再開した。タップひとつで立ち上げたWIREのアプリで、帰宅部のグループ宛のメッセージを打ち込んでいく。―――部長の、代わりに、確認なんですけど、今日は、みなさん、部活、出られますか、
「とにかく、あんまり危ないことはしないでくださいよ。ケガでもされたらみんな困るんです。まあ、永至先輩は永至先輩で負けず嫌いっぽい感じもありますけど」
「よくわかってんじゃん。引くほどプライド高ぇよ、あいつ」
「でしょうね……」
―――集まれる、人数、が、全体の半分以下、なら、今日の部活は、中止になるよう、です。そこまで入力をして、僕は「あ、そういえば」とスマホの画面から顔を上げた。
「ていうか永至先輩、さっき多分おなかのあたり押さえてましたけど。ほんとに大丈夫なんですか、あれ」
なんかやばい攻撃でもしたんですか、と。僕の言葉に、部長はきょとんとしたような表情を見せる。やがて、今日いちばんの良い笑顔で笑ってみせた。まるで童話の絵本なんかに出てくる、悪いキツネみたいだ。
「ま、今さらじわじわ効いてきたんじゃないの、トドメのボディブロー的なやつが」
―――早めの、返事、お願いします。送信。
「……送っときましたよ」
「うん、えらいえらい」
なんだか部長の言葉の意味をあまり深く考えたくなかったので、僕はさっそく部員たちの返事がちらほらとポップアップし始めた画面を、じっと見ていることにした。しばらくして、部長がばりっと二本目のチョコバーを開ける音とともに、「俺さっきゴミどうしたっけ?」なんて気の抜けた呟きが聞こえてきたけど、僕は返事をしなかった。