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1章 はじまり

 「アサ、そろそろ起きていらっしゃい」

母の呼ぶ声に、アサはぼんやりと瞼を持ち上げた。
ほこほこと湯気に乗って、汁物のいい香りが漂ってくる。餅の焼ける香ばしいにおいも。

「おねえちゃん、はやくおきてよ!」
「今日は祭りだろ!」

まだほんの幼い妹の舌ったらずな声と、妹を追いかけてきたらしい弟のはしゃいだ声も聞こえる。


……そう、今日は年に一度の、ヒノマル村で1番大きな祭りの日なのだ。
アサの暮らすヒノマル村では、毎年秋になると収穫に感謝して祭りを開く。
村の真ん中を流れるセイリュウ川に沿ってたくさんの屋台が並び、川の側に作られた舞台では、村の女の子たちから選ばれた舞い手が特別な祭りの舞を舞う。そして日が暮れると、屋台の明かりがぼんやりと川に映るのがとても綺麗なのだ。

それだけではなく、村の女の子たちにとって、この祭りは、めいっぱい着飾って気になる男の子に見てもらえるという、めったにない機会だった。
アサの友達たちも、ここ数日はずっと、誰に見てもらいたいかだとか誰がかっこいいだとか、そんな話ばかり。
サヤもミカもユイも、気になっている男の子にすっかり夢中なようで、彼は橙の衣が好きだと言っていた、だの髪は下ろしている方が好みらしい、だの、毎日そわそわしている。
アサからしてみれば、頬を染めてはにかむように笑っているサヤたちは、どんな衣を着ていたってかわいらしく見えると思うけれど、そんなことを言ったら、

「そういうことじゃないのよ」

と言われてしまうのは目に見えているから言わないでおいた。


そんなアサの頭の中はずっと、祭りの日の屋台のことでいっぱいだった。
アサの家は弁当屋を営んでいて、もちろん祭りでも屋台を出すことになっている。
普段からの馴染みのお客はもちろん、祭りのためによその村から呼ばれる芸人もたくさん屋台を訪れてくれるので、アサたち一家は目を回すほど大忙しになるのだ。

今年の目玉料理は、鳥肉のくるみ味噌焼き。
細かく砕いたくるみを甘めに作った味噌だれに混ぜ込んで、鳥肉に塗って焼くこの料理は、アサの大好物でもあった。
くるみのかりかりとした食感や香ばしい味噌の味を想像するだけで、アサは頬が緩むのを止められない。
くるみ味噌を使った料理はヒノマル村では晴れの日の定番で、肉の他にも餅や魚、野菜に塗っても美味しい万能な調味料だが、晴れの日しか食べられない、珍しいご馳走だった。

付け合わせは青菜のおひたしと根菜の煮物、米は軽く塩をふって丸く握る。
頭の中で弁当の中身を思い浮かべながら、
「さて、切り替えていかなくちゃ」
と、アサは気合を入れるように、自分の頬を両手の平でぱんと叩いた。


「アサ、あと三つ盛り付けてちょうだい」
「アサ、こっちも頼む」

アサたちの弁当屋は、昼間からすでに大繁盛だった。次々に仕事がやってきて、アサは右へ左へと大忙しだ。

母は妹と一緒に、次々とやってくるお客さんたちの相手をしていた。
まだ小さな妹は、一生懸命母を手伝って、いらっしゃい、ありがとうございますと言っているけれど、どうしても舌ったらずになってしまう。アサにはそれがかわいくて仕方なかった。

それはお客さんたちも一緒のようで、一生懸命手伝っている妹を見ると目を細めて行く。中にはお駄賃だと言って、飴や果物をくれる人もいて、妹はその度に目をきらきらさせながらお礼を言っていた。

くるみ味噌の残りが少なくなってきたので、アサがくるみを砕いていると、仲良しの友達がアサを呼んだ。

「アサ!今年の芸人かしら、舞台のところに素敵な人がいるんだって」

見に行こう、と言われてアサはためらった。
友達がそう言うのだから、きっと本当に素敵な人なんだろう。すごく見てみたいけれど、まだやらなくてはいけない仕事がたくさんある。
どうしよう、と父の方を見ると、父は

「せっかくの機会なんだ、行っておいで」

と笑ってくれた。

「本当に!?ありがとう!」

アサは早く早くと急かす友達に手を引かれて走り出した。
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