【サゴマキ】His back 2
「…………ん?」
何かがおかしいと、高砂は首を傾げる。帰宅後に部屋の電気を付けようとスイッチを押したが、一瞬だけ光って消えてしまった。暗闇の中で佇みながら考えてみるが、部屋の蛍光灯を交換したのは昨日の夕方で間違いないし、今朝も問題無く点灯していた記憶もある。もう一度スイッチを付けると、今度は明るくなった。もし続くようなら、管理人に相談した方がよいだろう。暫く様子見を、そう思った直後、部屋の電気が再び消えた。手探りで携帯を取り出し、ライト代わりにして備え付けのチェストの引き出しを開ける。入っていたファイルには、この部屋で起きたトラブルの対処法についてが書かれているはずだ。
「停電……停電……。これは停電になるのか……?」
自分一人しかいない部屋で、呟きながらファイルを捲る。今回のトラブルが何に当たるか分からないが、とりあえず停電のページを一通り確認した。しかし最後まで読んでも、当てはまる気がしなかった。改めて目次を見て、最後のページに纏められている【その他】の項目を確認する。一行ずつ読み進め、ある一文に目が止まった。
「……これか……?」
蛍光灯を交換したのに電気がつかない、全ての部屋の電気がすぐに消えてしまう……この辺りの項目には、どちらもまずは管理人に連絡と書かれている。それから上司への相談と続いていく為、まずは管理人に伝える必要がありそうだ。帰宅して着替えもしていない状況だったが、暗闇の中で過ごすのも危ない気がする。ワイシャツとパンツなら、変な目で見られる事もないだろう。貴重品を手に取り、管理人室へと向かった。ドアの隣には呼鈴が並んでおり、階によって担当が分かれているらしい。高砂は該当の呼鈴を押した。が、誰も出てこない。席を外しているのだろうか、ならばまた明日にでも。そう思った直後、ドアが開いた。
『あーごめんごめん、押してもらった階の担当は今日休みなんだよ。んで、どちらさん? ……あ、確か会社で部屋借りてるとこの』
『はい、そうです。高砂といいます』
『ハイハイ高砂さんね、今日はどうしたの? 部屋に虫でも出た? 管理人はそこまでやってないんだけどねぇ』
『いえ、虫ではなくて部屋の電気が……』
出てきたのは別の階の管理人のようで、とりあえず話を聞いてくれるらしい。詳しくは明日担当の管理人から連絡があるとの事で、今日は一旦帰された。また電気が付かないかもしれないと思ったが、事故に繋がりかねないトラブルではなさそうという点では今回は問題無さそうだ。もし電気が付かなかったら牧を頼ろうかと思ったが、今日は練習が長引くと聞いていた。牧の部屋の合鍵も持っておらず、どちらにせよ彼の部屋に入れないのなら、このまま自分の部屋で過ごすしか無いだろう。蛍光灯関係以外の電化製品には影響が無いのが救いだ。冷蔵庫も風呂も使えるし、ライト代わりに使う携帯の充電もできるなら、まだ希望はある。原因が分かるまでの辛抱だと、帰宅後にまた電気を付けたが、五秒後に消えてしまった。……こんな日くらいはいいだろうと、夕食を求めて外に出る事にする。冷蔵庫の中身も、急がねばならない食材は入っていなかったはずだ。今の気分で食べたいものを選ぶより、手っ取り早く空腹を満たせるならば何でもいい。ラーメンが食べたい気分ではあったが一旦隅に置いておいて、一番近い店はと脳内に行動範囲内の地図を作成しながら外に出ると、練習を終えた牧が部屋の鍵を開けるところだった。
「……おかえり?」
「た、ただいま……? こんな時間からどこに行くんだ?」
尤もな牧からの問いに、今日の帰宅後の一連の話をした。終えると同時に、眉間に皺を寄せた牧に腕を引かれ、そのまま牧の部屋に吸い込まれる。玄関を通り練習用の鞄を所定の位置に置いて、キッチンへと消えた背中を見ている事しかできなかった。コンロに火が着く慣れた音も聞こえてくる。
「上がれよ、夕飯まだなんだろ」
「あ、あぁ……」
「……もしかして、洗濯も暗い中でやるつもりじゃねぇだろうな?」
「今の所ダメになってるのは蛍光灯だけだから、手探りにはなるが、」
言い終わる前に、牧は溜息をつく。乱雑に頭を掻いてから、キッチンへと戻っていった。……一体何が。そう思っていたら、コンロの火を消した音がして、牧が再び戻ってきた。
「……すまん。今のは良くなかった。高砂が、そんな大変な状態になってるってのに、頼られなかった事が、悔しくて、つい……」
「……牧に連絡するのも、浮かぶには浮かんだんだ。だが、練習から帰ってからだと大変だろ、色々と」
「そうかもしれねぇけど、どうにもできねぇ訳じゃねぇだろ。仕事用の鞄だとか服だとか、オレの部屋に置ける物なら置いてこの部屋から通ってもいいし、洗濯機も冷蔵庫も、好きに使ってくれて構わねぇから。……そりゃ、お前の部屋に比べたら、散らかってて狭いとは思うが……」
段々と尻窄みになっていく言葉をくれる牧に、言い表せない程の感謝と愛しさが込み上げてくる。思いのまま、まずは感謝を伝えたところで、牧は苦笑いをしていた。
「お前、なんでも一人で解決しちまうから、寂しいんだよ。……ちょっとだけな」
「……すまん、一人暮らしの癖で……」
「頼る相手がいないのが普通だと、そうなっちまうよな。それに自力でどうにかできるのも、凄い事だと思うぞ。……って、それはそれとして、だな。良かったら、今日泊まってけよ。着替えもこっちに残ってるのがあるだろ?」
「あぁ、ありがとよ。なら、仕事関係の荷物を取ってくる。戻ってきたら、何か手伝わせてくれ」
鍵を借りて牧の部屋を出て高砂の部屋に戻り、必要なものを揃えてからまた牧の部屋に向かう。キッチンから牧が顔を出した。
「洗濯するなら先にやっててくれ。オレの分は後でも構わねぇから。白いシャツに色移ったら嫌だろ」
「換えはあるから大丈夫ではあるが……先に使わせてもらうぞ」
「おう、備え付けのだから、使い方は変わらねぇはずだ」
普段着に着替えてから確認した牧の部屋の洗濯機は、自分の部屋にあるものと同じだった。先程まで身に付けていたシャツとベージュのパンツも放り込み、いつもと同じように設定して、いつもと同じように動き出した事に安心する。
「さて……終わるまで時間があるな……」
「あ、じゃあそこの棚から、皿を一枚出してくれ。その深いのでいいぞ」
「これか、って……何してるんだ?」
最初に夕飯の話をしていた為、調理しているのかとは思ったが、そういえば包丁を使う音や他の調理器具は出ていない。先程使っていたコンロでは、薬缶と鍋とで湯を沸かしていたようで、マグカップが二つ並んでいる。その隣には、ドリップタイプのコーヒーと袋麺が置かれていた。袋麺の中身については、今は鍋の中で浮かんでいる。
「夜にどうしても腹が減った時用に買っておいたんだ。こういったモンしかなくてすまん」
「……貰っちまっていいのか?」
「おう。……本当は、あのまま送り出して高砂が好きなモンを食うのが一番だとは思ったんだがな……」
「実はな、今日はラーメンの気分だったんだ」
「む、そうなのか!?」
「あぁ。だが、この近くにラーメン屋って無かったよな?」
「そうなんだよ、ラーメン屋だけはちょっと遠いんだ。前はあったって聞いたんだが……っと、もう時間か。飲み物は冷蔵庫から持っていってくれ」
近場に無いラーメン屋に思いを馳せていたら、目の前のラーメンが完成した。皿に移してテーブルへと運ぼうとする牧から言われ、冷蔵庫から水のペットボトルを取り出す。ラーメンと言えばお冷、だと思う。……そういえば、牧は何か飲むだろうか。聞きそびれてしまったが、キッチンからテーブルの方を見ても牧の姿はなかった。代わりに練習用の鞄のチャックが開いていて、タオルがはみ出ているのが見える。
「騒がしくして悪ぃな。オレの事は気にせず食ってくれ、鞄だけは明日も使えるようにしておきたくてな」
「ならありがたく、いただきます」
満足そうに笑って、牧は鞄からはみ出ていたタオルを引っこ抜き、バスルームへと消えた。高砂のワイシャツの次に洗うように備えているのだろう。先に洗濯機を使用してしまった申し訳なさはあれど、今は牧の心遣いに甘える事にする。啜り上げた麺の食感は、舌が待ち望んでいたものと全く同じだった。
「あ〜……美味い……」
帰宅してから色々あり、漸くあり付けた夕飯は格別の味がした。牧の部屋で食べているからというのもあるのだろう、よく噛んで味わいたい気持ちもあったが今は空腹が勝る。口が空になったら直ぐ様次の麺を啜って。繰り返すうちに、気付いたら完食していた。
「高砂ー、洗濯終わったから取り出しておくぞー」
「ありがとよ。ラーメン美味かったぞ、ご馳走様」
「お、役に立って良かった。買っておくモンだなぁ」
牧からシャツとパンツとハンガーを受け取り、使ってよいと言われたラックの隅に掛けた。再び洗濯機が動き始める音が聞こえた後、コーヒーの香りが漂ってくる。
「何も聞かずに作っちまったけど、飲むか?」
「何から何まですまんな」
「いいんだよ、このくらいさせてくれ。ミルクも砂糖も無しで良かったんだよな?」
「あぁ、ありがとな」
マグカップを受け取り一口飲んで、緩く息を吐く。今日は本当に疲れた。しかしこれから眠って明日を迎えても、高砂の部屋の電気は戻らない。修理の日程等は、管理人からの連絡が来ないと決まらないし、すぐに直るものなのかも分からない。牧に助けられてはいるが、ずっとこのままでいる訳にもいかないだろう。……明日以降、どうしようか。
「泊まってけよ」
「ん?」
「今何か考えてただろ」
「……あぁ、部屋の電気関連でな……」
「だから、直るまでこっちに泊まれって。ベッドはちょっと狭くなるかもしれねぇけど。合鍵は確か……管理人に言えば貰えるはずだ」
「そうなのか?」
「おう。トラブル防止の為に、その部屋に住む人間と合鍵を渡したい人間……今回はオレと高砂だな。二人揃って管理人に相談に行く必要があるんだ。勝手にスペアキーを作られて事件になってもいけないからってそうなったんだと。高砂が借りてる部屋で暮らせないのが鍵がほしい理由だから、問題無く借りられるだろ」
「そうか、それはありがたいが……」
「オレの事は気にするなよ? それに高砂には悪いが、今の状況にちょっとワクワクしてんだ。何日か泊まるなんて、合宿以来じゃねぇか?」
そう言う牧は、本当に楽しそうだった。合鍵を借りて、この部屋で数日過ごす事に申し訳なく思っていた気持ちが吹き飛んでいくくらいに。それに釣られて高砂の頬も緩んでしまう。一人では途方に暮れるようなトラブルも、どうにかなりそうな気がしてきた。
その日は牧の言葉に甘えて部屋に泊まり、朝は同じタイミングで部屋を出る。帰宅時間は牧の方が遅い予定となる為、帰りは近場のカフェで待合せをするように決めた。高砂の業務も滞りなく進み、一足先にカフェに辿り着く。牧へ連絡を入れてから、注文していたコーヒーとサンドイッチを口にして時間が過ぎるのを待つ。コーヒーを飲み切ると同時に、牧からカフェに到着したと返信が届いた。会計を済ませて牧の車に乗り込み、他愛もない話をしながらの帰路は楽しくて、学生時代の思い出が蘇る。話の内容は職場での出来事や次の試合に向けてといったような、学生とは程遠いものではあったが、それでも十分だった。アパートに到着し、牧の部屋に揃って入ろうとした時、高砂の部屋のドアポストに紙が差し込まれていた。
「ん、牧。ちょっと待ってくれ」
「どうした? ……なんだその紙」
「……管理人からだ。オレの部屋の様子を見たいから、予定の空いてる日を知りたいそうだ」
「どれ……お、今ならまだ管理人室にいる時間じゃねぇか。なぁ、もし予定がすぐに分かるなら合鍵も貰いに行こうぜ。その方が楽だろ」
「確かにそうだな……頼んでもいいか?」
「当然だ。行くぞ」
荷物は一先ず牧の部屋に置き、共に管理人室へと向かう。昨日も押した呼鈴を押し、数秒待つと高砂の入居時に対応してくれた管理人が出てきた。それから話はスムーズに進み、業者が高砂の部屋に訪れる日と、牧の部屋の合鍵を借りられる事と、状態にもよるが部屋の修理が終わるまでは牧の部屋へ滞在する許可と、その間の高砂の部屋の家賃の減額が決まる。管理人から受け取った鍵で、牧の部屋はちゃんと開いた。
「よかった、こっちの鍵も牧のと同じように使えるな」
「これなら明日からも大丈夫そうだな」
「あぁ、これから暫く世話になるな。……そうだ、家事の分担だとかも相談させてくれ。オレの部屋の食料とかもこの後持ってくるから、好きに使ってくれて構わねぇし……」
「ん、ありがとな。……なんか、いいな、こういうの」
「ん?」
リビングで一息ついてから言われ、詳しく聞こうと目線を合わせると、近付いてきた牧に正面から抱き締められた。その背に腕を回し、あやすように二度三度と軽く触れる。
「オレが思ってた以上に、お前とまだ一緒にいられるのが嬉しいみたいだ。まぁ、あんまり喜んじゃいけない状況ではあるがな」
苦笑を浮かべる牧に、同じく苦笑してしまう。高砂も牧と過ごせる事を嬉しく思ってはいるが、現在の高砂の部屋の状態を思うと矢張り気が重くなる。しかし、共に生活をする事へのハードルが思ったよりも互いに低そうであると知れた事はとても大きい。
「まぁ、な。……オレも、朝起きて牧の寝顔を見て……なんか、良いなって思ってたんだ」
「お前……いつ起きたんだよ」
「今日は偶然目が覚めただけだ、いつもは牧の方が起きるのは早いだろ?」
「……明日は高砂の寝顔を拝んでやる……」
「オレのは見てもそんなに面白いモンじゃねぇだろ」
不服そうに唇を尖らせる牧に、思わず笑ってしまう。明日からは、こういった会話ももっと沢山できるのだろう。職場の上司に部屋についての相談をしなければならなかったり、原因がまだ判明していなかったりと、気に掛かる事は変わらず残ってはいる。それでも、帰宅すれば牧と過ごせる。たったそれだけで、悲観し過ぎずにいられた。
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