【サゴマキ】His back 2
身体を重ねてからも、驚く程に平和だった。元々互いに落ち着いている性格だからなのだろう、大きな喧嘩や二人の関係を引き裂くようなトラブルも起こらず、まさに順風満帆な日々を送っている。翌日予定があるならどちらかの部屋に止まったり、休みであるなら満足するまで身体を重ねたりと、益々距離が縮まった。一度だけ、何も気を遣わずに本当に好きなように動いてみてほしいと牧から要望を受けたその翌朝、牧はベッドから降りられなかった。元々牧の部屋にいた為、丸一日身の回りの世話をさせていただいた。そんな日もあり、特筆すべき事は無い日もあり。それぞれがそれで良いと思っていた。……あまりに順調すぎて、怖いくらいに。
そんなある日、牧の車でとあるカフェへと向かった。テレビ番組で扱われた事が切っ掛けとなり、暫くは混雑していたが最近は落ち着いたそうで、二人の休日が重なり漸く訪れる事ができた。なんでも五段に積まれたパンケーキが有名との事で、その話題になる度に牧は目を輝かせながら食べてみたいと言っており、大変可愛らしかった。同い年の同性に思う事ではないと相変わらず指摘を受けたが、この頃にはある程度流せるようになっていた。
「よし、到着だ。車内に忘れ物は無いな?」
「大丈夫だ。……しかし、よくこんな大きい車を運転できるな……」
「ボード積みたかったからな、どうしてもデカくなっちまうんだよ。……って、高砂はこっちで運転ってしないよな。日本にいる時はどうしてたんだ? 通勤には必要だっただろ?」
「あぁ、通勤しやすい距離にちょうどアパートがあって、最初は車を使ってはいたんだが、実際住んでみると、朝の混雑が酷くてなかなか道路に出られらなくてな……それで、徒歩圏内の所に駅があったから、途中から切り替えたんだ。学生の頃も電車通学だったし、慣れちまってたしな。結局車は、アパート近くのスーパーに行くか、時々遠出するくらいだったか……誰かと出掛ける事も無かったし、こっちでも乗ってねぇからいきなり運転するのは自信ねぇな」
「日本で乗ってたんなら、また慣れれば問題無ぇよ。あ、練習には付き合うからな。乗せてくれよ」
「スーパースターを乗せるなら練習どころじゃねぇだろ」
高砂のぼやきを、牧は軽く笑って流す。この時間帯のカフェにはほぼ客がおらず、好きな席へと通された。壁際のソファ席を選び、メニューを見ている牧を見る。穏やかな表情に、こちらの頬も緩んでしまう。牧はお目当ての五段パンケーキとカフェオレにすると言うが、高砂はブラックコーヒーのみを注文した。
「……コーヒー以外に頼まなくてよかったのか?」
「メニュー見ただけで十分だ。結構量あるだろ、一人で食べ切れるのか?」
「任せろ」
「頼もしいな」
そうして運ばれてきたパンケーキは、写真で見るよりも大きくて厚い。予想通り、嬉しそうにパンケーキを頬張る牧を見ているだけで満足だった。ブラックコーヒーを飲んでいる筈が、甘く感じるのは気の所為ではない。
「美味いか?」
「おう! 高砂は本当に食べないのか?」
「あぁ、牧を見てるだけで腹一杯だ」
「そうか? なんか悪いな」
「気にすんな、好きなもん食うのが一番だろ」
照れながらも嬉しそうに笑う牧は、再びパンケーキを口に運ぶ。そうして思い出したように話題を変えた。
「そういや、高砂がこっちに来て何年だ?」
「四年と……五ヶ月だな」
「……確か、こっちにいられるのは最長五年って言ってなかったか?」
「まぁ、そうだな。ただ、希望を出せばその先もいられるって話だから、タイミングが来たら残りたいと思ってる事は伝えるつもりだ」
「そうか……良かった」
「牧もまだこっちで現役を続けるんだろ?」
「あぁ、今が一番調子が良い気がするんだ」
「……無理はするなよ?」
「そうだな……気を付ける」
つい最近、怪我が切っ掛けで牧のチームの選手が引退を発表していた。元々怪我が多い選手ではあったが、今回はなかなか復帰できずにいて、悩み抜いた末に引退を決断したとコメントを出していたのは記憶に新しい。先週の引退会見では、今後はチームスタッフとして貢献したいと言っていた。そういった話を知ると、学生時代の牧を知っている者からしたら愚問なのだろうが、それでも怪我は無い方がよいと思ってしまう。まだ気は早いが、できるなら牧には華々しい引退をしてほしいと考えている。チームメイトや大勢のファンに惜しまれつつも、新たな旅立ちを応援されるような。そういった姿を想像してから、正面に座る張本人を見る。残り一段となったパンケーキにナイフを入れる牧は、きっとそんな事を考えられているとは予想していないのだろう。
「もう残り一枚か?」
「美味くてな、すぐなくなっちまった」
「ちゃんとよく噛めよ」
「一応そうしてるが……柔らかいからあんまり噛めねぇんだよ」
「そんなに柔らかいのか」
ほら、と言って、牧がパンケーキの一切れをこちらに差し出してくる。今は外だと窘めかけたが、周囲を確認してもここにいるのは自分達だけだった。フォークを掴む牧の手を取り、一口で食べる。掴んだ手を離す前に、指の股を撫でてやった。
「あぁ……こりゃ噛めねぇな」
「だからそう言ったろ?」
残りのパンケーキを切り分けて口に放り込み、牧は高砂に触れられた箇所を気にしているようだ。微かに赤い頬に、してやったりと思いながら、口直しにと飲み干したコーヒーはやはりどこか甘かった。
牧もパンケーキを完食し、レジへと向かおうとした直後、コーヒー一杯だけを注文した高砂に支払いはさせられないと、店の外に追い出されてしまった。ここまでのガソリン代もあると主張はしたが、代わりに部屋に帰ったら期待していると囁かれ、何も言えなくなってしまった。明日の練習は普段よりも開始時間が遅いらしく、そのようにお誘いを受けてしまっては仕方が無い。そんな今の時刻を確認しようと携帯を取り出した時だ。
「あれ? もしかして……高砂くん?」
「ん?」
「わっ、やっぱりそうだ! 久し振り! 私の事覚えてる?」
「…………高井か?」
「そう! うわー懐かしい! 今はアメリカにいるの?」
「あぁ、仕事の関係でな」
「そうなんだ! 偶然だね、私もなの!」
突然話し掛けられ何事かと思ったが、高校時代のクラスメイトだった。三年間同じクラスであり、苗字の関係で最初のうちは毎年前後の席順で、軽く挨拶を交わす仲だったと思っている。しかしその後の席替えでは近い場所になることは無く、当然部活動や行動を共にする者も異なる為に、共通の思い出も多くはなかった。
「あ、えっと……今日は、どうしたの? このカフェに用事?」
「あぁ、まぁ」
話題の切り出し方に違和感を覚え、同時に彼女の目線が僅かに下へ逸れた。身長差があり正確には分からないが、恐らく携帯を持つ左手の薬指に向いた気がする。お互いに、結婚に急かされる年代と言える事から、次の言葉を予想するのは容易かった。
「そっか、私もここ気になってたんだよねー……ね、よかったらさ、お茶していかない?」
「あー……悪いな、大事な人がいるんだ」
「……えっ、そうなの!? そ、そっかぁ……急にごめんね?」
「高砂? どうしたんだ?」
「えっ、牧くん!?」
「あぁ、そうだが……」
支払いを終えた牧の登場に高井は驚いていたが、牧はいきなり自分の名を呼ばれた事に不思議そうにしていた。高校の同級生だと伝えるとすんなり納得し、話が続くようなら車で待ってると言うので、その背を追う為に高井とは別れこの場を後にする。運転席に座る牧は、何故か機嫌が良さそうに見えた為、信号待ちとなるタイミングで聞いてみた。
「何か良い事でもあったか?」
「ん? あー……さっきのやり取り、ちょっと聞いちまったんだよ。……自惚れてもいいんだよな?」
「聞かれてたのか……」
「なぁ、どうなんだ?」
内容が内容なだけにできれば全ては聞かれたくなかったが、伝えたかった部分だけが聞こえていたようで安堵した。それでもと思い、追加で念押しをしておく。
「大事な人は、勿論お前だ」
「はー、良かった。店出たすぐ近くでナンパされてるかと思って焦ったんだぞ?」
「ナンパって……さっきのはそういうのじゃないだろ……」
「それ以外に何だって言うんだよ」
信号が青に変わり、アクセルを踏みながら牧は続けた。
「ちょっと前に、チームスタッフの女性陣の会話が聞こえてきてな。例えば付き合うならアイドルやってるような人に憧れるが、結婚するとなるともっと安定してるタイプがいいなって話題だったんだ」
「……それとオレと、何の関係があるんだ?」
「お前、安定感の塊だろ? だから、今になって言い寄ってくる奴がいるんじゃねぇかって思ってたんだ」
「いねぇだろ、そんな奴」
「いただろ、ついさっき」
「……とりあえず、高井はただのクラスメイトだ。学生の頃なんかは隣のクラスのサッカー部員と付き合ってたとか聞いた気はするし、オレとは何もないからな」
「む……なら良いが……」
途中まで引っ掛からなかった信号は、最後の一つを前にして赤になった。車内に沈黙が訪れる。高砂が一言ぽつりと零したのは、無意識だった。
「……それならオレも心配だ」
「何がだ?」
「ん? どうした?」
「いや、今心配だって言っただろ」
「あぁ……」
「この際言ってくれよ。車内が落ち着かねぇなら、オレの部屋でも良いぞ」
もう少しで着くからな、と言うとアクセルを踏む牧。短い時間ではあったが、何が心配なのか再度考え直した。アパートで駐車を完了し、エンジンを切ったところで先程の話題を切り出す。部屋に上がってしまってからだと、機会を逃してしまいそうな気がして。
「牧、さっき言った事なんだが……」
「おう、なんだ?」
「……安定感なら、牧の方があるだろ。それに、今となっては大勢のファンもいる。……中には熱烈な奴もいるんじゃねぇか?」
「あー……そういう事か……?」
牧は口元に手を当て、何かを思い出している様子だ。高砂は次の言葉を待つ。
「確かに、選手への差し入れとして度が過ぎたものが届く時はあったが……それはオレがこっちに来る前の話だったとは聞いたな」
「度が過ぎたもの……」
「おう。例えば、なんだったか……指輪だとか婚姻届だとか……手作りの菓子類が禁止になってからは、そういったものがあったらしい」
「……らしいって事は、牧が今までに受け取った中にはなかったのか?」
「そうだな、事前にスタッフが確認してから受け取るようになってはいるから、オレは一度も貰ってないな。……それに、仮に入っていたとしても、すぐに捨ててやる。貰ったものだから大事に取っておく、といった範囲は超えてるからな」
少し怒気を含んだ言い方は、本気である事の現れだ。裏表のない性格でもある為、実際そういったものが届いてしまっても、牧ならば迷いなく捨てるのだろう。順調に思えていた日々の中で、目を背けていた陰りがいくらか散っていった。
「しかし、年月が経っても不安なものは不安なんだな」
「まぁ……いつまでも変わらねぇのも難しいからな」
「だが、オレの居場所はお前の隣なのは変わらねぇ。高砂もそうだろ?」
「……あぁ、そうだな」
ならば良し、と聞こえてきそうな笑みを浮かべる牧に、そっと安堵する。思っていた以上に不安にさせていたし、不安になっていたのかもしれない。気付かぬフリを続けていくうちに、向き合う事すら忘れていて。あの日、初めての事後の時に言った愛してるを、再度口の中で転がしてから口付けた。自分達ならきっと大丈夫だ。大丈夫でなくなる前に、話し合って方法を探す事ができる筈だから。
「あ、ついでに言っておくが、尻の穴まで見せたのはお前が初めてだぞ?」
「……そうか、重要な事をありがとよ……」
「あっ、でも幼稚園くらいの時に風邪引いて、お袋に座薬を……」
「分かった、もう十分だ……」
そんなある日、牧の車でとあるカフェへと向かった。テレビ番組で扱われた事が切っ掛けとなり、暫くは混雑していたが最近は落ち着いたそうで、二人の休日が重なり漸く訪れる事ができた。なんでも五段に積まれたパンケーキが有名との事で、その話題になる度に牧は目を輝かせながら食べてみたいと言っており、大変可愛らしかった。同い年の同性に思う事ではないと相変わらず指摘を受けたが、この頃にはある程度流せるようになっていた。
「よし、到着だ。車内に忘れ物は無いな?」
「大丈夫だ。……しかし、よくこんな大きい車を運転できるな……」
「ボード積みたかったからな、どうしてもデカくなっちまうんだよ。……って、高砂はこっちで運転ってしないよな。日本にいる時はどうしてたんだ? 通勤には必要だっただろ?」
「あぁ、通勤しやすい距離にちょうどアパートがあって、最初は車を使ってはいたんだが、実際住んでみると、朝の混雑が酷くてなかなか道路に出られらなくてな……それで、徒歩圏内の所に駅があったから、途中から切り替えたんだ。学生の頃も電車通学だったし、慣れちまってたしな。結局車は、アパート近くのスーパーに行くか、時々遠出するくらいだったか……誰かと出掛ける事も無かったし、こっちでも乗ってねぇからいきなり運転するのは自信ねぇな」
「日本で乗ってたんなら、また慣れれば問題無ぇよ。あ、練習には付き合うからな。乗せてくれよ」
「スーパースターを乗せるなら練習どころじゃねぇだろ」
高砂のぼやきを、牧は軽く笑って流す。この時間帯のカフェにはほぼ客がおらず、好きな席へと通された。壁際のソファ席を選び、メニューを見ている牧を見る。穏やかな表情に、こちらの頬も緩んでしまう。牧はお目当ての五段パンケーキとカフェオレにすると言うが、高砂はブラックコーヒーのみを注文した。
「……コーヒー以外に頼まなくてよかったのか?」
「メニュー見ただけで十分だ。結構量あるだろ、一人で食べ切れるのか?」
「任せろ」
「頼もしいな」
そうして運ばれてきたパンケーキは、写真で見るよりも大きくて厚い。予想通り、嬉しそうにパンケーキを頬張る牧を見ているだけで満足だった。ブラックコーヒーを飲んでいる筈が、甘く感じるのは気の所為ではない。
「美味いか?」
「おう! 高砂は本当に食べないのか?」
「あぁ、牧を見てるだけで腹一杯だ」
「そうか? なんか悪いな」
「気にすんな、好きなもん食うのが一番だろ」
照れながらも嬉しそうに笑う牧は、再びパンケーキを口に運ぶ。そうして思い出したように話題を変えた。
「そういや、高砂がこっちに来て何年だ?」
「四年と……五ヶ月だな」
「……確か、こっちにいられるのは最長五年って言ってなかったか?」
「まぁ、そうだな。ただ、希望を出せばその先もいられるって話だから、タイミングが来たら残りたいと思ってる事は伝えるつもりだ」
「そうか……良かった」
「牧もまだこっちで現役を続けるんだろ?」
「あぁ、今が一番調子が良い気がするんだ」
「……無理はするなよ?」
「そうだな……気を付ける」
つい最近、怪我が切っ掛けで牧のチームの選手が引退を発表していた。元々怪我が多い選手ではあったが、今回はなかなか復帰できずにいて、悩み抜いた末に引退を決断したとコメントを出していたのは記憶に新しい。先週の引退会見では、今後はチームスタッフとして貢献したいと言っていた。そういった話を知ると、学生時代の牧を知っている者からしたら愚問なのだろうが、それでも怪我は無い方がよいと思ってしまう。まだ気は早いが、できるなら牧には華々しい引退をしてほしいと考えている。チームメイトや大勢のファンに惜しまれつつも、新たな旅立ちを応援されるような。そういった姿を想像してから、正面に座る張本人を見る。残り一段となったパンケーキにナイフを入れる牧は、きっとそんな事を考えられているとは予想していないのだろう。
「もう残り一枚か?」
「美味くてな、すぐなくなっちまった」
「ちゃんとよく噛めよ」
「一応そうしてるが……柔らかいからあんまり噛めねぇんだよ」
「そんなに柔らかいのか」
ほら、と言って、牧がパンケーキの一切れをこちらに差し出してくる。今は外だと窘めかけたが、周囲を確認してもここにいるのは自分達だけだった。フォークを掴む牧の手を取り、一口で食べる。掴んだ手を離す前に、指の股を撫でてやった。
「あぁ……こりゃ噛めねぇな」
「だからそう言ったろ?」
残りのパンケーキを切り分けて口に放り込み、牧は高砂に触れられた箇所を気にしているようだ。微かに赤い頬に、してやったりと思いながら、口直しにと飲み干したコーヒーはやはりどこか甘かった。
牧もパンケーキを完食し、レジへと向かおうとした直後、コーヒー一杯だけを注文した高砂に支払いはさせられないと、店の外に追い出されてしまった。ここまでのガソリン代もあると主張はしたが、代わりに部屋に帰ったら期待していると囁かれ、何も言えなくなってしまった。明日の練習は普段よりも開始時間が遅いらしく、そのようにお誘いを受けてしまっては仕方が無い。そんな今の時刻を確認しようと携帯を取り出した時だ。
「あれ? もしかして……高砂くん?」
「ん?」
「わっ、やっぱりそうだ! 久し振り! 私の事覚えてる?」
「…………高井か?」
「そう! うわー懐かしい! 今はアメリカにいるの?」
「あぁ、仕事の関係でな」
「そうなんだ! 偶然だね、私もなの!」
突然話し掛けられ何事かと思ったが、高校時代のクラスメイトだった。三年間同じクラスであり、苗字の関係で最初のうちは毎年前後の席順で、軽く挨拶を交わす仲だったと思っている。しかしその後の席替えでは近い場所になることは無く、当然部活動や行動を共にする者も異なる為に、共通の思い出も多くはなかった。
「あ、えっと……今日は、どうしたの? このカフェに用事?」
「あぁ、まぁ」
話題の切り出し方に違和感を覚え、同時に彼女の目線が僅かに下へ逸れた。身長差があり正確には分からないが、恐らく携帯を持つ左手の薬指に向いた気がする。お互いに、結婚に急かされる年代と言える事から、次の言葉を予想するのは容易かった。
「そっか、私もここ気になってたんだよねー……ね、よかったらさ、お茶していかない?」
「あー……悪いな、大事な人がいるんだ」
「……えっ、そうなの!? そ、そっかぁ……急にごめんね?」
「高砂? どうしたんだ?」
「えっ、牧くん!?」
「あぁ、そうだが……」
支払いを終えた牧の登場に高井は驚いていたが、牧はいきなり自分の名を呼ばれた事に不思議そうにしていた。高校の同級生だと伝えるとすんなり納得し、話が続くようなら車で待ってると言うので、その背を追う為に高井とは別れこの場を後にする。運転席に座る牧は、何故か機嫌が良さそうに見えた為、信号待ちとなるタイミングで聞いてみた。
「何か良い事でもあったか?」
「ん? あー……さっきのやり取り、ちょっと聞いちまったんだよ。……自惚れてもいいんだよな?」
「聞かれてたのか……」
「なぁ、どうなんだ?」
内容が内容なだけにできれば全ては聞かれたくなかったが、伝えたかった部分だけが聞こえていたようで安堵した。それでもと思い、追加で念押しをしておく。
「大事な人は、勿論お前だ」
「はー、良かった。店出たすぐ近くでナンパされてるかと思って焦ったんだぞ?」
「ナンパって……さっきのはそういうのじゃないだろ……」
「それ以外に何だって言うんだよ」
信号が青に変わり、アクセルを踏みながら牧は続けた。
「ちょっと前に、チームスタッフの女性陣の会話が聞こえてきてな。例えば付き合うならアイドルやってるような人に憧れるが、結婚するとなるともっと安定してるタイプがいいなって話題だったんだ」
「……それとオレと、何の関係があるんだ?」
「お前、安定感の塊だろ? だから、今になって言い寄ってくる奴がいるんじゃねぇかって思ってたんだ」
「いねぇだろ、そんな奴」
「いただろ、ついさっき」
「……とりあえず、高井はただのクラスメイトだ。学生の頃なんかは隣のクラスのサッカー部員と付き合ってたとか聞いた気はするし、オレとは何もないからな」
「む……なら良いが……」
途中まで引っ掛からなかった信号は、最後の一つを前にして赤になった。車内に沈黙が訪れる。高砂が一言ぽつりと零したのは、無意識だった。
「……それならオレも心配だ」
「何がだ?」
「ん? どうした?」
「いや、今心配だって言っただろ」
「あぁ……」
「この際言ってくれよ。車内が落ち着かねぇなら、オレの部屋でも良いぞ」
もう少しで着くからな、と言うとアクセルを踏む牧。短い時間ではあったが、何が心配なのか再度考え直した。アパートで駐車を完了し、エンジンを切ったところで先程の話題を切り出す。部屋に上がってしまってからだと、機会を逃してしまいそうな気がして。
「牧、さっき言った事なんだが……」
「おう、なんだ?」
「……安定感なら、牧の方があるだろ。それに、今となっては大勢のファンもいる。……中には熱烈な奴もいるんじゃねぇか?」
「あー……そういう事か……?」
牧は口元に手を当て、何かを思い出している様子だ。高砂は次の言葉を待つ。
「確かに、選手への差し入れとして度が過ぎたものが届く時はあったが……それはオレがこっちに来る前の話だったとは聞いたな」
「度が過ぎたもの……」
「おう。例えば、なんだったか……指輪だとか婚姻届だとか……手作りの菓子類が禁止になってからは、そういったものがあったらしい」
「……らしいって事は、牧が今までに受け取った中にはなかったのか?」
「そうだな、事前にスタッフが確認してから受け取るようになってはいるから、オレは一度も貰ってないな。……それに、仮に入っていたとしても、すぐに捨ててやる。貰ったものだから大事に取っておく、といった範囲は超えてるからな」
少し怒気を含んだ言い方は、本気である事の現れだ。裏表のない性格でもある為、実際そういったものが届いてしまっても、牧ならば迷いなく捨てるのだろう。順調に思えていた日々の中で、目を背けていた陰りがいくらか散っていった。
「しかし、年月が経っても不安なものは不安なんだな」
「まぁ……いつまでも変わらねぇのも難しいからな」
「だが、オレの居場所はお前の隣なのは変わらねぇ。高砂もそうだろ?」
「……あぁ、そうだな」
ならば良し、と聞こえてきそうな笑みを浮かべる牧に、そっと安堵する。思っていた以上に不安にさせていたし、不安になっていたのかもしれない。気付かぬフリを続けていくうちに、向き合う事すら忘れていて。あの日、初めての事後の時に言った愛してるを、再度口の中で転がしてから口付けた。自分達ならきっと大丈夫だ。大丈夫でなくなる前に、話し合って方法を探す事ができる筈だから。
「あ、ついでに言っておくが、尻の穴まで見せたのはお前が初めてだぞ?」
「……そうか、重要な事をありがとよ……」
「あっ、でも幼稚園くらいの時に風邪引いて、お袋に座薬を……」
「分かった、もう十分だ……」
