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銀河の果てより、貴方へ。

【金星の浮上】



「……仙道、今日は部活に行かなかったのか? やっぱり体調でも悪いのか?」
 先に口を開いたのは牧だった。沈黙に耐えかねたのもあるが、本当に体調が悪く、他の部員に連絡をする余裕すら無く休んだと言うのなら、牧も越野に同意するからだ。
「いやぁ、そんなんじゃねぇっすよ。大丈夫っす」
「……本当か?」
「本当っす」
 仙道は普段通りの顔をしている。つもりなのだろうが、やはり何かが違う気がする。どこがと問われても、具体的に挙げられないが。勘のようなものとしか言いようがなかった。
「……言いたくねぇなら、無理に言わせる気はねぇが」
「それより、牧さんはどうしたんすか。今日も部活だったんでしょ? なんで越野とウチに?」
「……それは……」
「あ、言いたくないならいいんすけど」
 先程の牧のセリフと似たような内容が返ってきた。オウム返しをされた気分ではあるが、深入りしない優しさとも取れる。心地良かったが、その優しさを受け取らない選択をした。
「……今日は、部活でなんだか調子が悪くてな。早く上がってきたんだ」
「へぇ、珍しいすね」
「そうでもないさ」
「……やっぱり気になるんで聞いてもいいすか?」
「何がだ?」
「牧さんが越野と一緒にいた理由」
「あぁ……それは、だな……。なんとなく、お前の顔が見たくなってな。連絡もしないで陵南まで行っちまった。そこで彼と会ったんだ」
 短く呼吸をしてから、正直に告げた。連絡をしていなかった事については、携帯の充電が終われば知られてしまうのは必然である。後ろめたさもあり、可能であれば事前に伝えておきたかった。
「牧さんも?」
「……も、て事は……仙道もか?」
「あー……そっす。オレも、なんか調子悪くて、牧さんに会いてぇなって、思ってたんす。けど牧さんは練習真面目にやってるし、連絡してもなって思ってて……いや、けどオレみてぇにそんな軽い理由じゃねぇか……」
「おい、勝手に決めんな」
「……そっすよね、すんません」
「そうじゃねぇ、そっちじゃねぇよ」
 語気が強くなったのは、無意識だ。許せなかったのだ。牧と仙道の本心は、近いところにあった。それが少し嬉しかった。それなのに、人の気も知らず、自らを軽んじ勝手に遠ざけた。それがどうにも許せなかった。しかし一番許せなかったのは、仙道が今日は本調子ではないかもしれない可能性を、微塵も疑わなかった自分だった。
「お前の思いが、抱えたモンがオレより軽いとか、勝手に決めんな。それはお前しか分からねぇ部分だろ。簡単に比べて、決めていいものじゃねぇんだよ。それとも、オレの方が重症だって言いてぇのか?」
「そ、んな事は……ないっす……」
「よし」
 半ば脅迫めいた圧を掛けてしまったが、これも牧の本心だった。思いの重さなど、人それぞれである。勝手に重くされるのは、気に食わなかった。仙道の抱えきれなかった分を含めたとして、比べる事は出来ないだろうに。そこまで伝えたかったが、自分のせいで伝えづらくなってしまった。姿勢を変えようと手を後ろについた時、何かに触れた。正面に置かれたテレビが光り出す。
「うお、なんだ?」
「あ、テレビのリモコンすね。そこにあったんだ……」
「……踏んだら危ねぇだろ。テーブルの上に置け」
「へへ、すんません」
 ほんの少し、空気が和らいだ気がする。テレビのスタジオは何やら騒がしいが、画面左上に【現代人必見! ストレスを和らげる方法!】と書かれていた。ただぼんやりと動く画面を眺める。それから、仙道を盗み見た。カーテンで閉め切られた薄暗い部屋で、テレビの光に照らされる横顔を見ていたら、自分が緩やかに落ち着きを取り戻していくのが分かる。同時に、八つ当たりめいた事を言ってしまったと落ち込んだ。人の家に上がり込んでまで、一体何をしたかったのだろうか。
「ストレスって奴ですかね? 牧さんの不調って」
 テーブルに頬杖をついたまま、仙道は言った。テレビ画面が切り替わる度、瞳に映る色も変わる。芸人が椅子から転げ落ちたが、話は続いた。
「オレはそういったのとは縁がなさそーとか言われるんで、あんまりよく分かんねぇすけど。部員の面倒見て、自分も練習して、監督とも上手くやってって……そんなの、疲れちまいますよねぇ」
「……そういえば、抱き締めるとストレスが幾らか楽になるらしいが……試してみるか?」
 気付いたら、仙道に向けて話していた。これまでこういった行為を誰かにしたことは無い。テレビがきっかけでふと脳裏に、昔の記憶が過ぎったのだ。幼い頃、当時所属していたミニバスのチームでの試合を翌日に控えた夜。緊張のせいかなかなか寝付けなかった牧に、母親がそう言いながら抱き締めてくれた記憶。それに倣い腕を広げて言えば、例えばきっと、清田なら、神なら、高砂、武藤、それから宮益は……考えてはみたがどうだろうか、付き合いが長い分、冗談だ等と言って結局こちらが誤魔化すような気がする。抱えたストレスの度合いや状況にもよるが、先に照れに気付いてしまうのだろう。しかし今目の前にいるのは、よく知る海南バスケ部員ではなく他校の後輩、仙道だ。広げた両腕に虚しさが満ち始めた時に、ゆっくりと、仙道が収まる。牧の背に、腕が回された。
「……お邪魔します」
「おう。お前はよくやってるよ」
「……サボっちまいましたけど」
「さっきも言ったが、別に言わなくてもいい。だが、理由は自分で分かってんだろ?」
「……多分」
「ならいいじゃねぇか。そういう時もある。慣れるまでは仕方ねぇよ」
「……けど、やっぱり牧さんの方が大変すよね。エースでキャプテンで神奈川ナンバーワン……すげぇや、本当……」
「プレッシャーを掛けるつもりはねぇんだが……お前もそのうちそうなると思うぞ」
「えぇ? オレがっすか?」
「オレも高校を卒業する。そうしたら、誰が次の神奈川ナンバーワンになるんだ?」
 仙道の不調の原因が、分かった気がした。恐らく今、仙道が頭に浮かべていた【陵南のエース】の隣に現れた、【キャプテン】の文字に霞がかかっているのだろう。きっと、掴みかねているのだ。更に隣に、【神奈川ナンバーワン】が並ぶのが、想像出来ない。全てを背負える気がしない。そうして、潰されそうになったのだと推測した。
「……牧さん、海南卒業しねぇでくださいよ」
「おいおい、帝王なんて呼ばれてる奴が留年なんて……カッコつかねぇだろ」
「まぁ……牧さんは校舎壊すくらいしねぇと留年にならないとは思うけど……」
「そうしたら留年の前に退学になるだろ……もっと嫌だ」
「じゃあ、」
「どっちもするつもりはねぇ」
「……ちぇ」
「どんだけ留年させてぇんだよ」
「牧さんともっとバスケがしてぇだけですー」
 唇を尖らせていそうな声色に、思わず笑いが零れた。肩から伝わる振動は、仙道が笑ったものだといい。柔らかい空気がじんわりと染み込んでいく。澱んでいた心が、少しずつ澄んでいくような。抽象的ではあるが、そんな感じがした。
「オレとお前が同時にコートに立てる最後の冬に、お前とやるのを楽しみにしてんのはオレだけかよ」
「……ううん、オレも」
「見せてみろよ、お前の陵南を。……全部背負い込むな。お前が潰れたら、元も子もねぇんだよ」
「……うん、ごめん」
 テレビでは既に次の番組へと切り替わっていた。俳優の長台詞も、今はただのBGMにしかならなかった。

「……牧さん。今日、来てくれてありがと」
「どうだ、少しはマシになったか?」
「うん、だいぶ。牧さんは?」
「オレもだ。……悪かったな、連絡も無しに」
「いいっすよ、どっちにしろ気付かなかったんで」
「……充電はしておけ」
「はーい」
 返事と共に、温もりは離れていった。名残惜しいが、これ以上の長居は出来ない。仙道の表情は、幾分か和らいでいた。それを見られただけでも良しとしたい。近くに置いておいた鞄を手に取った。
「しっかし、カッコ悪ぃとこ見せちまったな……」
「それは……オレもだ」
「えー? そんな事ねぇっすよ」
「仙道」
 玄関で靴を履き、振り返った。仙道と目が合う。
「この先、どうにもならねぇ事もあるかもしれない。チームメイトに相談出来ねぇ事にぶつかるかもしれない。そうなったら、潰れる前にオレに連絡しろ。解決出来る事ばかりじゃねぇけど、悩むくらいならしてやれるから」
「……牧さん」
「つい期待しちまうんだ。お前ならきっと、ってな。さっきも言ったが、オレはお前との試合が楽しみなんだ。次も全力でやろうぜ」
「……あざっす、勿論っす。次は負けねぇっすよ」
「あぁ、正面からかかって来い。受けて立つ。……遅くまで邪魔したな」
「牧さんならいつでも歓迎っすよ。あ、待って。暗いし駅まで送らせて」
「大丈夫だ。道なら覚えてる」
「そう? じゃあ、気を付けて」
「おう。そうだ、オレが家帰ってからメッセージ送るまでの間に、寝る準備しておけよ」
「はぁい」
 片手を上げて、仙道の部屋から外へ出る。いつの間にか冷え込むようになり、秋が終わっていくのかと思った。早く立ち直ってくれればいいのだが。仙道は、笑っている方が似合う。出来れば自然体で笑っていてほしいと思った時に、ただの後輩へ抱く感情とは違うものであると気付いてしまった。アイツは、仙道はどう思っているのだろうか。

『家に着いた。今日は仙道も疲れてたんだろ。早く寝ろよ』
『了解です。明日の準備も出来たのでそろそろ寝ます。おやすみなさい』
『おう、おやすみ』
 帰宅後、宣言通りにメッセージを送信する。仙道が即座に読んだ事が確認出来た。明日は自分も仙道も、部活で上手くいくように。牧はこっそりと願いながら眠りについた。

 この日以降、仙道から新しくメッセージが届く事はなかった。
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