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銀河の果てより、貴方へ。

【火星の落胆】


「そういや仙道、今日のお前……楽しそうだな」
「え? 牧さんと会う時はいつも楽しいっすけど」
「そうなのか……?」
「そうっす。あぁでも、さっきは、じいちゃんの気持ちが何となく分かるなーって思いながら見てました」
「お爺さんの?」
 軽く頷き、仙道はサンドイッチを齧る。胡瓜やレタスが挟まれているのだろう、瑞々しい音が聞こえた。鮮やかな黄色はきっと卵だ。牧がナポリタンを口に運ぶと同時に、仙道は話を続けた。
「この店、じいちゃんに聞いたんすよ。あ、でもじいちゃんが行ったのは、当時東京に出来たばかりの一号店なんすけどね? そこで、ばあちゃんがクリームソーダを美味そうに食ってる姿に一目惚れして、声掛けたらしくて」
「へぇ……そうだったのか」
「んで、最近神奈川にも出来たって聞いて、店の名前と大体の場所は覚えてて……ちょうど牧さんの目的地の本屋の辺り、てか、集合した駅近くだったんで、今日行けたらなって思ってたんす」
「いいのか? そんな大事な場所にオレなんかと……あぁいや、悪ぃ、今日は何かの下見だよな? すまん」
「……下見?」
「あぁ。……ん? 違うのか?」
「はは……まぁ、そ、すかね」
 まいったなと零す仙道の目線が、右下に置かれた皿の上のサンドイッチへと落ちる。何か違ったのだろうか。偶然駅に近かったからと、本人も言っていたじゃないか。隙間を掻い潜って現れた自惚れを咄嗟に握り潰し、否定した、のに。次のサンドイッチに齧り付いた仙道は、どこかぼんやりとしている。話し掛けても、上辺だけの、相手に合わせた返事しかしないような雰囲気だ。口元は穏やかだが、目は違う。何か言わなければならない気はするが、一体何を言ったらいいのか。サンドイッチが美味そうなのは分かったが、対してナポリタンの味は、正直よく分からないまま完食した。無言のまま吸い上げていたクリームソーダから空気の音が聞こえ、飲み終えた事に気付いても、その雰囲気は変わらなかった。
「……美味かったっすね」
「あ、あぁ。いい店だな、ここ」
 突如破られた沈黙に、どうにか適した言葉を返した。仙道の雰囲気は、食事中よりは少し丸くなったように思う。
「そうっすね。っと、伝票は……」
「これだな。さて行くか」
「ちょ、牧さん待って」
「どうした?」
「あー……オレ、出します。この間助けてもらったんで」
「この間?」
 牧は脳内でここ最近の出来事を振り返る。助けてやったからと、会計を任せる程の事をしただろうか。考え込む牧に、仙道がぽつりと呟いた。
「……スポーツショップ」
「…………あぁ、あれか! なんだ、そんな事気にしてたのか」
「そりゃあ、まぁ……」
「たいした事じゃねぇよ。この店を教えてもらったので十分だ」
「えぇ……でも、」
「ほら、置いてくぞ。時間帯的にそろそろ混み始めるだろ」
「はーい……」
 伝票を持たせてもらえなかった仙道は、まだ納得していない様子で後ろを付いて来た。だが、ここは牧も譲れない。レジに辿り着くと、例の店員がちょうど顔を覗かせた。
「お待たせいたしましたっ」
「あ、牧さん学生証持ってる?」
「学生証?」
「お持ちでしたらお会計から割引致しますが、いかがでしょうか?」
「あぁ、あります」
「オレも」
「ご提示ありがとうございます! では割引致しまして……あっ、お会計はご一緒でよろしいでしょうか?」
「はい」
「いえ、別で」
「……えっと……」
 肯定する牧と否定する仙道に挟まれ、店員は困惑した。若葉マークも萎縮したように見えたのは気の所為だろうか。
「……なら、別にしてください。クリームソーダとナポリタンです」
「は、はいっ、かしこまりましたっ」
 ここは折れるのが妥協点だと、牧は判断する。レジに表示される数字が、伝票のものより小さくなった。それぞれが食べた分を支払い、店を後にする。時計はもう少しで十五時を指すところだった。ショッピング帰りなのか、紙袋を幾つも持った女性のグループと擦れ違う。彼女達は、先程の喫茶店へと姿を消した。
「……ホントだ、ちょうど混むタイミングっすね」
「メニューにケーキのページもあっただろ。そんな気はしたんだ」
「あ、そういやばーちゃんはケーキも美味いって言ってました」
「……なら、また来るか?」
「え?」
 揃って駅へと向かう道中、仙道はぴたりと足を止めた。牧は振り返り、続ける。
「学割、使えるんだろ?」
「けど……牧さんも忙しいっすよね? ……いいんすか?」
「まぁ流石に毎日は無理だが」
「そ、れは分かってる、けど」
「なんだよ、進学しても学生だろ? それとも、来年には故郷の星にでも帰っちまうのか?」
「来年? ……あぁ! はは、もう一年は絶対いれるっすよ」
 少し考えた様子の仙道は、牧の軽口に気付いたようで。先程の雰囲気はもう感じなくなっていた。その安堵から胸を撫で下ろし、つい頬が緩んでしまう。
「んん? なんで笑ってんすか?」
「お、悪ぃ、なんでもねぇよ。そのもう一年で、必要なら受験勉強くらいは見てやるさ。時間が合えばだけどな」
「うっ、受験かぁ……」
「気は早いが、志望校はもう決めてあるのか?」
「まだっす。……けど、そっすよね、決めねぇと……」
 尻窄まりにもごもごと話してる辺り、仮に宇宙人であるならば、高校を卒業するまではこの星にいられると推測した。進路も悩んでいるなら、大学を卒業するまでの可能性もある。だが、その先は? 自分に何の挨拶もなく、ふと消えてしまう事も十分に有り得る。同じ学校、同じ部の部員ならまだしも、他校の、更に学年も違うのだ。連絡先を知っているが、それが必ず連絡しなければならない事を示してはいない。星に帰るのもどこに進学するのかも、バスケを続けるかどうかすら、自分には知る権利が無い事が、どうにも歯痒かった。
「……牧さん?」
「ん?」
「今、何考えました?」
 隣を歩いていた仙道が足を止め、牧を見る。その底は見えない。洗いざらい、全てを伝えるのは抵抗があった。
「何って……進学先だとか、受験だとか……」
「嘘」
「……嘘じゃねぇよ」
 そう、嘘ではない。一般的に通るようになるであろう道筋を、仙道は通るのか。それを考えていた。間違ってはいない筈だ。
「うーん、そうかもしんねぇすけど……他にもありますよね?」
「他……?」
「うん。なんかそんな顔してた」
「ふっ……なんだそりゃ」
 てっきりこのまま尋問でも始まるのかと思ったが、そうはならなかった。深く踏み込んでくる問い掛けをしつつ、無理矢理聞き出す事はしない。その感覚が心地良くて、つい零してしまった。……思えばそれが狙いだったのかもしれないが。
「お前が……宇宙人の仙道がな、もう一年地球にいれたとして。受験して、大学に行くとして。これからの進路やその先は、オレが知るとは限らねぇんだな、て、くらいか? それだけだ」
「……やっぱり、」
「仙道? どうした?」
「いや、なんでもねぇっす」
「お前……オレは言ったぞ。お前だけなんでもねぇはねぇだろ」
「オレのはなんでもねぇんすよ、ホントっす」
 降参、とでも言うように仙道は両手を上げた。へらりと笑う顔に毒気を抜かれ、諦めるしかないと悟る。ただの言い訳ではあるが、他校の壁はそれ程に厚く感じてしまう。
「……仕方ねぇな」
「すんません。けど、明日からもまた連絡しますね。……嫌じゃなければっすけど」
「おう。じゃあまたな」
「はい、また」
 そう言って仙道は改札を抜けて行く。姿が見えなくなってから、帰路についていた牧はふと足を止めた。なんだ、明日からもまた連絡するって。今日はもう無いのか。
「……そうか」
 そこまで考え、閃いた。何もなくても、自分から送ってみればいいのだ。普段用事が無ければ連絡していなかったから、思い付きもしなかった。しかし何を送ったらいいのか。元気か、いい天気だな。……違う気がする事は分かっている。そうだ、自分達にはバスケがある。使っているシューズのメーカーにしてみようか。そうすればきっと自然だ。一人頷き、再び歩く。喫茶店での仙道の様子については、すっかり抜け落ちてしまっていた。


 その週の金曜日、牧は仙道に連れられた喫茶店を再び訪れていた。貸したバスケ雑誌に載っていた練習方法について、神から部活終わりに少し話をしたいという申し出があり、この場所を思い出したのだ。ノートに書き込みをしていた二人のテーブルに運ばれてきたカフェオレが、共に半分まで減った時。神が口を開いた。
「……牧さん」
「なんだ?」
「ここの喫茶店、前にも来た事あるんですか?」
「あぁ、先週仙道に教えてもらってな。どうして分かったんだ?」
「場所を選ぶのに迷ってなかったので……って、仙道に?」
「なんでも、ご家族の思い出の喫茶店らしい。その喫茶店は東京にあるらしいんだが、遅い時間まで空いていて、落ち着いて話が出来るといったら、ここしか浮かばなくてな」
「……そうなんですね」
 それだけを返して、神は黙り込んでしまう。それから先程の続きをノートに書き込んでおり、少ししてその手を止めた。
「オレに教えてよかったんですか?」
「……ん?」
「今週フッキーから……あ、陵南の福田から、仙道が普段しないようなミスばかりするって聞いたんです。フッキーは、ただ言いたかっただけだと思うんですが……別の事を考えてるような、上の空みたいだったって言ってたので、何かあったのかなって」
「そうなのか……珍しいな」
「そうですね。水曜日くらいには落ち着いたらしいですけど」
 カフェオレを口に含んでから、神は牧を真っ直ぐに見た。
「オレはこの喫茶店を知らない事にしておくので、一度仙道と話してみたらどうですか?」
「何をだ」
「あの仙道が、オフの日に他校の先輩を、バスケが絡んでない場所に連れて行くんですよ?」
「それがどうした。そのくらい、」
 自分もと言いかけて、気付いた。果たしてそうだったか。同校の先輩になら特に深く考えないし、他校の後輩には用事があれば、連絡したり場合により会ったりもするだろう。しかし、他校の先輩はどうだ。そして何より、バスケが絡んでいないのなら。
「……あぁ、そうだな」
 言われてみれば、先週の下見だろうという発言に、どこか引っかかる反応をしていた。結局そのままにしてしまっていたが、どういった意図でこの場所を教えてくれたのか。仙道の意志をよく確認すべきだったと内心反省する。改めてどう連絡しようかと考えている最中も、神は柔和な表情のまま手を動かしていた。
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